第三話
「しかし、僕達、本当にこの部屋の主になっちゃったねえ」
何となく複雑な心境で、僕はこうつぶやいた。この現在の状況に、どうにも現実感を感じることが出来なくて、どこか放心したようになっているのは、みんなおんなじようだった。
僕達五人は、今生徒会室に居る。たった今、前執行部からの引き継ぎが終ったところだ。もっとも、引き継ぎとはいっても、前執行部のほとんどのメンバーは、二年間一緒に仕事をしてきた浜口を支持していたわけで、はっきり言って至道館高校の鼻つまみものでしかなかった僕達のグループには反感を持っていた。(もちろん、その反感のほとんどは享に向けられたものだった)
ま、そんな訳で、この引き継ぎも形式だけのもので、僕達は様々なロッカーの鍵だけを貰って、具体的に、どこにどんな書類が有るか、とか、どんな手順で一年間の仕事をして行けばいいか、といった本来の引き継ぎは一切行なわれなかった。
もっとも、それは予想された反応だったので別に驚きも、怒りもしなかった。第一、いくら至道館では鼻つまみものだとは言え、僕達だってそれぞれの中学校では指導的な立場にいたことが有るのだ。生徒会の仕事の手順ぐらいは、うだうだ説明されなくても、何とか見当ぐらいは付く。
と、まあ、そんな訳で、僕達は今生徒会室にぽつんと取り残され、何処から手を付けようか、と、ちょっと思案していると言うわけだ。別に、途方にくれていたわけでは決してない。念のため。
まあ、前執行部が非協力的だからと言っても、世の中には顧問の先生と言うものがいるじゃないか、と思う向きもあるかも知れない。しかし、こっちの方は、もっと絶望的なのだ。
なにしろ、大方の予想に反して享の当選が決まったとき、校長と教頭が顔色を変えてしまったのだそうだ。特に、教頭の方は、その見事に禿げ上がった前頭部を真っ赤にして怒り狂ったらしい。
「樫村先生、とんでもないことですぞ。あんな、パンクとかパンツとかいうとんでもない頭をして、エレキなんぞに狂っている男が、名門至道館の生徒会長だなどと言うことは、本校の名誉に関わります。県内各方面で活躍なされている諸先輩がお聞きになったら、どのように嘆かれることか。いや、駄目です。断じて、あんな男を生徒会長にするわけにはいきません。樫村先生、この選挙は無効です。今直ぐ、やり直してください」
教頭が、口角泡を飛ばしてこう弁じ立てると、校長が、おもむろに眼鏡をかけ直しながら、樫村先生に言ったのだそうだ。
「まあ、教頭先生のおっしゃるとおりですな。いくらなんでも、あの渡辺享とかいう生徒は、ちょっとひどすぎます。あんな真っ赤な髪の毛の生徒会長では、名門至道館の沽券に関わるでしょう。樫村先生、ここは、やはり一つ、選挙のやり直しと言うことでですな、お願いしたいんですがね」
ここで、樫村先生が、まなじりを決して言ったのだそうだ。
「ちょっと待ってください。校長先生に教頭先生、享は、正式な手続きを踏んだ、有効な選挙で選ばれた会長です。それを、教員の色眼鏡で好ましくない人物が会長になったから、選挙をやり直させる、では、それこそ至道館の生徒の自主性はどうなるのだ、と他校に笑われると思います。第一ですね、どんな理由で、それにどういう形式でやり直しをさせるんですか。同じ立候補者同士なら、結果が同じであることは目に見えています。それとも、何ですか、享だけ、立候補を禁止するんですか。それとも、全校生徒に、享には投票しないように指導するんですか。どっちも、およそ教育の場で行なわれてはならないことだと思います。とにかく、私には正式な手続きを踏んだ選挙を、もう一度やり直すなどということは出来兼ねます。やるんなら、他の先生にやって貰ってください」
この樫村先生の台詞は、ちょうどその場に居合せた古橋という先生から聞いたことだから、ほぼ間違いないだろう。
