第二章・W その2
十月十四日(金)午後三時四〇分
二年十組教室
――そこに、混沌があった。
放課後の教室のことである。
いつもは、帰りのHRが終わって担任教師が教室を出た時点で、ある者は部活に、ある者は補習に、ある者は遊びにと――てんでバラバラに――自動的に解散になる。それが、十組の、否、この学校の生徒の『日常』である。
だが、今日は違った。ごく一部を除いて、ほぼ全員が――そう、二年十組のほぼ全員が、このクラスに集結していたのである。何故か。答えは明白――文化祭の出し物を決定するため、である。
女神像利用のゴタゴタから今日中に決定しなくてはならなくなったのだが――サイコは詳しいことは知らない。あまり興味もない。ただ、毎度のことながら副委員長のハルカはやる気満々で、あまり働きたがらない委員長・アオイを引っ張って、この場を設けたのだが――やはり、そうすんなりとはいかないらしい。
教室全体が、しんとしている。前後の扉は閉じられているものの、全ての窓は開放されている。時々涼やかな風が吹いてきて、随分と気持ちがいい。数時間前の体調不良が嘘のようだ。
そんな中。
黒板の前に陣取るアオイとハルカ――向かって左側に立つハルカは、ゆっくりと黒板を見上げ……ゆっくりと、溜息を吐く。
焼きそば 六票
おでん 六票
餃子 六票
コロッケ 六票
その他 六票
無効・無回答 五票
「……なんで?」
第一声が、それである。
「ねえ、何で!?」
教壇をバン、と叩くハルカ。
「今日中に決定しないといかんで、手っ取り早く多数決で決めようって言ったじゃん! なのに、何よこれ! 何で同票になるよ! これじゃ決められんじゃん!」
今度は黒板を叩く。衝撃でチョークの粉が舞い上がる。
「どうするよ……こんなんじゃ、いつまで経っても出し物なん決められんに……」
頭を掻き、再度溜息を吐く。ハルカの長い黒髪がふわりと舞う。
「……ねえ、ちょっと思ったンだけど」
少し後ろの席から声がする。十組の有力者の一人、マコイである。切れ長の目の上で一直線に切られた前髪が特徴的な和風美人である。ハルカとは、小さい時から同じピアノ教室に通っている縁とかで、行動を共にすることが多い。
「はい、マコイ」
授業で教師がそうするように、ハルカは教壇上から人差し指で指名する。何だか、とても偉そうだ。
「あのさ――全部同票で決定できないのなら、アンタが決定すればいいだけの話だら。それで終わりじゃん」
「――それで、いいの?」
マコイの発言に、虚を突かれたような顔をするハルカ。しかしそれも一瞬で――彼女は腰に手を当て、顎を上げ、宣言するようにして、言う。
「じゃあ、十組の出し物は、餃子にするけど――」
「異議あり」
廊下側、遙か後方から声がする。ハルカもそれを予測していたのだろう。うんざりした顔で一瞬俯き――だけどすぐに顔を上げて、その生徒を指差す。
「……ハイ、レイ君」
「何でそこで餃子になるだ。同票なんだから、別に焼きそばでもいいんじゃねェの?」
目を眇めて凄むレイ。体格がいいものだから妙に迫力がある。
肩まで伸ばした長髪に浅黒い肌、濃い二重まぶたに厚ぼったい唇――身長自体はアオイに遠く及ばないものの、存在感はなかなかのモノがある。このレイという男子、アオイやハルカ、マコイ、オミナリ、マサヤスなどの、クラス内で力を持つ生徒の一人であるセイシと親友であり、基本いつも一緒にいる。何を隠そう、クラスでの出し物を女神像で行うと言い出したのは、レイとセイシのコンビなのである。そして、出し物を焼きそばにしようと提案した張本人でもある。一方、餃子にすると言い出したのはハルカであり――当然のことながら、この二人は衝突する。
「やいやい――」
髪を掻き上げ、ハルカは天を仰ぐ。溜息を吐こうとしたのだろう。息を大きく吸い込んで――だけど、それは溜息にはならなかった。
「だからさァ!」
大量の吸気は、怒濤のマシンガントークへと変換されたのだ。
