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第一章・N

十月十三日(木)午後三時五〇分

第二図書室


 都市伝説、という言葉がある。

 古くは赤マント、口裂け女、人面犬、テケテケ、記憶に新しい所では、下男など――誰もが耳にしたことがあるであろう、無数の談話たち。

 時にそれは不気味で不条理な怪談話であり、

 時にそれは巨大企業の闇を炙る暴露であり、

 時にそれはとあるスターのゴシップであり、

 時にそれは秘密結社に関わる陰謀論であり――

 ジャンルは種々雑多に渡り、まるで統一性がない。共通点を挙げるとするならば、真偽が定かではないということ。そして、もう一つ――口承で伝わる、という点が挙げられる。友達から、恋人から、家族から同僚から先輩から、伝言ゲームのようにして語られる物語――大雑把かつ乱暴だが、都市伝説はそう説明することができる。

 勿論、口承とは言っても、今は純粋に口伝えで広まることは少ない。テレビや雑誌、新聞、書籍等、メディアによる力も大きいし、それより何より、現代ではネットを媒介とする広まり方が主流だ。特に、近年は都市伝説自体がブーム化したこともあって、有名無名、玉石混合問わず大量の現代伝説が流布した。

 さらに、都市伝説の特徴として、もう一点、忘れられない点がある。都市伝説は、広まるその途中で、変化し、成長するのである。

 まさしく、伝言ゲームのように。

 考えてみれば、これは当然の話なのである。いくらネット媒介が主流になったとは言え、語るのも語られるのも生身の人間であり――人間が伝えている限り、正確に物語が伝播することなど、できはしないのである。正確に物事を伝えるには、正確に物事を記録する必要がある。しかし、伝説は記録ではなく、記憶が頼りとなる。記憶を元に語られるから、そこには語り手の主観が混じり、印象的な部分は意識無意識関係なく脚色され、そうでない部分は削ぎ落とされる。そうして、伝説はより完成度の高いモノへと洗練されていくのである。否、時に伝説は子伝説を生み、子伝説は孫伝説を生む。家系図よろしく、オリジナルから派生して無数に枝分かれする訳だ。

 例えば――『カシマさん』という話がある。

 これは、単純に言えば「過去の凄惨な事件により四肢のいずれか――或いは全て――を欠損した『カシマさん』が、この物語を知った聞き手の元を訪れ、ある問い掛けをして、それに正答できなければ躰の一部を無理矢理持ち去ってしまう」という――いわゆる怪談系都市伝説である。今提示したのはあくまで話の柱=幹であり、それを飾る枝葉末節は実に様々で、結果、実に多彩なバリエーションを生んでいる。そもそも、『カシマさん』の正体自体があやふやで、若い女性だったり――その場合は『カシマレイコ』とフルネームで呼ばれることが多い――旧陸軍兵士であったり、また、鹿島大明神と絡めて語られるパターンも存在する。過去の事件、欠損した部位、問い掛けとそれに対する答え、全てに様々なパターンがあり、また、『四肢欠損』というモチーフから『だるま』や『テケテケ』といった別の伝説と融合することもあり――それらが組み合わさることで、さらに多くの派生を形成している。あまりにバリエーションが多すぎて、何が類話か、どれがオリジナルか判然としなくなっている。根幹と枝葉末節が並列に提示されている訳だ。

 そもそも、伝説の根幹とは、何なのだろうか? 事実なのか、それとも根も葉もない噂話なのか――しかし、伝説の真偽に関しての議論は、意味を成さない。伝説とは、つまり幻想である。ある事象に対しての不安や恐怖、疑惑や好奇心、教訓や皮肉がそこにあって、それを形成するエッセンスが一旦解体され、融合と化学反応を繰り返した後に、伝説は誕生する。根っこの部分も、肉付けされたエッセンスも、全ては、目に見えない――形のない幻想なのである。誰もが知っているのに、誰も知らない――輪郭が曖昧で、掴み所がないのも当然だ。

