第九話
「さて、これでいよいよ話が一本に繋がってきたな」
僕が言うと、みんな一斉に頷いた。享でさえ、小さく、しかし確かに頷いた。
今、みんなは僕の部屋に居る。今日は、日曜日なので、女の子二人も安全に呼べるように、正午過ぎにみんなで集まったのだ。僕はベッドに寄り掛かり、原田がそのベッドの上に寝そべっている。女の子二人は、僕達の向いの壁に、並んで寄り掛かり、享は、二階だというのに窓に腰掛けて、膝を抱いている。
「さてと、今まで分かったことを、少し整理してみようか」
僕が言うと、女の子二人は身を乗り出してきた。彼女らは、僕達が体を張って探り出してきたことを、まだ詳しく知らないのだ。
「いいかい、まず、高橋先生が謎の自殺を遂げた。そして、その自殺には、僕達が見た、あの奇妙なノートが密接に絡んでいる」
「うん、そのことについてね、あたし達、関係有りそうなことを聞き出したのよ」
美香が、口を挟んできた。僕達が色々調べている間に、女の子達は女の子達で、学校の先生なんかに聞いて分かる情報を積極的に集めていたらしい。
「あのねえ、うちの学校では、生徒会の顧問なんて、生徒との関わりが煩わしいから、って積極的に引き受ける先生は、あまり居ないんだって。樫村先生なんかは、特殊な例外だそうよ。ところが、何故かナメクジは、そのみんながいやがる生徒会の、しかも一番面倒くさい会計の係を、自分から望んでやってるんだって。だから、普通そういう役割は、三年ぐらいで持ち回りでやるんだけど、ナメクジだけは、ここ十年ほど、その生徒会の会計をずっとやってたんだって」
なるほど、それは奇妙だ。そんなことは、あのなんとなくネッチリとした、糞真面目だけども、本質的にはエゴイストなナメクジには相応しくない。
「むふふふふ。それは、やっぱりあれなんでしょうねえ。そのノートが、あんまり身近に置いておけない性質のものだったんでしょうね。木の葉を隠すには、木の葉の中に入れておくのが一番いいように、あのノートも会計の書類の中に紛れ込ませておけば安全だと思ったんでしょう。そうすれば、万が一、自宅が警察に捜査されても、証拠として見つかることはない。そう考えたんでしょうね」
原田が、ずり落ちてきた眼鏡を押し上げながら言った。
「それで、そのノートを人目に触れさせないために生徒会の会計役をずっと引き受けていたって訳か」
僕が言うと、原田も享も頷いた。
「それにしても、あのノートで取り引きしていたものって、一体なんなのかしら」
美香が、如何にも不思議そうにつぶやいた。
「まあ、待てよ、今、そっちの方にも話が行くからさ」
僕は、こう言うと、ぐっと身を乗り出した。
「さてと、ところが、高橋先生が自殺した、という線は怪しくなってきた。享が、謎の自動車に襲われたからだ。高橋先生と享を結ぶ線は、あのノートぐらいしかないから、享の命が狙われた以上、高橋先生も殺された、と考えた方がすっきりする。ここまではいいかな」
みんな異存無さそうだった。
「さてと、この辺から、女の子達は詳しい話を知らないだろうけど、実は、その享が襲われたとき、享は銀のピアスを拾っているんだ」
こう言って、僕はそのピアスを見せた。女の子二人は、装飾品に対する女の子特有の興味を丸出しにしてその変わった意匠のピアスを見つめた。
「で、享が、このピアスをしていた人物に心当たりが有ったわけだ」
僕は、享がこのピアスから鎌上浩司にたどり着くまでの話をかいつまんでした。女の子二人は、声をひそめて聞き入っている。
「そんな訳で、鎌上と、このピアスとの関係を確かめるために、僕と原田は、そのゴルゴンに乗り込んでみたんだ」
ゴルゴンでの出来事と、その後の追跡劇を話して聞かせると、女の子二人は息を飲んで聞き入っている。話し終ると、恵子が言った。
「ねえ、そんな危ない目までして、もういい加減にしたらどうかしら。後は、警察に任せた方がいいと思うんだけど」
