幽明鏡の悲劇
幽明鏡という物を、君は知っているかね?
いや、知らないのならばそれで良い……あれは知らぬ方が吉とされる類の物なのだからね。世の中にはそんな物もあるのだよ。
……え? ああいや、かといってそれを知る私が凶だとは言い切れないよ。そこは安心してくれたまえ。私が幽明鏡を知っているのは、その作者と交流があるからでね。ああ、だから私が幽明鏡を所持した事などないし、もちろん使った事もない。
使う必要すらないからね。
……と、失礼。要らぬ所まで話しかねない。私はお喋りが好きでね、よく脱線してしまうのだよ。すぐ本題に入ってしまおう。
そもそも幽明鏡とは何か。まあ簡単に言ってしまえば、幽世と現世、つまりあの世とこの世を繋ぐ鏡だ。鏡の中に幽世が映り、鏡の外にはもちろん現世がある。したがって、鏡を通してあの世を眺める事はもちろん、鏡面から飛び込んであの世へ行く事すら可能だ。とはいえ正確に言うと飛び込むのではなく、鏡面を境にして、周囲の世界が入れ替わるように感じるらしいがね。
ともかく。この幽明鏡を応用すれば、幽世の者と会う事、そして自分が霊体になる事すらできるらしい。確実で簡単な、交霊会と幽体離脱の道具というわけさ。
それを私の友人は作成し、あろう事かあっさり手離してしまった。しかも渡した相手は普通の貴族どもさ。何を考えているのか、奴は、人々に死後の世界の存在を広めて啓蒙しようなどと、おかしな考えを持ってしまったのさ。お人好しにも程がある。そんな事をしなくとも、もっと有意義な作業があるだろうに……。第一、普通の人民と関わろうという発想からして、知人の間で奴は異端だと評判だよ。
その幽明鏡も、やっぱり人々にとっては異端だった。初めは、鏡の持ち主の貴族があちこちで見せびらかして、かなりの娯楽になったらしい。幽霊を呼んだり霊界に行くというのは、彼らにとって一種の遊びだったようだね。けれど、過ぎた技術は毒になる。それがあのお人好しには分からなかったのだろう。
なにせ死者と会い、かつ死後の世界に自由に行けてしまうのだ。そもそも人間というものは、幽世への恐怖によって、かろうじて現世で生きていけるのだよ。死にたくないという恐怖は、人間が生き得る何よりも強い原動力となる。しかし、明るく鮮やかな未来へ進み、現世に臨む人間もいれば……幽かで漠然とした過去に留まり、幽世を求める人間だっている。どちらが良いかは人にもよるが、時代にもよるだろうね。近頃のような、未来に希望を持ちやすい時代ならともかく……あの時代は不安が勝っていた。
結局、幽明鏡を手にした者は皆、穏やかな幽世へ反転したまま、厳しい現世には戻ろうとしなかったのだ。貴族達が消え、それを不審に思った使用人が消え、調査に来た警官が消え……手にした者は次々と死ぬ呪いの鏡。しかも自発的に死んでいくのだから性質が悪い。
最終的には、私が浮浪者から幽明鏡を買い取って、作者に返してやったがね。二度と人民に渡さぬようきつく忠告しておいたから、きっと今も奴の倉庫に眠っているはずだ。
生死の境を失わせる道具など、現世には必要ないという事だ。もし君が、東洋風の歪んだ鏡を見つけてしまったら……使わぬ方が身のためだろう。
私からの貴重な忠告だ。