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第四章・E

十月十七日(月)午後〇時四十五分

三年五組教室


 異相、だった。

 振り向いた男の顔を見て、思わずユカは息を飲んだ。

 まず、あり得ない程に、頭が大きい。普通の人間よりも二回りは違うだろうか。目は大きく、カマボコの様な半円状で固まっている。たぶん笑っているのだろうが、どうにも不気味だ。眉は薄く、団子鼻でおちょぼ口。そして極端に下ぶくれで――お世辞にも美形とは言いがたい。頭は全体的に剃り上げ、頭頂部だけ髪を伸ばし、それを結って後ろに垂らすという、何とも奇妙なヘアスタイルをしている。そして最も特徴的なのは、肌の質感である。ツルツルと不自然な光沢を放っていて、とても人間の肌とは思えない。

 ……まるで、作り物のようだ。

 と言うか、作り物だった。

 お面だ。それも、祭りの縁日などで売られている平面的なモノではなく、頭からすっぽりとかぶるタイプのお面。昼休みの教室で、何の目的があってこんなお面をかぶっているか知らないが、まあどうでもいいことだ。ユカは、お面の男に声をかける。

「……ねえ、今、ちょっといい?」

「オウ、ワタクシ、ニホンゴワカラナイアルヨー」

 ……イラッとした。

 思わず、その不細工なお面の額あたりを指で小突いてしまう。

「真面目な話なんだけど」

「イテェなぁ、なにすンだよ」

 お面に痛覚などある筈もないのに、面をかぶった男は大袈裟に身をのけぞらせ、両手でその面をとる。面の下から出てきたのは、思いの外、端正な顔立ちをした少年だった。色白で、目は切れ長、髪は茶色く染めていて、前髪にだけ白いメッシュが入っている。

 ユカの所属する三年五組の副委員長・ゴウである。

「ゴウ君がふざけるのがいけないんでしょ」

「ふざけてねェよ。これも、文化祭の準備の一環なんだっての」

「文化祭の準備? だいたい、何なのよその変なお面は」

「いいだろ。ミライにもらったんだよ。手の空いた人間はこれかぶって客寄せするんだと。今回は裏方に専念するつもりだったんだけどサ――まァ、たまにはこういうのも面白いかと思ってよ」

 三年五組は、委員長・ミライの仕切りで、チャイニーズレストランをやることに決まっている。メニューや段取りなどの懸案事項は全て消化しているため、店舗設営などの本格的な準備は明日から少しずつやっていくことに決まっている。何だかんだでこのクラスは一人一人のレベルが高いので、仕事が早いのだ。

「そんなお面かぶって客寄せやってたら、小さい子なんかは泣いちゃうと思うけど」

「うっせー。オレはけっこう気に入ってンだよ」

 かぶり面を撫でるゴウ。その美的センスは、よく分からない。だいたい、ユカはこの、ゴウという副委員長のこと自体がよく分かっていない。成績はトップクラスで、夏までサッカー部に所属していたスポーツマン、父親は電機メーカーの社長で、容姿も悪くないのだが――どういう訳だか、あまりいい噂を聞かない。と言うか、はっきり言って、素行が悪い。喫煙や、不純異性交遊、公営ギャンブル場の出入りなどで、何度か補導されかかっている。

 しかし、優秀な人間であることもまた、純然たる事実である。学年トップクラスは伊達ではない。口が悪く、下品で粗暴でいつもふざけてばかりだが、少し話しただけでも、その回転の速さは分かる。

 ――少し話しただけ、か。

 自分の言葉に引っ掛かってしまう。

 少し前まで、ゴウとは口を利いたこともなかったのだ。仲が悪かった訳ではない。それ以前に、接点がなかったのだ。ユカの席は教室の最前列に位置している。それに対して、ゴウの席は最後列の廊下側だ。要するに、教室の端と端である。接点の持ちようがない。