 ならば、あらゆる伝説は意味のない与太話なのだろうかと言えば、勿論、そんなことはない。幻想は、『無』ではない。ただ、分かりづらいだけだ。むしろ、無数の幻想を組み合わせて築かれた無数の伝説は、人の営み、社会の動きを知る絶好のサンプルと言える。だからこそ、在野の研究者が後を絶たないのである。勿論、単純に、伝説自体が面白い、というのもあるとは思うが……。

 例えば――


「ねえ、そん話、長くなる?」


 と、これから、という所で話の腰を折られてしまう。

「何を言ってるんだ。まだ、序盤だろう。本題はもっと先だ」

「えぇ……じゃあ、もういいや」

「もういいやってのは何だ。お前が振ってきた話題だろう」

「難しい話はいいよー」

 言いながら、だらけた様子で上半身をカウンターに預ける。

「眠くなるもん」

「難しい話など、一つもしていないだろう。お前が都市伝説について教えてくれ、と言うから、知っている限りのことを話そうとしたまでだ」

「ヒトナリは話が長い上に理屈っぽいんだよー」

「そう言うアオイは、マイペースすぎだ」

 勝手なことばかり言う十組委員長を尻目に、ヒトナリは図書委員としての仕事に戻ったのだった。


 この学校には、図書室が二つある。

 一つは西校舎の三階にある第一図書室。三年生の教室郡の真上にあるためか、そこの書架は赤本などの参考書や、大学案内などが大きなウエイトを占めている。その他にも高校生が好みそうな小説や実用書、雑誌の類も置いてあって、利用者は多い。図書委員も、もっぱらそちらの方に多くの人員を割いている。

 一方、東校舎の二階にある、この第二図書室は、どうか。お世辞にも、利用者が多いとは言えない。否、『多いとは言えない』どころではない。数日に渡って利用者がゼロということも、決して少なくはない。それもその筈で、この第二図書室に置いてあるのは、高校生が読みそうもない本ばかり。分厚い専門書や、カビの生えかけた古典、何語なのかすら判然としない洋書――本当に、何でこんな蔵書が高校の図書室にあるのだろう――よほどの物好きでなければ手に取ろうともしないモノばかりなのだ。

 そして、図書委員のヒトナリが担当しているのは、こちらの第二図書室。水・木・金の放課後、一人で職務を全うしている。

 ……とは言っても、利用者もなく、新しい本も入ってこないのでは、どれだけ勤勉実直な図書委員とて、働きようがない。仕方がないので、ヒトナリはこの時間の殆どを、読書に費やしている。委員会の仕事の間中、一人静かに自分の趣味に没頭できるのだから、こんなに楽な仕事はない。第二図書室が教室から近いこともあって、ヒトナリは、それなりにこの仕事を気に入っていた。

 ただ、全く問題がない訳でも、ない。時々、珍客が訪れるのだ。『珍』などという枕詞をつけたからには、当然、正規の利用者ではない。どころか、本にすら用事のない輩も多い。

 十組の委員長・アオイも、その一人だった。

 アオイとは、別に友人関係にある訳ではない。ただ、クラスが近いせいもあって、合同授業や課外活動などで一緒になる機会が多かっただけだ。顔を合わせれば二言三言言葉を交わす――その程度の付き合いだった。つまりは、『知人』である。時々ふらりと現れては、益体のない話をして帰って行く――それだけの関係だ。

 今日もそうだった。いつものようにカウンターで文庫本を開いていたヒトナリの前にひょこひょこと現れる、大柄で、柔和な表情をした少年。ブラウンを基調としたブレザーの中で、左腕の腕章だけが浮いている。最初は、いつも通りだった。いつも通りの世間話。文化祭の準備がどうの、副委員長のハルカかどうのと、一方的に聞いてもいないことを喋る喋る。あまり攻撃的に感じないのは、話し口調がのんびりしているからだろう。『のんびり』『おっとり』『マイペース』――アオイを表す三大用語である。適当でいい加減なのに、何故か許せてしまう空気が、この男にはある。こすい個性だ。

