第三章・E
十月十六日(日)午後一時三〇分
イズミ家
「パラレルワールド?」
「そ、聞いたことある?」
湯呑みに口を付けながら、イズミがユカを見る。ユカは、ほんの少し、視線をそらす。室内犬を思わせる黒目がちの瞳。ユカは、イズミの目を見返すことができないでいる。
「聞いたことあるって言えばあるけど……よく分かンないな」
「直訳すると、並行世界だね。もう一つの現実。同じ世界、同じ舞台なんだけど、何かが少しだけ違う、もしくは、何かが大きく違う――それが、パラレルワールド。SFとかで使われることが多いかな。特にタイムトラベルもの。過去に戻って歴史を変えると、自分が今いる『現在』が変化するんじゃなくて、その過去の一点から枝分かれした別の『現在』が誕生する――みたいな、ね」
ユカの彼氏・イズミは、学力はさほどではないものの、交友関係が広いためか、妙に博識なところがある。突如とした語り出したこの話題も、きっと誰かの受け売りなのだろう。だけど、真意が分からないユカは、黙って聞いている。
「もちろん、パラレルとは言え、現実は現実だ。何かが違っていて、それが納得できないような事柄でも、現実は現実として受け止めるしかない。その世界は、そういう形にできているんだから」
ここまで聞いて、イズミが何を言おうとしているのか、ぼんやりとではあるが予測できてきた。
「ユカちゃんはさ――その、パラレルワールドに迷い込んじゃった、ってことじゃないのかな」
「私が?」
「そう、ユカちゃんが」
イズミはユカから視線を外さない。
ユカは、どうしてもイズミと視線を合わすことができない。
「そう考えれば、取り敢えず辻褄は合うんじゃない?」
「そっか……私は、パラレルワールドに迷い込んじゃったのかぁ……はは」
イズミが煎れてくれた緑茶を一口飲んで、ユカは表情を弛緩させる。軽く上を向いて、乾いた笑いを漏らす。
……だけど、それまでだった。
「そんな訳――ないじゃない」
表情を強張らせ、呻くように声を絞り出すのが、やっとだった。
イズミの家は、旅館を経営している。
それも、大正の頃から続いている老舗温泉旅館だ。少し古臭い感は否めないが、それでも、地元では知らない人がいない程の人気と知名度を誇っている。当然、ユカも遊びにきたことがある。彼のクラスメイトも、ちょくちょく遊びに来ているようだ。いや、むしろ、彼らのグループの溜まり場になっている、と言った方が正確かもしれない。今日は今日で、イズミたちのグループが全員揃って、文化祭に出す商品の検討会を行っているらしい。
バスを乗り継いで、ユカはイズミの家に向かった。
出し物の提案者はマサヤスなのだから、彼の家でやればいいのに――そう思ったのだけど、どうやら、彼の実家は今、何やらゴタゴタしているらしい。家族間の揉め事かと思いきや、そうではなく――野生動物を保護して、混乱しているのだと言う。全く状況が見えないのだけど……とにかく、大変らしい。大変なら仕方がない。
イズミの実家は山の中にあって、途中、いくつもの峠を通り過ぎなければいけない。そのうちの一つ、特にカーブが急な箇所に、花束が置かれていた。……何だか、ひどく不安定な気持ちになったのを覚えている。
イズミの家には、すでにグループ全員が集まっているようだった。表の駐車場にたくさんの自転車が駐輪されている。この山道を、自転車に乗ってやって来たのだろうか。そう言えば、一ヶ月程前から、グループ全員、それまでのバス通学から自転車通学へと切り替えたらしいが――休日くらい、バスを利用すればいいのに、と思う。別に、バスに乗られない訳ではないのだから。
まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど。
温泉旅館は、建物こそ古かったが、広々としていて部屋数も多い。とは言え、もちろん、客間や厨房などは使えないので、一同は家族が居住空間として使っている離れ――見た目は普通の民家と変わらない――に集合しているらしい。ユカは女将さんらしき女性に案内されながら、その離れへと向かった。マサヤスやナミ、ピィ、ミナトなどがダイニングキッチンでわいわいやってるのを尻目に、ユカはイズミの部屋へと通される。
ユカが今日来たのは、彼らとは全く別の目的からである。
一昨日の放課後。
ユカは、十組の外で一人の少女と出逢った。