「アンタは焼きそばがいい、私は餃子がいい、他にもこれがいいって意見があって、だけどそれじゃ収拾がつかんくて、それでここまで出し物が決められんできただら!? アンタだって充分分かってる筈じゃんか! だから多数決で決めましょう、それなら恨みっこなしです、って、それで集計した結果がコレな訳じゃん! んで、それでどうするっつって、マコイは私が決めていいって言ってくれたから、それでいいんなら――って、遠慮がちに私の案を推したってのに、アンタがそんな風に言うんじゃ、結局同じことだら!? 一周して同じことの繰り返しじゃんかっ!」
「口うるさい奴だなぁ……」
ハルカの剣幕にレイは押されがちだ。今回に限らず、アオイやセイシ、イズミやマサヤスと言ったグループは基本おっとりとしていて、何かに付けアグレッシブなハルカのグループを口うるさく思う傾向にあるようだ。
「ねえ、おれも一つ気になることあるだけどさ」
鼻白むレイの横で、今まで無言だったセイシが口を開く。顔立ちなどは全然違うのだけど、この二人は雰囲気がよく似ている。
「何?」
「ちょっと横道にそれるかもしれんけど、いい?」
「しょろしょろしんで、早くして」
ハルカは基本的に気が短い。セイシたちのペースに合わせるつもりはないようだ。
「さっきから、何でハルカが仕切ってるの?」
「は?」
「だって、お前副委員長だら? 普通、こういう時って、委員長が仕切るものじゃないの?」
セイシの言葉に、ハルカは腰に手を当てて俯き、本日最大の溜息を吐いた。
「……そうだね。セイシ君の言うことは正論だと思う。そりゃ、私だってそう思う。こういう場では、委員長が場を仕切るべきじゃんねぇ……だけどさ……」
と、そこで言葉を区切り、ハルカは視線を左に流す。
そこには、教壇の隅に腰掛け、緑茶を啜るアオイの姿があった。
「……アオイ君、お茶、美味しい?」
「ん? ああ、凄い美味しいよ? ハルカも飲む?」
何処から取り出したのか、空の湯呑みを差し出すアオイ。
ハルカの頬が引きつったのが、サイコの席からでも分かった。
「あのね、副委員長の私に場を仕切らせておいて、何自分は呑気にお茶啜ってンのって、私は暗にそう言っているんだけど?」
「だって、ハルカやる気まんまんだったし、仕切りたそうにしてたじゃん。おれ、こういうの苦手だしさ。だもんで、俺は一歩退いて、お前に全部任せることにしただよ」
「一歩退いてって、それはいつものことじゃんか! 事あるごとに自分が委員長だって言うくせ、こういう時はいつも私が働いてばっかでさ。委員長委員長って言うなら、たまにはちゃんと働きんッ!」
「ハルカ、お茶いらんの?」
「もらうわよ!」
興奮するハルカに対し、アオイはどこまでものほほんとしている。
サイコは何だか馬鹿らしくなって、再び机の上の雑誌に視線を戻したのだった。
「とりあえず、話を一旦、整理するだよ」
数分後、会議は再開された。この数分間何をしていたのかと言えば、委員長と副委員長、二人揃って緑茶を飲んでいただけなのだが。それでも、取りあえずハルカの興奮を収める効果はあったらしい。今は大人しく、湯呑みを片手に、ハルカはアオイが仕切るのを静観している。
とは言え、今さらアオイが整理するような事柄など何もない。文化祭の出し物を決めるにあたって、案を出した人間がそれぞれ譲らず、決定打となるモノもないために膠着状態が続いている――事態は、そこから一歩も前進してはいないのだ。
アオイもすぐそのことに気がついたようで、細い目を更に細めて考え込んでしまう。
「ハルカは餃子がいいって言うし、レイは焼きそばを譲らない。おれだっておでんがいいし――マサヤスも、コロッケがいいんだよね?」
遙か後方に向けて声をかけるアオイ。当たり前だろ――教室後部から、マサヤスの落ち着いた声が返ってくる。彼もまた、クラスで発言力を持つ生徒の一人だ。緩いキャラが多い彼らのグループの中でも、マサヤスは比較的落ち着いた雰囲気を持っている。
