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第一章・W

十月十三日(木)午後〇時四〇分

キンモクセイの木の下

 

 サイコは、写真を見ていた。夏の林間学校の時に撮った、十組の集合写真だ。中央には、委員長のアオイが――そこから少し離れて、副委員長のハルカが、写っている。サイコが写っているのは、左端だ。つまらなそうな顔をして、正面を睨み付けている。

 ――写真写り、悪いな……。

 そんなことを、思う。

 仏頂面の自分から離れ、居並ぶ顔を一人一人確認していく。

 この写真には、クラスの全員が写っている。

 二年十組の全員が――この写真には、写っているのだ。


 ――思い出す、光景がある。


 サイコたちの通う高校では、二学期が始まってすぐ、二年生だけで林間学校が行われる。クラスごとにバスに分乗して、数十キロ離れた山奥の合宿地に向かい、二泊三日の間、一緒にすごす――どこの学校にもあるような、夏のイベント。

 楽しかった。

 仲のいいグループで、ウォークラリーをやったり、飯盒炊爨(はんごうすいさん)したり、夜は花火で盛り上がったり――柄にもなく、テンションが上がったのを覚えている。一つ一つは大したことないことなのだけど、日常空間と離れたところでやる、ということに意味があったのだろう。ミカやテン、マイ、ユートといったお馴染みのメンバーは勿論、リュウやヤマカ、ハルノ、ミサといった、席は近いのに普段あまり喋らないグループとも、随分仲良くなったような気がしていた。

 本当に、楽しかった。

 あの時が一番で――きっと、あのまま終わってれば、そのままいい思い出として記憶されてたのだろうけど……。

 溜息を吐き、空を見上げる。梢の間から漏れる陽が柔らかい。空が、高い。すっかり、秋の装いだ。あれからもう、一ヶ月が経とうとしているのか……。

 ――もうちょっと、楽しそうな顔しとけばよかったな……。

 写真を眺めながら、今さらそんなことを思う。

 サイコは、写真が嫌いだ。切り取られた画は、その瞬間から過去になる。決して変化することのない――変化することの許されない、絶対静止の世界。サイコはそこに、違和感を感じてしまう。

 過去は、変えられない。過ぎたことは、どうしようもない。

 分かっている。そんなことは、誰もが、分かっている。

 だけど。だけれど。

 サイコは、眼前に掲げた写真から目が離せない。

「何見とるだ?」

 不意に声をかけられ、サイコは飛び上がる。慌てて見ていた写真を制服のポケットに隠す。見れば、隣のクラスのマサが、弁当片手に笑って立っている。中肉中背、軽く色の抜けた髪は猫っ毛で、口の端から覗く八重歯が特徴的な男子。隣のクラスではあるが、サイコとは馬が合うのか、時々こうして共に昼食をとることがある。

「……何だ、マサか。吃驚させんでよ」

「何だってことはねェら。……一緒に飯喰っていい?」

「断っても勝手に座るだら? 好きにすればいいじゃん」

 言っている途中で、すでにマサはサイコの隣に腰掛けている。勝手なモノだ。別段、拒絶する理由もないので好きにさせておくが。

「――何の写真見てたの?」

「え?」

「今。何か写真見てたじゃん。好きな男でもできたん?」

 抜け目のない男だ。愛嬌のある容姿だが、成績はサイコとは比べものにならないくらに優れている。いくら仲がいいからとは言っても――油断はできない。

「そんなんじゃないって。マサには、関係のないことだから」

「ふうん……別に、何でもいいけどさ」

 言いながら、マサはサイコの向かいに腰掛け、キンモクセイの隣に植えられているハナノキの幹に身を(もた)れかける。偏西風が、巨大な校舎群を吹き抜け、梢を揺らし、サイコの頬を撫でる。

 彼女は、この学校が嫌いではなかった。

 今時としては珍しい規模のマンモス校。未だに迷子になる程に校舎が大きく、教室の数はそれに比例して多い。当然、在籍している生徒数も相当なモノで――だけど、そんな中でも飛び抜けた個性を発揮する人間が多くいて。派手な人間がいて、地味な人間がいる。サイコは完全に後者だ。派手さもなく、刺激的なイベントがある訳でもなく、ただ淡々と学校生活を送っていく。