名前を、ヨウコという。
三つ編みにした髪と、切れ長の目と高く通った鼻梁が印象的な、かなり顔立ちの整った少女で――どうやら、ケンと顔見知りであるらしかった。それだけではない。イズミを含めるグループ全員とも面識があるらしく――否、面識がある、などというレベルではなく、かなり前から相当親しくしていたらしい。のみならず、彼女はアオイやハルカ、イズミやマサヤス、オミナリ、セイシ、レイ、マコイと並ぶ、十組の有力者でもあるらしい。当然のことながら、十組外での認知度も高い。一部では彼女のファンクラブまで作られているのだとか。
全て――ユカの知らない話である。
一昨日まで、ユカは十組にヨウコなどという人間がいることすら知らなかった。顔を見るのも、声を聞くのも、あの時が初めてだった筈だ。それなのに、ケンもイズミもマサヤスもナミも、他の面々も、ヨウコを以前からいたものとして扱っている。十組内だけなら、何らかの目的で口裏を合わせた、ということも考えられる。しかし、ユカと同じクラスのケンまで同じことを言うのだ。ケンだけではない。三年五組の人間は、皆ヨウコのことを知っていた。
自分だけが、知らないのだ。
ユカは激しく混乱した。
まるで、知らぬ間に世界が様変わりしてしまったかのようだ。ユカは恐ろしくなった。恐ろしくなって家に籠もった。家族にも、誰にも会いたくなかった。幸か不幸か、その日は金曜日。土日は学校が休みだ。週明けのことは後で考えるとして、取り敢えずユカは、家から一歩も出ないことを決意したのだった。
しかし、ユカの決意は簡単に崩れる。俄の引きこもり生活は、一日と保たなかった。
イズミから電話が掛かってきたからだ。
彼はユカのことを心配していた。「大丈夫?」と言うイズミの声を聞いて――ユカは、安堵した。イズミを疑い、十組を疑い、ユカの心は疲弊していた。それに加え、ヨウコの登場で最大限に混乱していた。世界に見放されたような気分になった。だけど、イズミの声を聞いたことで、張りつめていたものが、一気に弛緩した。緊張の糸が切れたのである。
ユカは全てを話した。
イズミの浮気を疑っていたこと。
二年十組に違和感を覚えたこと。
ケンも、十組を疑っていること。
そして――ヨウコのことも。
イズミは困惑していた。当たり前である。付き合っている彼女に覚えのない疑いをかけられ、クラスを巻き込んで痛くない腹を探られ、挙げ句の果てに、皆が知っているクラスメイトを知らないと言われて――困惑しない方がどうかしている。
だけど、イズミは優しかった。一度会って、ちゃんと話そう。その上でどうするか決めよう――そう言ってくれた。ユカは、年下の彼氏に甘えることにしたのだった。
そして、今。
「……考えてみれば、会って話して、それでどうにかなる問題でもなかったんだよね……」
ユカの気持ちは、最大限に沈んでいた。
ベッド脇に置かれたテーブルに突っ伏するようにして上半身を預け、溜息を吐くユカ。その正面では、イズミが困った顔をしている。
「私……やっぱり、頭おかしくなっちゃったんだよ……。そう考えるのが、一番しっくりくる……」
「そんなことないって。ユカちゃんはまともじゃんか」
「まともだったら、こんな風になってないってば。ヨウコちゃんのこと知らないの、私だけなんだよ? どう考えたって、おかしいじゃん……」
「いや、だからさ……」
「何よ。私はパラレルワールドに迷いこんだだけって、まだそう言う訳? それなら、どれだけよかったかって思うよ。取り敢えず辻褄は合うって――そりゃそうでしょうよ。異次元とか宇宙人とか超能力とかタイムトラベルとか、そういうののせいにすれば、大概の辻褄は合うもんね……」
こんなことが言いたい訳じゃないのに。
イズミを、攻撃したい訳じゃないのに。
分かってるのに、言葉は徒に棘を持つ。
思ってたより――ずっと、疲れている。
「でも、そうじゃない。私は、狂ってる。おかしくなったのは、世界じゃなくて、私の頭。……多分、罰が当たったんだと思う。変な噂を馬鹿みたいに信じて、イズミくんを疑って――その、罰だよ」
「だから違うってば」
再び溜息を吐こうとしたユカを、イズミが止める。少しだけ語調が強い。
「でも――」
「いいから聞いて。あのね、ユカちゃんは何もおかしくない。狂ってなんかいない。それはおれが保証する。ユカちゃんは、まともだ」