 それなのに――。

「んで? 話ってのは何なのよ?」

 不細工なお面を机に置き、改めてこちらに向き直るゴウ。彼とこんな風にして対峙するのも初めてのことかもしれない。

「もしかして告白か? それなら返事はOKだぞ? オメェも大胆だなー。昼休みの教室で告白とか」

「違う」

 どうしてこの連中は、恥ずかしい台詞を恥ずかしげもなく言えるのだろう。聞いてるこっちが恥ずかしい。

「ん? 別にオレは彼氏持ちでも構わねェよ? そういうの、気にしない主義だから」

 バン、と机を叩く。少し離れたところでタカノリやカワノがこちらを見ているが、知ったことか。こちらも必死なのだ。

「言ったでしょ。真面目な話をしてるの」

「――フン」

 気色ばむユカを、ゴウはどこか冷めた目で見下ろしている。

「分かってンよ、どうせ十組絡みだろ」

 数瞬前とはまるで違う硬質の声に、ユカは返す言葉を失う。

「図星だべ? このタイミングでオメェがオレンとこくるなんざ、そのくらいしか理由ねェもんな」

「……じゃあ教えて。どうして、あんなデマ吹き込んだりしたの!?」

 そう、全ての始まりは、そこからだった。

 イズミが、ユカ以外の女と歩いているのを見た人間がいる――。

 あれは浮気ではないのか――。

 先週の木曜、教室中に聞こえる大声で、そんな益体もない噂話に興じている男がいた。

 それが、ゴウだった。

 当然、ユカはそれに噛みついた。あのイズミに限って、浮気なんかする筈がない。確かに校内での人気は高いが、彼の誠実さは、恋人であり、幼馴染みでもあるユカが一番よく分かっている。あの子が浮気していただなんて、そんなの、何かの間違いに決まっている――ユカは、そう強く主張した。ゴウとまともに口を利いたのはその時が初めてだったのだけど、そんなの関係なかった。ただ、恋人の名誉を傷つけられた気がして、黙っていられなかったのだ。

『ただの噂だべ。真に受けンなよ――』

 当然、そんな言葉が返ってくるのだと思っていた。しかし、驚いたことに、この副委員長は根拠を提示してきたのである。

 ――なら、なんで自分のクラスに来させねェんだよ?

 ――見られたくねェモンでもあるからに決まってンべ?

 確かに、その数週間前から、ユカはイズミに「教室に来ないで」と言われていた。それどころか、休み時間のたびに扉と窓を閉め切り、ご丁寧にカーテンまで閉めて、完全に外界と断絶していた。

 不審、ではあったのだ。

 しかし、きっかけはあくまでゴウの一言だった。ユカは半ばゴウに唆さ(そそのか)れる形で、十組の扉を開けたのだ。多分、全てはそこから始ったのだと、今では思っている。

 昨日、ユカはイズミの家で気を失った。

 ヨウコという不思議な少女。

 ナギの名を名乗る、見たこともない少女。

 そして、消えた六人の後輩たち――。

 完璧に、ユカの許容範囲を超えていた。本当に、訳が分からない。誰でもいい、何でもいいから教えてほしかった。しかし、イズミはダメだ。問題は二年十組という組織全体で起きているらしく、イズミも十組の一員である以上、彼の一存でペラペラと口を割る訳にはいかないのだという。申し訳なく思っているのは、顔を見れば分かった。だから、彼には強く追及できない。しかし、全く情報をもらえなかった訳でもない。まず、ユカはただ巻き込まれただけで、異常でも何でもないということ。文化祭が終わったら全てを話す――つまり、この事態は文化祭と共に終焉を迎えるということ。そして、校内において、二年十組に対抗する何らかの勢力が動き始めているということ――。その『勢力』が何なのかは分からない。ただ――ユカは、このゴウが関わっているのではないかと睨んでいる。当然の帰結だろう。今、目の前に座っているこの男こそが、全てのきっかけを作った張本人なのだから。もちろん、それはユカの主観で、全てはユカを中心にして考えた結論ではあるのだけど。


「……オメェには、悪いことしたと思ってるよ」

 意外にも、殊勝な台詞を口にするゴウ。

「いや、オレらは別に、オメェを混乱させたかったじゃあねェンだよ。オレらにしても、分かンねェことばっかで……」

「自分が関わってるって、認めるのね?」

 くどいようだが、ユカは何も知らないのだ。だから、一つずつ慎重に確認していく必要がある。しかし、そんなユカの態度に、ゴウは不審を抱いたようだった。表情が訝しげなモノに変わっている。

