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第二章・W

十月十四日(金)午後〇時三十五分

二年十組教室


 思い出す光景がある。

 五月の、サッカー部地区予選のことである。

 十組には、トシヒロとタイシという男子サッカー部員が存在している。彼らが地元の地区予選に出場するということで、トシヒロと同じハルカグループに属するサイコも、否応なしに応援に駆り出されたのだ。応援、とは言っても、正直、この二人に応援が必要とも思えなかった。二人とも生粋のサッカー馬鹿で、その実力は本物だ。地区予選でも面目躍如の大活躍。連戦連破で、次のステージへと勝ち進んだ。順当な結果である。

 こんなことなら、わざわざ自分なんかが応援に来る必要なかったんじゃないかな――そんな風に思ったのを覚えている。だから、試合の途中、サイコは応援席から抜け出した。

 近くで女子サッカーの試合が行われていたからだ。

 十組には、トシヒロとタイシとは別に、もう一人のサッカー部員が存在する。女子サッカー部のエース、ミホがそうだ。グループの関係上、サイコは男子サッカー部の応援に行っていたが、ずっと女子の戦況が気になっていたのだ。様子だけ見て、すぐに戻ればいい――そう考えて、サイコは女子サッカーの試合が行われているグラウンドへと、足を伸ばしたのだった。

 しかし、タイミング悪く、女子の試合はもう終わったところらしかった。結果は、こちら側の勝利。ミホは、友達のユイ、ユミと談笑しながら昼食をとっているところだった。

 ポニーテール頭のミホがベンチの端に、その右側にユイが、さらにその右隣にユミが、という位置関係で、各々のランチボックスを開いている。別段興味はなかったのだけど、それとなく近付いてみる。どうやら、ユイとユミの二人は、エース選手のミホに特製の差し入れを持ってきているらしかった。

 ユイが取り出したのは、特製のかきあげ。

 ユミが取り出したのは、特製のカレー。

 …………。

 いやいやいやいや。

 激しい運動の合間に、油モノや刺激物はどうかと思う。特製の意味も分からないし……。帰宅部のサイコでさえ、そう思うのだ。女子サッカー部エースのミホも、当然、同じことを思った筈だが――

「……これ、わざわざあたしのために!? 美味しそうじゃんっ!」

 予想外だった。

 ミホは、満面の笑みで、二人の差し入れを頬張っている。無理をしている様子は微塵も感じられない。それどころか、「いい友達を持って、あたしゃ幸せだよ……」などと、おどけた調子で感謝の気持ちを伝えている。……本気で言っているのだろうか。まだ試合は残っていて、ミホはエースストライカーとして活躍しなければならないのに……。

 釈然としない気持ちで、サイコは踵を返した。

 ミホの、裏表のなさそうな笑顔が、やけに印象的だった。

 その直後の試合で、彼女がハットトリックを達成したと知ったのは、その翌日のことである――。


 何の脈絡もなく、そんなことを思い出す。

 

 深く、長い、溜息が漏れた。

「――ハァ………」

 まだ、尾を引いている。

 昼休みの教室である。教室の前後の扉は閉じられ、全ての窓もまた、閉められている。完全なる密閉空間。サイコは大人しく、自分の席に収まっている。

 そう――最初から、動かずにいればよかったのだ。昨日だって、校庭の木の下でマサと雑談などしなければ――こんなことには、ならなかったのに。不意に現状を思い出してしまい、サイコは再度、暗く沈み込む。机に上半身を投げ出し、顎を上げて目の前の時間割を眺める。無論、昼休みの後の授業科目を確認している訳ではない。

 ――ああもう。どうして、こんなことに……。

 面倒なことになった。

 本当に、面倒なことになった。

 何で自分が、こんなことに巻き込まれなければならないのか。何もこんな、教室の隅っこでモーター雑誌を眺めているような、地味で目立たない人間などに――白羽の矢を立てなくても。そんなことは、クラスの中心的人物――アオイやハルカ、マコイ、セイシ、レイ、オミナリ、トシヒロ、タイシ、コウなど――その辺の、人気があって顔の広い連中に押し付ければいいいものを。何故、自分なんかが……。

 思考がループ状態に陥っている。

 先が見えず、先が読めず、サイコは更に躰を弛緩させ、だらしなく何度目かの溜息を吐いたのだった。

「どうしたよ。さっちゃん、元気ないねー」

 隣からミカが話しかけてくる。長髪を頭頂でシニヨンにした、サイコと同じく小柄で華奢な少女。地味な印象だが、温厚で優しい性格で、席が隣同士ということもあってか、クラスの中では一番仲がよかった。

「ううん、大丈夫。ミカには関係ない。心配してくれんでもいいに」

 突っ伏したまま、そう答える。答えた後で、突き放したような言い方になったかと気になり、慌てて「ありがと」と付け足す。

「そう? あ、ご飯は?」

「……今日は、いらない」

 最近は、本当に食欲がない。慣れない自転車通学は思いの外に体力を使うが――別に、一食抜いたくらい、どうってことはない。朝晩はそれなりに食べているのだから、大丈夫――そんな風に、思う。