身を乗り出しながらそう語るイズミ。言葉が、徐々に熱を帯び始めている。
「……その根拠は?」
「今は、言えない。と言うか、言っても信じてもらえない」
「どういうこと?」
その質問には答えず、イズミは無言でルーズリーフとシャープペンシルを取り出す。
「……何?」
「一つ、確認したいことがある。ユカちゃん、何も聞かないで、ここに二年十組全員の人間の名前、書いていってもらえる? 分かる限りでいいからさ」
本当に何なのだろう。
しかし、イズミの目は真剣だ。本気でユカのことを案じてくれているのだろう。その気持ちが分かったから、イズミの言う通り、何も聞かずにシャーペンを手に取る。
しかし……二年十組か。
アオイ ハルカ イズミ ナミ マサヤス サハリ オミナリ
ノブヨシ エツ レント チュウ ナギ アヤメ ヒトシ
ピィ サクラ アキラ オウヨウ アカリ ミナト
取り敢えず、クラスの代表者二人と、イズミが普段よく一緒にいるグループはすらすらと出てくる。もちろん何人か取りこぼしはいるが、概ねこんな感じだろう。
後は――
セイシ レイ タカシ ミホ
コウ タイシ マコイ トシヒロ
――このくらいだろうか。
他にも大勢いるのだろうけど、今ユカに思いつくのはこのくらいだ。イズミの周辺にいる子たち以外は、結局十組の有力者を書き連ねただけになってしまったし、その面子にしても、一言も口など利いたことない子たちばかりなのだけれど。
ユカに差し出された紙を見たイズミは、その黒目がちの瞳をキョトキョトと動かし――列挙された名前を何度も見返した後で、深く、長い溜息を吐く。
「やっぱり――思った通りか……」
「思った通りって?」
イズミは何かを察したらしい。だけど、その『何か』がさっぱり分からない。ユカは彼氏の考えることが全く分からなくなっている。
「やっぱり、ユカちゃんはまともだよ。頭も心も、至って正常。ただ――ちょっと、運が悪かっただけだ」
「どういうこと?」
「それは……だから、今はまだ言えない。これはウチのクラス全体の話で――ユカちゃんには、本来関係のない話なんだ」
「関係ない?」
突き放された気がした。傷ついた気もするけれど、ユカはそんな自分さえ直視できなくなっている。見なかったふりをして、なかったことにして、それでようやく安寧を保っている。ここ最近は、様々なモノから目を逸らしてばかりだ。
「ユカちゃんは、ただ巻き込まれただけ」
「イズミくんは、関係あるのね?」
「……十組の人間だからね」
つまり、物事の主体は十組というクラスそのものにあるということになる。十組に所属する人間は、イコール関係者なのだ。
「ってことは……あの、ヨウコちゃんって娘も?」
「――関係者、って言っちゃうと、語弊があるかな……。彼女は――そう、結果の一つなんだ」
何だか難儀なことを言い始めた。解説なしでは、とても理解できない。だけど。
「その意味は――教えて、もらえないんだよね」
「今は、まだ」
普段の、のほほんとした雰囲気からは想像できない程の固い口調で、イズミはその言葉を繰り返す。
「取り敢えず、文化祭が終わるまでは待ってほしい。その頃には、全てが片付く筈だから」
全部が終わったら、必ず話すから――年下の彼氏は、尚も言葉を紡ぎ続ける。
「正直言うと、おれも分からないことだらけなんだ。最近、何だか騒がしいのは文化祭前だからだと思ってたけど――どうやら違うらしい。何かが、動こうとしている。十組を軸にして、確実に何かが動き始めてる。……その中には、ユカちゃんのいる三年五組も、含まれている気がする」
「え。だって……」
ユカは、無関係ではなかったのか。
「だから、本来無関係である筈のユカちゃんが、現実にこうして巻き込まれている、そのこと自体が問題なんだって」
イズミの話は抽象的でどこまでも理解しづらい。ユカの察しが悪いのだろうか。
「ユカちゃんもケン先輩も、クラスの人が話す噂話を信じて、俺たちに疑いの目を向け始めた、って言ってたよね……取っ掛かりがあるとすれば、そこだ。噂の発信源を突き止めれば、何か分かるかもしれない……」
噂の発信源――。
ケンはナミのことを心配していたが、それは、クラスメイトのジュンが話す噂を真に受けたからだった。
そして、ユカがイズミを疑うきっかけになったのは――
――オメェの彼氏、何か怪しくね?