「……オメェは、彼氏から何も聞いてねェのか?」

「イズミも十組の一員だからね。自分の一存で私に全てを話す訳にはいかないんだって――残念そうな顔で言われた」

「ふぅん……結構ガード固いのな」

「文化祭が終わったら全部話してくれるって、約束してあるけど」

「文化祭が終わったら、ね……」

 ユカの台詞がいちいち気になるらしい。随分と思わせぶりな態度をとってくれている。

「ね、だから、私は教えてほしいの。二年十組の子たちがクラスぐるみで何かやってる、ってのは分かってる。そして、それに対抗するグループが動いてるってことも――」

 ユカはそこで一旦息をつく。ここが正念場だ。

「先週、ゴウ君があんな噂話を話してたのも、私を動かすためなんだよね? 今にして思えば、ちょっとわざとらしかったもん。君は何らかの目的があって、私を操った――その目的は何? 君は、誰の指示であんなことをした訳?」

 我ながら会心の追及だと思う。問題は、ゴウがどう出るかだ。ゴウほどの男なら、いくらでも誤魔化すことはできるのだと思う。頭脳も話術も、ユカとは段違いだ。そのことは分かっている。だけど、ユカはどこまでも食い下がるつもりだった。

 ゴウの目を強く睨み付けて、ユカはその返答を待つ。

「……オメェは、『SRS』って知ってるよな?」

 頭を掻きながら、ゴウは意外な組織の名を挙げる。

「知ってるよ、もちろん。『search and rescue of students' association』の略だっけ? 校内のカリスマ集めて生徒のトラブル解決しましょう、って集団でしょ?」

「ざっくりした説明ありがとう。当然、オレやミライやジュンがその一員ってことも、知ってるンだよな?」

「うん。ゴウ君やミライ君がSRSってことは知ってたけど――あれ? ジュン君もSRSなんだっけ?」

 ジュンは委員長のミライや副委員長のゴウと同じ優等生ではあるのだが……今ひとつ、影が薄い。点数は高いのだけど、これと言った特色がある訳でもなく――強いて言えば、隣の精鋭集団、特進クラスの人達と仲が良いくらいくらいのものだろうか。

「ああ、ジュンはつい最近SRSに入ったんだよ。地味な奴だけど、優秀なのは間違いないからな」

 そう言えば――ユカは、ゆるりと思い出す。

 隣の席のケンのことだ。ケンもまた、二年十組が何か隠し事をしているのでは、と疑っていた。妹のように可愛がっているナミが何らかのトラブルに巻き込まれたではと、心配していたのだ。ケンに疑惑の種を植え付けたのは、ジュンの話す噂だった。素直なケンはジュンの言うことを真に受けて、十組の教室に行こうとしていた。

 つまり、ユカと同じである。

 ユカはゴウに、ケンはジュンに、『噂話』というツールを使って、操られていたのだ。結果、ユカだけが罠にはまり、こんなよく分からない状況に陥ってしまっている。問題は――噂話を使役したゴウとジュンが、共にSRSの一員だったということである。つまり、イズミの言うところの、『二年十組に対抗する勢力』がSRSだった、と考えていいのだろうか。

「まぁ、そう考えてもらって構わねェんじゃね?」

 ユカの問い掛けを、ゴウはいとも簡単に肯定する。

「何で!? 私もケン君も、SRSに恨みを買う覚えないんですけど」

「だから、オメェらを傷つけるためにやったんじゃねェって、始めにそう言ったじゃん。オレらは、オメェやケンを使って、十組の連中に揺さぶりをかけたかっただけだ。言葉は(わり)ィけど、二年十組の連中と仲いい人間だったら、こっちは誰でもよかったんだよ」

「……何なの? 君たちは、十組に対して何を――ってか、十組の子たちは何をやってるの? 今何が起きてるの?」

 掴みかかりそうになるのを抑え、根本的な質問を投げつける。

「――先週、SRS宛てに匿名の妙な手紙が届いたンだよ」

 眉間に皺を寄せながら、ポツリポツリと語り始める。

「匿名の手紙? それは、SRSへの依頼の手紙ってこと?」

「そう――『裏山の魔術師』のことを探ってくれって内容だ」

「うらやまの、まじゅつし……?」

 何だそれは。

 唐突に出てきた胡散臭い単語に、ユカは面喰らう。

「聞いたことねェか? 願えば何でも叶えてくれる、魔術師の噂」

「全然」

 また噂か。

「そんな都市伝説を信じるほど、子どもじゃないんですけど」

「そう思うべ? まあ、誰だってそう思うわな。だけどよ――」

 ――魔術師ってのは、本当にいるらしいんだわ。

  瞬時には、ゴウが何を言っているのか分からなかった。

 魔術師が、本当に、いる?

