第十二話
十一月八日、七時半、僕達は、極東会の事務所前の路地裏に、バイクに乗って集合していた。もっとも、バイクは二台しかなくて、原田は享のナナハンの後ろに乗っているんだけれど。
もちろん、至道館でも、他の高校並に、いわゆる三ない運動は展開されている。曰く、バイクの免許を取らない、バイクの運転をしない、バイクを買わない、の三ない運動というやつだ。
でも、かなりの者は、こっそりと隠れて免許を取っている。学校でも、他の学校の生徒と違って、至道館の生徒は馬鹿な運転をして重大な事故を起こすことなどないだろう、と安心していて、あまり厳しく取り締まらない。
だから、男子生徒の過半数は、バイクの免許を持っていると思う。もっとも、享みたいに大型の免許を持っている奴、っていうのは滅多に居ない。みんな、いわゆる原チャリで行動半径が少し広がる程度で満足している。僕は、中型の免許で、ニハンのバイクに乗っている。
路地に潜んで組の事務所を見張っていると、ジリジリと神経が焼き切れそうな感じに襲われる。緊張しているのだ。
こんな所で、暴力団に因縁を付けられたら、大変なことになる。うっかりしたら、半殺し程度では済まないかも知れない。高校生の喧嘩とは訳が違うのだ。
僕は、この寒い時期に、簀巻きにされて東京湾にプカプカ浮いている自分の姿を想像したら、なんとなく情けなくなって涙が出てきた。
それにしても、不可解なのはナナハンに乗っている二人の態度だ。享も原田も、なんかこれを半分ピクニックかなんかのように思って、その適度なスリルを楽しんでいるようなのだ。原田なんて、さっきからにたにた笑いながら享に下らない駄洒落を繰り返しては、何とか享を笑わそうとしている。
もし、享の笑い声で、組関係の連中に僕らの存在を見とがめられたら、なんてことは、てんで頭にない様子なのだ。全く、付き合い切れない連中だ。
事務所の方を覗く度に、自分の喉が緊張のあまりカラカラに干上がって行くのが分かる。何度も唾を呑み込み、用意してきた魔法瓶の水筒からウーロン茶を飲む。
「おい、あんまり飲みものを飲むなよ。トイレに行きたくなって、肝心なときにトイレタイムってことになっちまうぞ」
享が、シビアなことを言った。
なるほど、それも一理有る。実際に、少し催してきた。済ませるものは早めに済ましちゃおう、と思ってバイクから降りた途端だ、来た! 向こうの方から、銀が、ゆっくりとした足取りで近付いてくるのだ。僕は、銀が事務所に入るのを見届けてから、大急ぎで自然の欲求を満たした。
銀が事務所に入って行ってから、事務所の前に真っ黒のベンツが運ばれてきた。
それから、少ししてから、銀が、見るからに人相の悪い、高級幹部らしい、高そうなダークスーツを着込んだ男一人と、一目でチンピラと分かる、ペナペナのスーツを着た男二人と一緒に出てきた。
ということは、敵の人数は、運転手も入れて五人ということだ。こっちは三人、どう考えても、逃げ足が勝負だな、と思った。
ベンツが発車すると、少し間を置いて、僕らも発車した。これから向かうのがどこかは分からないが、きっと銀が絡んでくるからには、麻薬の取り引き現場だろう。そこで、取り引き現場の証拠写真を撮ったら、バイクの逃げ足を生かしてさっさと逃げ出す。そして、その写真を持って警察にタレこもう、という寸法だ。
こんな面倒なことをしなくても、さっさと警察に知らせればいい、と思うかも知れないが、やっぱりそこは男の子の意地というものが有る。いよいよギリギリ、もうこれ以上は自分達の手には負えない、というところまでは、なんとかして自分達の手でやる、これがやっぱり男の子の美学だと思うからだ。
しかし、そんな美学が、原田のような魑魅魍魎に関係が有るのか、と言われると、ちょっと弱い。確かに、原田は、そんな美学とは無縁に、とにかく刹那的に面白ければそれでいいと思っている節が有る。でも、まあ、いいじゃないか、人それぞれだ。とにかく、僕達は、このスリル溢れるゲームを、とことん楽しんでいたのだ。
ベンツは都会の雑踏の中を、どんどん進んで行った。周りの車が、あんまり刺激しないように、近付かないようにしている様子がありありと分かる。
僕らは、適当な距離を置いて、間に何台かの車を挟んで尾行している。多分、僕達の尾行に、敵は気が付いていないと思う。
明るい表通りを十分ほど進んで行くと、ベンツは左折して、海に向かう横道に入って行った。そっちに曲がる車はあんまり無かったので、僕達がベンツとの間に挟める台数もぐっと減った。仕方がないので、僕達はベンツとの距離を少し開けた。
辺りはぐんぐん寂しい雰囲気になって行った。ベンツは、暗い方暗い方に曲がって行くようだった。
とうとう、道を走っているのは、前のベンツと、僕達のバイク二台だけになってしまった。
こんな風にして、いつ尾行に気付かれるかと冷や冷やしながら数分進むと、H港の埠頭が見えてきた。
ベンツは、九時少し過ぎに埠頭の倉庫群の前に到着し、そこに止まった。
