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第三章・N

十月十六日(日)午後〇時一〇分

公園


 空が、高い。

 もう秋なんだろう。

 公園のベンチに腰掛け、高く突き抜けた空を見上げながら、ヒトナリはぼんやりと思う。奥の広場では小学生らしき集団がサッカーの試合をしている。大した興味もないヒトナリは、視線を公園の出入り口側に向ける。

 通りの向こうを歩く二つの影。

 その顔に見覚えがあることに気が付き、ぼんやりとした焦点が、矢庭に輪郭を明確にしていく。

 先を歩くのは長身長髪の、大きな瞳が印象的な少女――十組副委員長のハルカである。その後ろを追従するように歩くのは、彫りの深いラテン系な顔立ちが印象的な、小柄な少女。こちらも見覚えはあるのだけど、ちょっと名前が思い出せない。ハルカと一緒に歩いているのだから、きっと十組の生徒なのだろうが――こんなところで何をしているのだろう。

 そして――その何メートルか後ろを歩く人物に、ヒトナリの注意は引き寄せられる。

 細長い、影に見えた。

 全身を漆黒の衣服に包み、ストールだかマフラーだかで顔の下半分を覆っているため、人相が全く分からない。ただ、目付きだけは異様に鋭く――その視線の先には、先述の二人が何の警戒もなく歩いている。影のようなその人物は、物陰に隠れながら、つかず離れずにいる。尾行、なのだろうか? 正確な年齢は分からないが、きっと高校生なのだろう。刑事でも探偵でもない。そんな人間が、これまた普通の高校生である筈のハルカ達を尾行している――これは、どういうことなのだろう。状況がまるで推測できない。

 まあ、ヒトナリには関係のない話なのだが。

 奇妙でおかしな三人が視界から消えると同時に、ヒトナリは興味をなくしてしまう。

 風が吹く。

 再び空を見上げる。

 冗談みたいな晴天だ。雲一つない。こんな風に屋外でぼんやりするなんて、いつ以来だろう。ヒトナリは基本インドアな人間で、休日も自室に籠もりっきりでいることの方が多い。たまに外出しても、行き先は書店か図書館に限られている。土曜日で休日だった昨日も、書店にしか出掛けていない。そんな自分が、何故日曜の昼に学校近くの公園でぼんやりしているかと言うと――

「マイホーム、マイホーム、マイ、ホーム~」

 妙な鼻歌を歌いながら登場した、この男のせいである。

「あ、ヒトナリもう来てたんだ。早いじゃん」

 長身糸目、のんびりマイペースな十組委員長――アオイ。

 くたびれたトレーナーに履き崩したジーンズという、あまりにもラフな格好である。だが、そのラフさがアオイには合っている。

 ただ、左腕に付けられた腕章だけが、異彩を放っている。

 こいつは私服でもこの腕章を付け続けるつもりらしい。じろじろと見るのも不躾な気がして、ヒトナリは思わず視線を伏せてしまう。

「ヒトナリは相変わらず時間にシビアだねー」

 こちらの気持ちも知らずに、この男はいつもと変わらず呑気な声を出している。

「俺は普通だ。お前がルーズなだけだろう」

「だって、昼飯買うためにテンジンヤ寄っとっただもん。遅れたのはそのせいだって」

 そう言いながら、アオイはビニール袋に入ったおむすびを掲げる。何が『だって』なのか分からないし、『テンジンヤ』がどういう店なのかもヒトナリは知らない。だが、深く追及するのはやめておく。追及したところで何も出てこないことは分かっている。

「昼飯を調達するならするで、少し早めに家を出れば済む話だろう。そんなのは遅刻した言い訳にならないぞ」

「やっぱり、お弁当って言ったら、お茶におむすびだよねー」

「聞け」

 小言を言ったところで、スルーされるのは学習済みだ。なのに、言わずにはいられない。そして案の定スルーされてしまう。もう諦めているが。

「ヒトナリは、もう何か喰ったのけ?」

「来る前にマクドナルドで済ませたよ」

「へえ……お前みたいな奴でもファーストフードとか入るんだ」

「『お前みたいな奴』とは何だ」

 どうせ、議論好きで理屈っぽい堅物だとでも思っているのだろう。ヒトナリとて、年がら年中、蕎麦や林檎ばかり食べている訳ではない。と言うか、本来ヒトナリは食に大して淡泊な方で、あまり執着を見せない。ある程度の味と栄養価が保証されていれば、別段こだわりはない。だが、アオイの言い方が癪に障ったので、一応反論しておく。