 何を言っているのだ、この男は。受験ノイローゼでおかしくなってしまったのだろうか。プレッシャーに押し潰されて余裕をなくすタイプにはとても見えないが……。

「あの、悪いけど、私にも分かるよう、順を追って話してくれないかな? 魔術師って何? 十組の子たちは、そんな胡散臭い噂を信じて、何か変なことに巻き込まれてるの?」

「当たらずとも遠からずってとこだなァ……」

「もったいぶらないで。私に対して申し訳思うんなら、君の知ってることを全部話して聞かせてよ」

「――フン。まぁ、そうしてやりたいのは山々なんだけどよ――残念ながら、そりゃオレの一存じゃできねェんだわ」

 そこまで言って、ゴウは顔を上げ、ユカの背後に視線を向ける。

「ウチの委員長が、うるせェもんでな」

「ゴウにしては賢明な判断だね」

 視線を追い、後ろを振り返と、そこには、三年五組の委員長・ミライが立っていた。

「『ゴウにしては』ってのは何だよ。上から言うんじゃねっての」

「俺の方が上なんだから、仕方ないだろう? 馬鹿なこと言わないでくれよ」

 憎まれ口を叩きながら前髪をかきあげるミライ。気障な所作だ。しかも、それが様になっているから腹立たしい。

 成績優秀にして眉目秀麗、気障なナルシストだが異性同性問わずに人気の高い、絶対的なカリスマ性を持つ三年五組の委員長――それがミライだった。そう言えば、席はゴウの隣だったんだっけか。

「全く、ゴウは口が軽すぎるのが玉に傷だからねえ。後ろで聞いてて、余計なことを言わないかってヒヤヒヤしたよ」

 いつの間に後ろに来たのか、ゴウとの会話に集中していたユカは全く気が付かなかったが……。

「うっせー。結果的に黙ってたンだからいいだろうが」

「それでもまあ、喋りすぎの感は否めないけどねえ」

 妙な流れだ。まさか、このまま教えないつもりなのだろうか。

「おっと、そんな顔しないでくれよ。誰も、何も話さないなんて言ってないだろう? さっき、ゴウも言ってたでしょ? 俺たちの一存じゃ決められないんだってば」

 ミライの一存では決められない……?

 どういうことだろう。さっきゴウの言葉は、てっきり、ミライの顔色を窺ってのことだと思ったのだが。

「向こうサイドとの連携もあるしね」

 ミライが付け足したその一言に、ユカはますます混乱する。

 向こうサイド――とは?

「え、だって、ミライ君たちは、SRSの人間として動いてるんでしょ? SRSの他に、何か別の新しいグループがいるってこと?」

「そうじゃないよ」

 爽やかな笑みをこぼしながら、顔の前で手を振るミライ。

「SRSは別に、三年五組だけの専売特許って訳じゃあない。余所のクラスにも――一年にも二年にも、そのメンバーはいるんだ」

 それはそうだろう。校内に程よく散らばっているからこそ、一般生徒も手軽に相談を持ちかけられるのだ。

「ま、ウチのクラスに三人ものSRSメンバーがいるってのは、ちょっとした自慢ではあるけど――」

 髪をかきあげながら、ミライはユカに視線を合わす。

「二年十組の近くには、俺と肩を並べるほどのSRSメンバーが、一人だけいる」

 ――あの()だ。

 あの娘まで、動いているのか。

「君を使ってイズミ君たちのグループに揺さぶりをかけるって作戦は、どうも空振りに終わりそうだ。しかし、だからと言って、ここで君に全てを話してしまう訳にはいかない。ここまでが、俺たちに話せるギリギリのラインなんだよ。君を通じて、こちらの動きがイズミ君たちに漏れないとも限らないからね。それで向こうサイドの邪魔になってしまっっては、こちらの面子が立たなくなる。君には悪いが、どうか後三日だけ辛抱してほしい」

 ユカの目をじっと見据えて、ミライは言葉を綴る。隣のゴウも無言で頷いている。結局、何も教えてもらえないということか。三日後は文化祭だ。全てを知るのは、それまでおあずけ、ということらしい。

「――さて、向こうサイドはうまくやっているのかな……」

 遠い目をしてミライが呟く。

 口からこぼれる白い歯が、やけに印象的だった。 


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