僕らも、出来るだけバイクの音を押えて近付き、途中で倉庫の影にバイクを置いて敵に近付いて物陰に潜んだ。
ベンツからは、なかなか人影が降りてくる気配がなかった。
こうして、厳しい待機の時間が刻々と過ぎて行った。いくら十一月の初旬とはいえ、海の近くで外に出ていると寒さが身にしみてくる。僕は、さっき飲んだウーロン茶がきいて、どうにも小便がしたくなって困った。
ベンツには、全く動きがない。埠頭からは、海の向こうに街の灯が綺麗に照り映えているのが見える。こんなときでなく、しかも隣に居るのが不粋な男共ではなくて、ちょっと可愛い女の子だったりしたら最高にロマンチックなムードだったろう。
空には、秋の冴え冴えとした月が明るく光り、辺りを何となく幻想的な色に染め上げている。これも、何となく僕を夢見心地に誘った。あーあ、これで、隣に恵子の香しい髪でも有ったら、最高なのにな、と思った。
さすがに、何の動きもない待機の時間に飽きてきたときだ、ダッダッダッダ、エンジン音が海の方から響いてきた。
すると、ベンツの方からも、四人の男が降りてきた。
埠頭に、小型のボートが横付けした。どうやら、沖に泊まっている大型船の一隻から出てきたボートらしい。
ベンツから降りた連中が、埠頭の上から海面に向けて縄梯子のようなものを下ろした。それを伝ってボートから三人の男が上がってきたようだった。(何せ、いくら月が出ているとは言っても、この距離ではやはり暗過ぎて、人影が男か女かなんてさっぱり分からないのだ)
合わせて七人の男(多分)が埠頭の上に集合して、四人対三人の組に別れて互いに向い合った。
そうして、何か話をしているようだったが、距離が有るので何が話し合われているのかはさっぱり分からない。
ガサゴソ、微かな音を立てて、享が背中に背負ったバッグの中から、高感度のデジカメを引っ張り出した。
ボートから降りてきた方の三人が何やら荷物を取り出した。そして、ベンツの四人も、何やら大きなトランクのようなものを取り出した。
互いに、中味を見せ合って交換しようとしたときだ、享がカメラのシヤッターを切った。フラッシュの光が、二度、三度と埠頭の上に広がった。
男達の方から怒声が上がった。そして、そいつらが、一斉にこっちの方に走ってきた。僕らは、必死で隠してあるバイクの方に走った。
敵と僕らの間にはかなり距離が有ったので、僕らは楽勝でバイクの近くまでやってくることが出来た。
よーし、後はバイクに乗って逃げ出し、警察におおそれながら、と駆け込めばいいのだ。僕らの頬に、会心の笑みが広がった。
ところが、バイクの近くまで走って行ったときだ、いきなり僕らがバイクを置いておいた辺りから、バラバラと四、五人の男が走り出てきた。
その男達は、月明りの中で、はっきりと組関係の連中だと分かった。極東会の連中に違いない。
慌てた僕達が後ろを見ると、後ろからも敵が近付いてくる。僕達は、絶体絶命になってしまった。
ええい、ままよ、とにかく僕達は人数の少ない前方の敵に向かってダッシュした。
僕は、いきなり殴り掛かってきたチンピラの腕を押え、関節を決めて投げ飛ばした。グギッ、嫌な音を立てて男は真っ逆様に落ちた。下は固いコンクリートだから、ただの投げ技も相当な威力を持っている。
原田も、正面から突っ込んできた相手の顔面に、拳を一発たたき込んでいる。しかし、後ろから回ってきた男に、頭を殴られて倒れ込んでしまった。僕は、急いでそっちに駆け寄った。
享は、四人の男の中で、一番体格のいい奴に突っ込んで行った。そして、ボディーブローを二発たたき込んで男を怯ませた。
しかし、僕が原田を後ろからやった奴に足蹴りを食わせている間に、僕がさっき投げた奴が立ち上がって、享に向かって行った。享は、二人を相手にけっこう善戦しているが、さすがに、ちょっと旗色が悪い。
そうこうしているうちに、後ろから追いかけてきた八人(何時の間にやら、運転手も合わせて八人になっていた)が追い付き、僕らを攻撃し始めた。
享には、いきなり銀が突っかかって行った。銀は、最初からナイフを抜き、その刃を光らせながら享に向かって行った。
僕らにも、三人ずつがかかってきたので、あっと言う間に僕らは両手を押えられ、身動きが出来ない状態になった。
残っているのは、享一人だった。享は、銀のナイフを巧みに避けながら、うまくそのナイフを自分のギブスで受け止めた。
ギブスに、ナイフの刃が埋まってしまって、一瞬身動きが出来無くなった銀の腹に、享が強烈なキックをお見舞いした。
しかし、こうなると、享と銀が一対一で戦っているときには様子を見ていた連中が一斉に飛びかかり、享も身動きが出来無くなってしまった。
こうして、哀れ、僕達は、全員が十数人の暴力団に押え込まれ、虜の身となってしまったわけだ。
僕は、さっき組の事務所の前で想像していた、簀巻きにされて東京湾に浮かぶ自分達の姿が、俄に現実味を帯びたものになってきたので、一瞬、鳥肌が立つほどの恐怖に襲われた。それにしても、いまいましくなるほど、綺麗に晴れ切った星空だった。
おまけに、月までが馬鹿にしたように綺麗だった。