「……お前は、暇なのか」

 敢えて、そんな質問をぶつけてやる。精一杯の皮肉である。

「暇って訳でもないよ」

「だが、お前は帰宅部だろう」

「運動は苦手だからね。文化系の部活にも興味ないし」

「やっぱり暇なんじゃないか」

「でも、俺は委員長だから。文化祭も近いし、やることはいっぱいあるよ」

「……とてもそうは見えないが」

「今はたまたま、時間が空いただけじゃんか。そんなに邪険にせんでもいいに」

「別に、構わないけどな……」

 毒気を抜かれたヒトナリは、読書を続けることを諦め、貸し出し名簿の整頓に移る。全く必要のない仕事なのだけど、こちらまで暇だと思われるのは癪だった。つまりは、当て付けである。勿論、そんな微妙な機微を感じ取れる男でないことは、重々承知しているのだけれども。

「……ヒトナリってさ、結構本読むじゃん」

 世間話が一段落したところで、アオイはおもむろに口調を改める。どうやら、今回は本題があるらしい。

「まあ、読む方だな」

「じゃあ、けっこう物知ってるよね?」

「……どうかな? 一般常識はある方だと思うが」

「一般常識――ではないだろけど……一つ、教えてほしいことがあンだよね」

 眉尻を下げるアオイ。目が細いので、そうすると何とも情けない表情になる。

「何だ」

「……お前、都市伝説って、知ってる?」

 そして、冒頭の長口上である。

 ヒトナリは真面目な男である。聞かれたからには、知っている限りのことは教えてやろうと思う。そう思って語り始めたと言うのに――肝心の聞き手は、長く、難しい話は苦手だと宣う。長くも難しくもないと思うのだが、聞き手がそう感じるのならば仕方がない。物分かりのいいヒトナリは、こちらから歩み寄ってやることにする。

「何だ。お前は、都市伝説の何が知りたいんだ。お前らのクラスでは、今になって都市伝説ブームが起きているのか」

「ウチのクラスのことは関係ないよ。ただ……えっと、ちょっと調べ物をしなくちゃならんくなって……さ」

「調べ物? ずくなしのお前にしては、珍しいこともあるもんだな」

「いや、俺も本当はこんなことしたくないんだけどさ。ほら、俺委員長だし、色々と――」

「うん? 今、クラスは関係ないと言ったばかりじゃないか。第一、お前、自分が委員長だから、それで嫌々仕事をするのか? 委員長職でない一般の生徒だったら、仕事をしなくてもいいのか?」

「そうは言ってないけど――」

「言ってるだろう。いいか。委員長や副委員長なんてのは、ただの肩書きにすぎないんだ。委員長に与えられているのは、幾ばくかの決定権と、クラスを統率するという責務だけだ。委員長だからやる、そうでないからやらない、この仕事は委員長である自分がやるべきだ、この仕事は委員長であるアイツにやらせればいい――そんなのは、お門違いだし、思い上がりだ。その仕事がクラスに関わることならば、それはクラス全員にその責務がある。一人一人が、真っ直ぐに事に当たるべきだ。それを、自分が委員長だから、なんて理由で、全てを自分一人で背負い込んでいいいものなのか。答えは否だ。お前がその仕事を大切に思っているのなら、もっとクラスの人間を信用して――」

「もういいってばぁ」

 上半身をカウンターに預けたままの姿勢で、アオイはぐっと右手を伸ばす。またしても、話の途中で腰を折られてしまう。

「話が長いなあ、ヒトナリは。ホント、議論好きだよねえ」

「一方的に語るのを議論とは呼ばない」

「でも、議論好きだら?」

「否定はしない」

「それに、やっぱり、理屈っぽいよお」

 緊張感のない、相手の警戒心を解く柔らかい声で、アオイは再び同じことを言う。

「俺のは理屈っぽいとは言わない。ただ、自分が正しいと思ったことを理論的に話しているにすぎない。理屈っぽいって言うのは――」

 一瞬――ほんの一瞬――口にすべきかどうか逡巡するが、言いかけてやめるのは礼儀に反すると判断し、結局口にする。

「ウチの、ヨシミツやフカシみたいな奴のことを言うんだ」

『ヨシミツ』とは、ヒトナリが在籍する六組の委員長であり、『フカシ』はその副委員長。二人ともタイプは違うが、理屈っぽくて議論好き、融通の利かない堅物という点では共通している。

