第十三話
僕達は、三人揃って、縄でぐるぐる巻きにされて、埠頭にある空き倉庫の隅に転がされていた。もう、嬉しくなってしまうほどに、完璧な絶体絶命状態にあるというわけだ。
あれから、取り引きは無事に終り、ボートで来た三人は、金を受け取ってまたボートに乗って帰ってしまった。
残った男達の中で、一番ランクが高いらしい、例の高級なスーツに身を包んだ男が、猫撫で声なのに、妙に底力のある、むしろドスのきいた声、と言いたくなるような声で聞いてきた。
「さて、坊や達、坊や達には、聞いておかなけりゃあならないことが、色々となあ、いっぱい有るんだ。出来るだけ、俺達に手間を掛けさせないように、いい子で、大人しく聞かれたことには答えて欲しいもんだな」
口調は優しそうだったが、声の響きには、有無を言わせない冷酷な響きが有った。
「さてと。まず、坊や達は、一体どこまで知っているのかな。おじさんに、ちょっと聞かせて貰えないかな」
高級スーツは、多少冷笑気味に、薄ら笑いを浮かべながら聞いてきた。僕達が黙っていると、チンピラの一人が、物も言わずに僕らの顔面に蹴りを入れてきた。
原田が、もぐもぐとした声で、ちょっと小馬鹿にしたような口調で言った。
「知っているも何もねえ、ありゃしませんよ。僕らは、あんた達が、一体何をしているのかを調べるために、今日わざわざここに来て、こうして捕まっちゃった訳ですからねえ。要するに、肝心なことは何にも知らないんですよ。はい」
原田の口調が気に入らなかったのか、さっきのチンピラが、また原田に蹴りを入れた。原田は、「うっ」と呻いて身を縮めた。
「いいかい、坊や、口の聞き方には気をつけることだよ。うちの若いものは、みんな気が短いからね。時々、私にもどうしようもないほど暴走することが有るんだよ。君達がどんな目にあっても、私には責任が持てんよ」
こう言って、高級スーツはしゃがみこみ、原田の顎に手を当てると上に向かせた。そして、ゆっくりと、優しい声で聞いた。
「さて、君達は、私達がここで商売していたものが、一体何なのか見当が付いているのかな」
「ふん、どうせ麻薬かなんかだろう」
享が、ふてぶてしい声で言い放った。
「ほう、やっぱり知っていたか。それにしても、そんなことをどうやって突き止めたんだろうね。その辺を、詳しく話してくれないか」
「大したことじゃねえよ。あんたら、高橋が、俺達に例のノートを見られた、ってんで殺したんじゃねえのか。そうなりゃあ、なんでそんな、一冊のノートを見られたぐらいで人一人殺さなけりゃならねえのか、誰だって不思議に思うじゃねえか。そこに、俺をわざわざ襲ってきた馬鹿がいる。これは、いよいよおかしい、ってことになって、そのノートの中味の何がヤバイことなのか、知りたいと思うのは当たり前じゃねえか」
享が、不貞腐れたように言うと、高級スーツは、如何にも納得した、という顔をした。そして、銀の方を向いて言った。
「ほれ見ろ、お前達が、あんまり慌てて先公を殺したり、そこの坊やを襲ったりするから、かえって薮蛇になるんじゃねえか。いいか、殺しなんていうものは、他にどうしようもない、ぎりぎりのときにやるもんなんだ。無闇矢鱈とドスを振りかざすばっかりが能じゃねえんだ。良く憶えとけ」
そして、もう一度享に向き直ると、猫撫で声で言った。
「で、その先はどうなんだい」
「さあ、知らねえな。何か、喋る気が失せちまったよ」
享が言い、ついでに派手に欠伸をした。
「ふぁーあ、全く、かったるいやくざだぜ」
享が挑発すると、案の定さっき原田を蹴ったチンピラが強烈なキックを享に放った。それを、享が絶妙のタイミングで寝転がったので、チンピラのキックは空を切り、バランスを崩して派手に尻餅を付いた。
「うわーっつはっは!」
僕が、大声で笑うと、逆上したチンピラは、僕の方に突っかかってきた。
「止めねえか!うっとうしい。ガキにからかわれてるんじゃねえよ」
高級スーツに一喝されて、チンピラは、不承不承後ろに引っ込んだ。
「さてと、坊や達、いい加減におじさんに教えてくれないか。ノートの中味から、君達は一体どんなことを推理して、こんな所までやってきたのかな」
