第四章・W その2
十月十七日(月)午後三時四十五分
二年九組教室
――思い出す光景がある。
入学直後、郊外の家電量販店でのことである。
別段、何が欲しかった訳でもない。店内をうろつきながら、家電やPCの最新機種を眺める――そんな時間が、サイコは好きなのだ。まあ、平たく言えば冷やかしなのだけど。
家が自動車整備工場をやっているからか、子供の頃から機械や機械いじりが好きだった。大学では機械工学を専攻したいと思っている。だから、用事のない休日は決まって電器屋なのである。
その日も、何の変哲もない、いつもの休日だった。
ただ、一つだけ印象に残っている出来事がある。
サイコがいつものように二階のPC売り場を物色し、最新の炊飯器はどうなっているだろうと、一階の家電売り場に向かおうとした時のことである。
階段の横、ほとんど人気のないケーブルコーナーの更に奥から、何やら話し声がする。会話の内容は聞き取れない。ただ、声のトーンは抑えられているのに、不思議と必死さだけは伝わってくる。
興味を引かれたサイコは、階段に向けていた足を止め、声のする方に忍び寄ってみた。
そこには従業員専用の出入り口があり、扉が半開きになっている。声はその奥からする。悪いと思いながらも、サイコは扉の中に首を伸ばしてみた。
見たこともないような美少女が、そこにいた。
肌は陶磁器のように白く、明るく染めた長髪は太い縦巻カールにされている。薄暗いためによく分からないが、身に纏っている服は上から下まで全部高級ブランドで、不思議とそれが嫌味になっていない。その美少女は、扉から少し入ったところで、従業員相手に必死の形相で何やら詰め寄っている。
何事かと聞き耳を立てたサイコは――脱力し、そっと扉を閉めた。
何のことはない。
全身をブランド品で固めた西洋人形のような美少女は、誰にも目につかないところで――店員に、値引き交渉をしていたのである。
容姿と家柄に恵まれながらも金にはがめつく、派手好きで見栄っ張り――彼女が二年九組の委員長・サエだと知ったのは、最近の話である。
――私、何やってるんだろう……。
回想から帰還を果たしたサイコは、一人溜息をつく。溜息をつきながらも、手先と目線は目まぐるしく動き続けている。
机の上にはプリント基板。
各種電子部品を配置し、配線を組み合わせて、電飾のための回路を完成させるのだ。正直、さっさと終わらせたい。
一応断っておくが、自分の趣味でこんな工作をやっている訳ではない。二年九組の喫茶店で必要だと言うから、サイコが手を貸しているだけの話である。
――これは、新手の間違い探しだろうか。
突っ込み所が多すぎる。
二年九組の出し物が喫茶店である――それはいい。マサから聞いていたし、文化祭の出し物としても、スタンダードなモノだ。
ただ、そこで電飾が必要、というのが分からない。マサ曰く「普通の喫茶店」ということだったらしいが……。
断言する。普通の喫茶店に電飾はない。
「こう、横から光のバーが次々とスライドしていって、端から溜まっていく感じにしたいんだわ」って、それはもう――完璧にパチンコ屋だ。奥の方では花輪を作っているチームもあって、いよいよこのクラスが何をしようとしているのか分からなくなる。
第一――十組の人間であるサイコが、何故九組の手伝いなどやらされているのだろう。自分はただ、マサを探しに来ただけなのに。
「――できたかや?」
溜息混じりで黙々と作業するサイコに声をかける少女がいる。
ミチカゼだ。赤いフレームの眼鏡をかけた小柄な少女で、ショートの髪から四方八方に突き出たお下げという、独特なヘアスタイルが特徴的だ。しかし、普段から親しくしているマサのグループならいくらか親交はあるものの、彼女は完璧に委員長・サエのグループの人間で、顔と名前は知っていたものの、サイコはついさっきまで口を利いたことすらなかったのだ。
基盤の前で首を傾げているミチカゼを見て、ついついアドバイスしてしまったのが運の尽き――いつの間にか、サイコが作業する羽目になっていたのである。
「……あの、私、人を探しに来ただけなんだけど……」
「マサ君でしょ? 分かっとるがね。だけど、アイツどっか行ってまったでかんわ。すぐ戻ると思うでさ、もうちょこっと待っとったらいいがね」