困ったのはアオイだ。数秒黙りこくったかと思うと、探り探り、といった感じで口を開き始める。
「この際、出てる案は一度全部捨てて、新しい案を考えようか……」
「え、今から!?」
少し後ろの方で声があがる。振り返らずとも分かる。
ホウタだ。
彼の横では、ジロウが頬杖をついて明後日の方向を見ている。元々二人は親友だったのだが、最近、喧嘩したらしい。……などと、今はそんなことどうでもいい。
アオイの思いつきにホウタが噛みついた、というのが今の現状だ。
「いや、だもんで……」
突っ込まれて困惑するアオイに、ホウタは更に言葉を重ねる。
「それって、厳しくない? 今日中に決めないといかんだに?」
「ま、そりゃそうなんだけどさ……」
どうにも煮え切らない。本人が言っていた通り、アオイはこういうのが不得手なのかもしれない。
「じゃあ、今出てる案を組み合わせるってのはどうかな。それなら文句も出ないっしょ」
それは一見いいアイデアのように思えたのだが――
「どうやって?」
ホウタの更に後ろ、サヤカの発言に、アオイはまたしても詰まってしまう。
「いや、だもんで……今出てるのが、えっと、焼きそばに餃子、コロッケ、それに俺が推してるおでんだら? だもんで、えっと――全部、おでんの具にすればいいだよ。焼きそばも餃子もコロッケも。基本的に、おでんの具って自由なんだしさ」
そんなおでんは、物凄く、嫌だ。
クラスメイトたちも同じ思いだったんだろう。確認はしていないが、きっと、サイコと同様怪訝な顔をしているのに違いない。
アオイとて馬鹿ではないから、そういう空気は感じ取る。感じはするけど、何もできない。
「……リンは、どう思う?」
「いや、そこで僕に振られても」
苦し紛れに仲のいいリンに助けを求めるが、その答えは素っ気ないものだった。いや、リンでなくとも、このタイミングで振られたら困惑するだけだろう。
結果、アオイは追い詰められてしまう。
「……だもんで……えっと……」
しばらく周章狼狽した挙げ句に、アオイはハルカに向き直る。
「ハルカ、ギブ」
涼しい顔で湯呑みに口をつけていたハルカは、アオイの呆気ないギブアップにさしたる苦言を呈するでもなく――こうなることはある程度予測していたのかもしれない――アオイを横にのけて、前に出る。
「あのさ、今黙って見てたけど、みんな、アオイの考えに反対するばっかで、全然自分の考え出してないよね? ネガティブな意見出すのは勝手だけど、それならそれで、議論が少しでも前に進むよう、代替案の一つでも出してくんないかな?」
「ハルカぁ、そういうのがないから、今こんなことになってるんだってばぁ」
マコイが眉を八時にしてハルカに意見している。
「ん……それはそうなんだろうけど……」
「というか、基本的なこと、聞いていい?」
『反対意見だけ述べるのはやめろ』というハルカの言葉に触発されたのか、マコイは続いて質問を投げかける。
「すっごい今更なんだけど――なんで、餃子なの?」
「餃子美味しいじゃん!」
即答だった。
だけど、そんなに目をキラキラさせて言わなくてもいいと思う。
「好きだから……それで、文化祭の出し物に?」
「だって、餃子が嫌いな人なんておらんら? 絶対盛り上がるに?」
「――ゴメン、力説してるトコ悪いんだけどさ」
次に発言したのは、教室中程に席のあるコウである。短く刈った髪に、骨太な体格が特徴的だ。親が漁師だとかで、家の手伝いをしているために真っ黒に日焼けしている。
「三年二組の人達が、餃子屋やるって話だに? さすがに、先輩のクラスと出し物がかぶるってのはやべェら」
コウの意見はもっともだった。先輩のクラスでなくても、出し物がかぶるのはできるだけ避けたい。
だけど、当のハルカは全く意に介しないらしい。
「そんなん知らんしっ! 言っとくけど、この学校で、私が一番の餃子好きで、私が一番餃子食べとるだに!? その私が餃子屋やらんでどうするよ!?」
「ハルカ落ち着いて」
「お前が餃子好きなのと、それをクラスの出し物にするかどうかってのは別問題だろ……」
