(6)
「先生、気にしなくていい。あなたがやる事は一つだけだ」
先輩は女性に語りかけた。それは日頃見せる悪態とは違い、一度たりとも私には見せた事のない優しいものだった。
「彼女が、妹尾先生ですか」
御神さんが問いかける。先輩の視線がすっと御神さんに移る。
「あんたが御神さんか。顔を見たのは初めてだな。ウチのゆとりが色々と迷惑をかけたな」
「そんな事はないですよ。彼女は優秀です。それを知っていたからこそ、彼女に頼んだ部分もあるんじゃないんですか」
「怖えな。一体どこまで見透かしてるんだ。噂通りだな。あんたに頼んで正解だった」
「あなたに頼まれて動いたわけではないです」
「結果としては一緒だよ」
まるでつばぜり合いだ。互いをけん制している。御神さんの口調はいつも通り穏やかだが、その底には沸騰しそうな程の怒りがあった。
「全部、あなた達二人がやった事だったんですか」
「先生は悪くねえよ」
「しかし、その手首は――」
「悪くねえんだよ!」
激高が公園の木々を揺らした。尖った口調はいつも聞いていたが、ここまで怒りを露わにした声を聞いたのは初めてだった。
「だいたい分かってるんだろ、あんたは」
「そんな事はありません。あなた方の口から聞かなければいけない部分はたくさんありますよ」
「そうかい。まあ、待てよ。順番ってのがあるんでな」
そう言うと先輩は視線を妹尾先生に戻した。
「先生。待たせて悪かったな。これで最後だ」
順番。先輩はそう言った。しかし、先輩の様子と言葉は、私の考える順番とは明らかに異なっているように思えた。
「先輩……」
「俺で最後だ。これで全部終わりだ。あなたが憎んだ人間は、これで全部消えてなくなる」
やはりそうだ。先輩は死ぬ気だ。
「先輩!」
駄目だ。このままでは、真実が闇に消える事になる。事件を裏で動かしていたのは先輩だ。そして妹尾先生は、おそらく先輩に誘導されて事件を実行していただけだ。全てを知っているわけではないだろう。
全てを教えると言った言葉は嘘だったのか。
じりじりと、妹尾先生が先輩の方へと近づいていく。
止めなければ。しかし手首への恐怖が残っているのか、身体は動かなかった。
「御神さん!」
私には無理だ。でも御神さんなら。
しかし、何故か御神さんも動かない。私と同じようにまさか怯えているのか。そう思って彼の表情を見るも、そこに恐怖は見えなかった。
「何してるんですか! このままじゃ!」
私の叫びが聞こえていないのか、御神さんは動かない。
「先輩! 全部教えるって言ったじゃないですか! 勝手な事ばっかして、何様なんすか!」
届け。身体が動かないなら、せめて言葉が誰かに届け。しかし、何も思い通りにいかない。私の言葉は誰も動かさない。
「おい、ゆとり」
「……何ですか」
「誰が今、全部教えるなんて言ったよ」
この期に及んで、先輩は一体何を言ってるんだ。
「黙って見とけよ」
先輩の声は静かで、それだけに威圧感のある有無を言わせないものだった。
でも、だからと言って怯むわけにはいかない。そう思った私の肩に、ぽんと御神さんの手が置かれた。
「御神さん……」
何も言わない。何も言わなかったが、それは先輩の言葉に従えという無言の圧迫だった。
「どうして……」
訳が分からなかった。
気付けば、妹尾先生と先輩の距離は触れる事の出来る程に近づいていた。
「先生」
終わる。終わってしまう。
「ありがとう。そして、本当にごめんなさい」
本当に、これで終わってしまう。
「三原君……」
妹尾先生の呟きが、夜に染み込んで消えた。
その瞬間、先輩の顔が悲しげな笑顔になった。
「さよなら、先生」
武市君の手が、先輩に触れた。




