第五章・E その3
十月二十一日(金)午後四時十五分
二年十組教室
どうやら、やっと出番が巡ってきたらしい。
顔を上げたユカは、サエの顔を正面から見据える。
「ユカ先輩に関する物語は、さっきも述べた通り、SRS所属のミライ先輩主導のモノです。彼は、十組のイズミ君と恋仲にあるユカ先輩を使って、十組の内面を探ろうとしました。具体的な方法は、噂話を利用した情報操作。ミライ先輩の命を受けたゴウ先輩が、『イズミが別の女と歩いている所を見た』だの何だの、根も葉もない噂をわざとユカ先輩に聞かせて、注意を引き寄せ、反論したところで、『だったら自分の目で確かめればいい』と焚きつける、というものでした。それも、朝イチっていう時間帯でね。挑発に乗ったユカ先輩は十組の教室に足を踏み入れてしまう――のだけど、この段階で、ミライ先輩の目論みは半分以上成功したって言えるのよね。あの人は、十組の内面を探ると言うより、手紙の内容の真偽を確かめることの方に重点を置いていた。特に、『結界内に第三者が侵入すると、記憶操作、認識操作に支障が出る』、と言う部分にね」
「あの時、この教室には結界が張ってあった、っていうことね?」
「その通りです、先輩。結界が張られるのは、朝か、放課後か、授業の間の休み時間かのどれか。放課後や休み時間なんかは、割と頻繁に人の出入りがあったりするから、それとなく見張りを立てたりして、予期せぬ第三者の侵入を防いでいた。それなのに――あの日の朝は、油断していた。朝は滅多に余所のクラスの人間が来たりしないし、それ以前に学校全体がバタバタしていますからね。ある程度仕方ないと言えるけど――とにかく、ユカ先輩はいともあっさりと、結界内の潜入に成功してしまう――」
「それで、潜入した私は、どうなったの?」
何だか馬鹿みたいな質問だ。十七にもなって、自分で自分がどうなったのか、まるで把握できていないのだ。
「先輩は、結界の力によって――十組に対する認識が、狂わされた」
「認識……?」
「そう、認識です。前日憚で繰り返しお伝えした通り、結界内では、死者があたかも生者であるかのように存在しています。あくまで、『仮の存在』として、ですが。契約者である十組全員は、そのことを正しく認識している。今そこに座って喋っているクラスメイトは、本当は死者なのだと、ちゃんと分かっている。
では、結界の外ではどうでしょう。死者は死者のままです。バス事故で亡くなった四十三人は、どこまで行ってもバス事故で亡くなった四十三人のまま。まさか、この閉め切られた十組の教室の中で、『仮の存在』なんて状態になっているなんて、夢にも思わない。ならば、そんな結界の外の人間が、何かの拍子で結界の中に入ってしまったら、どうなるでしょう。そこここにいるのは、あのバス事故で亡くなった筈の犠牲者たち。幽霊を見たと思って仰天するか、或いは自分は夢を見ているのだと判断するか――せいぜい、そんなところでしょう。でも、現実はそうならなかった。何故なら、魔術師は人の記憶・認識を操作する力を持つからです。結界に足を踏み入れた人間は、死んだ筈の人間が目の前にいても、それを当たり前のこととして受け入れてしまう。
……いえ、結界に入った瞬間に、あのバス事故のことも、そのバス事故で四十三人の人間が死んだことも、きれいさっぱりと記憶から抜け落ちてしまうんです。要するに、結界内の光景が日常であると、無理矢理に順応してしまう訳なんです――そうですよね、先輩」
「……え? ああ……うん、そうだった……と思う」
頭の芯が疼く感覚。思うように回らない頭に困惑しながら、ユカはゆっくりとあの時のことを思い出す。
「あの時は……そう、一番最初に声をかけられたのがミホちゃんで――その後にイズミ君に会って、マサヤス君やナミちゃん、サハリちゃんとも話をしたんだけど――そう。そうだ。ノブヨシ君やエッちゃん、レント君、チュウ君は普通にそこにいて――他にも、ナギちゃん、アヤメちゃん、ヒトシ君もいたんだっけ……」