マコイがストップをかけ、ホウタがこれまたもっともな反対意見を述べる。二人ともハルカグループの人間だった筈だが……いや、だからこそ、彼女の暴走は目に余ったのだろう。
「ダイチ、ハルカに新しいお茶あげたげて」
マコイの斜め後ろに座るサヤカが、更にその後ろに座るダイチにお願いをする。どうやらアオイが持っている急須、湯呑み一式は、彼が持参してきたものらしい。それはどうかと思うのだけど、文句を言う人間はいない。お茶飲み放題でいるくせに、文句を言う筋合いなどない、ということだろう。名指しされたダイチは素直に従い、ハルカに深蒸しの茶を淹れてあげている。
そのお茶を飲んだハルカは一言、「ゴメン、取り乱した」と呟き――まるでそれが慣例であるかのように、深い溜息を吐く。いや、今回の場合は深呼吸、と表現した方がいいのだろうか……。
「えっと――何の話だっけ……」
「何でハルカが餃子を推してるのかって、私が聞いたからだよ。――さっきから私、余計なこと言ってばっかだね……少し、黙ってる」
「あ、ううん、全然いいんだよ。今のは、完全に私が悪いんだし。気にしないでどんどん喋って」
凹む友人を気遣うハルカ。行け行けドンドンのアグレッシブ娘ではあるのだけど、決して独善的にはならないところが、ハルカの人気のある所以なのだろう。
「他のみんなも、遠慮しないでどんどん意見出してね? 三十五個も脳味噌があったら、絶対にいいアイデア、出る筈なんだからさ」
教卓の前に立ち、ハルカは檄を飛ばす。
風が吹き、ハルカの長い黒髪がふわりと巻き上がる。
とても堂々としている。
何だかんだ言って、こういうのが好きなのだろう。
しかし、リーダー然とした彼女の態度も、長くは続かなかった。
「――ハルカ、悪い。何度も水差すようなんだけどさ……」
おずおず、といった感じで発言するホウタ。
「三十五人、揃ってねェんだよ」
「…………」
ハルカの目が座る。無言なのが、余計に怖い。
「トシヒロが欠席してる」
「…………」
「部活らしい」
「…………」
無言、そして無表情。
関係ない筈のサイコの方が緊張してくる。
「あ、それ、こっちもだ」
続いて、コウが声を上げる。
「タイシが同じ理由で欠席してる」
トシヒロとタイシは二人ともサッカー部に所属している。それぞれがエース級の選手で――かつては、女子サッカー部のミホと併せて、その活躍は広く校内に知れ渡っていた。しかし、文化祭より前、二週間は練習が休みだった筈だが――自主練習にでも励んでいるのだろうか。それも、今回のクラス会議を蹴ってまで。会議を蹴ってボールを蹴っている――笑えない冗談だ。
「…………」
腰に手を当て、顔を俯けて、ハルカは――肩を、震わせている。
「――笑える」
笑っているのだ。
「傑作だよね――ホント、まとまりのないクラス。笑わせるら。 知ってたよ? 二人がいないの、知ってたよ? 教壇の上って教室全体を見回せるからさ、誰がいて、誰がいなくて、誰がどこで何してるのかとか、結構よく見えるの」
ミナト君――と、ハルカはよく通る声で、最後部窓際に座る生徒に声をかける。ミナトは、柔和で温厚そうな印象の男子生徒だ。大人しそうな雰囲気だが、校内・校外問わず付き合いは広いらしい。教室の両端ということもあって、サイコは一度も言葉を交わしたことはないのだけれど。その彼は今、首から提げたオペラグラスで、窓の外を眺めている。
「ねえ、アンタ、話し合いが始まってからずっと外見てるけど、何か面白いものでも見えるの?」
「んー? いや、海がキレイだな、と思って」
「そう! そりゃあよかったねえ!」
空気を読まないのんびりとした回答に、ハルカは大きな声を出す。
ごとん。
と、ハルカの言葉が終わったところで、どこからか鈍い音が響く。
「ううん……」
教室後ろ寄りの席に座るオミナリが、緩慢な動きで身を起こしている。どうやら、今の今まで机に突っ伏して居眠りをしていたらしい。さっきのは、いつもしているヘッドホンが床に落ちた音のようだ。瞬時に、ハルカの視線はミナトからオミナリへと移る。
