笑顔を見たかった
「あ、こんにちは」
「はい」
電話越しに聞く声は、一週間前に聞いたはずなのにすごく懐かしく感じられた。きっと、ここ最近のごたごたが続いたせいだ。
仕事の打ち合わせと称しての電話は、本当は相手の声が聞きたかっただけなんだけど。
「よかったら、明日飲みません?」
思い切って言ってみた。
「いいですよ」
相手の返事に俺は、ほっとした。
この世には純愛もなけりゃあ、自分の都合だけで恋する阿呆もいる。
特に男同士、子供もできなきゃ、責任をとるなんて古い考えもないからしょちゅう浮気やら裏切られた修羅場は、シビアだったり、冷めていたりと大変だ。
俺の場合は、通っていたバーで二年越しで仲良くなった男の子に思い切って告白。いいよってあっさりとオッケーされて、嬉しかったのも半年。――浮気、浮気。おいおいといえばお前の仕事が忙しいのが悪いとかなんとか。俺のせいですか? と思わず尋ねた一ヶ月くらいしてメールで別れて欲しいとの一言。俺はもう、疲れ果てていて、はいはい、いいですよ、いいですよと返答。
ある意味、別れてくれメールがきたのは律儀だなぁと思ったが、それを見たとき、ようやく自由だぁと喜んでしまった。普通失恋とかしたら落ち込むはずなんだろうけどね。
まぁ恋人と――そう言ってもいいのか今はもう曖昧なのだが――付き合っていた当時、俺は吐くは、倒れるわぁと精神的に追い詰められて人間不信になりかけた。――というか、なった。
元々引きこもりの気味だった俺は、見事に引きこもった。
それも仕事は漫画家、その気になれば一日中家にいようと思えば出来る仕事なわけで。
ネット注文でおいしいものを飲んだり食べたり、欲しいもの買ったりと――便利さはだめだね。友達だってネットのチャットでやりとりすればいいわけだし。
そんな引きこもりの俺のところにわざわざ足を運んでくれるのが
「よかったら、たい焼きどうぞ」
「す、すいません。けど、これ、どこで?」
「駅前にあったんですよ」
「へぇ」
「おいしそうだったので、よかったらと思って」
担当の小西さん。
おっとりとしたものの言い方に、優しげな微笑みが癒しだ。
引きこもりをはじめて半年経つ俺の唯一、外で会う知り合いということになる。――宅配の人を除外すると。
「先生、作品は」
「あの」
「はい」
「先生ってやめてください。呼ばれ慣れませんから」
「あ、すいません」
小西さんの笑顔は本当に癒しだ。
俺は原稿を渡して今後の仕事のことを少しだけ話して、二人でたい焼きを食べて、別れた。
なんとなく通い夫、みたいなかんじがする。
俺にとって小西さんは、ある意味、救い。
引きこもりが三ヶ月目に突入するとさすがに周囲が心配して外に出てきてほしそうな態度をとられたのに俺は断固拒否。そんな俺に小西さんはわざわざ駅をのりついで一時間もかけて会いに来てくれたのだ。
ここまでしてくれたのは小西さんだけだった。というか、しかいなかった。俺は所詮はその程度の人間だったんだ。
けど、一人でもこうして俺のことを心配する人はいた奇跡だ。
心配して菓子類まで買ってきてくれた小西さんに俺はただすいませんとしかいえない。
「いいですよ」
自分のクズさと弱さに愛想尽かして死にたい気持ちになっている俺に小西さんは優しくしてくれた。その優しさに再び裏切られるかもしれないという恐怖に、ついそっぽを向いてしまった。あのときのことを考えると、顔から火が出るほどに恥ずかしい。
三日も仕事の合間を縫って連続で会いに来てくれて
三日目に俺はずいぶんと心をひらいていて、せっかくなのでと夕飯を一緒に食べたあと秘蔵の日本酒を小西さんに振舞って、酔っ払うと、思いっきり愚痴った。
前の恋のことを
酔っ払いの恐ろしいところは、後先考えないことだよなぁ、本当に
「へぇ、ホモって本当にいるんですね」
そんな珍獣を見たみたいな台詞!