ある男の顔を思い出し、ユカは何だか、無性に不安になった。
「……私、大丈夫かな……」
寒気がした。今、自分はきっと怯えている。対象が全く見えてこないのが、逆に恐ろしい。
少し前までは、世界で自分一人が孤立してしまったかのような錯覚に陥っていた。今は違う。世界が、主体を持たない曖昧な何かが、自分一人に牙を剥いている――そんな妄想に囚われかけている。
怖い。
怖くて、躰が震えた。
そんなユカに、イズミは一転して柔らかい言葉をかける。
「大丈夫――」
――おれが、守るから。
数瞬の間があって。
ユカは、座ったままの姿勢で、後ろから強く抱きすくめられる。
いつの間にか、席を移動したらしい。一瞬だけ驚いたが――ユカはすぐに、イズミの腕に身を委ねた。
イズミは、温かい。
こうしているだけで、妙に安心する。
何も分かってないのに。
何も解決していないのに。
肌を密着させるだけで、自分はこんなにも安心できる。
きっと、全ては単純なことなのだ。複雑に捉えるから、気を病むのだ。複雑怪奇なあれこれは思考の外に追い遣って、ユカはしばし、幸福感に微睡む。
「頼りない彼氏で、ごめんね」
耳元で、イズミが囁く。
「全然そんなことないよ」
イズミの腕に顔を埋めながらユカは答える。
「こっちこそ、年上だからしっかりしなきゃいけないのに……いっつも、甘えてばかりで……」
語尾が曖昧になる。言葉なんて、いらない。二人は、共にある。ユカの中と外とを分ける、イズミの中と外を分かる――薄い皮膚。こんな薄い膜二枚で、二人は隔てられている。こんなモノさえなければ、二人は、瞬く間に溶けあえるのに。
顔を上げ、首をひねると、イズミと目が合った。
顔を、近づける。
二人の唇が接近しそうになった――まさにその時。
「ちょっと待って」
イズミは唐突に立ち上がる。
バランスを崩したユカは、思わず床に手をついてしまう。
「何を……っ!」
口に人差し指を当て、イズミはユカの抗議を制する。何だと言うのだろう。イズミは音もなく部屋のドアへと近付き。そのままの勢いでドアを内側に開く。
「うわぁっ!」
どど、と人垣が崩れる。
何事かと腰を浮かせるユカ。
改めて見てみれば、ナミを先頭に、ピィ、アズマ、サクラ、ミナトが部屋の入り口で倒れていて、その塊の後ろには、アキラ、オウヨウ、アカリが立っている。
「……こんな大人数で、何やってるの?」
八人のクラスメイトの前で仁王立ちになっているイズミ。顔は笑っているが、その笑顔が逆に怖い。
どうやら、この人数でドアにくっついて、イズミとユカの会話を盗み聞きしていたらしい。何て古典的な。
「え、えっと、トイレどこかなー、と思って」
一番最初に立ち上がったミナトが、困惑した表情で答える。アズマとサクラは未だ立ち上がることができず、その二人の下敷きになったナミは一言も発せずに藻掻いている。
「へぇ、何度もおれンち来てるから、トイレの場所くらい知ってるかと思ってたけど。ってか、男女混合で連れションに行くんだ? それも、こんな大勢で」
「えっと、だもんで――」
ミナトは、助けを求めるように、後ろに立つアキラを見る、アキラはオウヨウを、オウヨウはアカリを見て、アカリは壁を見た。
「あ、えっと……いい壁紙使ってるねー」
間抜けなコメントをするアカリ。言い訳にすらなってない。
「――ごめんなさいは?」
笑顔のまま放たれる平坦な声に、その場にいる一同は青ざめる。
「いや、違うんだって!」