「オミナリ君、おはよう」
満面の笑みで爽やかに挨拶するハルカ。頭に角が見えるのは、サイコの錯覚だと信じたい。
「……おはよう」
「よく眠れた?」
「ん? ……ああ……いや、オレ、寝てないよ」
「だよねェ、大事な話し合いの最中に、寝る訳ないよねェ」
「そうだよ」
ハルカの皮肉など、オミナリには通じない。
部活を優先して話し合いを欠席したトシヒロとタイシ。
話し合いそっちのけでぼーっと海を眺めていたミナト。
机に突っ伏して、ずっと居眠りを続けていたオミナリ。
大事なのは、その全員が、このクラスにおいてそれなりの力を誇る生徒である、という点である。
無理に拵えた笑顔は見る間に融解していって――ついには、先程の、血の気の引いた無表情へと戻ってしまう。
サイコは、何かとてつもなく嫌な予感がして、咄嗟に、読んでいた雑誌を机にしまった。こちらにまで火の粉が飛んできては堪らない。この辺り、我ながら要領がいいと思う。
「……ゴメン。お願いだから、お願いだから真面目にやって……」
ついに、泣きが入った。しかし、ハルカはまだ気付いていない。クラスの大半が、ハルカではなく、その隣に視線を奪われているということを。
そこには教壇の隅に腰掛け、プリンを喰らうアオイの姿があった。
「……ハルカ、横」
リンが、アオイを指差す。ハルカは彼の指差す先を追って――ようやく、その光景に気が付く。
気が、付いてしまう。
「……アオイ君、プリン、美味しい?」
ハルカの声が、震えている。
限界が近い。
「ん? ああ、凄い美味しいよ? ハルカも食べる?」
「あれえ? 不思議。前にもこんなことあった気がするに?」
「既視感だら」
「違うわッ! 前にも同じようなことがあっただけって話だら!? アンタの仕切りじゃグダグダになるから、私が代わりに仕切ってるんじゃんか! その私がこんな目に遭ってるってのに、アンタは何呑気にプリンなんか食べてるよ!?」
「いやー、近所のケーキ屋さんがさ、新作のプリンを作ったからって、そのモニターを頼まれちゃってさー」
「聞いとらんに? そんな理由、私はちいっとも聞いとらんに?」
「俺って、よくこういうモニターみたいなの、頼まれるんだよねー」
「聞いてませんからッ!」
見事なまでに噛み合ってない。
「私は私なりに、このまとまりのないクラスをまとめようって頑張ってるんじゃん。確かに私は副委員長だし、別のグループの人らからしたら面白くないかもしれんけど、それでも頑張ってるの。それなのに、委員長のアンタがそんなんじゃ、示しがつかんら!?」
「俺はこの学校で一番プリンが好きなんだよー」
「うっさい馬鹿!」
さっきの、ハルカの餃子発言に対する当て擦りだろうか。だとしたら大したものだ。
「……ハルカ、プリンいらんの?」
「もらうわよ、馬鹿ッ!」
――かくして、二人は新作プリンに舌鼓を打つ。
時計は四時半を示している。下校時刻が近い。
しかし、この数十分で分かったことと言えば、ハルカが餃子が大好きということと、アオイがプリン大好きということ――何の役にも立たない情報が増えただけだ。
確かに、ハルカは頑張っている。マコイやホウタ、コウ、サヤカなど――教室前方の、どちらかと言えばハルカグループの人間ばかりだが――発言も多い。だけど、何一つ決まらない。会議は踊る――されど進まず。何という小田原評定だろう――などと言ったら、怒られてしまうのだろうか。
「あのさ――」
プリンを食べ終えたハルカが口を開く。
「本当に、時間がないの。何度も言うようだけど、今日中に出し物決めないと、実質的に、私たちは女神像の利用できなくなるの。女神像を使えないってことは、どういうことになるか、みんなだって分かっとるだら?」
教室は静まり返っている。それはつまり、ハルカの言わんとしていることが理解できている証なのだろう。