 地味に、普通に――独りで、生きていく。

 ――それで、充分だった筈なのに。

 サイコは再び天を仰ぎ、目を細めた。

「……弁当食わんの?」

 自分の分の包みを解きながら、マサが聞いてくる。

「今日は、これだけ」

 言いながら、サイコは百円で買ったコッペパンを取り出す。

「少な。それだけじゃ午後、えらいら」

「……ダイエット中だから」

 食欲がないだけなのだけど、何となく、嘘を吐いた。

「ダイエットって――お前、それ以上痩せてどうするだん」

 サイコはチビで痩せっぽっちだ。マサの言う通り、ダイエットの必要などない。我ながら下手な嘘だったと思う。

「だいぶ疲れとるじゃないだか。顔色悪いに?」

「自転車通学に変えたからね。躰がまだ慣れとらんのだわ」

 林間学校が終わってすぐ、サイコはそれまでのバス通学から自転車通学へと変えている。

「だったら、尚更飯食わんといかんじゃないだか」

 どうやら、マサは本気で自分を心配してくれているらしい。その気持ちは、嬉しい。だけど――

「そんなん、マサに関係ないら」

 そう言って、突き放した。

「……別に、いいけどさ……」

 一瞬、傷ついた顔をするマサ。

「――あ、そうだ。お前のクラス、あれ、どうなった?」

 だが数瞬後には早くも復活している。打たれ強い。いや、切り替えが早いというべきか。

「あれって?」

「文化祭だよ。そろそろ準備始めねえとやばいら。ウチはもう決まったけど、お前らのトコ、どうなん?」

 文化祭、か。あと一週間だっただろうか。最近、学校全体がザワザワしているのは、きっとそのせいだ。

「色々と考えてるに? ハルカとか、凄い張り切ってるし」

「だから、何やるだ?」

「食べ物屋、とか」

「何の?」

「えっと、鉄板とか、ソレ系みたいなのを、色々と……」

「ふわっとすんなや! なんだ。お前ントコ、まだ出し物決まってないだか? 大丈夫なんかよ、それで」

「決まってない訳じゃないよ。食べ物屋やるってのは、決定事項」

「でも、メニューは決まってないだら?」

 そう。そうなのだ。

 何かしらの食べ物屋をやると言う案は、早々に固まった。だが、その後が決まらない。焼きそば、おでん、コロッケ、餃子――などなど、アイデアは多く出ているのだが――とにかく、まとまらない。

「委員長はどうしただ? こういう時のための委員長だら?」

 ちくわの天ぷらを挟んだ箸で人のことを指しながら、マサはさらに聞いてくる。

「アイツは、駄目。こういう仕事向いてないもん。もっと、遊び感覚で取り組める仕事なら真剣にやるんだろうけどさ」

 委員長のアオイは柔和で温厚でイイ奴だが、お世辞にも仕事ができるとは言い難い。『マイペース』という個性は、こういう仕事とは相性が悪いのだ。

「じゃあ、ハルカはどうなんだよ。アイツ、確か副委員長だったよな? お前、さっきハルカは張り切ってる、って言ってたじゃん」

 うずら卵のフライを頬張りながら、マサは聞く。

「うん、張り切ってる。あの娘はやる気も凄いあるし、アオイと違ってお祭りみたいなイベントごとは大好きだし。だけど……なんて言うか……」

「空回ってる?」

「そう、それ」

 副委員長のハルカは、アオイとは対照的に押しが強く、何事にもアグレッシブだ。だが、その我の強さは――往々にして、裏目に出る。実際、ハルカの取り巻き以外には――誰も決して表には出さないが――煙たがられている節がある。

 これでは、まとまるモノも、まとまらない。

「そういうマサのトコは? もう、出し物は決まっとる訳?」

「当たり前じゃん。速攻で決めて、もう取り掛かっとるに」

「何やるよ?」

「喫茶店」

「うわ、普通」

 思わず、思ったことがそのまま口をついてしまう。

「何言っとるだ。奇をてらったって、ろくなことにならんて。普通が一番だら」

 マサは――と言うか、九組の連中は、よくこういう物の言い方をする。若いくせに保守的というか、冒険を厭っていると言うか――そのこと自体は別に構わない。だけど、どうしても見過ごせないことがある。

「でもさ……アンタらのクラスって、絶対普通じゃないよね?」

「何言うだん。至って普通だら」

「それを言うなら、私らの方が普通だから」

『普通』で『平均』で『一般的』――そんな輩を集めたのが、サイコの在籍する十組というクラスだ。優等生でありながら一種独特な個性ばかりを放つ九組の連中とは、雲泥の差がある。