遠回しに抗議してみるが、ミチカゼは気さくな笑顔で受け流す。
「待つのはいいけど――えっと、何で私は、配電の手伝いとかしとるのかな……?」
「アンタもこういうの好きなことない? 私もこういうの得意だと思っとったけど、アンタの方が詳しいもんね」
「まあ、好きだけど……」
「だったら問題ないて。できる人間がやったらいいのだがね。アンタはマサ君待つ暇潰しにもなるし、私は私でやることたくさんあるし、一石二鳥にも一石三鳥にもなるがや」
「あ、うん……」
サエのグループの特徴なのだろうか。妙に押しが強い。結局、サイコは押されてしまう。
「私ちょっと用事あるで、しばらく席外すわ。終わったら、そのまま置いといてくれたらええでね」
言うが早いか、ミチカゼはさっさと踵を返してしまう。
その後ろ姿を、サイコはただ眺めることしかできない。
――私は何をしてるんだろう……。
漏れ出る溜息を止めることができなかった。
マサを止めなくてはいけない。
ずっと、そう思っていた。
魔術師に興味を持つマサを、決して真相に辿り着けないように監視し、誘導する――サイコは、ハルカからそうした任務を与えられていた。絶対に、十組の秘密を知られてはいけない。この一ヶ月が水の泡になってしまう。
何も知らないふりをして、親しい間柄にあるマサを騙すのは心が痛んだ。だけど、所詮マサは九組の人間なのだ。十組を裏切る訳にはいかない。そう折り合いをつけて、この数日を過ごしてきたのだけど……。
もしかしたら――全ては、逆だったのかもしれない。
今では、そう思う。
マサは最初から何らかの事実を掴んでいて、それを確かめるためにサイコと接触していたとしたら――監視されていたのは、サイコの方だったとしたら――。
――SRSって、聞いたことあるか?
あの時の、マサの言葉が蘇る。彼は、どういう心境であんなことを言ったのだろう。その直後に放たれた「あまり、ハルカを信用するな」という言葉と合わせて、『ハルカはSRSの一員で、サイコにも内緒で何か行動を起こそうとしているから気を付けろ』という意味合いなのだと解釈していた。ついさっきまでは。
しかし、九組の教室に来て、その解釈は間違いだったと気付いた。
逆、なのだ。
マサこそがSRSの一員で、彼はそのSRSの命を受けて、サイコの周辺を探っていたのではなかったのか。
彼も自分と同じで、親しい間柄であるサイコを騙していることに良心の呵責を感じ、それで、ついSRSなどという単語を、あの場で漏らしてしまったのではないか――そんな風に、今は思う。
よく考えてみれば、おかしな点はあったのだ。
ファミレスにて、マサは自身の九組、そして隣の五組、八組の全員に聞き込みをしたと言っていた。その間、たったの三日である。授業だってあるし、この時期は皆多忙で、生徒が教室に留まっている時間はごく僅かだ。しかし、マサは三日の間に、それもたった一人で、三クラスの全員に聞き込みをしてのけたと言う。――もしかしたら、マサは個人で活動したのではなく、グループの一人として動いていたのではないだろうか? そう考えると、短期間であれだけの調査結果を出せたのにも納得がいく。
そう――そうなのだ。
マサはSRSの一員としてサイコに接触し、運良くハルカが釣れたのをいいことに、二人まとめて動向を見極めようとしていたのだ。そうに違いない。
サイコの確信はどす黒い鉛となって躰の中を満たしていく。
これは、決して妄想でも思い込みでもない。
基盤から顔を上げ、さっと九組の教室を見渡す。皆、文化祭に向けての作業に没頭している――かのように見える。
しかし、見渡した瞬間、教室にいた何人かが視線をそらしたのを、サイコは見逃さない。九組の教室に足を踏み入れた瞬間から感じていた、幾つかの不快な視線。
見られている。
九組というクラス全体から、監視されている。
基盤に視線を落とし、作業を続けるふりをしながら、サイコはそれとなく九組内の知っている人間を盗み見る。
サイコが今いるのはミチカゼの席である。
教室の奥では、マスミが大量の布生地を抱えて右往左往している。衣装かテーブルクロスにでも使うのだろう。