「ね、だから、真面目にやろ。トシヒロとタイシがいないのは残念だけど、それでもまだ三十三人いるんだからさ」
先程までの狂乱が嘘のような、シリアスな語り口である。
だからだろうか、今ひとつ集中力を欠いていた教室の面々も、真剣な面持ちで聞いている――気がする。最前列に座るサイコには、後方の様子はよく分からないのだ。
ただ、かなり後ろの方で、何やらゴショゴショと話している声だけが微かに聞こえてくる。振り返って確認してみると、さっき起きたばかりのオミナリが、近くの席のマサヤスと何やら言葉を交わしていた。どうやら、ここまでの経緯を彼に聞いているらしい。
「オミナリ、何か意見とか、ある?」
なければいいけど――と、アオイは続ける。ハルカと比べると、どうにも押しが弱い。それが彼の長所でもあるのだけれど。
「んっとさぁ……」
問われて口を開くオミナリだが、その語り口はどこまでものんびりしている。もっとも、彼らのグループは皆似たようなものなのだけれども。
「誰も自分の案を譲らんって言うのならさ――いっそのこと、全部を組み合わせるって言うのはどう?」
「オミナリ、それはさっきアオイが言った」
横からマサヤスが忠告を入れる。どうやら、ちゃんと彼の話を聞いてなかったらしい。
「焼きそばと餃子とコロッケをさ、全部、おでんの具にするっていうのは?」
「人の話を聞け。そういうの、もう一通り終わっているんだよ」
さすがのマサヤスも、少しだけ苛ついている。
「この際さ、新しい出し物にするってのは、どう?」
「何か、案があるのけ?」
アオイが食い付く。
「干物ってのはどう? 鰺の――」
「却下」
いつものんびりしているアオイからは考えられない程の速度で案が没にされる。サイコも同意見だ。文化祭の出し物で干物なんて――シュールすぎる。
オミナリの意見も役に立たなかったか――と、落胆する一同だったが、今回はこれで終わりではなかった。オミナリの言を引き継いで発言する人物が現れたのである。
「ねえ、今思いついたんだけど――」
教室中の視線が、一斉にその人物に注がれる。
背は高くもなく低くもなく、スタイルも普通だが、三つ編みにした髪と涼やかな目元、スッキリと通った鼻筋が特徴的な女生徒である。比較的大人しめで、おっとりとした性格で――だけど、結果的に、今では校内における有名人の一人として数えられる存在にまでなっている。
ヨウコ――それが、彼女の名前である。
今の今まで、大人しくしていた彼女の、突然の発言。
これは予想外だったようで、彼女の近くの席に座るピィ――念のために言っておくが、これは通称であって、別にちゃんとした名前がある――やアズマ、アキラやサクラも、揃って驚いた表情をしている。
「……私が発言したら、何か変?」
当の本人はキョトンとしている。
「いや……別に、変じゃないけど……」
ピィの言う通りだ。何も、変ではない。
彼女だって、歴とした、十組の生徒なのだから。
「ん? ヨウコ、何を思いついたって?」
「面白いね。やっぱ、三十三個の脳味噌をフル活用すべきだら」
ざわつくクラス内で、アオイとハルカだけは冷静だ。
「聞かせてもらえる?」
アオイは、どこを見ているのか分からない糸目で彼女を捉え、先を促す。
「だからさ――」
決して、声を張っている訳ではない。
決して、地声が大きい訳ではない。
なのに何故か、彼女の声はよく通り、よく、響いた。
それは多分、聞き手側の問題だったのかもしれないけど。
――凄い簡単なことだと思うんだよ、とヨウコは続ける。
「簡単なこと?」
ごく自然に、アオイが聞き役に回っている。仕切るのは苦手でも、人の話を引き出すのは得意らしい。
「アオイ君がおでん、ハルカちゃんが餃子、レイ君が焼きそばでマサヤス君がコロッケだら? どれか一つは選べないし、かと言って今更新しい候補を考えるのも無理。組み合わせるのもできない――ってなったらさ、残る選択肢は一つしかないじゃんか」
「と言うと?」
「全部やればいい」
えぇ……と、教室のそこここで非難の声が上がる。
