第四章・N その2
十月十七日(月)午後三時四十五分
二年七組教室
何やら、騒然としていた。
放課後、七組の教室でのことである。
ヒトナリたちの通う高校は他に類を見ないマンモス校で、生徒の数も多く、校舎も大きく、教室も多い。そして、それらに比例するかのように、校内行事の規模も大きい。もちろん、今回の文化祭もそうだ。全てのクラスと文化部で出し物が行われ、それ以外にも様々な催し物が企画されていて、校内外を問わず多くの来客が訪れる。開催期間は木曜から日曜までの四日間で、その前日は丸一日、さらに前々日は半日が、その準備日として、あてられている。
しかし、さらにその前日――要するに月曜の放課後から、フライングで準備を始める輩も多い。その連中は、大きく二つのタイプに分けられる。一つは、出し物の規模が大きく、複雑で、とても一日半の準備では間に合わない、というパターン。もう一つは、気合が入りすぎで、とても準備日まで待ってられない、というパターン。
七組は後者だった。
『打倒 十組!!!』
真正面の黒板に、巨大かつ力強い書体でそう書かれている。
書き手は誰なのか――考えるまでもない。さっきから、教室のこちらとあちらを行きつ戻りつ、忙しなく動き回りながら、周囲にテキパキと指示をしている、このクラスの委員長――ジュリ、その人である。昼休み、十組のアオイに自分たちの出し物を馬鹿にされたのがよほど悔しかったらしい。怒髪天をつく、という言葉があるが、あの時のジュリはそれを地でいく感じだった。対するアオイは汗だくになりながら、しどろもどろの弁解をしていたが、何を言っても後の祭り。ジュリの瞳に宿った紅蓮の炎は鎮火されない。ヒトナリとミスズが間に入って何とかその場は収まったが、当然のことながら、ジュリの怒りは収まらない。自分たちの出し物を馬鹿にされた恨みを、何とかして晴らしたい――結果、ジュリの怒りは出し物で十組を負かすという方向に収束したらしい。黒板に書かれたあの四文字には、そういう意味が込められているのである。
そういう事情を知ってか知らずか、七組の面々は実に真面目に熱心に働いている。この辺りが、七組の団結心が強いと言われる所以なのだろう。
しかし――どうにも、居場所がない。
七組の教室に六組の生徒の居場所がある訳もないことは、ヒトナリだって重々承知だ。承知したうえで、こうやって七組まで足を運んでいるのである。
魔術師の、尻尾を掴むために――。
校内の任意の人間に声をかけ、願望成就を餌に記憶を操作している、魔術師と名乗る謎の人物――ヒトナリは、その正体を知りたい。
自分も被害者――と言ってしまっていいのか分からないが――の一人というのもあるが、それ以上に、分からないモノを分からないままで終わらせるのが許せない性分なのだ。
だからヒトナリは追究する。
そのために、今七組に来ている。
来ているのだけれど――
「……なあ、何でもいいから、何か覚えていることないか?」
「ない」
「どんな些細なことでもいいんだよ。ヒントになれば何でもいい。何か、心に引っ掛かってること――」
「だから、ないってば……」
ダンボールを抱えながら、マスホは露骨に迷惑そうな顔をする。
このマスホという女子生徒は、かつて一度だけ、魔術師に関してジュリに相談を持ちかけている。しかし、その後になって、『何も覚えていない』と言い出した、と言うのだ。
ジュリは、彼女は絶対に嘘を吐いてない、と言う。
アオイは、彼女は記憶操作をされたのだ、と言う。
真偽は分からない。だからこそ、本人に会って話を聞けば、何がしかのヒントが得られるのでは、と思ったのだが……。
「あの、ジュリにも言ったと思うけど、そのことに関しては本当に、何にも、きれいさっぱり覚えてないの。悪いんだけど」
「そのことでジュリに相談したことも、か」
「そのことでジュリに相談したことも、よ」
取り付く島もない。どうやら、アオイが言うところの記憶操作は、時間経過と共に深度を増していくらしい。さながら、毒が人体に染み込んでいくように……。
「ね、忙しいの、見たら分かるでしょう? アンタはアンタで大変なんだろうけど、こっちはこっちで大変なの。ちょっとでもいいモノ作って、十組の奴らを負かさなきゃいけないのよ。十組を負かして――女神像を、奪還しなきゃ」
鼻息荒く、マスホはそう言う。