その後ろの席では、サダミツが大量の陶器を持って悪戦苦闘している。こちらは食器に使うのだろうか。
更に少し離れた所では、タケが大量のタッパを持ってレシピらしき書類と睨めっこしている。教室中に漂う臭いから察するに、中身は赤味噌に違いない。委員長・サエの味噌好きは有名だ。きっと、喫茶店でのメニューにもふんだんに使用されるのだろう。
そして――サダミツとタケに挟まれるようにして、ひときわ大柄な男子生徒が鎮座している。アオイやハルカほどではないが、かなりの長身である。敢えて言うなら、六組の委員長・ヨシミツと同程度だろうか。体付きも筋肉質で、顔付きも精悍である。頭にタオルを巻いて、教室内の装飾に関する技巧的な指示をテキパキと周囲のクラスメイトに与えている。
彼こそが、九組の副委員長・コロモだ。
大柄な体格に比例するように点数も高く、優秀で、おまけに父親はさる自動車会社の代表取締役を務めており、つまりは御曹司である。しかし彼自身はどちらかと言えば職人気質で、委員長のサエに与えられた任務を寡黙にストイックにこなしている。その手腕は校内でも高く評価されている、らしい。
今ではすっかり出世してしまった彼の父親だが、実は、かつてサイコの家に下宿していたという過去がある。もちろんそれはサイコの生まれる遙か昔の話で、サイコ自身、コロモの父親との面識はない。子供同士となればそれは尚更で――今現在、彼との接点はほとんどないと言っていい。マサを通じて何度か会話したこともあるが、それも数える程度である――なんて、そんなことはどうでもいい。
サエとマサ、さっき退席したミチカゼを除いて、九組のメンバーはほぼ勢揃いしている。皆揃って、真面目かつ熱心に文化祭の準備に取り掛かっている。そんな中へサイコは飛び込んだのだが――教室に足を踏み入れた途端に、皆が隠れてこちらを注視しているのがありありと感じられたのだ。
確かに、九組の人間は仲間意識が妙に高く、余所のクラスの人間に心を開かないというイメージがある。しかしサイコはマサのグループ――アツミやトウカ、ホウキなど――を通じて、そこそこ九組に馴染んでいるつもりでいた。だからこそ、こうやって単身隣のクラスに乗り込むような真似までしたのだ。
それなのに。
九組に入った途端、皆、各々の作業に没頭するふりをして、チラチラとサイコのことを盗み見ているのである。
監視、しているのだ。
サイコの動向を――否、十組の動きを、か。もしかしたら、九組の人間は皆、SRSの息がかかっているのかもしれない。そもそも、委員長のサエ自身がSRSの主要メンバーだという話だったではないか。九組の人間は、ジュリ率いる七組とはまた違った意味でアクの強い面々が揃っている。しかし、その誰もが委員長のサエを『お嬢』と呼んで慕っている。実際、時折校内で目にするサエは無数の取り巻きを引き連れて、肩で風を切って闊歩している。
マサもまた、サエの手駒の一つだったのかもしれない。
彼を使ってサイコに接触し、サイコを通じてハルカに揺さぶりをかけ、ハルカの周囲の人間がボロを出すのを待つ――そういう作戦だったのかもしれない。
だとすると、この状況は非常にマズい。今思えば、ミチカゼの態度はいかにも不自然だった。いくらサイコが機械いじりに長けているとは言え、サエの側近でクラス内でもある程度の力を持つミチカゼがサイコなどに自分の仕事を任せたりするだろうか。これは、サイコを九組内に留まらせるための方便ではないのだろうか。マサの不在も、最初から全て織り込み済みのことでは、ないのか――。
鳥肌が立った。マズい。この状況は、非常にマズい。もう電飾のための配電基盤などどうでもいい。早くこの場を離れなければ……。
半ば蒼白になって腰を浮かせかけた、その時だった。
「――サイコさん、だよね?」
背後から、声をかけられた。
恐る恐る、振り向く。
「ゴメンね。本当はもっと早く来たかったんだけど、私も色々と多忙なのよ。サイコさんなら分かってくれるよね?」
思いの外、キレイな言葉を使う……。
場違いにも、サイコはそんな感想を抱いていた。
目の前に、サエが立っている。
才色兼備にして唯我独尊、傲岸不遜な九組の女帝である。