「ダメだよー、何か食べんと。昼抜きじゃ午後持たんら」

 前方に回り込み、しゃがんで、サイコと目線を合わせてくる。

「ん……でも、本当に、具合悪いから。無理に食べたら、戻しちゃうかも」

「だったら、私のミカン、食べる?」

 そう言って、ミカは自分のランチボックスから大振りのミカンを取り出して、突っ伏したままのサイコに差し出す。柑橘系のいい匂い。だけど、サイコはそれを食べられない。それが分かっているから、サイコは余計に悲しくなる。

「ありがと。気持ちだけ、頂いとくね」

 ミカは一瞬複雑な顔をしたが――結局何も言わず、優しく微笑むのみ。嗚呼、いい娘だなあと、ぼんやりした頭でぼんやりと思う。

 しかし、体調は本当に優れないのだ。

 そう言えば、昨日もそうで、だから校庭に避難したんではなかったか――などと、ゆるゆると考えていた、その時。

 首筋に、水滴が当たった。

 サイコもこれには驚いて、慌てて半身を起こす。

「あ、ゴメン。水はねた?」

 真後ろで、短髪の、よく日に焼けた少年が水槽を覗き込んでいる。小柄なサイコやミカよりも更に背は低く、パッと見には――と言うか、よく見ても――やんちゃな小学生にしか見えない。

「…………」

「コイツ、最近すげえ元気いいんだよなァ。餌変えたからかやァ」

 言いながら、水槽に粉末の餌をパラパラと撒いている。どうやら、さっきのは『ヌシ』が跳ねたせいらしい。『ヌシ』とは、その水槽で飼われている魚に付けられた名前である。

「…………」

「それとも、サイコの元気奪ってんのかもな。最近オメェ、元気ないら」

「…………」

「何だよ。何黙っとるだ」

 黙っていたのは、単に口を開くのも億劫だったからだが――このままでは、無視する形となってしまう。仕方なく、サイコは少年の方を振り向き、優しい言葉を投げかけてやることにする。

「……いや、どこの小学生が紛れ込んだのかな、と思って」

「小学生じゃねェわっ! お前、いい加減、人のこと小学生扱いするのやめろやっ! てか、オレとお前じゃそんなに背変わらんら!?」

「女子の、それもかなり小さい部類に入る私とそんなに変わらん、ってのが問題だら」

「うっ……」

「と言うか、実際問題、私の方が背高いしね」

「…………」

 本人が気にしている部分を、クールに、淡々と指摘。あまりに核心を突きすぎたせいか、少年は途中で水槽の世話を放棄し、自分の席で項垂れてしまった。

 少年の名は、『テン』と言う。

 趣味は釣りとマリンスポーツ。ミカや他の生徒何人かで窓際に置かれた水槽の世話をしている。席はサイコの真後ろで、普段から何かとちょっかいを出してくる。まぁ、サイコはあまり相手にしていないが。そのテンは今、近くの席の男女二人組、マイとユートに慰められている。

「ちょっとー、サイコ、あんまりテンのことイジメんでよぅ」

 マイが苦言を口にするが、その顔は笑っている。本気でサイコを諫めている訳ではないのだ。テンも大袈裟に肩を落としてなどいるが、本気で凹んでいる訳ではない。テンがサイコにちょっかいをかける、サイコがテンをやり込める、そのテンをマイとユートが慰める――一連の流れはいつものことで、ある種のお約束であり、コミュニケーションの一環なのだ。

 いつもと同じ流れ。

 いつもと同じ遣り取り。

 いつもと同じ――そのことが、こんなに胸を苦しくするモノだということを、サイコは初めて知った。だけどサイコはそんなことは顔に出さず、フラットな態度でマイに応じる。

「イジめとる訳じゃないに。先にやってきたの、テンの方だし」

「ん? テン、サイコに何かやった? 私ずっと見てたけど、そんな風には見えんかったに?」

「嘘こいてばっか。水槽から水滴飛ばしたの、テンの仕業だら? 私、ずっとその水槽の近くにおるけど、ソレがはねるとこなん、見たことないもん」

『ヌシ』は確かに元気だが、だからと言って、水面をはねる程ではない。と言うか、身が大きすぎて、多分物理的に不可能だ。

「それはさァ――」

 マイの横で、ユートが口を開く。

「テンション低いサイコのこん心配したからじゃんか。お前も馬鹿じゃないだで、そんくらい分かっとるだら?」

 的確な、ユートの言葉。

 曖昧な表情で、サイコは頷く。

 マイは利発そうな顔立ちをした少女で、実際、内面もかなりしっかりしている。その隣のユートも同様で、派手さはないが、かなり細かい気配りのできる人間である。

 基本、この三人は行動を共にすることが多い。夏頃は、よく海やプールへと遊びに行った――という話を聞いている。話を聞いているだけで、サイコはそこに参加していない。何度かテンに誘われたりもしたが――全て、断った。