「俺には、ヒトナリも同じに思えるけどなあ」

「一緒にするな。俺は、俺だ」

「相変わらず仲悪いだね……」

「仲が悪い訳じゃない。俺だって、アイツらの力は認めている。ただ、一緒にしてほしくないだけだ」

「分かった分かった。その話はもういいって」

 むくりと起き上がり、アオイは欠伸混じりに大きく伸びをする。

 腕章が、揺れる。

 両手が天井に着いてしまいそうだ。ヒトナリも決して小柄ではないが、大柄なアオイの前では少し圧倒されてしまう。

「……で、何の話だったっけ?」

「都市伝説に関して、お前が何か調べ物をしている、という話だったように記憶しているが」

「ああ、そうだったそうだった」

 頷きながら、再びカウンターの前に腰掛けるアオイ。本当に分かっているのだろうか。

「まあ、理由とか目的とかは聞かんでよ。学校生活って、色々あるじゃんか。色々あって、俺は色んな人間に聞いて回っとるって訳。

……だもんで、ヒトナリの知恵を、ちょっと借りたいなと思って」

 この男は、どうもあやふやな部分をあやふやなままにして話を進める傾向にある。ヒトナリは、アオイのそういうところが受け入れづらい。分からない部分はとことん理詰めで追及して、着実に前に進みたいと思う。だけど、そうするとまた『話が長い』だの『理屈っぽい』だのと言われてしまう。これは、単純に価値観や考え方の違いに起因しているのだろう。友人ではなく知人止まりなのも、その辺りに原因があるような気がする。