この樫村先生の答弁を聞いて、校長も教頭も、顔色を赤や青に信号機のように変えて絶句したそうだが、とにかく正論なのでどうにもしようがなかったらしい。
それにしても、これほど校長、教頭に睨まれている生徒に、喜んで協力する教員が居るわけもない。
樫村先生も、さすがにちょっと言い過ぎた感じが有るので、しばらくの間これ以上は校長、教頭を刺激するのは、なんぼなんでもちょっとやばいんじゃないか、という立場に居るわけだ。
こんな具合で、これまでの仕事の手順や、生徒会室の有様を知っている人間の協力は、ほぼ絶望的なままで、僕達の新執行部はスタートしたわけだ。
と、まあ、こんな次第で、冒頭のように、僕達は半ば呆然としながらも、よーし、そんなに非協力的なら、こっちも頑張って見返してやろうじゃねえか、などと半分悲愴感に溺れたりもしていたのだ。
こんな気持ちは、僕だけでなく、原田も、美香も、恵子も、程度の差はあれみんな似たようなものだったに違いない。しかし、一人だけ、他の連中と違う反応を示しているのがいた。
「ふぁーあ、かったるいけど、しょうがねえな。まず、その辺のロッカー、みんな開けてみようぜ。どこにどんな書類が入っているのかの見当さえ付けときゃ、いざというときに、マニュアルがなくて慌てることもねえだろうからな」
全く、全てに我関せず、という表情をしているくせに、変なところで現実的に有効な対処をする奴だ。この享という奴は。
で、享の言葉通り、僕達はもらった鍵を使って、とにかく全てのロッカーや引き出しの中味を点検することから始めた。鍵は、一つの束にまとめられていたが、大抵の鍵に、どのロッカーの鍵かを示す符号が付いていたので楽だった。
こんな時に、やっぱり要領がいいのが恵子だ。恵子は、直ぐに何枚かの上質紙を持ち出してきて、僕達が開けては点検するロッカーの中味を、要領良くまとめ、それをそのロッカーにテープで貼り付けた。こうすれば、どのロッカーに、どんな内容の書類が入っているのか、一目瞭然という訳だ。
さすがに、前の執行部、というより代々の執行部には几帳面な人物が多かったらしい。様々な書類は、大体主な行事毎に整理され、ファイルされていたので、さほど戸惑うこともなかった。
それでも、内容不明の書類なんかも結構有ったので、大体のロッカーや引き出しの中味を検討し終った頃には、六時頃になり、外も暗くなっていた。
「あれ、おかしいな。この机、引き出しに合う鍵がないぞ」
こう言いながら、鍵束をしきりにガチャガチャいわせているのは原田だ。事務室や職員室に良くある、スチール製の机の引き出しを相手に格闘している。
「どれ、見せてみろよ」
享が、原田を押し退けて、机の前に立ち、いきなり乱暴に力任せに引き出しを引っ張った。ガシャガシャッ、と凄い音がした。
「あれ、っかしいな。本当に開かねえぞ。おい、なんで、どの引き出しも開かねえんだ」
どうやら、その机は、右上にある鍵穴で鍵を掛けると、全部の引き出しがロックされる仕組みになっているようだった。
「めんどくせえなあ、ぶっこわしちまうか」
享が、物騒なことを言い、本当に力づくで鍵を壊しそうな気配を見せた。すると、原田が、にやにやと舌なめずりをしながら、言った。
「まあ、待って下さいよ。この引き出しだけ、鍵が無いっていうのもなんかおかしい。第一、今まで会計関係の書類が全く見つかっていないでしょう。案外、裏帳簿かなんかが有って、生徒会の連中が使い込みでもしていたのかも知れませんぞ。ほっほっほ」
そう言うと、原田は恵子に「ちょっとヘアピンを貸してくれませんか」と言った。恵子が、ポケットからピンを取り出して渡すと、原田は如何にも嬉しそうな顔をして鍵穴の前に座り込んだ。我が友人ながら、不気味な奴だ。
暫く原田がピンで鍵穴をいじっていると、カチッ、と音がしてロックが外れた。早速引き出しを覗いてみると、やはり会計関係の書類がぎっしりと詰まっていた。
