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凍り鬼  作者: greed green/見鳥望
プロローグ
1/70

*

 夜。

 虫の音が奏でる緑の公園を田口清太たぐちせいたはいつものように走っていた。

 社会人になって三年。日頃の業務に慣れていく中で、当たり前のように業務量は増え、それに伴い会社にいる時間は延びていき、正しい生活リズムは崩れていった。

そして当然のように体は正直で、みるみるうちに腹には醜い脂肪が付き始めた。これでも学生の頃はスリムで無駄のない肉体が自慢だったが、そんなものは既に遠い幻だ。以前は視線を下げれば板のようにすっきりと真っ直ぐに見下ろせた肉体が、今やぼてっとした下っ腹が曲線を描いている。

 

 原因は単純だ。食事と運動不足。夜十時に帰ってからの食事はやはり体に現れてしまう。だがこればかりはどうしようもない。時間をずらすわけにもいかないし、働けば腹は減る。そこは譲れないし、何より清太は食事が好きだ。となれば、後は運動しかない。


 社会人になってからめっきり運動というものから離れてしまっていた。した方がいいと思いながら、面倒だなという気持ちが上回った。そしてその結果がこれだ。だがもうさすがに面倒だなんて言っていられない。このままでは脂ぎった狸腹の中年オヤジまっしぐらだ。そんな自分を想像して清太はゾッとした。


 そして清太は夜のジョギングを始めた。始める前は億劫だったが、いざ始めてみるとどうだ。なんとも清々しく心地いい。確かに疲れるが、後を引かないすっきりとした疲れは自分の中から毒素が抜けていき、体内が浄化されていく気持ち良さがあった。


 すっかり夜のジョギングが日課という名の趣味になり、その日も清太は心地良く夜の中を走っていた。夜の十一時過ぎ。草木も眠る丑三つ時には程遠いが、多くの人間は眠りにつき始める時間帯。たまに同じように走る人を見掛ける事もあるが、基本的に誰かと出くわす事は少ない。それ故その存在に清太が目をひかれたのは自然な事だった。


 外灯の下のベンチに座る影。


 ――こんな時間に何してんだ?


 違和感はあった。だが、優しい夜風に当たりながら疲れを癒す、なんて過ごし方もあるだろう。それだけで不審者として扱うのは失礼だ。


 徐々に影との距離が縮まる。近付くにつれその姿ははっきりとしていく。

 男性。暗くて分かりにくいが、恰好は若く見える。その男は視線を前にしたまま、じっとその場に座っていた。向こうに何かあるのだろうかと思ったが、視線の先には木々の緑があるだけで、特別何かあるわけでもなさそうだ。


 いや。視線ではない。清太は何ともいえない気味の悪さを感じた。彼の視線は何かを見ているのではない。何と言うか、意志を感じられない。ただ茫然としているというわけでもない。眼球が前を向いているだけで、視線が生きていないように感じられた。

 もっと言うなら、彼自身から生気が感じられなかった。全く微動だにしない姿からも、マネキンが座っているかのような不自然さがあった。


 清太は迷った。さっさと走り抜けてしまいたい。関わるべきではない。だが、強烈に気になる心があるのも事実だった。二つの気持ちに挟まれた結果、興味に負けた足は自然とスピードを落としていった。


 ――なんなんだ、あいつ。


 近付けば近付く程に不気味だった。自分という存在がいるのに気にする素振りもなく、相変わらずベンチに固定されたかのように座っている。

 

 ――うっ。


 男の顔面がしっかりと見えた瞬間、清太は思わず心の中で小さく悲鳴を漏らした。

 開き切った瞼。半開きの口。男の表情はその状態で固まっていた。魂が抜けたような表情。しばらくその表情を見つめたが、その顔面はぴくりとも動かなった。

 不気味に思いながら、さすがにあまりの様子のおかしさに清太は男に声をかけた。


「あのー……」


 反応なし。自分の声がまるで届いていない。

 

 ―-まさか、死んでるのか?


 ぞぞっと背筋が寒気立つ。だがそうなれば尚更ほっておくわけにもいかない。自分は第一発見者だ。見過ごせば後で何故すぐ知らせなかったのかいらぬ疑いをかけられるかもしれない。


「あの、大丈夫ですか?」


 じりじりと近づきながら声を投げかける。やはり反応はない。男の顔色は夜の光を浴び、真っ白に照らされていた。

 手を伸ばせば触れられるほどまで距離は近付いていた。そろーっと清太は腕を伸ばし、男の肩に手を添え体を揺らした。


 ――なに、これ?


 揺すろうとした手が思うように体を動かさない。男の体が驚く程に凝り固まっており、まるで無機質な物体を触っているかのように何の温度も伝わってこない。


 死後硬直。


 そんな言葉が頭をよぎった。自然と息が乱れ始めた。

 今目の前にあるもの、それが死体かもしれない。そして今、その死体に自分は触れている。


「い、生きてます、か?」


 手はぶるぶると震えていた。肩においた手を、男の首元に伸ばしていく。

 男の肌に清太の手が触れた。

 固く、冷たい。

 そして、脈はなかった。


「し、し、し……死んで……」


 清太はへなへなとその場に崩れ落ちた。全身がうまく動かないが、それでも彼の中の義務感がその手を自分のポケットへと動かした。


「け、警察……」


 その後、清太がジョギングのコースを変えた事は、言うまでもない。


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