「ヒトナリってさ――」

 あまり生産的でない思考に没するヒトナリなどお構いなしに、アオイはさっさと本題に入る。

「『裏山の魔術師』って、聞いたことある?」

「魔術師……? 二十一世紀に生きる高校生の口から、そんな単語が出てくるとは思わなかったな」

「聞いたことがあンのかどうかを聞いとるだよ」

「そんな間抜けな通り名は、残念ながら初耳だな。だいたい、魔術師と言うのは――」

「おっと、蘊蓄はもういいよ。それで、ヒトナリは知っとるだか?」

「答えるまでもない。そんなモノ――」

 ――と。

 一瞬――ヒトナリの頭に、ノイズが走った。

 意識できない短いスパンで、幾つもの画像が頭の中で明滅する。


 ――山――雑木林――洋館――赤い絨毯――


 ――何だ、これは。

 何だこれは。何だこれは。何だこれは。

 息つく暇を与えず、次の絵が頭に飛び込んでくる。


 豪奢な内装の部屋。

輪郭の曖昧な人物。

 闇に溶ける二人の少年。


 パニックになりそうになるのを、すんでの所で抑える。

「――ううう――」

 なんて無様な呻き声だろう。慌てて、口を押さえる。

「ん? どうしただ。顔色悪ィぞお?」

 アオイが呑気な口調で聞いてくる。必死で言葉を探すが、何と説明すればいいか分からない。

 落ち着け。

 ただの妄想だ。イマジネーションが暴走しているだけだ。『魔術師』などという言葉っから、見たことのないモノを想起し、幻視してしまっただけにすぎない。

「――違う」

 咄嗟に自分の考えを自分で却下する。意識せず、口が動いていた。

「忘れて――たんだ」

 一瞬、脳内に瞬いた雑木林の風景には見覚えがあった。他ならぬ、この学校の裏山である。その先――怪しげな洋館や、その内部に佇む、闇をまとう人物などには見覚えはない。

 だけど、自分はきっと、それを見たのだ。

 妄想などではない。これは、れっきとした経験記憶だ。脳の裏にべっとりとへばりつくようなリアリティーが、その根拠。

「ちょっとヒトナリ。どうしただって。急に黙りこくったりして……。俺にも分かるよう、説明してくれよ」

 糸目のアオイが、最大限に心配そうな顔をしてこちらを覗き込んでくる。動悸がして、息苦しい。いつの間にか、脂汗で顔全体がべっとりと濡れている。しかし、これ以上アオイに心配をかける訳にはいかない。ヒトナリは瞬時に言葉をチョイスして、恐る恐るそれを口にする。

「アオイ――悪い。俺は、嘘を吐いていた」

「って言うと?」

「俺……知ってた、みたいだ。その、『裏山の魔術師』のこと――」

「マジで!?」

「マジだ。――忘れてたんだ。今の今まで、忘れてたんだ。だけど、お前に言われて、たった今、思い出した――」

 ――俺は多分、その魔術師に会っている。

 ヒトナリは、決定的なことを口にする。

「え、じゃあ、『魔術師』は都市伝説なんかじゃなくて――」

「いや、待て。結論を急ぐな。俺が思い出したのは、あくまでも断片的な記憶だ。正直、自分でもその記憶の意味も、真偽すら、あやふやで――情けない話だが――事細かに解説できる程の情報は、持ち得ていないってのが事実だ」

「でも、お前は、会っただら? 今そう言ったじゃんか」

「だから――自信が、ないんだ。本当に申し訳ないんだが」

「ふうん……よく分からん話だねえ……」

 全くだ。

 何なんだろう。このあやふやな状況は。

 あやふやで、ぼんやりとしていて、全然論理的じゃなくて――ひどく、座りが悪い。アオイ相手に全てを吐き出したことで、落ち着きは取り戻しつつある。だけどそれと引き替えに、とてつもない気持ち悪さを手に入れてしまった。

 ヒトナリは基本的に、分からないことは自分で調べる。全ての出来事には、合理的な説明がつく筈なのだ。分からないのは、情報が足りないから――それだけの理由にすぎない。論理的思考は全てに勝る。分からないことなど、あってはならないのである。

「……調べてみるか」

 だから、そう提案した。

「え? 調べるって、何を?」

「『裏山の魔術師』のことに決まっているだろう。俺はついさっき、『魔術師』など知らないと回答した。だが――それは、どうやら間違いだったらしい。俺は、『魔術師』のことを知っている。だが、うまく思い出せない。これは、明らかにおかしい。おかしいのなら、正すだけだ。問題は、その手段にある。俺も都市伝説関連の書籍にはある程度目を通しているが、『裏山の魔術師』などという話は聞いたことがない。それもその筈で、ここで言う『裏山』とは、この学校の『裏山』を指している。つまり、この話は、この学校でのみ通用するローカル伝説である可能性が高い。ならば、本やネットで調べるのは無意味だ。学校裏サイトと言う手もあるが、残念ながら、俺は寡聞にしてこの学校の裏サイトなどというものの存在を聞いたことがない。ならば、どうするか――」