「短時間、低価格である程度の食事を提供してくれるファーストフードは高校生の味方だろうが。と言うか、高校生が外食するとしたら、ファーストフードくらいしか選択肢はないだろう。ハンバーガーだって牛丼だって、俺は食べる。何も問題はない」

「いや、それは分かるけど……何かミスマッチだな、と思っただけだってば」

「お前は、俺が普段何を食べて生活してると思ってるんだ」


「――虫とか?」


 微かに、風が吹いた。

「……そんなの、何年かに一度くらいだ」

「食べるのかよ!? 俺、冗談で言っただけど」

 糸目を精一杯丸くして、アオイが驚いている。そんな反応されても、事実だから仕方がない。

「まあ、虫と言ってもイナゴやハチノコくらいだけどな」

「虫じゃん! え、お前、マジでそんなの食べるのけ!?」 

「さすがに、ザザ虫は躊躇するがな。あれはハードルが高い」

『ザザ虫』とは、カワゲラやトビケラといった水生昆虫の幼虫の総称である。なかなかにグロテスクな見た目で、イナゴやハチノコは平気なヒトナリでも、箸を伸ばす気にならない。

「いやいやいや、同じじゃん! 同じ虫じゃん! えー……。虫を食べるとか……ひくわ……」

 引かれてしまった。だけど、こちらも退く訳にはいかない。

「貴重なタンパク源なんだよ。俺らは、お前らみたいにマグロだカツオだと、豊富な魚介類を食せる程に恵まれてはいないんだ。何でも自分基準で物を考えるな」


「私らも似たようなモンだけど、虫は喰わんよ?」


 唐突に背後から声をかけられる。

 振り向くと、茶髪のはねっ毛、勝ち気で負けず嫌いな七組委員長――ジュリが立っていた。

「ま、『自分基準で物を考えるな』って意見は私も賛成だけど? どっかの委員長が自分勝手に話進めたおかげで、私らは女神像出店を諦めなきゃならんかった訳だし?」

 来た早々に、この台詞である。

 言われた本人はどんな顔しているだろうか、とアオイの反応を窺おうと首を曲げたところで――ぐい、と腕を強く引かれる。

「な、何でジュリがここにおるだ!?」

 ヒトナリをベンチから引きはがし、ジュリからは死角となる木の影に引き込んで、アオイが抗議する。押し殺してはいるけれど、必死さが伝わる声音である。

「聞いとらんに!?」

「言ってないからな」

「言おうよ! そういう大事なことは!」

「この場にジュリを連れてくることが、そんなに一大事か?」

「一大事だよ! 気まずいじゃんか!」

「何故」

「知ってるら!? 俺らの間に何があったか! お前、あの時あの場所に居たじゃん! 見てたじゃん!」

 もちろん分かっている。全て、分かった上で言っている。普段、アオイのマイペースさに振り回されている分の溜飲を下げたかっただけだ。我ながら底意地の悪い行為だとは思うが。

「……俺がツッコミに回るなんて、相当レアなんだからな……」

 ぶつぶつと呟いているが、そんな希少価値はヒトナリの知ったことではない。

「もう示談は成立したんだろう? なら別に緊張することはないじゃないか。確かにジュリは気性の荒い女だが、取って喰われる訳でもないだろう」

「それはそうだけど――と言うか、本当に、何でジュリがここにいるのか、そろそろ説明して――」

「何を男同士でコソコソしとるよ?」

 ニュッと、ジュリが木の影から顔を出す。途端にアオイは奇声を上げ、その場で腰を抜かしそうになる。こんなに肝の小さい男だっただろうか? それとも、それほどまでにジュリが苦手なのか。

「呼ばれたから来てやったのに、来た早々こんな扱い? 私もそんなに暇じゃないんだけど?」

「悪い。ベンチに戻ってから、一旦整理しよう」

 ヒトナリを挟むようにして、右にアオイ、左にジュリが腰を下ろす。アオイはできるだけヒトナリの影に隠れようと努力しているようだが、大柄な躰が隠せる訳もなく、その様を見たジュリに冷ややかな視線を送られている。