声にこそ出さなかったが、サイコも同感だった。おでん、餃子、焼きそば、コロッケ――材料も調理法もバラバラだ。しかもそれを出店でやるというのだ。手間も人手も半端なくかかるだろう。得策とは思えなかった。
「全部って、四つ全部? それはちょっと……難しくない?」
「そうかな? グループごとに分かれて役割分担すれば、無理じゃないと思うけど」
グループ――という言い方はサイコもよくするが、クラス内で厳密に班分けされている訳ではない。席が近くで、比較的親しくしている人間達のことを、便宜的にそう呼んでいるだけのことだ。ヨウコが言っているのも、そういうことだろう。
「無理じゃない――かなぁ?」
糸目をより一層に細めて、アオイは思案顔だ。乗り気でないのが見え見えである。しかし、ここで初めて肯定的な意見があがる。
「でも――それって、ちょっと面白いかもしれない」
ハルカだ。
「例えばさ……そう、例えばだけど、三十五人を幾つかの班に分けて、各々が好きな出し物して、それで対抗戦にする――ってのはどうだろ。何を出すか、どう売るかは、班ごとの自由。戦略も演出も、全部班次第。で、最も多く集客できた班の、勝ち」
「賞品は?」
今まで黙っていたサキが食い付く。
「勝った班は、クラス全体の売り上げ総取り――ってのは!?」
興奮気味に提案したのは、サキの隣に座るサヤカである。
「その案、頂きっ!」
ハルカの声が教室内に響く。
「決まりだね――二年十組は女神像の下で、班ごとに分かれての売り上げ争奪戦を開始しますっ!」
教壇の前に立ち、ハルカは高らかに宣言する。
再び風が吹き、彼女の長い髪を揺らす。
こうなると――もう、止められない。
「いいじゃん。面白いじゃん。俺の焼きそばが一番だってこと、改めてお前らに思い知らせてやるよ」
「お、レイも乗り気だね? じゃんじゃんやっちゃって! その代わり、私らの餃子も負けてないからねっ!」
「ちょっと、マサヤスんとこのコロッケも忘れないでよねっ! 絶対に負けないんだからっ!」
そう言って立ち上がったのは、マサヤスの近くに座るナミだ。今日もまた、トレードマークの牛乳パックを片手に持っている。
「それはアンタらの努力次第でしょ? みんなの挙げたどの案が一番客を呼ぶか、お客さんたちに決めてもらうんだからっ!」
何だか――ヨウコの提案を発端にして、クラス全体が高揚し始めている。それを扇動しているのは、他でもないハルカなのだけど。
一方、隣に鎮座します我らが委員長はと言えば――珍しく真剣な面持ちで、何やら考え込んでいる。しかし、目だけはランランと輝いている。どうせ、よからぬことを企んでいるに違いない。
「ね、これって、すでに出したヤツ以外も、商品とか出していいんだよね?」
「ん? ホウタ、アンタは私の班だで、私と一緒に餃子作るだに?」
「もちろんそれはやるよ。だけど、サイドメニュー的な感じでもう一品あったら面白いかなと思ってさ」
「いいよいいよ! そういうアイデアは大歓迎! 週末にみんなで集まって、アイデアの出し合いっこしよっか!?」
妙なテンションになっている。さっきまでの千日手が嘘のような好調ぶり。トントン拍子で話が進んでいく。と言うか――一歩間違えば悪ノリと言われてしまいそうな勢いである。
だけど、これが――十組なのだ。仕事は、あまり熱心にしない。集中力も低い。団結力も、さほどではない。だけど――遊び感覚となると、途端にやる気を出す。今回が、まさにそうだ。ヨウコが提案し、ハルカが決定づけたこの企画は、まさに、十組には打って付けだった、という訳だったらしい。
「さっちゃん――頑張ろうねっ!」
ハルカがサイコの肩を叩く。
サイコは刹那、困惑して――だけど、すぐに微笑みを返す。
冷静に傍観しているつもりだったけど。
どこかで、自分は部外者のような心持ちでいたのだけど。
サイコもまた――知らないうちに、高揚していたらしい。
少しだけ――文化祭が楽しみになってきた。




