分岐点の手引書
運命の巡り合わせとは不思議な物だ。
かつては大陸、どころか全世界を旅し歩いてきた私が、まさかこんな場所で君と話をしているとはね。初めは辺鄙な山奥だと思っていたが、こうして慣れてみるとなかなかのものだ。それに私も、人に教訓や忠告を語るのは大好きだから、君のような勉強熱心な話し相手は嬉しいよ。
そうだ。今日の話は、運命の巡り合わせについてだ。それがふさわしい。
君は前から、私の先見性について、不思議に思っていたらしいね。私が政治や時代の流れをよく知り、鋭く適切な意見を述べていると評価していたじゃないか。
まああれも年の功と言うのかな。人生経験が長くて、かつ政治の動きを読む感性を備えているからだ。
けれど、その予測とはまた別に、実は時代の流れを読む便利な道具も持っているのだよ……滅多には使わないがね。
その道具とは、分岐点の手引書。見た目はただの本なのだが、実は世界の流れのありとあらゆる可能性と確率が記されている。今どんな行動を取ればどういった未来になるのか、完全に予測してある。
つまり、それを読めば未来が分かるのさ。
もちろんこんな物、人民の前には出せないよ。私がしっかりと保管している。なにせ未来、どころか運命の巡り合わせが全て分かり、その方向を自在に決められるのだからね。一国の王が手にすれば、ある種の兵器として扱われるに違いないよ。
しかし、かつてこの手引書が、うっかり人の目に触れてしまった時があってね。そのせいか、分岐点の手引書の存在は、伝説として残ってしまっているのだよ。いわく、全知識を得られる場所とか、歴史と時間の記録所とか、そんな感じでね。まあその伝説も間違いではないだろう。手引書を読めば、未来の全ての可能性が分かる。全ての可能性を知れば世界を操れるし、多くの知識も得られるからね。
けれど、それを使っても意味はないよ。未来なんて黙っていても訪れる。人生の攻略本など、あってもつまらないだけさ。私が右手を上げるか左手を上げるか、などという微細な運命の分岐を知ったところで、何の意味があるのかね?
……いや確かに、運命を知る手引書に全て従って、最善の将来を迎えるのも良いだろう。しかし、人生における自分の言動全てを手引書の仰せのままに、というのはいかがな物かね。未来のためだけに生きるようでは本末転倒だ。
全てが予想通りになってしまう全知の書というのも、人生には無用の品なのだよ。
だから私も、作って数年の内に使わなくなってしまった。まあ、分岐点の手引書を作る下調べの段階で、時代の流れを読む観察眼を手に入れたのだから、全くの無駄でもなかったよ。そもそも手引書だって、私が興味本位で作った物だから、人民に公開する気などなかったけれどね。私は忠告なら喜んでするが、物を与える事はほとんどしないのだ。
まあ君も、無限の可能性を楽しみたまえ。未来と可能性に縛られぬ方が、長い人生を豊かにできるはずだ。