「まぁ失恋の痛手に落ち込む人は落ち込みますし、幸い、曽野さんは外に出ない仕事ですしね」
「あははは。そーすね」
翌朝には自分のしたことを考えてやばい、とは思ったが
小西さんは態度を変えるなんてことはなかった。ただ原因がわかったので連続で会いに来ることはなくなったが仕事のたびにいつも俺の家まできてくれている。メールも電話もあるのに。
恋、したいかも。
落ち込んでいようが、ひっきこもりしようが、明日、世界が滅ぼうが人間なんて発情してるんだ。毎日。
俺は小西さんに、そう、つまりは恋心らしいものを抱いてしまったわけだ。決して彼の持ってきてくれる食べ物に目が眩んだとかではない。たぶん。
それから俺はなんとか外に出ようと心の中に誓い、近くのコンビニに行くぐらいは出来るようになった
小さなことだけども、小西さんはそれを母親のように喜んでくれた。いや、母親にたとえるのはどうだ。母親相手に胸をときめかせたり、痛めたりはしない。そんなの変態だろう。一応、生まれて二十七年、女性にとめきいたことなんていっぺんもない。更に母親なんてありえないだろう! 小西さんはときどきと泊まりにもきてくれた。
そのためにお酒や食べ物も用意して、二人で話をする。だいだいは漫画のことだが、たまには互いの過去のことも話す。小西さんはホモというものがどいうものか知りたがり、俺はそれを教えた。俺は小西さんの過去を聞いてみた。
「普通ですよ。ただちょっと校舎裏にはよくいきましたね」
「校舎裏に?」
「ええ。呼び出しが多くて」
女の子にもてたのか?
「あの頃は、少し気が短くて、手がはやかったんですよね」
手がはやいって、女の子にたいして?
「今の小西さんから想像できないです」
「いろいろと丸くなったんですよ」
しみじみと笑う小西さんに俺は、へぇと頷いた。
もう恋なんてしばらくしたくないと思いながらもする俺は馬鹿じゃん。
今日は駅までお出迎えにいくぞ。
内緒で会いに行って、それで、驚かせてやろう。
そんな子供みたいなささやかなサプライズ。
駅までは、幸いにも――当たり前だが、無事にこれた。久々で、なんだかどきどきするな。
一応は、恥ずかしくないようにネットで注文した流行りのシャツとジーンズに上着姿。俺に似合っているのかは別の問題だ。
ま、これで、ださくはない、はず。
駅前で待ち伏せしていれば、きっと来るはず。
携帯電話で連絡は――来るといっていた時間を考えて、少し早めに電話にかければいいか。
ああ、なんだか駅のホームとかも久しぶりな。
そこまで広くないし、きっとすぐに会えるなどと妙に明るい気持ちになったが、何気なく周囲を見回して、げっと動きをとめた。
前の恋人と、その連れらしい男。
うっわー、さいあく。
そういえば、駅の近くだったなー、俺が通っていたバー。あそこは今も繁盛してるかなーとかなんだか馬鹿みたいな現実逃避。
二人が笑いあっているのを見ていたら目が合った。やば。
「あれ、久しぶりじゃん」
「あー、うん」
俺も笑うくらいは出来る。
出来れば、すっごくかかわりたくないけども。
連れの男が困っている。そりゃ、そうだわなぁ。
「どこか行くの?」
「うん。いつのバーに、お前も来ない?」
絶対に行きません。
「ううん。知り合いを待ってて」
「なに、新しいやつ?」
むっとした顔をされて俺はますます困惑する。え、なんで。そんな態度とるの。
「いや、あっ」
「曽野さん」
声をかけられて、ますますびびる。
なんで、このタイミングで、見つけちゃうの。
「出てきてらしたんですか」
小西さんが、にっこり。
「誰、こいつが新しいやつ」
「えーと、小西さん、行きましょう」
俺は慌て小西さんの手をとって歩き出そうとしたとき、あいつが俺の手をとっていた。
「電話してよ」
なんなんだよ、おい
「すいません、知り合いですか」
小西さんが前に出るとあいつがあらかさまにむっとした顔をする。
「なんだよ」
「曽野さんはいやがってますから、離してあげてください」
あいつがあらかさまに白けた顔をして、俺の手を離した。そして連れが俺らを睨みながら行ってしまった。
なんなんだよ、本当に。
というよりも、小西さんにすごく失礼だ。いまの。――考えただけで頭から血がひいた。だって小西さんは俺みたいなホモではないのだ。
「すいません」
「いえ。気にしてませんよ。ここらへんに公衆トイレがないのが残念ですけど」
「は? トイレいきたいんですか?」
「いいえ」
小西さんが笑顔。いつもの笑顔だけども、少しだけ怖い気がする。俺は取り繕うように笑って歩き出した。
「え、あっ……あははは、ほら、行きましょう」