……そんなルールだっただろうか。
文化祭で出し物対決をして、勝者の方に女神像の所有権が移る――いつの間にか、七組の面々にはそれがルールとして浸透してしまっているらしい。そもそも、女神像は学校の備品であり、七組のモノでも十組のモノでもない。どっちが真の所有者なのかを争うこと自体がナンセンスだと言うのに――そして、そのことは誰もが重々承知している筈なのに――どういう訳か、この二クラスは女神像の所有権に関して不毛な争いをする運命にあるらしい。
「何よ、その顔。言っとくけど、ウチは絶対に負けんでね」
ヒトナリの訝しげな視線を、マスホは妙な方向に誤解したらしい。
「とにかく、勝つのは私たちだから」
勝ち気な捨て台詞を残し、大きなダンボールを抱えなおして向こうへと行ってしまう。七組の気風として、団結心が強いのとは別に、負けず嫌いで執念深い、というのが挙げられる。そういう点から鑑みると、マスホは間違いなく七組の一員と言える。
皆が皆、忙しそうに作業をする中で、ヒトナリは完璧に居場所を失ってしまう。七組に来れば何らかのヒントが得られるかと思っていたが……どうやら、甘かったらしい。どうにも場違いだ。出直した方がいいかもしれない。
「ヒトナリ君、こんな所ウロウロしとっていいの? 自分のクラスの手伝いとか、した方がいいんじゃないの」
ヒトナリの考えと同調するような台詞を投げかけられる。
ハイジだ。
友達のマスホと共に、ダンボールの開封作業を手際よく行っている。ちなみにこの『ハイジ』という名前、本名である。ヒトナリを含めた大多数の生徒とは違い、カタカナ表記が本名なのである。マンモス校で膨大な生徒を抱えるこの学校でも、カタカナの名前は珍しいのではないだろうか。親交のあるミスズ曰く、本人も名前のことは気にしているので、決してそのことには触れてはいけないらしい。注意されなくても、他人の名前をどうこういう趣味など、ヒトナリにはないのだけれど。
「……いや、前日に資料や掲示物、陳列物を用意すればいいだけだからな。今から気合い入れてやるようなことでもないよ」
「掲示物? 六組って、何やるんだっけ?」
「郷土資料研究発表」
「うわ、つまんなそ」
面と向かって言われてしまう。まさか、一日に二回もこんな感想をもらうとは思わなかった。全く、なんという連中だろう……。ヒトナリは憮然として横を見る。後ろを見る。教室のぐるりを見渡す。
「……さっきから気になっていたことを、一つ聞いていいか?」
「何?」
作業の手を止めずにハイジが答える。隣のマスホは、ちらりとこちらを向いただけで、すぐに自分の作業に戻ってしまった。
「これは……何だ?」
「これって?」
「だから――この、おびただしい量のぬいぐるみだよ」
そう。それは正に『おびただしい』という形容詞がぴったりとくる光景だった。窓、ドア、黒板がある部分を除いたほとんどの壁面に簡易的な棚が設えてあり、そこに大量の人形やぬいぐるみが陳列されているのである。よくよく見れば、マスホとハイジが段ボールから取り出しているのも、同様のぬいぐるみである。これだけの量を並べておいて、まだまだ増えるらしい。
ぬいぐるみのキャラは様々だ。頭に大きなリボンをつけた白い猫だとか、ピンクの頭巾をかぶったウサギだとか、ピンクと青の髪の毛をした双子の姉弟だとか、他にも、子犬やカエルや男の子や――とにかく女の子が好きそうな、愛らしいキャラクターばかりで占められている。
「何って……見ての通り、店の装飾だけど」
何を当たり前のことを、といった感じで答えるハイジ。
「いや、確か、お前らの所はフルーツパーラーだった筈だろう。果物の盛り合わせやデザートを提供するのと、大量のぬいぐるみとの間にどんな関連があるって言うんだ」
「ふふふ、いいでしょ」
不気味な含み笑いに振り返ると――そこには、満足げな笑みを浮かべたジュリが立っていた。
「フルーツパーラーだけじゃ弱いと思って、ちょっと装飾に凝ってみました。これは元から決まってたんだけど、昼休みにちょっとムカつくことがあったから、急遽、増量したって訳」
恐らく、最初は常識的な分量だったのだろう。ここまでおびただしい量になってしまったのは、アオイの言葉に原因があるらしい。
「……お前らはどこに向かおうとしてるんだよ……」