 自分は、独りで充分だ。

 サイコは――いつだって、独りで完結している。


 テン、マイ、ユートの三人に背を向けたのと、教室内で二人の人物が立ち上がったのは、ほぼ同時だった。とは言え、この教室は馬鹿広いので、窓際最前列のサイコの席からは結構な距離がある。しかし、そこに立つ二つの人影が大きいので、遠目でもすぐに分かる。

 アオイとハルカだ。

 二人とも、手に数十枚はあろうかと言う紙の束を携えている。

 アオイは教室中央部に向かって、ハルカは教室窓際前方――つまり、サイコがいる方――に向かって、迷いなく歩いていく。

 副委員長の物々しい雰囲気に、離れた所にいる生徒たちが色めき立つ。しかし、ハルカは他の生徒たちなどには見向きもせず、真っ直ぐにサイコに向かって歩いてくる。マコイでもトシヒロでもホウタでもなく自分の所に来たのは、単に、そういう順番で回った方が効率がいいからだろう。それだけだ。

「さっちゃん、今、空いてる?」

 疑問文で尋ねてはいるが、彼女の言葉には目に見えない圧力がある。要するに――断れないのである。そもそも、教室の隅に一人でいるサイコに、端から断る理由などないのだけれど。

「ちょっと、よろしくないことになっちゃってさ」

「……何か、あったの?」

「さっちゃん、ウチのアオイと、七組のジュリがやりあったって話、さすがに聞いてるら?」

「うん、まあ……詳しくは知らんけど」

 それは、さすがにサイコも知っていた。朝から教室のあちらこちらで囁かれている。事情に疎くなりがちなサイコでも知っているくらいだから、恐らくは十組全員が知っていることなのだろう。

「なら話は早いね。あのさ――」

「ちょっと待ちんて。今も言ったけど、詳しくは知らんに? 私も、人が話しとるのを横で聞いてただけだで」

 さっさと話を進めようとするハルカを、サイコは慌てて制止する。この副委員長は、どうもせっかちでいけない――あまり人のことは言えないが。

「ううん。詳しい話なん知らんでもいいって。その辺の問題は、アオイと私で解決するし。サイコには、あんま関係ないら」

 関係ないのか――それは、有り難い。

 もう、これ以上何かに巻き込まれるのは、うんざりだ。

「サイコが関係あるのは、こっち」

 言いながら、持っていた紙束から一枚を机に置く。何の変哲もないコピー用紙だ。手書きで、幾つかの項目が書かれている。ハルカの持っている紙束は、それを複数コピーしたモノらしい。

「……コレは?」

「アンケート。ってか、投票用紙って言った方がいいかな。文化祭の出し物、何にするかまだ決まってないら? 候補はいくつかあるもんで、そん中から選んで丸してもらって集計して多数決で決めることにしたのよ。だから、どれかを選んで放課後に必ず提出して」

 物凄い早口で、的確な指示を出してくる。

「分かったけど……え? さっきの話から、何で文化祭の出し物を決める話になるの?」

「まあそれには理由があるんだけどそれを話すと長くなるから割愛させて。さっちゃんはとにかく候補の中から一つを選べばいいだけだから」 

 さっきと同様の早口で、半ば無理矢理に用紙を押し付けてくる。

「ゴメンね、バタバタして。これ、今日中に終わらせんといかんもんで、あんま時間ないだよね」

「今日中!?」

 それはつまり、用紙を配り、候補を選んでもらい、それを集計し、文化祭の出し物を正式に決定する――その全てを、あと数時間で終わらせるということか!?

「そう。色々あって、すぐにでも出し物決めんと、私ら女神像に店出せんくなるかもしれんだよ。そのためには仕方ないら」

 飄々と、何でもないことであるかのように、ハルカは言う。

「や、でも、今日中にって――無理だら!?」

「無理かどうかは、やってから判断する。分からないからやってみる――でしょ?」

 ありがちな定型句だが、それはハルカの口癖でもある。好奇心が強く、チャレンジ精神が旺盛で、新しいモノ好き。ハルカの個性の前では、大抵の難題は難題ではなくなってしまう。

 ――やいやい。

 まあ、ハルカが張り切るのは別に構わない。

 サイコには――関係のない話だ。

「あ、そうそう」

 言うだけ言ってその場を去ろうとしていたハルカが、何かを思い出したように踵を返す。大きく足を踏み出し――ずい、とサイコの耳元に顔を寄せる。

「例の『魔術師』の件は、明日ね。夜にでも、メールするから」

 他には聞こえないよう、小声で耳打ちするハルカ。その吐息を耳に感じながら、サイコは頭に鉛を詰められたような感覚を覚えていたのだった。


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