「そういえば、外、出られたんですね」
「出られますよ」
嫌な気分だった。なんだかどんっと高い所から地面に落とされるみたいな。それが小西さんの顔を見ると、少しだけ救われた気分になった。
それですぐに手を繋いでいることを思い出して慌てて離した。
「すいません」
「いつも謝ってばかりですね。あなたのせいじゃないのに……そのうち俺は曽野さんの家に行かなくていいんですね」
「え」
どうしてそうなるのだろう。
俺は唖然と小西さんを見つめた。
そうか、俺が引きこもりだから、小西さんはわざわざ来てくれていて、俺が出られるなら、もう用はないのだ。
「俺、けど……その、あの」
俺は馬鹿みたいに呆けた顔をしてじっと小西さんを見つめた。下手したら泣き出してしまうかもしれない、眼に涙が溜まり始めていた。
小西さんが来ない。来なくなってしまう。それがいやだった。
「曽野さん」
「いえ、なんでもないです。目にゴミが」
俺はごしごしと目を拭った。
一緒に夕飯を食べて、酒を飲んでくれた小西さんに俺は少しだけ救われた気分になった。
その日の出来事を俺は、はやく忘れようと努めた
てか、忘れていた
いやなことを忘れることは大切だ。生きていくうえで。
俺は小西さんに会ってから、そのことを学んだ。
引きこもりなんかしているからいつまで経っても、いやなことだけをぬくぬくと考えて前に歩き出すことが出来ないんだってことも
外に出たとき、空は綺麗だった。風は生暖かだったし――冬から引きこもっているせいか気がついたら夏で驚いた。
狭い世界でびくびくぶるぶると震えている俺を小西さんは笑顔で連れだしてくれている。けど、それもいつか終わる。
世界が終わって行く、その不安と恐怖を心の中に溜め込んだまま、俺はお風呂にはいってもらった小西さんのかわりに布団をしていると、携帯電話が鳴った。
「はい」
「あ、俺だけどさ」
名前くらい名乗れよ。
相手のことがわかってため息をついた。ふわふわとした気持ちをこうして時々地面に叩き落される。
この馬鹿はどういう気まぐれか。
ときどきメールや電話もしてくる。
今はちゃんと無視する方法を学んだはずなのに駅のことを思い出すと胸が痛む。頭がくらくらする。
「俺さ、やっぱりやり直したいんだけど」
「へっ」
「お前じゃないとだめなんだよ」
なに、それ。
「お前って優しかったなぁって……だから、前みたいにさ、遊びにいかねぇ?」
俺は携帯電話を思いっきり叩きつけてようとしてやめて、切った。またかかって来そうで電源も切って、その場に崩れた。
優しかったよ。
時間の限りを尽くしてメールをしたし
電話もしたし
楽しかった、酒を飲んで、何かあればプレゼントを買ってあげた
そういうのを優しいっていうのかな。
頭がぐるぐるしてきた
「曽野さん? さきに、お風呂いただきました。どうしたんですか?」
仕事場でうずくまっている俺を曽野さんは心配げに歩み寄ってくる
「ちょっと」
「ちょっとという顔じゃないですよ」
小西さんの声はなんだかいつもと違って妙に強い。
「なにがあったんですか」
再度問われて俺は泣きながら小西さんの胸にむしゃぶりついた。
俺は利用されていたんだと、あのときはっきりとわかった。元々恋愛体質で、ついつい喜ばれるとなんでもしてしまう俺。女かよっていうくらいにマメで。けど、時々疲れて、そんな疲れに相手の笑った顔があるから嬉しくて。
俺も、たぶん、相手を利用していた。
これだけしたから、返して欲しいって
けどさ、無償なんかで何か出来る?
俺は出来ない。元々ずぼらな俺は、だんだんと愛しだすと手を抜く。そう、メールだって電話だって、これだけやったしなぁとか思って、そうしたら冷たいとかいわれても
なんだろう
結局、取り繕いすぎて疲れてしまうのかもしれない
そんな俺をあいつは見抜いて利用していたわけだ
「泣かないで。曽野さん」
「すいません」
「大丈夫ですよ」
なにが。とは聞かない。
俺はただ頷いた。
小西さんの胸はあたたかだった。笑顔は優しかった。
「それで、簡単でいいので事情を聞いてもいいですか?」
「え、いや」
俺が泣きやむのを待っていた小西さんが笑顔で訪ねてきた。なんとなくいつもの笑顔のはずなんだが、妙に怖い。
俺がおろおろしていると、携帯電話をとられた。
「この番号は?」
「えーと、あの、前の恋人の」
「駅であってた?」
「はい」
なぜか正座して、俺は項垂れる。
「……呼び出されたりしました?」
「えーと、あの」
「言わないのなら、かけ直して理由を聞きましょうか」
「またお酒飲みたいって、それで、よりをもどしたいって」
俺がしろどもどろにいうと、ばきっと音がした。
ばき?