 二人に挟まれたヒトナリは――一度わざとらしく咳払いをして、自分の考えを整理する意味も込めて、今までの経緯をまとめる。

 元はと言えば、これはアオイが持ち込んできた話題だったのだ。最初は下らない都市伝説と馬鹿にしていたヒトナリも、脳内に閃く何か――記憶、だろうか――に想起され、今ひとつやる気のないずくなしアオイをパートナーに、魔術師追究することを決意――。

「うん、そこまでは俺も知ってるだよ」

 おむすびにかぶりつきながら、アオイが相槌を打つ。どうやら、ようやく落ち着きを取り戻したらしい。

「自分のことだからな。ここまでは、俺とアオイの物語だ。問題は次だ。究明二日目にして、ほとんど何もしていない状態で、事態は急展開を迎える。一昨日の話だ。偶然にも、俺は学食でジュリと一緒になったんだが――」

「結局、私の友達が魔術師に会ってたんだよね」

 人が説明している途中で、ジュリがそれをぶった切る。しかも、いきなり結論からだ。

「おい――」

「ヒトナリ、話が長い」

「どこが長いんだ」

 せっかちなのは知っていたが、それにも程がある。こういった分かりにくい事象の説明は、段取りが肝要だと言うのに。

「俺は今までの経緯(いきさつ)を、順を追って――」

「だっちもねーこん言っちょし。それが回りくどいって言ってンの。ここには、アンタとアオイと私しかいないじゃんけ。当事者しかおらんのだから、知っとる情報は割愛しなさいよ。今の話も、私はアンタからすでに聞いとるし。いい? こういうのは、まず最初に結論を提示するものなの。だらだら説明したって、誰も聞いてくれないでしょ。コイツは特に集中力ないんだからさ」

 アオイを顎でしゃくりながら捲し立てるジュリ。悔しいが、確かにその通りだ。

「ちょっと待って。ジュリの友達――つまり七組の子が魔術師に会ってたって、どういうこと?」

 ワンテンポ遅れて、アオイが反応する。

「だから、そのままだってば。相談されたの。変な人に変な所で会ったんだけど、私どうすればいいかなって――何日か前にね」

 ここまでは、ヒトナリも聞いていた。


 一昨日の食堂――去り際の一言、である。

『あんなの、ペテン師じゃんけ』

 その言葉に反応したヒトナリはすぐさまジュリに追いすがり、発言の真相を質した。結果、彼女の級友が魔術師らしき男と接触していたと知り――今に至る。

 本当なら昨日のうちにでも場を設けたかったのだが、共に委員長である二人はさすがに多忙だった。スケジュールが合うのが日曜の昼しかなかったのである。

 ちなみに、場所を指定したのはアオイだ。ファミレスとか喫茶店とか、他に候補はいくらでもあった筈だが、その全てをアオイは却下した。そういう場所では他の生徒がいるかもしれない、と言うのだ。それも一理あるかと、ヒトナリは青空会議を了承した。

 ジュリが来ることはアオイには黙っていた。天敵が来ると知っては、きっとこのずくなし委員長はドタキャンするだろう――そう踏んだからだ。案の定、アオイは想像以上に周章狼狽した訳だが――特にヒトナリは悪いと思っていない。真相を究明するためには、必要な犠牲だ。


「その友達――マスホちゃんって言うんだけど――その怪しげなヤツに話しかけられたってのよ。魔術師だか何だか知らないけどサ」

「何を言われた?」

「それが笑っちゃうだって」

 何も可笑しくなさそうな顔で、ジュリが続ける。

 ――望みごとを何でも叶えてやる――

  (くだん)の級友は、そう告げられたらしい。

「望みごと?」

「そ、望みごと。馬鹿みたいじゃんけ。ランプの精か、ドラゴンボールかって話よ。そりゃマスホちゃんは決して点数のいい方ではないけどサ、それでも、もう高校生なんだよ? 七組馬鹿にすンなっての。第一、そんな話信じる方がどうかしてるでしょ?」

 鼻息荒く、ジュリは言う。確かに、すぐには信用しないだろう。と言うか、物凄く胡散臭い。正直、自分ならば絶対に信用しない。

「で、その子は委員長のジュリに相談した、と」

「私は、そんなのペテン師だから相手にするな、って言っておいたけどね」

 なるほど。これでようやく話が繋がった。ジュリは『裏山の魔術師』を、噂でも都市伝説でもなく、現実に存在する人間として捉えていたのだ。それも、胡散臭いペテン師として。