僕らが、不貞腐れたような顔をして黙りこくっていると、高級スーツは何とも言えず残忍な薄ら笑いを口元に浮かべた。その笑顔を見たとき、僕はまるで背中に鋭利な刃物でも突き付けられたようにぞっとした。
「まあ、言いたくなければ、こっちにも考えがあるよ。さて、どのぐらい我慢できるかな」
こう言うと、高級スーツは、「クックック」と含み笑いをしながら、やおら原田の方に向き直ると、いきなり原田の顔面に蹴りを入れた。「うっ」と呻く原田に、今度は腹部をめがけてさらに強烈な蹴りを入れる。そうしながら、高級スーツは僕らに向かって言った。
「さて、誰がいい子で喋ってくれるかな。それとも、この子がどんな目にあっても、君達には関係無いのかな」
明かに、僕か享のどちらかを喋らせるために、原田一人を痛めつけているのだ。みんながおんなじように痛めつけられれば、互いに意地を張り合って口を割らせるのは容易でないと思ったのだろう。なるほど、伊達に幹部はやっていないというわけだ。僕は、たまらずに叫んだ。
「分かった、言うよ、言うから、止めてくれよ」
すると、高級スーツは、原田を蹴るのを止めて、僕の方に向き直った。
「ほう、物わかりのいい坊やだ。さて、じゃあ、話して貰おうか。君達は、そのノートから、どうしてここまでたどり着いたんだね」
「ああ、あのノートには、銀、という符丁が使ってあった。そして、享が、自分の襲撃された場所の近くで銀のピアスを見つけた。そのピアスには、享が見覚えが有った。一度共演したギタリストが身に付けていたのを、享は憶えていたんだ。で、そのピアスの持ち主を辿って行ったら、銀というニックネームのミュージシャンに出会った。後は、その銀のアパートに忍び込んで、あんた達との関係を匂わす電話番号を見つけたんだ」
銀が、舌打ちしながら言った。
「けっ、なんて奴らだい、本当にお前ら高校生か。俺のヤサに忍び込んだなんてよ、俺はちっとも気が付かなかったぜ」
「バカヤロウ、おめえがドジなだけだよ。おめえ、こんなドジばっかり踏んでると、しまいにはてめえが東京湾に浮かぶぞ。何も、音楽屋相手のバイニンは、おめえ一人じゃねえんだからな」
なるほど、銀は、ミュージシャン相手専門のバイニンというわけか。今も昔も、麻薬の虜になるのに、ミュージシャンの比率が多いのに変わりはない。だから、ミュージシャン専門のバイニンを置く価値も十分有るというわけだ。
「で、銀の所でうちの組との関係を知ってと、ところで、うちの組がどこかは知ってるのかい」
「ああ、知ってるよ、極東会だろう」
「なるほど、ちゃんと知ってるんだな」
高級スーツの目が、何か危険な感じでつーっと細くなった。
「で、お前ら、どうやってここに来たんだい」
高級スーツの声に、ちょっと緊張が有った。僕は、誘導尋問に引っかからないように注意して言葉を選んだ。
「それは、銀のメモから、今日の日時と、この場所を知って、何か重要な取り引きでもあると思ったんだ。だから、僕達が、あんまり戻らないようだったら、すぐに警察に通報するように、友達にこの場所と時間を知らせてある」
僕が、はったりをかましたときだ、銀が、鋭い声で言った。
「嘘だ! 俺は、今までにも何回かこの埠頭での取り引きに立ち会ったことが有る。日時はメモしても、場所なんかメモするはずがねえ」
しまった!僕は唇を噛んだ。僕は、てっきりこの場所での取り引きは、高橋先生が死んでしまったので、臨時に設定された場所だと思ったのだ。だから、あのメモには場所は書いてなかったけど、そんなこと、銀も忘れていると思ったのだ。
「それによ、お前達、事務所の前からここまで、ずーっと俺達の車を付けてただろう。ちゃんと知ってるんだぜ。何せ、それに気付いてから呼んだこいつらの車が、ずっとお前らの後から付いてきていたんだからなあ」
チンピラの一人が、僕らを待ち伏せしていた奴らの方に顎をしゃくりながら言った。
高級スーツが、頷きながら、囁くような声で言った。