さすがに校内では制服のブレザーを着用していて、上から下までブランド品ということはないが、メイクは濃く、髪型は特徴的な縦巻ロールである。足を肩幅に開き、両肘を抱え込む形で腕を組み、腰を浮かせかけたままで固まっているサイコを見下ろしている。口調こそ丁寧だが、その態度は、何というか、平たく言うと、物凄く偉そうである。
そして、そんなサエを無数の取り巻きが取り囲んでいる。そのほとんどが小柄な生徒ばかりで、顔と名前が一致しない。唯一分かるのは、さっきまで作業していたサダミツとマスミくらいのものだ。
そして、サエの右斜め後ろには退席した筈のミチカゼが側近然として控えている。大方、さっき退席したのはサエを呼びに行くためだったのだろう。
一方、コロモやタケなどは、我関せずと言った態度で作業を続けている。いつもは『お嬢』などと呼んで持ち上げてはいるが、あくまで自分たちは違うグループだと思っているのだろう。
――などと、冷静に観察できたのはここまで。
唐突に九組の半数以上に取り囲まれて、サイコは急速に落ち着きをなくしていく。
「え、ちょっと、私――」
「あ、いいのいいの。別に取って喰おうって訳じゃないの」
中腰でいるサイコの両肩に手を置き、サエは半ば強引に椅子へと押し込める。
「ただ、ちょっと貴女とお話がしたいなと思って、ね?」
「は、話なんて――」
「貴女にはないかもだけど、私にはあるのよ」
押しが強い。最後まで言わせてもらえない。じっとりと、嫌な汗が躰の至る所ににじんでいる。嫌だ。早く帰りたい。
「そんなに緊張しないでって――まあ、こんな状況じゃそれも無理かしらね? 心配しないで。二つ三つの質問に答えてくれたら、すぐにでも解放してあげるから」
口角を僅かに上げ、酷薄な表情を見せるサエ。とてつもなく嫌な予感がするが、もう逃れようもない。細く深く息を吐いて、少しでも心を落ち着かせる。大丈夫。大丈夫だ。
心の中で繰り返し、サイコは覚悟を決める。
「……ふうん……」
しかし、どうしたことか、サエはいつまで経っても質問をしてこない。それどころか、顎に手を当てて、上から下までジロジロと舐めるようにして見ている。値踏みされているみたいで、かなり気分が悪い。
「つまらないこと聞くけど……サイコさんって、身長何センチ?」
何かと思えば、背の話である。サイコ個人としては、あまり気持ちのいい話題ではなかったが、それでも、答えられないことはない。ここで見栄を張っても仕方ないので、正直に申告する。
「へえ、まあ、普通――かな?」
「いや、小っちゃいら」
思わず反応してしまう。コンプレックスという程ではないが、客観的事実として、自分は小柄だと認識している。
「まだ伸びるかもしれないでしょう?」
「私、もう十七だに? 成長期なんてとっくに終わっとるし」
九組の女帝を相手に緊張しているサイコではあったが、同学年相手に敬語を使うのも妙な感じなので、ハルカやマサを相手にしているのと同じような言葉遣いにさせてもらう。
「ううん……でもまぁ、気にする程でもないと思うよ? ここにいるこの子たちの方が、よっぽど小さい訳だし」
言いながら、取り巻きを見渡すサエ。確かに、彼ら彼女らの中には相当小柄な人物も混じっていて、それはサイコの比ではない。
話題に出されたにも関わらず、取り巻きの連中は顔色一つ変えず、無言でサエとサイコの遣り取りを注視している。何だか不気味だ。
「それは、比較対象の問題じゃん」
「そう、大きい小さいなんて、比較対象の問題だよね。比較対象と言えば――サイコさんって、ハルカさんと同じグループなんだよね?」
ぞわりと、悪寒が走った。
この時点ではまだサエが何を言わんとしているか分からないでいるにも関わらず、サイコは自身の躰が震え始めるのを感じていた。
「あの娘――大きいよねえ。身長何センチくらいあるの?」
「……細かい数字は、知らないけど」
「そうか。ま、トモダチでも身長体重まで把握している筈ないか」
注意しなければ気付かない程の緩慢な速度で、少しずつ、顔を近づけてくる。
「身長は――伸びるもんね」
心臓をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。数瞬、呼吸ができなくなる。大丈夫。大丈夫だ。落ち着け。サイコの変化に気付いているのかいないのか、サエは更に言葉を続ける。