見ると、俺の携帯電話が真っ二つに折れているのが目にはいった。ショックというよりも驚いた。
携帯電話って……真っ二つに割れるんだ。
「あつかましいにもほどがある、こちらを馬鹿にするにほどがある」
「あ、あの」
「ちょっと、出てきましょうか」
笑顔の小西さんに俺はあわあわして、その足にしがみついた。
「ど、どうやって」
「先ほどの番号は覚えましたから、大丈夫ですよ。呼びだして、ちょっとメンチ……いえ、ちょっとお話するだけですから」
「メンチってなんですか! 小西さん怖い」
「怒っているからですよ! 俺の大切な人に、何考えてるんだ!」
怒鳴られた。
俺のせいじゃないのにと理不尽さに泣き出したくなったが、けど、恐いくらい真剣で、肩を怒らせている小西さんはいつもの笑顔よりもずっと素敵だった。
嗚呼、この人は本当に俺の事を心配してくれている。
俺はなにもこの人に返せてない。返せないのに。
涙が溢れた。小西さんがまるで自分がぶたれたみたいな顔をして俺の涙を拭ってくれた。
「すいません」
「いえ、え、あの、大切な人? 漫画家として大切ってことですか? もっといいもの描けってことですか?」
「……ばか」
優しい笑顔で、言われた。
罵られたはずなのに、とってもやさしい。
「担当でも、いちいち会いに行ったり、泊まったり、こんなことするはずないでしょう、俺はあなたが」
どん!
隣の壁が叩かれた。
なんというタイミング。俺は小西さのたぶん重要な言葉を遮られて唖然と、眼を丸めて隣を見た。
「すいません、うち壁、薄くて……たぶん、うるさいって」
「とりあえず、隣に殴りこんでもいいですか?」
「だめです。小西さん」
本気で怒っているらしい、能面、いや、鬼のような睨みを発する小西さんに俺は慌てて叫んだ。そのあと、続けて隣から苦情らしく二度壁が叩かれた。
「やっぱり殴りこんで」
「こ」
俺が叫ぼうとすると、手で口を塞がれた。
「叫ばれると、また大切な言葉を遮られそうなので」
「ん、んん?」
「俺はあなたが好きです」
その言葉に俺は、んんっ! と声をあげた。口は塞がれていて叫びになんてならなかったけど。
頬に血が集まって熱い。頭がくらくらする。
これって別に酸欠ってわけじゃないよな。
「……それってオーケーってことでいいんですか?」
俺は頷く。
「手を離しますね」
頷く。
はぁー。
あー、苦しかった。
「あの、小西さ」
言葉はまたしても遮られた。今度は手じゃなくて唇で。柔らかくて、少しだけかたい。キスすると心臓がどきどきと音をたてる。苦しい。俺は夢中で小西さんに抱きついていた。
「……あ、あの」
「はい」
「小西さんって、手がはやいんですね」
「本当はもっとじっくり時間をかけるつもりだったんですよ。けど、曽野さんほっとくと、とられちゃいそうなんで。ふらふらされるのも困りますし」
にっこりと笑顔。
俺はぼんやりとその顔を見ていたら押し倒されて、覆いかぶされていたが、抵抗する気なんてさらさら起きない。
小西さんの笑顔は魔法だ。俺の心をどろどろにとかして、気持ちよくさせて、何も考えられなくする。
「俺も、小西さんが好きです」
気持ちのいい世界で、俺はそれだけかろうじて口にした。
やっぱり、まだ引きこもり。
小西さんは飲みに誘ったら、オーケーを貰い俺は駅まで迎えにいった。告げずに、驚かせるサプライズ。
いい人に見られたいとか
小西さんに何か返して欲しいとかじゃなくって
今は
「あ、小西さん? 駅のところで待ってます。はい」
電話のあと小西さんが笑って駆け寄ってくれた。
今は仕事でなくても、この人は俺の家に訪ねてくれて、一緒にいてくれる。
俺は、この人の笑顔をずっと見ていたい。