「いやいや、なかなかそうはいかないと思いますねえ。ほっほっほ」
原田が、舌で唇を嘗めながら言った。どうにも、こいつはやることなすこと妖怪じみた奴だ。本当に人間なのかどうか、時々疑わしくなる。
「いいですか、この銀のピアスが、享君の襲撃者が落したものかどうかは、実ははっきりしていないんですよ。ぐふふふふ。頼りは、享君の勘だけです。そんなあやふやなことで、警察の捜査方向を決めさせるのは、あまりにも頼りない、という問題が有ります。もし万一、これが今度の事件とは何の関係もない、単なる落し物だったら、警察の捜査を著しく妨げるだけでなく、ゴルゴンの連中に、いらぬ恨みを買う、ということになります。もっとも、そのこいつがただの落し物だという可能性は、昨日、連中が逆上して僕らを追いかけたことで、随分少なくなっていますけれどね」
原田は、今度はずり落ちかけた眼鏡を押し上げながら、ニタリと笑い、それから唇を嘗め回した。
「それにね」
僕が割って入った。
「一番重要な理由は、僕らがそうしたくない、ということなんだ」
恵子も美香も、僕の口から随分と意外なことを聞く、という驚きの表情で僕をじっと見つめた。
「いいかい、今度のことで、一番被害を被って、何としても自分の手で落し前を付けたいだろう享は別格として、多分、僕も原田も、こんなスリリングで面白いゲームから、途中で下りる気は全然無いということなんだ」
「ねえ、そういう無茶なこと、享の口から聞くのは分かるけど、何で亘ちゃんまでそんな無茶苦茶なこと言い出すのよ」
美香が、半分泣きそうな顔になって言った。どうせ、無茶なことを言い出すに決まっている享を、僕にも一緒に説得して欲しかったのだろう。それが、頼みの綱の僕までが、こんなことを言い出したのでは、説得も糞も無くなるわけだ。
「ああ、その辺に関しては、男なんて、みんな似たりよったりだ、ってことさ。まあ、そんなことより、話を元に戻そうよ」
女の子二人も、とにかく話の続きを聞く姿勢になった。
「さてと、さっき、僕らが、ゴルゴンに行って、その鎌上と擦れ違った後に、追っ掛けられたことまで話したよね。でもね、実はさっきは、あのゴルゴンの連中が、鎌上をなんて呼んでいたか、をわざと言わなかったんだ。さあ、なんて呼ばれていたと思う」
僕が挑発的に恵子と美香を見ると、さすがに二人とも声を揃えて言った。
「まさか、銀、なの?」
「ああ、その通り、ね、話は、全部一本に繋がってくるだろう。しかも、その銀について、連中の一人が、重要なことで口を滑らせているんだ。銀は、ヘロインやコカインそれにシャブ、つまり覚醒剤のバイヤーだって言うんだよ。こうなると、あの高橋先生のミニハーレムを維持するのに必要な巨額の資金の出所に、一歩近付いた、って感じがするだろう」
「麻薬……ね、なるほどね」
女の子二人とも、如何にも納得した、というように頷いた。
「だとすると、辻褄が合ってくるわ」
恵子が、いきなり言い出した。
「え、なんだい?」
思わず、僕と原田が口を揃えて聞いてしまった。享でさえ、ピクリ、と片方の眉を動かした。ここで、恵子姫の発言があるとは、思わなかったのだ。
「あのねえ、あたしが、カメラみたいな記憶力を持ってることは、みんな知ってるでしょう」
ああ、そのことなら、僕達だけじゃなく、うちの学年全体の一種の常識だ。恵子の異常な記憶力のことを知らない生徒は、至道館ではモグリだと言われている。
「それで、あたし、享君があのノートを持っているときに、パラパラめくるのを見ていて、日付や何かを大体憶えていたのよ。で、どうもあのノートに、何か重要な鍵が書かれていたらしい、っていうことが分かってから、それを記憶していたとおりに書き留めておいたの」
「そしたらさあ、意外な事実が判明したのよ」
すかさず、美香が主導権を握った。こういうときは、恵子はすぐに身を引いて、美香に全てを任せてしまう。