「十七になっても成長の止まらない子もいるもんね。いやまぁ、あの子って前から背の高い娘だとは思っていたけど……二学期に入ってから、ちょっと吃驚しちゃった。前にも増して大きくなってるんだもん。人って、短期間であんなに背が伸びるもんなんだね」
躰の震えを止めることができない。
どうして。
そのことを――認識できるのだ。
ハルカが大きくなっているなんて、校内の人間は認識できない筈、ではなかったのか……。顔面蒼白になるサイコを興味深そうに覗き込み、サエは近づけていた顔を不意に戻す。
「――と、世間話はこのくらいにしよっか。サイコさん、ゴメンね? 関係ない話を長々と」
嘘だ。
サイコは表情に出さないで鼻白む。何が関係ない話を、だ。思い切り核心に迫っていたではないか。早鐘の如く鳴り響く心臓と、小動物の如く震える躰を抱えながら、サイコは何とか平素な表情でいるようにと努力する。
「まあ、お互いに暇でもないだろうから、さっさと本題に入るけど――十組の人達って、みんな、左腕に腕章つけてるよね?」
再び、悪寒が走る。必死に言葉を探そうと脳味噌をフル稼働させるが、空回り。逆にオーバーヒートを起こして震えが大きくなる。
「委員長のアオイ君も、副委員長のハルカさんも、それに他のみんなも――二学期に入ってから、ずっと左腕に腕章を付け続けている」
その時、ぼんやりとした視界の隅に、黒い影が走った。その影は、取り巻きの間を機敏な身のこなしで潜り抜け、サエの真横にぴたりとつく。サエと比べても長身で、スレンダーな体型の女子生徒だった。鋭い目付きが印象的だが、顔の下半分を黒いマフラーで覆っているため、今ひとつ人相が分かりにくい。こんな人間が九組にいただろうか……。その謎の人物は、ポケットから取り出した何かをサエに手渡している。
「サンキュ、シノブちゃん。下がっていいわよ」
言うが早いか、その人物は瞬く間に姿を消してしまう。何だと言うのだ。
「ほら、これ見て」
サエは、手渡された何かを机の上に並べていく。
それはスナップ写真だった。
アオイやハルカ、マコイ、トシヒロ、タイシ、コウ、オミナリ、セイシ、レイなどの十組生徒が、時には廊下の影から、時には階段の下から、思い思いの姿で撮られている。対象人物が十組の生徒と言う以外は、時間も場所も角度も状況もバラバラなのだけど、ただ一つ、明確な共通点がある。
「――分かるよね。ここの写っている人は皆、一様に左腕に腕章を付けている。最初はアオイ君とハルカさんの二人だけかと思ってたんだけど、よくよく観察すると、別の人も腕章を付けているってことに気が付いたのね。それが先週末くらいの話なんだけど」
並べられた写真をトントンと叩きながら、サエはじぃっと、サイコの目を覗き込む。
なんだこれは。
取り調べか。
遠のきかける意識をギリギリの所で保ちながら、サイコは何とか口を開く。
「そ……それが、何だって言うの。別にいいじゃん。ウチの人間が腕章つけるのに、別に不思議なんてないら?」
そう――そうなのだ。
十組の人間があの腕章を付けているのに、何の不思議もない。誰もが、一ヶ月前の悲劇と結びつけて、勝手に納得してくれるからだ。今さらそこを突っ込まれたところで、サイコは狼狽なんてしない。
しかし、それはただの前振りにすぎなかった。
「そうだね。別に不思議なんてない。私も、わざわざその理由を斟酌するような真似は、しない」
だけどね――と。
畳みかけるように、サエは手に持ったままだった残りのスナップ写真を机に広げていく。
イズミ、マサヤス、ミナト、サハリ、タカシ、ジロウ――これまた、十組の面々である。最後に置いた一枚には、昇降口で靴を履き替えるサイコの姿が物陰から写されていた。
目眩がした。
この段に至ってようやく、サエの目論見に気付いたからだ。
「ほら、分かるかな? ここに映ってる人達は、誰も腕章をしていないの。貴女も、そう。念のために調べてみたけど、この写真を撮った時だけじゃなくて、この一ヶ月間、この人達は一度も腕章を付けていない――私が不思議に思ったのは、そこなのね。同じクラスで、同じ境遇にある筈なのに、腕章を付け続けているグループと、一度も付けないグループがある。これはどういうことなんだろう? 聞かせてくれないかな――サイコさん」