ようやく立ち上がったサクラが、皆を代表するようにして前に出る。サクラは天然パーマの、地味目の女子だ。よくピィやアズマたちとつるんでいるのを見かける。
「マサヤスたちと作ってた試作コロッケが出来上がったから、ユカちゃん先輩にも試食してもらおうと思って、ピィに持たせたのね? そしたら、二人が何かいい雰囲気だって言って戻ってくるもんだから――」
「人のせいにすんなや。お前もノリノリだったじゃんか!」
反論するピィ。ユカは、この男子の本名を未だに知らない。
「あと、それじゃあ見に行こうよって最初に言い出したのはナミだからな!」
「そこで私!? 責任転嫁せんでよっ! 私はただ――」
「ねえ、ごめんなさいは?」
友人同士の醜い争いを、イズミの言葉がぶった切る。
「――ごめんなさい」
そして、それに従う一同。イズミは怒ると怖いらしい。
一同が謝罪したことで気が済んだのか――表情はさして変わらないのだけど――イズミの纏っていた空気が緊張から弛緩へとシフトチェンジする。と同時に、一同の雰囲気も柔らかくなる。
「……コロッケ、出来たって言ったっけ? じゃあ、みんなで試食会開こっか」
切り替えが早い。
「ユカちゃんも、食べるよね?」
断る理由がなかった。
「うし、『いざ進めやキッチン』だ」
恐ろしく古い歌を引用しながら、イズミは一同を一階の台所へと向かわせる。ぞろぞろと廊下を進む一同。イズミの部屋は二階の突き当たりにあって、コロッケの試作を行っているダイニングキッチンがあるのは階段を降りてすぐの所だ。
ユカは、ぼんやりと後輩達の後ろ姿を眺めている。
皆一様にラフな格好をしていて、別段特筆すべき点はない。強いて言えば――居並ぶメンバーの中で、アキラだけが左腕に腕章をしているのだけが、少し気に掛かった。
そう言えば。
「ねえ――イズミくんのグループって、これで全員だっけ?」
「うん?」
メンバーの最後列を歩くイズミが、顔半分だけをこちらに向ける。そのフラットな表情からは、如何なる感情も読み取れない。
「いや……三人いないね。多分、下の台所にいるんじゃないかな」
「それは、誰?」
今からその場所に行くのだから、聞かなくてもよさそうなモノだけれど――どうしても、今聞いておかないといけない気がした。
「マサヤスと、ヨウコと――あと、ナギだね」
自分で自分の躰が緊張するのが分かった。
ヨウコのことは、まあいい。彼女の問題に関してはさっきイズミの部屋で話したばかりだ。ユカが知らないだけで、ここにいる面子とも懇意にしているようだし、この場に彼女が来ているからと言って、今さら驚くに値しない。
だけれど。
イズミ。
マサヤス。
ヨウコとナギ。
それに、さっき盗み聞きをしていた面々――ナミ、ピィ、サクラ、アズマ、アキラ、オウヨウ、アカリ、ミナト。
それで、全員。
緊張と緩和を繰り返し、緩慢な動きしかしてくれない脳味噌が、坂を転がる石ころのように、加速度を増して回転していく。
「全部で、十二人……?」
「そうだね。おれを入れて、十二人だ」
「サハリちゃんとオミナリくんは?」
「ん? ああ、あいつらはおれのグループじゃないよ。セイシとかレイとかのグループ。あいつらは焼きそばを出すって言ってたかな」
そうだったのか。この前、サハリがこちらの会話に参加したのは、あくまで女神像の話題に反応してのこと、だったらしい。元々別のグループならば、この場にいないのも頷ける。
……いや、いないのは、その二人だけではない。
