(5)
「長かった……その名前をちゃんと呼んでもらえるまで」
神山の顔は、やっと全てから解き放たれたように安堵に満ち溢れていた。
「ここからは、あなたの番です。何故あなたがこんな事をしたのか。さすがにそこまでは、私にも分からないので」
だろうな、と神山は体を前に傾けた。
「これは、復讐と償いと証明の為だった」
*
『久々に集まらないか』
携帯の通知に次沢からそんなメッセージが届いた。トークグループには、直樹、怜美の名前もあった。
警察という多忙な場に身を置いてる自分は参加出来ないだろうと思った。以前から度々彼らからこういったメッセージは届いていた。向こうは梅﨑という名前に変わってからも変わらずに接してきた。
知る訳もない。自分が本当は神山忍である事なんて。
長い時間、葛藤を続けた。
あの日昌彦に押された瞬間、心臓が一際大きく鳴り響いた。そしてその次の瞬間、その動きは一気に緩まった。
死ぬんだ。そう直感した。
次の瞬間、場面が切り替わった。地面に倒れる自分。それを取り囲む皆。
困惑した。何が起こっているのか分からなかった。
『急げ』
それは本能が発した自分自身の警告だった。早くしなければ、死滅する。そして俺は慌てて肉体を選んだ。それが三原栄治だった。
戸惑いの連続だった。最初は名前を呼ばれても無視してしまう事も多かった。
「なんか、えいちゃん雰囲気変わったな」
その言葉を聞くたび、どきりとした。そしてその都度、自分は神山忍だと口にしようとした。しかし、鏡に映る自分の顔はどこからどう見ても三原栄治だった。そんな言葉が通用するわけがない事は、幼くても痛い程に理解していた。
真顔でいると、「笑わなくなったね」と言われた。周りはそれを、神山忍が死んだ事が原因だと考えた。
そうだ。その通りだ。あいつに、昌彦に殺されたから、俺は今こうやって栄治の体にいる羽目になっているんだ。
栄治と呼ばれる度、昌彦への恨みが増幅した。死んで以来、昌彦の周りには誰も寄りつかなかった。人殺しとひそひそ言われ、学校も休みがちになった。
いい気味だとは思えなかった。俺はここにいる。殺された俺はここにいるぞ。
気に食わなかったのが、妹尾先生が昌彦を気にかけ、話しかけたり、休んだ時には家に行ったりしていた事だ。
気恥ずかしくて誰にも言えなかったが、俺は先生の事が好きだった。
恋愛感情に近かったかもしれない。若くて優しい憧れの先生。そんな先生に少しでも構って欲しくて、よくちょっかいをかけたりした。
「忍君、やめなさい」
そんな風に膨れて怒る顔も好きだった。
俺が死んで、警察が来て、昌彦へのイジメが問題になって、それからどんどん先生は憔悴していった。みるみるうちに元気が失われていった。それでも懸命に昌彦の事を気にかけ続けた。なのに昌彦は、ますます学校に来なくなった。
中学に入っても、あいつは学校に来なかった。
――イジメだと? ふざけるなよ。
我慢の限界だった。別に昌彦が嫌いだったわけじゃない。ちょっとおもしろかったから、からかっただけだった。
「いい加減にしてくれよ!」
あいつが怒った時は少し驚いた。さすがに悪い事をしたなと思った。しかしその次の瞬間、俺はあいつに殺されていた。
そこまでの事をしたのか。殺されなければいけないほど。
それに、先生があそこまでしてくれたのに、お前はずっとぐちぐちと悩んで学校にも来ようとしない。
――何様なんだよ。
怒りは限界を超えていた。その時に思い付いたのだ。
同じ事が出来るんじゃないかと。栄治の体に入れたのなら、あいつにも同じように。
俺は自分の力を試した。最初の憑依の相手は親父だった。いつも家では酒に酔ってるろくでなしだ。いい実験台だ。
目を瞑り、魂が抜ける様をイメージした。ふっと体が軽くなった。気付けば、俺は俺を見下ろしていた。
――出来た!
後は憑依するだけだ。俺は親父の体に入り込んだ。
――うわっ、なんかフラフラするぞ。
酒に酔った親父の体の制御は思いの外難しかった。足取りがおぼつかない。立ち上がった体はよろけ、壁にしたたかに頭をぶつけてしまった。
「いって!」
もういいと思って親父の体から抜け出て、自分の体へと戻った。
――いける。いけるぞ。
昌彦を殺す決心をした瞬間だった。