「なるほどな、坊や、語るに落ちたな。どうやら、おめえ達がここに来ていることを知っている人間なんて、いねえみてえだな。万が一、なんかおめえ達が書き残していても、おめえ達は俺達がヤクを取り引きしていた何の証拠も持っていねえ。そんなら、おめえ達の死体さえ見つからなけりゃ、サツに調べられても、シラを切り通せるって寸法だ。安心して、ここの海底におめえ達を沈めることが出来るって訳だ」
高級スーツの目が、酷薄に光った。銀も、凶暴な期待に、舌嘗めずりしながら目をギラギラと光らせた。
「おい」
高級スーツの合図で、若いもの達が、嫌なものを持ってきた。ドラム缶を半分に切った奴を三個と、セメントの袋、それにバケツ三つに入った水だ。
若いもの達は、ドラム缶の中にセメントの粉を入れ、水を入れて捏ね始めた。
享が、その様子を見ながら、妙に醒めた声で聞いた。
「なあ、どうせ、俺達を殺すんなら、ちょっと教えてくれよ。あんたら、なんで高橋の先公を、あんなに簡単に殺しちまったんだい。あんなノート、チラッと見ただけじゃあ、何のことだかさっぱり分かんねえからよ、ナメクジさえ殺されなけりゃ、俺達だってあんなことすぐに忘れたんだぜ。第一よお、用心深いあんたがやったにしては、妙に手際の悪い殺し方だったじゃねえか」
享は、真っ直ぐに高級スーツを見て言ったので、高級スーツも答える気になったらしい。
「ああ、あれはな、あの高橋、そうか、ナメクジって言うのか、ああ、あいつに相応しいあだ名だな」
こう言って、高級スーツは暫く「クックック」と笑った。
「あいつなあ、お前達にあのノートを見られたことを切っ掛けにして、俺達を強請ろうとしたんだよ。あいつ、これを機会に、まとまった金を作って、女達を連れてフィリピン辺りに高飛びして、余生は贅沢三昧で暮らそうと思ったらしい。日本円で数千万の金を持っていきゃあ、向こうなら一生遊んで暮らせるからな。それで、そのときにお前達の話が出てな、銀がびびったんだ。銀も、生徒会長になった、っていうおめえの髪のことを聞いて、自分の知ってる奴だと分かった。じゃあ、おめえの方も、ひょんなことから、自分のことをかぎ出さねえとも限らねえ。だから、銀は、おめえだけは、早めにバラスにこしたことはねえと思ったんだな。そして、それもこれも、俺の耳に入る前に、こいつらが独走してやっちまったんだ」
こう言うと、高級スーツは、銀やチンピラ達を凄い目で睨み付けた。チンピラ達は震え上がり、下を向いて黙々とセメントの粉を捏ねた。銀は、不貞腐れたように下を向いた。高級スーツは、話しを続けた。
「正直なところ、俺も、銀や、こいつらが、そんなに先走ったことをした、と聞かされた時にゃあ、頭を抱えちまったよ。これじゃあ、サツにどうか捜査をしてください、と言わんばかりの真似だからなあ。しかし、まあとにかくここでお前さん達に消えて貰えば、サツも疑惑は持つだろうが、決定的な証拠は握れねえからな。まあ、いいだろう。じゃあな、今時の海は冷てえだろうが、俺を恨まずに成仏しなよ」
高級スーツが、目で合図すると、僕達は、それぞれ二人のチンピラに両脇を抱えられ、持ち上げられてセメントでいっぱいになったドラム缶の方に運ばれた。
万事休すか。何となく現実感が伴わなかったが、どうやらこれで僕らは短い一生を送り終ることになりそうだ。
良く、人間、死ぬときは自分の一生を走馬灯のように思い出すもんだ、なんて言うけど、僕にはそんなことは別に無かった。ただ、一度でいいから、恵子とキスの一つもしてみたかったな、という後悔と言うには、あまりにも淡い感慨が有るだけだった。
僕らの両足は、セメントの中に突っ込まれた。冷たくて、ベトベトしていて、妙に気持ちの悪い感触だった。
ああ、こりゃ駄目だな。僕は、諦めて観念した。享も、原田も、憮然とした表情だが、泣き言一つ言うわけでなしに、黙ったままでされるようにされていた。まあ、我が友ながら、天晴れ、という感じだった。
高級スーツが、にこにこしながら、僕に言った。
「さて、どうだい坊や、何か言い残すことはないかい」
僕は言った。
「糞食らえ!」
享は「フン」と鼻を鳴らしただけだった。