「そうかな……。よくよく観察すると、お前らのクラスも大概変だけどな」

「どこが!?」

 聞き捨てならないカウンターパンチ。

 あまりの衝撃に、食べかけのパンを握りつぶしてしまう。対するマサは、すでに弁当を食べ終えている。サイコと喋りながら自分の食事は終えている――本当に、細かいところで器用な奴。

「いや、どこがって聞かれると困るけどさ……とにかく、何か、変じゃんね、お前らのクラス」

 刹那――背中に氷柱差し込まれたような、戦慄を覚えた。

 どこが、変だと言うのだ。

 急速に、口の中が乾いていく。

 ――いけない。

 表に出してはいけない。

 気取られてはいけない。

 大丈夫だ、大丈夫……。

 数秒で必死に自分を立て直し、サイコはマサに向き直る。

「って言うか、変って言うなら、マサらん方がよっぽど変だら!?」

 無理矢理、話を元に戻す。

「は? 俺らのクラスのどこが変だって言うだ」

 弁当を包みながらも、マサは怪訝そうな顔を隠そうともしない。

「サイコが言っとるのは、俺らのクラスじゃなくて、お嬢のことだら?」

『お嬢』とは、九組の委員長、サエのことである。学年トップの才女でありながら、学校有数の美少女、おまけに資産家令嬢ときているのだから、その個性は反則的と言える。ただでさえ整った容姿をしているのに、その装いは極めて派手で独創的。言動は合理的でありながら、どこかエキセントリック。無数の生徒が在籍しながら、その存在を知らない者は校内にいないとすら言われていて――実際、その通りだと思う。

 九組の連中は、そんな彼女のことを『お嬢』と呼んで慕っている。

「まあ、普通か変かで言ったら、ウチのお嬢は確実に変な部類に入るんだろうけどさあ……」

 マサの言葉が尻つぼみに小さくなっていく。見れば、猫っ毛を指でいじりながら、視線を下に向けている。何やら思案気だ。マサはマサで、自分のクラスの女帝に対して想うところがあるのかもしれない。