「どういうカラクリかは知らんけど、あんなヤツに関わっても損するだけだって。時間の浪費。もっと有意義なことに時間を費やせし」

 相変わらずの断定口調である。

「だけどさ――」

 今まで黙って聞いていたアオイが口を挟む。

「もしそいつがペテン師じゃなかったら、どうする?」

 言うに事欠いて、何てことを言い出すのだろう。案の定、ジュリは「はぁ?」といった感じで顔を歪ませ、その顔のままで、アオイをまじまじと見つめる。

「――アンタ、本気で言ってンの?」

「そもそも、『ペテン師』ってのはジュリの勝手な判断でしょ。なら、まだ分からんじゃんか。そいつは本当に願いを叶えてくれる存在なのかもしれない。少なくとも、そう考えるのは、決して無駄じゃないと思うに?」

「……私、なんだかんだいってアンタのこと、少しは買ってたんだけどな……。最近忙しすぎて、脳味噌疲れちゃった?」

「で、さ。もしそれが本当なら――例えばうちの学校のみんなは、どんな願い事を口にするんだろうね」

 ジュリを無視して、アオイはヒトナリにそう尋ねる。

「…………」

 ジュリが恐ろしい形相でアオイの背中を睨み付けているが、ヒトナリはそれを見なかったことにする。

 とりあえず、今はアオイの質問に集中する。

 ……とは言え、高校生の願い事など、高が知れている。

 成績。

 恋愛。

 容姿。

 お金。

 勝利。

 人間関係。

 強くなりたい。

 賢くなりたい。

 美しくなりたい。

 豊かになりたい。

 幸せになりたい。

 社会的成功。

 肉体的向上。

 精神的満足。

 経済的獲得。

 ――そんなところではないだろうか。

 思うまま、つらつらと挙げていくヒトナリにアオイは相槌を打つ。

「そんなとこだろうね。で、その魔術師さんはそれを叶えてくれるって、そう言った訳だ」

「そんなの無理に決まっとるじゃんけ。『学年トップになりたい』『好きな人と付き合いたい』『カワイくなりたい』『お金持ちになりたい』――その全部を叶えられる存在って、何者よ? 校長でも大富豪でも総理大臣でも、無理だと思うんですけど」

 ジュリの言うことはもっともだ。と言うか、そもそもが現実離れした話なのである。しかし、アオイはその現実離れした前提を現実のモノとして話を進めようとしている。

「そうだね。だけど、その人は『何でも叶えてやる』って言っただら? ってことは、それだけの自信と根拠があるってことだよ。それに――今ヒトナリが挙げた例くらいならいいじゃんか。志望校に合格したいとか好きな娘と結ばれたいとか、カワイイもんだ。だけど――場合によっては、もっと深刻な望みを口にする人間がいるかもしれない」

「深刻な望み?」

「深刻な悩み、って言った方が、言葉としては正しいのかな?」

 何を言わんとしているのか、ヒトナリにはさっぱり分からない。

「だからさ、単純な夢や願望、欲望、欲求とかじゃなくて――もっと、こう、何て言うか……人間、生きてりゃ色々ある訳じゃんね?」

「結論から言え、って言った筈だけど?」

 斜め後ろから、ジュリのイライラした声が飛んでくる。

「親が離婚した、父親が失業した、いじめに遭ってる、犯罪に巻き込まれた、重い病気にかかった――要するに、そういうヘビーな悩みだよ。何でも叶えてやると言った訳だら? なら、そういう願いも聞いてくれる筈じゃんね」