ユカの頭にあってこの場にいない人間――消えた六人と、別人になる前のナギ――の顔を思い浮かべながら、つらつらと名を挙げていく。
「その時点で、もう、その七人はこの世にいなかったのね……」
「そうです。先輩が見ていたのは『仮の存在』なんです。問題は、そのことに違和感を覚えないように狂わされた、先輩の認識にあったんです。しかも一度狂わされた認識は、結界の外に出てもしばらくは治らない。そのせいで、先輩はいらぬ混乱をしてしまう羽目になってしまった……」
「うん――もちろん、それに対してもすごい混乱したんだけど、私が一番混乱したのは――」
目が、自然と一人の少女に引き寄せられていく。
「私の、せいですね」
視線の先では、ヨウコが涼しい顔をして立っていた。
「そう――先輩が一番混乱したのが、ヨウコさん、そしてナギちゃんの登場だった。結界の力に加え、また別の要素が絡んだものだから、余計にややこしいことになっちゃったのよね……」
「別の要素?」
「覚えていませんか? 死者蘇生のルール――結界内で『仮の存在』を一定時間出現させた後、契約者の内側にその記憶・情報が取り込まれる――その基本的なルールとは全く別の手法があるって、説明しましたよね。生者に吸収させるのではなく、死者同士を集めて結合させ、全く新しい人格を誕生させるって言う――」
「私が、そうなんです」
何の感情も感じさせないフラットな言い方で、ヨウコはサエの後を続ける。
「バス事故によって死んだノブヨシ、エツ、レントとチュウ――それらの記憶、情報を集めて、名前も外見も新しくして登場した人格――私は、そういう存在なんです」
世間話でもするかのような口調で、ヨウコは続ける。
「ここにいるナギもそうです。元々いたナギと、アヤメ、ヒトシをくっつけて誕生したのが、この子――オリジナルのナギと同じ名前ですけど、名字は違います。属性を共有しているので、そういうこともあるみたいですね」
ヨウコに振られて、ナギはフルネームを名乗る。
聞いたことのない名字だった。
「ありがとう、ヨウコちゃん、ナギちゃん。後は私から説明するわ」
告白が一段落したところで、再びサエがバトンを受け取る。
「彼女たちは、契約者の内側に取り込む形とは全く別のルールで誕生しました。ルールが違うから、煩雑な儀式も必要なく、契約したその瞬間に誕生することができた。『仮の存在』ではない訳だから、結界など関係なく、他の生徒と同じように、普通に生活することができる。とは言え、何の対処もなしに、いきなり学校生活に溶け込める訳でもありません。誕生と同時に、彼女に関する記憶・認識操作が行われたのです。それはつまり、『ヨウコという人間は以前からずっと二年十組にいた』という認識ですね。元々ノブヨシ君たちと交流のあった人間は、彼らとのエピソードが、そのままヨウコさんとのそれに挿げ替えられている筈です。ケン先輩なんかは、ずっと以前からヨウコさんと面識があったという風に認識してしまっていますしね」
「じゃあ……私は……」
「ユカ先輩も、本来はその認識操作を受けている筈なんですよ。しかし、それよりも結界の力の方が強かったようですね。あの日、教室に足を踏み入れた先輩は、ノブヨシ君、エツさん、レント君とチュウ君の四人を見て、生者だと認識させられた。死者である四人と新人格であるヨウコさん――この二つはイコールで結ばれる存在ですから、両方を同時に認識することはできないんです。結果、ヨウコさんという存在に対する認識は形を為さなくなり、誰だか分からない、見たこともない少女だと認識してしまうに至った――と、そういう訳です」
混乱のメカニズムを饒舌に語るサエ。