「コンセプトは、『ラブリー&ファンシー』。見た目のインパクトで集客を狙おうと思ってね」
「――え? 何て言った? 何がコンセプトだって?」
「だから、『ラブリー&ファンシー』だって」
思わず、携帯のフリップを開くヒトナリ。
「……何してる」
「ネット辞書で『ラブリー』と『ファンシー』の意味を調べている」
「だっちもねえこんしちょっ! アンタのボキャブラリーに、その二つは入っとらんのか」
「いや、お前らの性質と、その二つの単語が、俺の中で結びつかなかった」
「私もれっきとした女子なんですけど」
「怒髪天をついた、お前がか」
「アレはアオイが悪いんじゃんけ。影で人のクラスの出し物悪く言われたら、誰だって怒るら」
それを言ったら、ヒトナリなど、面と向かって酷評を受けているのだが。それも、一日に二回も、である。だが言ったところでどうにもならないので、大人しく黙っておいた。
「――このぬいぐるみは、全部お前の私物か?」
「まさか。親の仕事の関係でそっち方面にコネがあるから、期間中だけレンタルしとるだけだって」
すでに作業は一段落してるのか、ジュリは近くにあったぬいぐるみを一つ手に取り、近くの机に軽く腰掛ける。感情的になると乱れる独特の言葉遣いも、もう元に戻っている。
「……まあ、向こうは女神像で、こっちは奥まった教室でしょ? 立地的には圧倒的に不利だから、こうしてインパクト重視の作戦に打って出たって訳。出し物自体には自信があるからね。おでんだか餃子だか知らないけど、負けはしないって思ってる」
口元に笑みを湛えて、ジュリは断言する。
しかし、ヒトナリは気になることがある。
昼休み、図書室を訪れたアオイたちは、何かオブジェを製作中だと言っていた。あれは、一体何だったのだろう。
「多分大丈夫だとは思うが……万が一、そのインパクト重視の作戦でも敵わなかったら、どうするつもりだ?」
「十組の奴らも何かやってくるってこと? それはないでしょ。ただでさえ、女神像ってインパクトの強い場所に屋台出すんだから」
ジャージ姿のアオイに、オーバーオールのリン――二人とも服の至る所に白いペンキを付けていて、それはジュリも見ている筈なのだけど……。どうやら、あの時の彼女は怒りに我を忘れてそこまで意識がいかなくなっていたらしい。
「ま、その時は潔く負けを認める――訳にもいかないって」
好戦的な表情を見せながら机から降りるジュリ。
「まだまだ、いざって時のための秘策が用意してあるんだからね。この七組を侮らないでよ……ッ!」
漲る闘志を隠すことなく、持っていたぬいぐるみを頭上に掲げて、ジュリはそう宣言する。
――コイツは、一体何と闘っているのだろう。
常に何らかの仮想敵を設定して――十組が標的になることが多いようだが――そのために自らの才覚とクラスの団結力を総動員して、全力で闘う、そのスタイル――決して否定はしないが、何だか、ひどく疲れそうだな、と思ってしまう。
「で、ヒトナリは、ここで何してる訳?」
思い出したように、今さらな質問をするジュリ。マスホやハイジ、他の面々は作業に没頭していて、こちらのことなど微塵も気にしていない。これなら、多少突っ込んだ話をしても大丈夫だろう。
「いや、例の魔術師の件で――」
と、ヒトナリが切り出したその時、だった。
「ジュリーッ!」
教室の扉を乱暴に開け、血相を変えて走り込んでくる影があった。筋肉質で髪を長く伸ばしていて、長い前髪の下から覗く三白眼が印象的な少年だ。
「ラン、どうした!?」
少年の剣幕にただならぬモノを感じたのだろう。にわかに落ち着きをなくすジュリ。
「いや、オレ、女神像ホールに偵察に行ってたんだけど、そしたら、あの――」
「ラン、落ち着いて。順を追って話せし」
「いいから来てくれ! 見りゃ分かる!」
言うが早いか、素早く踵を返して、今来た道を戻るラン。訳が分からぬまま、ジュリもその後をついていく――ぬいぐるみを手にしたまま。仕方なく、ヒトナリもそれに続いた。
教室を出て廊下を進むと、すぐに女神像ホールへと到達する。
まず目に入るのは、眼前にそびえる巨大な女神像である。
その脇には、十組の生徒が大勢群れて、何やら作業をしている。その中にはアオイもいる。そこから少し離れて、イズミと、大人びた風貌の少女が並んで立っていた。
そして。
次の瞬間視界に飛び込んだソレに、ヒトナリは言葉を失った。