 一拍置いて、中空に視線を漂わすアオイ。

「本当に、どんな願いでも叶えてもらえるのかな――」

 至ってフラットな口調で、彼は続ける。

 聞いている二人は、言葉をなくす。

「俺の言ってること、分かる?」

 分かる。分かる、が――何故急にそんなことを言い出したのか、その理由が、目的が、着地点が、見えない。アオイはこの話を、どこに落ち着けるつもりなのだろうか。

 ジュリの方を覗うと、彼女は不安そうな顔で、アオイの腕章へと視線を落としている。多分、ヒトナリと同じことを考えている。

 アオイの目は相変わらずの糸状で、開いているのか閉じているのかさえ定かではない。だが、もし彼の目が見開かれていたなら――

その瞳の奥には、僅かに揺れる、(くら)い光が(とも)っているのではないだろうか――そんな気がしてならない。

 数瞬の、間が空いた。

「だったら?」

 その間を恐れるように、ヒトナリは慌てて言葉を探す。

「もし仮にそいつが本物で、お前が言うところの『深刻な望み』とやらすら叶えてくれる存在だとして――だったらどうだって言うんだ? 何か問題があるのか?」

「何も。ただ、疑問に思っただけだに」

 飄々としている。

 アオイとは、そこそこ長く付き合っている。友人未満、あくまで知人レベルでの付き合いではあるが、それでもお互いにある程度のことは知っている間柄だ。だが、ヒトナリは時々、この知人が何を考えているのか分からなくなる。

 ぼんやりのんびりしているくせに――底を見せない。

 アオイとは、そういう男である。

 何だか、無性に不安になった。


「それよりも、さ」

 わざとらしく声のトーンを変えるアオイ。これでこの話は終わり、という合図のつもりなのだろう。自分から始めた話だろうに、このマイペース男はのらりくらりと話題を転換する。ペースがゆっくりだから、ついていくのは容易なのだけれども。

「結局、そのマスホさん――だっけ? その娘はどうした訳? その後の進展は、何もナシ?」

 いつの間にか、場の主導権を完全に握っている。すでに、ジュリにも完璧に慣れているようだ。ずっとヒトナリに向けていた顔を、久しぶりにジュリの方へと向ける。

 ジュリは、一人で弁当を食べていた。

「……何やってるんだ、お前は」

「んああ?」

 頓狂な声をあげながら、弁当に向けていた顔をアオイ、ヒトナリに向ける。見れば小型の弁当箱には茶褐色の肉塊がびっしりと敷き詰められている。てかり具合から見て、どうやら何かのレバーらしい。この状況を見て突っ込むなと言うのが無理な話だ。

「何よ、お昼ご飯くらい食べさせろし」

「いや、だから、何故このタイミングで弁当を食べるのかと、俺はそう聞いている」

「だって、アンタらの話下らないんだもん。望みの内容がお気楽だろうが深刻だろうが、相手はペテン師ずら? 叶えられる訳ないじゃんけ。議論するだけ無駄。それを長々と……。私も途中から突っ込むの面倒になってさ。お腹も空いてたし」

 嘘だ。間が保たなくなったのだろう。先程、ヒトナリが必死に言葉を探していた時だ。腕章を見て、アオイが瞳の奥に昏い光を湛えているのを察して――それで、ジュリは関わり合いになるのを拒絶したのだ。狡猾と言うべきか、委員長だけあって処世術が巧みと言うべきか。

「だいたい、その弁当は何だ。お前は、昼飯に山盛りのレバーを食すのか。どれだけ貧血なんだ」

「虫よりマシっつこん!」

「だから、虫と言ってもイナゴやハチノコだと言っているだろう」

「虫じゃんけ! だいたい、これはレバーじゃないし!」

「何言ってるんだ。どう見たって――」

「あのさ」

 二人の不毛な言い争いに、アオイが割って入る。

「別に弁当食べながらでいいからさ――俺の質問に、答えてもらっても、いい?」

 またしても、アオイに突っ込まれてしまう。どうやらこの三人組は、ボケ・ツッコミの役割分担がケースバイケースで柔軟に変化するらしい。

「マスホちゃんね。うん。私もそれは気になっとっただけど……ヒトナリに追及されて、この前改めて聞いたの。その後、どうなったのかって。無視したのか、それとも願いを聞いてもらったのかって」

「結論から言うじゃなかったのか?」

 悔しかったので、ジュリの言葉をそのまま返してやる。しかし、それに対するジュリのレスポンスは、何とも奇妙なモノだった。


 ――マスホちゃん、覚えてないって言うんだよね。


 面妖な話である。

 覚えてない、とはどういう状況なのだろうか。重ねて問うと、ジュリはそのままだと言う。そんなこともあった気がするけど、よく覚えていない――そう言われて、それで終いになったらしい。