理屈は分かるが、気持ちが追いつかない。
ヨウコ――彼女は、魔術師という『システム』によって誕生した新しい人格で、周囲の人間は半ば無理矢理に彼女を二年十組のメンバーだと認識させられていて、結界の効力を受けたユカだけが――『仮の存在』を生者だと認識してしまったユカだけが、彼女を彼女として認識できなくて――ああ、何てややこしい話なんだろう。
頭がパンクしそうだ。
「言わずもがなですが、横にいるナギちゃんも同様です。ついでに言うなら、そこにいるダイチ君やリン君も、同じ方式で誕生したんですが――そこは影響なかったようですね。元々の生徒と交流がなかったせいですかね」
ダイチ――リン――確かに、ほとんど馴染みのない生徒である。
恐らく、アオイグループの子たちなんだろう。
それにしても。
こんな現実離れした方法で誕生した人格が、こんなにいることにも驚いたが――それより、ユカには気になることがあった。
「あの……何で、ミライ君は私を使ってこんなことを? 私を混乱させて、何の得があったって言うの?」
「別に、ユカ先輩を混乱させるのが目的だった訳ではないでしょう。最初に言った通り、ミライ先輩はあくまで、手紙の内容――結界が与える認識操作について、調べたかっただけなんだと思いますよ。ですから、十組と交流のある人物なら、誰でもよかったんです。ケン先輩でもよかった。実際、ミライ先輩はジュン先輩を使って、ケン先輩をも、操ろうとしていましたしね。幸か不幸か、今回は空振りに終わりましたが――もしかしたら、今そこに立っていたのは、ユカ先輩ではなく、ケン先輩だったかもしれない訳です」
「ケン兄ィが……」
ナミが目を丸くしている。想像もしていなかったのだろう。
「でもさ――仮にも、クラスメイトな訳だら? いくらそういう仕事とは言えさ、クラスメイトを操って利用するなんて……ちょっとドライすぎなんじゃないの?」
珍しく、イズミが前に出る。
口調は穏和だが、ユカには、彼が怒っているのが分かった。
「そんなに目くじら立てんでもええがね――もとい、目くじら立てなくてもいいじゃないの」
何故言い直した。
別にそのままでいいと思うのだけど。
「どっちみち、儀式が完了すれば全ての認識は一律になるんですもの。それまでの辛抱だと思ったんじゃないの? そう言うイズミ君だって、儀式が終わればユカ先輩の混乱も治まると思って、今まで先延ばしにして来たんでしょう?」
「それは……まあ……」
「じゃあ、お互い様だってば。ま、ミライ先輩がドライな個人主義で、気障な気取り屋で、自分大好きなナルシストってのは、私も認めるけどね」
そこまでは言ってないだろう。九割、サエの感想ではないか。……否定はしないが。
「はい、まとめます。ミライ先輩はゴウ先輩を使い、イズミ君を餌にユカ先輩を操り、結界の効力が本物かどうかの実験を行った。結果は成功。『仮の存在』を生者だと誤認してしまった先輩は、バス事故の記憶も消され、ヨウコさん、ナギちゃんを認識することもできず、パニックに陥ってしまった。相談されたイズミ君は先輩と十組の間で板挟みになったけれど、やはり自分のクラスを裏切る訳にもいかず、今の今まで先延ばしにしてしまった、と――要約すると、こんな感じかしらね」
まとめてしまえば、何てことないことのように思える。
結局、自分はSRSと十組の間で行われたゲームにおける、駒にすぎなったということだ。それだけの、ことなのだ。こんなことのために、あれだけ追い詰められていただなんて――何だか、馬鹿らしく思えてくる。
「私の部分が最後になっちゃったわね。前に出したアオイ君、ユカ先輩の話に比べれば随分と単純なんだけど――一応、解説しておきましょうか。この回の主人公は、何と言っても貴女よね――」
――サイコさん。
サエの呼びかけに、サイコは静かに顔を上げた。