 そこまで一気に語ったところで、アオイに目を向ける。

 アオイは、水筒から注いだ緑茶に口をつけていた。

「……お前、人の話を聞いているのか?」

「ん? 話終わった?」

「聞いてなかったんだな?」

「だってさあ、ヒトナリの話長すぎんだもん」

「長くない。この程度の話を聞けないで、お前はどうやって授業を受けているんだ」

「授業は教科書に沿って行われるじゃん。適当に聞いてても、だいたいの内容は分かるに」

 こんなんでも、点数はアオイの方が段違いでいいのだから、世の中は理不尽だ。

「あと、図書室は飲食禁止だ」

「要するに、ヒトナリは自分で調査を始めるだらー? いいじゃん。俺は、別に邪魔なんてせんでさあ」

 人の話になど全く聞く耳を持たず、再度緑茶を啜るアオイ。なんだ、この男のマイペースさは。マイペース選手権があれば、間違いなく優勝だ。

「……何を言ってる。調査するからには、お前も一緒に決まっているだろう」

「え、俺!?」

 目を見開いて驚くアオイ。この男の眼球を見たのは、これが初めてかもしれない。

「何を驚いている。お前が持ち込んだ話だろう。そもそも、お前も調査中じゃなかったのか。俺は、それを手伝うと言っているんだ。別に、迷惑な話ではないだろう」

「いんやあ……調査って、別に、そんな積極的にやる感じじゃなくて……ヒトナリって、物知りじゃん? 聞けば色々教えてくれるかなって、そう思って来ただけで……」

 何と言うずくなし。こんな男が委員長で大丈夫なのか、十組。

「勿論、お前にやる気がないんなら、無理にとは言わない。お前が協力せずとも、俺は俺で調査するからな」

「えー。いや、そこまで言うのなら……俺も、やるってば。自分から振っておいて投げっぱなしじゃ、さすがに無責任だと思うし」

 そうして、なし崩し的にヒトナリ・アオイのにわかタッグが誕生する。正直言って、アオイの力には、結構期待している。クラス内では優等生で通っているヒトナリではあるが、学校全体で言えば、その実力など微々たるものだ。人脈にしたって、クラスメイト以外では、十組に僅かばかりの知り合いがいるだけである。その点、アオイの顔は広い。委員長職にあるのもそうだろうが、それ以上に、アオイは開放的で社交的なのだ。誰とでも、そこそこ仲良くなれる。コイツの人脈を駆使すれば、結構な量の情報が集めるのではないか、とヒトナリは踏んでいる。当の本人があまり乗り気ではない、という点がネックではあるのだが……。


「あ、やばい」

 と、思考を垂れ流すヒトナリなどまるで気にしない風に、アオイが頓狂な声を上げる。

「ちょっと、匿って」

 言いながら、慌てて背後にあった大きめの段ボールに身を隠そうとするアオイ。

「何だ。いきなりどうした」  

「ちょっと、会いたくない奴が来た! 悪いけど、聞かれても俺はいないって答えて!」

 何だ。いきなり何だ。のそのそと隠れんぼを始めるアオイを横目に、図書室の入り口に視線を向ける。当然扉は閉められているが、扉の上半分がガラス張りになっているため、表の様子はある程度窺えるのである。

 数メートル先に、人影が見える。

 目が悪く、度の強い黒縁眼鏡をかけているヒトナリではあるが――それでも、その人影が誰であるのかは、即座に分かった。

 シルエットが、特徴的だったからだ。

 髪の毛は色の抜けた茶髪で、長さは肩まで。それだけなら普通なのだが――どういう訳だか、髪全体が、外側に跳ねている。それも、かなり盛大に。本人に言わせると、ひどいクセっ毛のためにそうなってしまうらしいのだが――特に梅雨時は二割増しで跳ねがひどくなるらしい――余所からすれば、その威勢のいいギザギザの髪は遠くからでも後ろからでも容易に識別が可能なので、便利と言えば便利である。

 そして、威勢がいいのは髪型だけではない。勢いよく引き戸が開かれ、勢いそのままに、ピシャリ、と派手な音を立てる。

「ちょっと、ごめんねっ!」

「悪いと思うのなら、もう少し静かに扉を開けてくれないか。うるさいし、扉が傷む」

「何だヒトナリいたの!?」

「何だとは何だ。ここは第二図書室で、俺はここを担当している図書委員で、そして今日は俺が担当の曜日だ。俺がここにいることは必然だろう。むしろ、闖入者はお前らの方であって――」