 まるで意味が分からない。

 そのマスホという女生徒は、健忘症なのだろうか。しかし、ジュリの話によると、それ以外は至って普通で、物忘れが激しいというようなことは一切ないらしい。ならば、魔術師に口止めされているのか――とも思ったが、これも違うと、ジュリは断言する。マスホが、この話題に関して自分に嘘を吐く訳がないと、そう言うのだ。もちろん、七組の生徒とて、ジュリに対して嘘も吐くし、隠し事もする。何でもかんでも委員長に報告する義務などない。ある訳がない。しかし、マスホは一度ジュリに相談を持ちかけているのだ。仮にその直後、何か事情が変わる出来事があったとしても、『覚えてない』なんて奇妙な誤魔化し方をする訳がない、と言うのである。

「第一、あの娘の顔見れば、嘘かどうかなんて分かるって。あの娘は、嘘なんか吐いていない」

「お前はベテラン刑事か?」

「七組の人間に関しては、分かるの。ウチの団結力、なめないで」

 その点に関してはよほどの自信があるらしい。皆が皆マイペースな十組の委員長・アオイや、独立独歩が信条の六組に所属するヒトナリには、返す言葉がない。

 しかし、そうすると、どうなるだろうか。つい数日前に持ちかけた相談事を、本人が『覚えてない』と言っているという、この状況――しかも、健忘症でもなく、意図して口を噤んでいるのでもないらしい。これは、どう解釈したらいいのだろう?

「魔術師が記憶操作したんじゃないの?」

 しばらく大人しくしていたアオイが、またとんでもないことを言い出す。

「また、だっちもねーこん……。真面目な話してンだけど」

 ジュリが呆れている。当たり前だ。

「俺だって真面目だよ? 記憶操作って、そんなに突飛な話かな?」

「突飛じゃんけ。電波って言った方がいいかな」

「ヒトナリ、どう思う?」

 そこで話を振られると思わなかった。この男は、ヒトナリが読書家だからと言って、なんでもかんでも知っているものと誤解しているのではないだろうか。

「……まあ、全く突飛な話、という訳でもないよ。薬物や機械による刺激や、ある種の催眠術を使えば、特定の記憶を封印することは、できなくもない。思い出せなくするだけで、消す訳ではないけどな。記憶操作と言うのは、決して統合失調症患者の戯言とは限らないってことだ」

 ヒトナリは真面目なので、聞かれたことには答えてしまうのだが。

「だったらさ――」

「いや待て。それはあくまで可能、というだけの話だ。(くだん)の人物が願望成就を標榜する怪しげな人物で、その人物に接触した人間が部分的な記憶障害に陥っているからと言って、即それが記憶操作によるモノだという結論を出すのは、安易で早計だ」

 この流れでいくと、アオイはこのまま、その結論に飛びついてしまうのではないだろうか。それは避けるべき事態だ。『お話』としてはそれでいいのかもしれないが、ヒトナリが行っているのは、現実に起きた出来事の真相究明なのだ。牽強付会の稚拙な仮説に飛びついていたのでは、到底真実になど辿り着けないだろう。

「安易で早計かな?」

「違うと言うのか?」

「だって、忘れてたんでしょ?」

「だからと言って、それがイコール記憶操作とは限らないだろう。そのマスホさん、か? その娘が嘘を吐いていないと言うのは、まあ、信じるとしよう。だが、嘘を吐いてなくて、健忘症の類でないからと言って、記憶を弄られたという結論に飛びつくのは危険だ。まずは――そう、本人に直接話を聞いてみるところからだ。ジュリ、話をつけておいてくれるか。週明けにも、早速話を聞いてみたい」

「それはいいけど……」

 ヒトナリの論理的発言に、ジュリが呑まれている。しかし、これでいいのだ。このままではアオイに主導権を奪われてしまう。いつものんびりおっとりで何事にも消極的なくせに、自分のペースに巻き込むだけは得意なのだ。アオイに任せていたのでは、進むべき方向が明後日を向いてしまう。主導権は、自分が握るべきだ。

 魔術師の正体も目的も分からないが、取り敢えず、指針は決まった。自分たちは、確実に魔術師に近付いている。

「ちょっと待ってってば。勝手に話進めないでよ」

 まとめようとするヒトナリに、アオイが抗議の声を上げる。

「なんだ。まだ何か言いたいことがあるのか」

「あるよ。そりゃあるよ。俺の意見、流されたままじゃん。けっこう大事なこと言おうとしてたのに」

「記憶操作の話か?」

「そうそう。忘れてたんでしょ?」

「だから、それは明日にでも七組に行って――」

「違うって」

「何が違うんだ」


「お前も忘れてただら?」


 すっ――と、背筋が冷えていく。

 アオイの顔が、随分と近くに感じられる。

 そう――だった。

「ヒトナリ、お前も、マスホさんと同じだってば。三日前、図書室で俺に言ったじゃん。お前も、魔術師に会ってたんでしょ? で、そのことを忘れてたんでしょう? そのことが気になったから、今回のことを調べてみる気になったんでしょ?」