「あの日付を見てると、あたし達、なんか見たような日付だなあ、って思ったのよ。で、頭をひねっているうちに、パッと閃いたのよ」
「誰が?」
享が、茶々を入れた。美香が、ぐっと詰まって、トーンを落して言った。
「もちろん……恵子がよ……」
しかし、この程度でめげる美香ではない。たちまち、怒涛のような早口で僕らを寄り切り始めた。
「いい、ここに、そのノートが有るんだけど、ちょっと見て」
美香は、恵子がさりげなく鞄から出したノートを、すっと取って開いた。僕達は、その上に頭を寄せる格好になった。
「さあ、良く見て、この日付、これ、全部長期休業の最後辺りか、その直後に集中しているのよ」
なるほど、言われてみると、夏休みを主にして、冬休み、春休みなど、バラついてはいるが、みんな長期の休みの後ろ近くに取り引きの日が集中している。
「でね、あたし達は、樫村さんなんかに、それとなくその辺りのナメクジの動静を聞いてみたの。でも駄目ね、樫村さんは、あの人、そういう他人のプライバシーみたいなことには、一切興味無いのね。ほんとにもう、仙人みたいな人よ、あの人は」
こう言って、美香はふくれたが、反面、そんな仙人を担任に持っていることが、多少誇らしげにも見えた。
「でね、ハンプティ・ダンプティの古橋先生に聞いてみたのよ。そしたら、ドンピシャ。あの人は、変に世話好きだし、それに教員の休み期間中の動静を把握しておく教務課でしょう、他人の動向も、みんなしっかり把握しているのね。で、この日付の関係有る休み中に、ナメクジは、いつも同じことをしています。はい、それは何でしょうか?」
「海外旅行か……」
僕と原田と享は、ほとんどコーラスにしてもいいぐらいにドンピシャのタイミングで、一斉につぶやいた。
「そう、御名答。彼は、このとき、いつも教員の海外研修のパックツアーで台湾とか韓国とかに行っているのよ。夏期講習や冬期講習なんかが終わった直後にね」
「ぐふふふふ。なあるほどねえ、うまく考えましたねえ。教員の研修旅行のパックツアーなんかだと、税関のチェックも甘いんですよね。ほとんど、フリーパスみたいなもんですからねえ。なるほど、教員を麻薬の運び屋にするっていうのは、なかなか賢いやり方ですよねえ」
原田が、いつになく興奮した口調で言った。
「それにしても、そんな面倒なこと、一介の半端ミュージシャン一人で出来ることじゃねえな。何か、バックが有りそうだな」
享が、腰を下ろした窓枠から、みんなを見下ろすようにして言った。
「そう、そうですね、多分、ヤーさんなんかが絡んでくるんでしょうね。これは、いよいですよ。面白くなってきましたねえ。ほっほっほ」
原田がはしゃぐのに、さすがの享も呆れ顔に言った。
「おい、俺は個人的な復讐っていう動機が有るから、多少ヤバイ橋は渡るつもりだけどよ、お前と亘は、何も好きこのんでこんな危ねえことする必要ねえんだぜ。いい加減なところで、下りた方がいいぜ」
しかし、僕にも原田にもここで下りる気はさらさら無かった。二人とも、オートバイをぶっ飛ばす奴らがスピードの危険さに酔うように、この事件が持つ危険さの魅力の虜になっていたのだ。結局、二人とも若かったということだ。ま、今も若いけど。
「そんなことよりさ、この先をどう詰めてく? 銀まではなんとか行き着けたとして、その先、実際に麻薬を動かしてる連中までたどり着くのは、けっこう骨だぜ」
僕が言うと、原田が茶々を入れた。
「そうそう、銀なんか、幾ら詰んでも、王を詰めなければ、話は終りませんからね」
こう言って、イヒヒヒッ、と肩を震わせて笑った。
享がにやり、と笑いながら言った。
「まあ、待ってろよ。ちょっと、俺に考えが有るんだ」
その不敵な顔には、はっきりした自信と、子供っぽい悪戯な気分に、憎悪の焔が微妙に入り混じった、ちょっと不思議な表情が浮かんでいた。
「享、また、危ないこと考えてるんじゃないでしょうね」
美香の心配そうな視線にも、享は笑って答えなかった。