あちこち殴られたり蹴られたりして、ボロボロのはずの原田が、いつもの皮肉な口調で言った。
「僕はねえ、必ず、あんた達のところに化けて出ますからね、覚悟しておいて下さいよ。ほっほっほ。そのときに、失禁なんかしないようにお願いしますよ。きちゃないのは、ご免ですからねえ。ぐふふふふ」
いやはや、こんなときに、良くこんな長い台詞で皮肉を言えるもんだ。やっぱり人間離れした奴だな、と妙に感心してしまった。そして、そんな暢気なことを考えている自分も、相当脳天気なのかな、と反省した。
「おやおや、口の減らない坊や達だ。しかし、そんなでかい態度でいられるのも、今のうちだけだよ。いざ、ボートに乗せられて、沈められるだんになると、みんな土下座して命ごいをするものなんだよ」
ああ、それはそうかも知れない、と思った。いざ沈められるときになったら、やっぱり恐くて失禁ぐらいしてしまいそうだな。
銀が、享のところに、ツカツカと近寄った。そして、ナイフを取り出し、言った。
「簡単に死ぬ前によ、少し俺を楽しませろや。どうだ、顔を切り刻まれるのがいいか。それとも、お前のぺニスから切り刻もうか」
銀の口元には、サディスティックだが、だらしないにやにや笑いがこぼれている。ああ、こいつは、本物のジャンキーなんだな、と思った。高級スーツは、苦い顔をしながら、止めようとはしなかった。
銀が、ナイフを享の顔に近付けた。
「そこまでだ、みんな、動くなよ!」
突然、凛とした声が倉庫内に響き渡った。
ヤクザどもは、一瞬ギクッとした表情で凍り付いた。
声の方を見て、僕は驚愕と安堵のあまり腰が抜けそうになった。倉庫の出入口には、秋月刑事と権藤刑事が、十人以上の警察官を引き連れて、銃を構えて立っていたのだ。その後ろに、美香と恵子が、こわごわと首を出している。
ヤクザどもは、ゆっくりと後ろを振り向き、口々に「畜生!」と呻いたが、銃を構えた警官が揃っているのを見て、どうにもしようがなかった。
「うぉー!」
突然、銀が逆上したように吠え、享の後ろに回ると、享の首にナイフを突き付けた。
「動くな!動くとこいつの首を、ぶっすりとやるぞ!」
そして、享を促してドラム缶の、まだ乾いていないセメントから足を引き出させた。このまま、享を人質に警察の包囲から逃げ出すつもりらしい。
他のヤクザ連中も、警察に取り囲まれた時点では半分観念したようだったのが、銀のこの動きで、やはり僕らを人質にとって何とかしよう、という気分になりかけたようだ。
ヤバイな、と僕は思った。チンピラ共が、警察の動きを牽制しながら、僕と原田の方にじりじりと近寄ってきた。その様子を見て、銀の口に薄ら笑いが浮かび、その視線は僕達の方に動いて享から逸れた。
と、そのときだ「ウォリャー!」というかけ声と共に、享が自分の首に巻き付いた銀の腕を振りほどき、その手を掴むや否や、骨折していない右腕一本で、鮮やかな一本背負いを決め、銀の体は宙に舞ってコンクリートの床に叩き付けられた。
「ウグゥウッ!」銀が呻き声を発した。
享は、すかさず右足で銀のナイフを持った右腕を踏みつけ、左足で銀の頭に強烈なキックを二発、三発と食らわせた。
その隙を逃さず、警官達は倉庫の中に突入し、僕らを取り巻きながら動けないでいるヤクザ共を取り押さえた。高級スーツは、観念しているのか、ジタバタしないで、大人しく警察に捕まった。まあ、この連中には、刑務所暮しは、むしろ箔付けになってちょうどいい、ぐらいの感覚なのかも知れない。
しかし、明かな殺人罪を犯している銀は、軽い刑では済みそうもないから、享に押え込まれていても、警官にとっ捕まってからも、見苦しくジタバタと往生際の悪いところを見せた。
「享!」
美香が叫んで、享の方に走り寄った。
それはいいとして、恵子が、「原田君、大丈夫!」と叫びながら走り寄ったのは、一体どういうことだ? 僕は、内心焦った。恵子は、当然僕に走り寄ってくれるもんだと思い込んでいたからだ。
僕は、命が助かった嬉しさよりも、恵子の意外な行動にショックを受け、呆然として、口をあんぐり開けながら、阿呆のように突っ立っていた。