 そうだった。

 そうだったのだ。

「わざわざマスホさんに聞くまでもないじゃんか。ヒトナリ自身が当事者なんだからさ」

 アオイに言われるまで、失念していた。意識せずに、躰が硬直する。何かが、おかしい。こんな大事なことを、どうして忘れていたのだろう。記憶が――混乱している。

「思い出した? ヒトナリ、魔術師に会って、何をされたの。お前は、魔術師に何を願ったの」

 ねえ、ヒトナリ――。

 さっきまで耳元で聞こえていたアオイの声が、今はひどく遠くから聞こえる。粘性の高い汗が、額を伝う。

「ちょっと、様子が変だよ。アンタ大丈夫?」

 ジュリに揺すられ、ヒトナリはようやく現実世界へと帰還を果たす。何だか、ひどく疲弊している。

「……大丈夫だが……何か、変なんだ……」

「変なのは、見れば分かる。ってか、今アオイが言ったこん、本当なの? 私、そんな話全然聞いてないんですけど」

 心配そうに眉根を寄せてジュリが顔を近づけてくる。

「……すまん。俺は……俺は……」

「取り敢えず、一息吐いて落ち着けし」

 言われた通りに、ヒトナリは深呼吸をする。高い空を見上げて、風を頬に感じて、頭の中を一度整理する。

 整理した上で、慎重に言葉を紡ぐ。

「……記憶が、混乱しているみたいだ。アオイの言う通り、木曜、俺はコイツに魔術師の話を持ちかけられて――最初は相手にしていなかったんだが――脳内に、フラッシュバックみたいに()ぎる光景があって……それで、自分が魔術師と呼ばれる存在と接触していたことを確信した。だからこうやって調べていたのに……この短時間で、そのこと自体を、忘れそうになっていた。多分、後催眠の類なんだろう。俺は、放っておくと魔術師に関することを古い順に忘れていく――そういう躰にされてしまっているらしい。事実、今ではそのフラッシュバックの内容すら思い出せなくなっている。アオイ――さっきは色々と御託を並べたが――もしかしたら、お前の言ったことが、正しいのかもしれない……」

「は? どういうこんよ?」

 ジュリが怪訝な顔をしている。しかし、もう止められない。

「魔術師は、記憶を消すんだ。願いを叶えるだとか何とか言ってウチの学校の生徒に近付いて、何かをして――それら一切の記憶を消して――そういうことを、繰り返してるんだ。だから、俺も、マスホって娘も、大事なことを思い出せないでいる。……だけど、それは完璧じゃない。魔術師にされたことはきれいさっぱり忘れても、魔術師そのものの記憶は残る。それが、輪郭だけで中身のない都市伝説として語られる――」

 ノイズのかかる頭を回転させながら、ヒトナリは半ば無理矢理に、そう結論づける。もう、論理も何も関係ない。

「何かした(そば)から記憶を消していくって――じゃあつまり、魔術師の尻尾は絶対に掴めないってこと?」

 ジュリが身を乗り出す。本来、彼女は部外者である筈なのに……。

「そんなことないと思うよ」

 ジュリの問いに答えたのはアオイだった。

「今、ヒトナリも言ったでしょ? 記憶操作は完璧じゃないって。何をされたのかは忘れても、魔術師自体の記憶は残る。ヒトナリは断片的な風景が少しだけど残っていたし、マスホさんに至っては、『何でも望みを叶えてくれる』っていう、重要なワードまで残っていた。多分、そこに付け入る隙がある」

 静かに、だけど強い口調で、アオイは語る。

「俺は、絶対に突き止めるでね」

 語るアオイの前に、サッカーボールが転がってくる。

「すみませーん」

 横の広場から、ユニホーム姿の小学生が声をかける。試合中のボールがこぼれたのだろう。

 アオイは立ち上がり、勢いをつけて――左足で蹴りつける。

 ボールは大きく弧を描き、数十メートル先のゴールネットへと突き刺さった。

 ヒトナリとジュリは、その光景を呆然と眺めていた。

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