「もう、この話やめる? 『普通』とか『変』とか、結局そんなん主観的なことじゃん。二人で言い合っててもキリないら」

「そもそも、文化祭の出し物のついて話してたんだけどな。サイコが『喫茶店なんて普通』とか言い出したもんで脱線したんじゃんか」

 軽く笑いながら、マサが反論してくる。それに対してサイコも負けじと反論しようとしたのだが――

「ところでお前、さ」

 と、あっさり話題転換されてしまう。本当に切り替えが早い。

「あの話――知ってる?」

 トーンを落とし、幾分顔を近づけるマサ。迫力を出そうとしているのだろうが、普段が普段だけに、その試みは完全に失敗している。

「『あの話』じゃ分からんって。何のことよ?」


「『裏山の魔術師』――だよ」


 その単語を聞いた途端――またしても、サイコは緊張してしまう。大丈夫だろうか。片頬が引き攣ったのを、見られなかっただろうか。

「……何ソレ」

 あくまで平静を装いながら、サイコはそう聞き返す。喉がカラカラだ。無性に、お茶が飲みたくなる。

「最近、ここいらで流行ってる都市伝説だって。俺はこの前初めて聞いたんだけど――よく分からんくてさ。サイコなら何か知っとる

かな、と思ったんだけど」

「何で私が知っとると思うよ」

 本当に、分からなかった。

「いや、サイコって、十組の人間はもちろんだけど、俺ら九組の奴らとも仲いいじゃん。だから、何か情報持っとるかな――って」

「それならハルカに聞きん。私なんかよりよっぽど広い人脈持っとるに」

 と言うか、サイコの人脈など高が知れている。

「ハルカは――いつも忙しそうで、聞きづらい」

「じゃ、アオイは?」

 多忙さで言えば委員長であるアオイの方が上の筈なのだが、何故か、そうは思えない。のんびりムードを漂わせているからだろうか。

「俺、アオイとはほとんど話したことないで――いきなりこんな下らんことで話しかけるのも、ちょっと気が引けるら」

「つまり、私は、忙しそうでもなくて、下らんことを聞くのにも気が引けん――そういう存在だったってこと?」

「そういうこと」

「……何か知ってても、アンタにだけは絶対に教えんで」

 ニッコリと微笑みながら、そう言い放ってやった。

「や、んなこと言わんでさ、気になってんだって」

「だから、真面目な話、私、その話全然知らんから。何だっけ? 魔術師がどうのこうのって――」

 マサとの軽口のおかげだろう。大分リラックスできてきた。これなら、自然に会話を続けることができそうだ。

「『裏山の魔術師』。――この学校、裏山あるら?」

「あるね」

 山と言うよりは、丘と表現した方がしっくりくる。伸び放題の雑木林に未舗装の道が通っただけの、家の一軒、街灯の一つもない、近道以外に人が立ち寄らないような土地である。

「あそこに、『魔術師』が住んでるじゃないかって話」

「『魔術師』って……二十一世紀になって十年以上経つってのに、何でそんなお方があんな所に住んどるよ? ってか、何のために?」

「何か、よく分からんだけど――訪ねた人間の願いを叶えてくれるだとか何だとか――まあ、そんな感じ」

「アンタの方がよっぽどふわっとしとるじゃん! 何よ、そのあやふやな話! 都市伝説なら都市伝説でもいいで、もちっとちゃんとしたオチをつけりん!」

「だーかーらー、俺も詳細は知らないっつってんじゃん! じゃなきゃ、こうして聞いたりせんわ。知りたいんだよ、俺は」

「私は、アンタがその話にそこまで執着する理由を知りたいに」

「いや、何つーか……」

 視線を俯け、再び猫っ毛を弄り始めるマサ。考え事をする時の癖なのだろうか。二年になって半年近くの付き合いだが、今始めて気が付いた。……なんてことは、どうでもよくて。問題は、マサが引っ掛かっている点である。

「いや……『裏山の魔術師』、初めて聞いた、つったじゃん?」

「言ったね」

「そうなんだよ。そうなんだけど……何か、どっかで聞いたことあるような気ィするんだよな――」

「何ソレ?」

「分からん? ……まあ、分からんよなあ。俺もよく分からんだけど……そう、多分、俺はその話を知ってる――筈なんだ。そんな気がすんだよ。だけど、いくら考えても分からねェんだよ。思い出せねェんだ。いや、自分でもふわふわしてるのは分かっとるだけど――こういうの、気になるら?」

「気のせいだら? 『聞いたことある気がする』だけで『どうしても思い出せん』のなら、それは知らんだって。考えすぎはよくないに。下らん噂じゃん。早く忘れりん」

「いや、まあ、うん――そりゃそうなんだけどさ……」

 俯けていた視線を、こちらにちらりと向けるマサ。

 風が吹いた。ざわ――と、頭上の梢がざわついている。

 嫌な予感がする。

 とてつもなく、嫌な予感がする。

 注視するサイコの前で、マサが口を開く。

「あのさ、もし、サイコがよければ、だけど――」

「ヤダ」

 先手を打ってやった。面倒なことに巻き込まれるのは沢山だ。ましてや、『裏山の魔術師』なんて――絶対に、関わりたくない。

「まだ何も言ってないじゃん! 返事が早ぇよ!」

「聞かなくても分かるもん。どうせ、一緒に調べよう、とか言い出すだら? 私、ヤだからね」

「何でだん。お前、暇だら?」

「何よ。暇だったら無条件でアンタに付き合わんといかん訳? 馬鹿みたい。とにかく、私は絶対に――」


「何で? 面白そうじゃん」


 ざぁ――と、キンモクセイの梢が騒ぎ出す。

 遙か頭上の方から、声がする。幹にもたれ掛かったままの姿勢で、極限まで首を曲げると、キンモクセイの陰から顔を出す長身の人物が目に入る。胸にまで届く漆黒のロングヘアーに、相手に圧迫感を与える大きな瞳、左腕に付けられた腕章――

「マサ君、その話、詳しく教えてもらっていい?」

 十組の副委員長、ハルカが、そこに立っていた。

 いつからそこにいたのだろう。

 これだけ大柄で、これだけの存在感がある人物だと言うのに、サイコは今の今まで、全く気が付かなかった。

「さっちゃん、何で断るよ。勿体ないじゃん。せっかくだから――」

 彼女は口の端を僅かに上げ、いつもの口癖を口にする。

「やってみようよ」 

 サイコの、憂鬱で面倒臭い一週間は、こうして始まったのだった。


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