サエの顔がすぐそこにある。
「あ……あの……」
口をパクパクさせながら、意味のない言葉を垂れ流す。
何か、言わないと。
だけど。だけれど。
本当のことを言う訳にはいかない。それは十組への裏切りになるからだ。第一、本当のことを言ったところで、信じてもらえるとは到底思えない。魔術師との交渉に端を発する、あまりにも現実離れした、リアリティなんて無視した、荒唐無稽な絵空事――徹底した合理主義者であり、堅実な現実主義者であるサエに、通用するとは
思えない。
腕章を付けない理由。
サイコがサイコである理由。
自分はいつだって、独りで完結している。
一緒に遊び、共に行動することが多くても、決してハルカのグループには与しない。
腕章も、付けない。
理由ははっきりしている。
だけど、今のサイコにはそれを伝える術がない。
「……だもんで……それは……」
カラカラに乾いた喉を震わせ、口内が不快に粘つくのを感じながら、サイコは何とかして、この場を逃れるための言葉を模索する。
「別に、深い意味なんてないって言うか……。ただの、気分だよ。付けたい人は付けるし、付けたくない人は付けないし……」
我ながら、つまらない回答だとは思う。しかし、他に気の利いた言葉も思いつかない。今はこれで押し切るしかない。
「ふうん? サイコさんは、付けたくないんだ?」
「め、目立つし、邪魔くさいし……私はあんまり、そういうの好きじゃないから……」
「マコイさん、トシヒロ君、ホウタ君、サヤカさん、サキさん――ハルカさんのグループは、みんな付けてるけど?」
「……ジロウは付けとらんもん」
「なるほど。確かにそうね。ハルカさんのグループの中で、サイコさんとジロウさんだけは腕章を付けないでいるわね。その理由は特になくて、ただ単に付けたくないから――そういうことね?」
「そ、そう……」
「了解しました」
恐らくは全く納得していないだろう怪訝そうな表情で、サエは机に並べた十組生徒のスナップ写真を回収していく。
「サイコさんに聞きたかったのは、これだけ。ゴメンね、時間とらせちゃって」
サエは頻繁に『ゴメンね』と繰り返すが、その態度に申し訳なさそうなところは全く見受けられない。
「知ってるかもだけど、私達、五組、八組と合同で喫茶店開くことになってて、今はその準備でてんてこ舞いなのよね。本格的な準備は明日からだけど、規模が大きいもんだから、もう取り掛かってるって訳」
世間話でもするかのような口調でサエは続ける。いや、本当に世間話なのかもしれないけど、警戒するに越したことはない。
それにしても、喫茶店をやるというのは知っていたが、五組や八組と合同でやるとは知らなかった。
「サイコさんの所は、何やるの?」
サエの問いに、サイコは簡潔な回答を返す。自分たちのところは女神像の下、班別対抗で食べ物屋台を開く。サイコの属するハルカグループは餃子屋をやるのだ、と――。
「ふうん……餃子か、美味しそうだね。私も暇ができたら遊びに行こうかな」
それ自体は歓迎だが、彼女が言うと、何か含みがあるような気がしてならない。
「でも意外だな。十組は、別の出し物だと思ってたのに」
事も無げに、サエは言う。
「別の出し物って?」
刹那、サエは三度顔を近づけ、サイコの耳元でそっと囁く。
「――お化け屋敷、とか」
「――――ッ!」
瞬時に意識が遠のいた。
落ち着きを取り戻しつつあった心臓が、また大きく鳴り響く。
全身から粘性の高い汗が噴き出し、頭がホワイトアウトしていく。
駄目だ。
気付かれてる。
完璧に、バレている。
なんで。どうして。
あんな話、どうやったって露見しようがない筈なのに。どれだけ不審に思われたって、絶対に真相には辿り着けない筈なのに――。
そこからの記憶は、定かではない。
ただ、ガクガクと震える膝で、必死になって九組を後にしたのだけは、ぼんやりと把握している。
そして、頭の中では、同じ言葉を繰り返していた。
駄目だ。
駄目だ。
もう駄目だ。
計画は、失敗だ――。




