(6)
「君、かなり若そうだけど新人さん?」
「二年目のゆとり刑事です」
「ゆとり?」
「現場嫌いなデスク主義のゆとり世代です」
「変わってるね」
「よく言われます。でもそちらだって若く見えますけど」
「これでも三十六だよ」
「若っ!」
「よく言われるよ」
影裏という部署に属する白髪の黒スーツ、名は御神真人。
御神さんは自分の事を、どうしようもなくなった案件が回ってくるこの場所と自分の役割を揶揄して”掃除屋”だと苦笑いを浮かべた。
影裏。
そこは概ね私の思っていた通りの場所だった。常識では考えられない事件の最終預かり場。だが一つ、私の認識が間違っている所があった。
ここにある一度は未解決の白旗があがった案件達は、この影裏という場所で全て解決に導かれていると言う事。
私は信じられなくて、偶然手にしたあの女児行方不明の件について尋ねてみた。御神さんは、
「この無数にある事件の中からそれを抜き取るとはね」
と驚いた顔を見せながらも、真実を語ってくれた。そして私はもう一つ知る事になった。理解できない案件というのは、理解出来ない真実が故だという事を。
「あれは先代影裏が解決した案件の一つだけど、あの女の子は特殊な力を持っててね」
「特殊な力?」
「ああ。どこでもドアだよ」
「……はい?」
「もしくは、これ」
そう言って御神さんは左手の人差し指と中指を額に当てて見せた。今なお絶大な人気を誇るバトルマンガの金字塔。女子の私でも知っている。それはその主人公の移動方法の一つだ。
「瞬間移動?」
「そういう事」
「本気で言ってるんですか?」
「ここはそういう場所だ」
御神さんは大げさに両腕を広げて見せた。
思わず私は鼻で笑ってしまった。頭で分かっていたつもりでも、いざちゃんと言葉を通して伝えられると、どうしようもなく荒唐無稽でギャグにすら思える。
「あの子が突然消えてしまったのは、力の制御がうまく出来ていなかったからだ。そのせいで、彼女はあの瞬間都内から一瞬にして北海道まで飛んでしまったんだ」
「北海道!?」
「後に女の子が語ったのは、あの時女の子は急に”雪を見たい”と思ったそうだ。曖昧なその想いが雪国である北海道を連想させ、彼女を飛ばした」
「嘘みたい……」
「でもそれが真実」
御神さんの表情はまっすぐで、真実を語るには十分な気迫があった。だから私はもう鼻で笑うような真似はしなかった。けどだからと言って全てを飲み込めたわけでもない。
瞬間移動。そんな夢のような能力を使う人間がいるなんて。
「で、ゆとり刑事さん。君が頼まれたもの、見せてもらってもいいかな」
「え、あーはい」
本来の要件である資料を私は御神さんに手渡した。御神さんは資料をぱらりとめくり素早く目を通していく。ものの一分程で資料をめくり終えた御神さんは、なるほどと一言呟き資料を机の上に置いた。
「じゃあ、私はこれで」
役目を終えた私は扉の方へと体を向けた。
興味深い場所ではあるが、深く関わるつもりはない。関わったところで、こんなとんでもない事件を前に自分が出来る事なんてない。そのあたりは専門の御神さんに任せておけばいい。心の中で私は勢いよくそう唱えた。なんとなく、嫌な予感がしたからだ。
「駄目だよ」
咎めるでもなく、責めるでもない平淡な口調。それでいて絶対的な抑止力のある、なんというか魔力じみた力で私の全身はその場に固められた。
「……駄目と言いますと……?」
「駄目駄目。帰っちゃ駄目だよ」
ぎこちなく固まった全身をゆっくりと御神さんの方に戻した。御神さんの視線は私ではなく資料に向けられたままだった。
「いや、でも……」
「駄目なものは駄目」
弱々しい私の意見は華麗に踏み潰された。そこで御神さんは資料を置き、私に視線を向けた。
「だってもう、関わっちゃったんだから。僕と」
ぞわっと急に寒気だった。その一瞬御神さんから妖気じみた禍々しいオーラが打ち寄せて私を貫いた。
私には彼の言葉がこう聞こえた。
“もう君は、逃げられないよ”
これじゃまるで呪いじゃないか。
ただ頼まれて資料を持ってきただけなのに、私はとんでもない事に巻き込まれようとしている。
そうだ。私は思い出した。そそくさとここから出ようとした時、確かに感じたのだ。嫌な予感というやつを。
「君は今から僕のお手伝いさんだ。手伝ってもらうよ、ゆとり刑事さん」
そう。
嫌な予感っていうのは当たるんだよな、これが。