「ノブヨシくんとか、エッちゃんとかは? さっきの紙にも書いたけど、まだ沢山いたよね? 今日はいないの?」
ノブヨシ、エツ、チュウ、レント。
アヤメ、ヒトシ。
ユカの知っている六人の人間が、ここにはいない。単純に、今日の集まりを欠席しているだけならば、それはそれでいいのだけれど。
「…………」
イズミは、何も喋らない。先を行く八人はすでに到着したらしく、奥の方からワイワイとした声が聞こえてくる。だけど、イズミとユカを囲む半径二メートルだけが、シンと静まりかえっている。
まるで、ここだけが世界から孤立してしまったかのようだ。
「――なんで、何も言わないの?」
「全部……全部終わったら、必ず説明するから……」
「それはさっきも聞いた。それに、答えになってないよ。ノブヨシくんたちは、今日来てないの」
スッと、イズミが目を逸らす。
それだけでユカの内部を蝕む不安は、極限まで広がっていく。
「ねえ」
重ねて問い掛ける。詰問するように――縋るように。
「ユカちゃん――」
――その六人は、もういないんだ。
ようやく吐き出されたイズミの台詞は、理解不能なモノだった。
言葉は意識されず、ユカの頭上を上滑りして徒に思考を掻き乱す。もう、限界だった。ユカのキャパシティを軽く越えている。言葉の意味を考える余裕などどこにもなく、ユカの意識は、ゆっくりと遠のいていく。ガタガタと震える足で、ユカは階段を降り、もつれるようにして台所の前に到達する。
と――目の前に、三つ編みの美少女が立っている。
ヨウコだ。
その隣に、おかっぱ頭の少女が並んで立っている。
その姿を見て、ユカは戦慄した。
見たこともない、少女だったからだ。
「ユカちゃん先輩、大丈夫ですか?」
整った眉を曲げながら、ヨウコが心配そうに覗き込んでくる。
「だ、だれ……」
口の中がカラカラで、うまく言葉が出てこない。
「だから、ヨウコだってば。さっき散々話したじゃんか」
イズミの声が遠くから聞こえる。
「ちがう、こっちの娘……」
震える手で、ユカはヨウコの隣に立つおかっぱの少女を指差す。
「コイツは、ナギだよ」
ナギ!?
違う。ユカの知ってるナギと違う。ナギは、もっと小柄で、髪も長くて、笑った時のえくぼが印象的で――とにかく、今目の前に立つ少女とは、全くの別人だ。これは、ナギではない。
「そっか……ナギも、分からないんだ……」
イズミが小さく呟く。 奈落の底へ落ちていくような感覚に陥る。駄目だ。この世界は、完璧に壊れてしまった。――いや。壊れてしまったのは、自分の方か。
「あの、とにかく、少し休んだ方が……」
ふらつくユカに、ヨウコという名の知らない少女が手を伸ばす。隣で、ナギの名を騙る知らない少女が、心配そうに見ている。
瞬間、カッと頭に血が上った。
意識せずに、ヨウコの手を払いのけていた。
「さわらないでッ!」
「ユカちゃん先輩……」
「馴れ馴れしく呼ばないでッ! 誰なのよ、何なのよアンタはッ! 勝手に、私の世界に入り込んで――アンタもそうよッ! ナギっって何よ。アンタはナギとは別人じゃないッ! ナギをどこにやったのよッ! ノブヨシくんたちはどこに行ったのよッ! 返してよッ! みんな返してよッ! 私の、私の知ってるみんなを――」
喉が掠れる。
涙がこぼれる。
もう、何も見えない。
何も聞こえない。
溜め込んでいたものを全て吐き出す、その途中で――
世界が、ホワイトアウトしていく。
ユカは、そのまま気を失った。