「何だ、やっぱりドンピシャリでしたね。それにしても、何でこいつだけ鍵がないんでしょうね。まさか、あの生徒会の連中に、本当に会費を使い込みするだけの度胸が有るとも思えないんですけどねえ」
原田が、ミイラみたいな顔をしかめながら、如何にも不思議そうにつぶやいた。
そのとき、享が袖の方じゃなくて、腹の前にある、一番大きな引き出しから取り出した一冊のノートをパラパラとめくりながら言った。
「おい、なんか、変なノートが有るぜ。何だこれ?キャラメル五十円だの、取り引き相手が、銀だのと、変な帳簿だぜ、これ」
こう言われて、みんな集まってそのノートを覗き込んだ。
なるほど、それは奇妙な帳簿だった。普通のノートに線を引いて、覚書のように書かれたもので、中にはキャラメル五十円とか、チョコレート百円などと、何かの符丁としか思えないものが書いてある。主に、この帳簿を付けた者が、銀という相手に品物を渡して、五十円とか、百円とか受け取ったことになっている。とても、生徒会の帳簿とは思えない代物だった。
「おい、君達は、一体何をしておるのかね」
いきなり大きな声で怒鳴りつけられて、びっくりしながら振り返ると、そこにはナメクジ、とあだ名されている生徒会顧問の一人、高橋伸二が立っていた。(先生、と付けないのを見ても分かるとおり、樫村先生なんかとは違って、生徒からの嫌われ者だ。糞真面目なだけが取柄で、なんとなく全体に、ヌメッ、とした印象が有るので、ナメクジなんていうあだ名を付けられている)
「あ、どうも、先生、あたし達、前執行部から鍵を引き継いだので、ロッカーの中味なんかを点検していたんです」
教員に受けのいい恵子が、如何にもしおらしく答えた。
「ん、ああ、そうか、君達は全員が新執行部というわけか。しかし、もう遅い。そろそろ帰るんだな。いつまでも生徒会室に明りがついているから、ちょっと不審に思って見に来たんだ」
「あ、先生、この机の鍵、無いんですけど、どうしてですか」
恵子に聞かれて、ナメクジの顔色が、変わったように見えた。
「ん、ああ、それは、大事な会計の書類が入っているから、私が管理しているんだ。だから、鍵も私が持っている。まさか、中を見たんじゃないだろうな」
ナメクジが、幾分慌てたように聞くのに、享がいけしゃあしゃあと答えた。
「え、はあ、鍵が開いていたんで、中は見ましたけど。いけないんですか」
ナメクジが、如何にも不安そうな顔をしたので、僕もちょっと不審に思った。よっぽど見られてまずいものでも有るのだろうか。
「いや、別にいけないということは無いが……」
後半の語尾は消え入りそうだった。そして、ナメクジの目が、享の手にあるノートに釘付けになった。
「き、君達、そのノートはなんだ!ま、まさか、中を……」
ナメクジの慌てぶりは、異常だった。原田が、やはりふてぶてしい態度で、関西弁風のアクセントで答えた。
「はあ、なんやら、キャラメルとか、チョコレートとか、分けの分からんことが書いてありましたけどねえ、ほっほっほ。あれ、一体何ですか?」
ナメクジの顔色は、明かに真っ青になっていた。
「な、なんでもない、それは、私の個人的なメモだ。か、返したまえ」
こう言って、ひったくるように享の手からそのメモを取り返すと、逃げ出すように生徒会室を走り出て行った。その様子を見ながら、みんな訳が分からずにポカーン、と口を開けて立っていた。
「ほな、帰ろうか」
毒気を抜かれたように原田が言うのに、みんな頷いて帰ることにした。そのときは、これが、あんな大事件の発端だなんて、誰一人予想していなかった。だから、当然のことながら、みんな新執行部の初日が、まあまあの感じでスタートしたことに、多少満足な気分で家路に付いたのだ。
その夜も、僕らはみんなごく普通に過ごした。
そして次の日の朝、何時ものように登校した僕達は、ショッキングなニュースを聞かされるはめになった。
ナメクジ、いや、高橋伸二先生が、昨日の晩に学校の屋上から飛び降り自殺をしたのだった。