「ああもうっ! うっさい長い理屈っぽいっ! 私忙しいんだからさ、来て早々、面倒くさい講釈垂れないでくれるっ!?」

 腰に手を当て、三白眼を剥き、居丈高に声を上げる。

 髪型と相まって、何だか、猫が威嚇しているようにも見える。

 彼女が、七組の委員長、ジュリである。

 ヒトナリとはあまり接点はないが、隣のクラスということもあって、一応、何度か言葉を交わしたことはある。ジュリもアオイと同様に、『知人』といったところか。

「それよりさ、ここにアオイいるでしょ!? 出してっ!」

「アオイ? 十組のか? いや、ここには俺しかいないが?」

「嘘こかんで。さっき声したもん。それに、アンタ今『お前ら』って言うたじゃんけ。つまり、アンタ以外に誰かおるってことずら?」

「それは……」

 言葉尻を捉えられて、ヒトナリは言葉に詰まってしまう。誤解されやすいのだが、ヒトナリはただ単に論理的な物の言い方を好むだけで、詭弁家ではないし、嘘もうまくない。

 そして、ジュリはそういう嘘を見逃さない。

「ええからげんな事言っても、すぐ分かるからね。で? アオイはどこ?」

 別に、そこまでしてアオイを匿う義理などない。くどいようだが、奴とはあくまで『知人』であって『友人』ではない。ついさっき魔術師調査のタッグを組んだばかりだが、それとて、パートナーと言うだけで、それ以上の関係性に発展した訳ではない。かと言って、安易にジュリ側についてもいいものなのだろうか? という迷いも、自分にはある。ジュリには、アオイ以上に肩入れする理由がない。情もないし利もない――などとつらつら考えながら、ヒトナリは無意識に、アオイの隠れたダンボールに視線を寄越す。

 ……それで、充分だった。

「そこかぁッ!」

 数瞬後、ジュリの爪先はダンボールにめり込んでいた。

 見事なミドルキック。一切の躊躇がない。

「……危ないなあ……」

 のそのそと、ダンボールからアオイが這い出てくる。幸いにも、ジュリの蹴りはアオイの躰にまでは届かなかったらしい。

「ちょっとお、ヒトナリ、匿ってって言ったじゃんか……」

「匿っただろう。俺は一言も口を割っていない。居場所がバレたのは、単にジュリの洞察力が優れていたからにすぎない」

 かくして、期せずしてヒトナリの中立ポジションは保たれたことになる。結果オーライとはこのことだ。

「なこたぁ、どうでもいいのよッ!」

 バン、とカウンターを拳で叩くジュリ。間髪置かずにアオイのブレザーのネクタイをぐいっ、と引き寄せる。

「話し合いするって言うたら!? だっちもねーこんしちょしッ!」

「いや、ちょっと待ってよ……」

「待たん! 早よ()おしッ!」

 大柄なアオイのネクタイを引っ張って、ずんずん進むジュリ。ジュリの方が頭二つ分小さいので――ジュリが小柄なのではなく、アオイが大きすぎるのだ――自然、アオイは前屈みになる。若干苦しそうに、だけど何の抵抗もせずに、ジュリに引き摺られていく。

 部屋を出ぎわ、救いを求めるような目を寄越してくるが――生憎と、ヒトナリは中立でいると決めたばかり。七組と十組の問題に介入するつもりなど毛頭ない。

「後で連絡する」

「ああ、うん――」

 何か言いたげだったが、それよりもジュリの腕力の方が強い。結局、アオイはろくな発言を許されず、図書室からフェードアウトしていく。ギザギザ髪のジュリが大柄なアオイを引き摺るその後ろ姿は、さながらヤマアラシがゾウを引っ張っているようにも見えて、少しだけ愉快な気持ちになる。

 ジュリとアオイが何について話し合うのか、その内容も少しだけ気にかかったが――まあ、間違いなくヒトナリには関係のない事柄であろう。魔術師云々に関しても、実際に動くのは明日以降だ。

 やっと静かになった。何事もなかったかのように、ヒトナリは読んでいた文庫本を、再び開いたのだった。

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