6.怪しい関係
「怪しい、と思いますのよ」
薄暗い書庫の中で一緒に作業をしていたシャルが、天井を睨み付けながら、ふいにそう言った。
本を年代順に並び替えていたシモーネは、その言葉に顔を上げる。
「怪しいって何が?」
「ですから。テオドールですわ。最近、妙にリタに馴れ馴れしいと思いません?」
テオドール、と言われて、シモーネは、シャルと共に現れた騎士の胡散臭げな顔を思い出した。
神殿内部の仕事が多いシモーネと話す機会はあまりないが、たまに出会うとからかわれるので、あまりいい印象がない。
「シャルの見張りなんだよね。どんなヤツなの?」
「……強いのですわ」
「は?」
「わたくしが勝てないくらい強いのです! それだけで、許しがたいことですのに! 普段はあんなにへろへろしている癖にありえません!」
ぐっと握り締めたシャルの手の中で、貴重な書物が潰れている。
「わー! シャル、何してんの!」
「あらあら、つい興奮してしまいました。……大丈夫、破損しておりません」
「そ、そう。気をつけてね」
ここにある書物は、貴重なものばかりだ。
神官長のブルクハルトが持ってきたものがほとんどだが、中には神殿が出来た頃からの書物もあり、普段は温厚な神官長が丁寧に扱ってほしいとくどいほどに言っている代物だ。
もし破ったり傷つけたりしたら、説教だけではすまないだろう。
そのことはシャルにもわかっているようで、今はもう手に力は込めていない。
「で、テオドールさんなんだけど」
先ほど、シャルはリタのことを言っていた。
確かに、シモーネにも心当たりがある。
あちこちで、彼がリタに声をかけたり、手伝いをしたりしているのを見たからだ。
「人手不足だから助かるって神官長様は言っていたみたいだけど」
ここには若い人間はリタとシモーネしかいなかった。男手はあるが、皆年寄りなため、力仕事はあまり出来ない。
シャルが加わって少しは楽になったが、やはり女性だけでは大変なのだ。
しかしである。
「考えてみればば、あの人がリタを手伝っているのはよく見るけれど、私は一度も手伝ってもらったことがない気がする」
「わたくしだって、全然手伝ってもらっていないですわ。むしろ邪魔ばかりされています」
では、彼が声をかけたり手伝いをするのは、リタだけということになる。
「怪しい」
「怪しいでしょう?」
シャルとシモーネは、顔を見合わせた。
「あの男、見た目と違っていろいろと狡賢いのですわ。リタを騙して何かに巻き込もうとしているのなら、絶対に許せません」
「単にリタが好みの異性ってことはないの?」
「どうなのでしょう。以前、あの男の弱みを握ろうといろいろ調べたのですが、女性の好みが全然わからなかったのですわ」
「そんなこと、調べてたんだ」
調べて何をしようとしていたのかは、聞かない方がいいかもしれない。たぶん、こんな辺境の神官見習いが知らなくていいような内容のはず。
それにしても、つくづく変わっているお姫様だ。
この数日間、シモーネとリタの『貴族の令嬢』の印象が変化したのは、間違いなくシャルのせいである。
「これは、確かめるべきだと思いません?」
妙にやる気なシャルが、掴みかかる勢いでシモーネに迫る。
「リタを魔の手から守るべきですわ! それにもしかすると、テオドールの弱みを見つけられるかもしれませんもの」
結局は、そこなのか。
だが、本当に、ただリタとお付き合いしたいから頑張っているだけだったらどうするんだろう。
はりきるシャルに、少しだけ引きながら、シモーネはそんなことを思っていた。
勢いこんでやってきた裏の畑では、なんともほのぼのした空気が漂っていた。
「あれ、なんだかくすぐったいような気分になってきた」
「ほんとうですわ。背中がむずむずしてきました」
シモーネたちの前で、仲良く腰掛けて話をしている二人がいる。
リタとテオドールだ。
妙に二人の距離は近い。めずらしくちょっとだけ頬を染めたリタの、テオドールを見る目は、胡散臭い騎士を見るものではない。
対するテオドールも、大事な者でも見るような、優しい目差しをリタに向けている。
「なんでしょう、これ。嫌ですわ、少年の甘酸っぱさを感じさせる雰囲気が気持ち悪いですわ。テオったら、もう30歳に手が届こうという年なのに、なんだか純情ぶってるみたいで薄気味悪いのですわ」
「……姫さん。何勝手なこと言ってるんだよ」
とっくに二人の気配に気が付いていたのだろう。
むすっとした顔で振り返った騎士は、シャルを睨み付けた。
「だって、本当に気持ち悪いんですもの」
「シャル、正直に言いすぎだってば」
内心、シモーネだって同じ事を思っていたが、口にするのはさすがに遠慮したのだ。
「テオが女性に優しいだなんて、おかしいですわ。都では、あれだけ女性を泣かせていたくせに。だいたい、あの落とせそうで落とせない、言い寄ってくる女性は拒まないけれど、本気にはなってくれないとまで言われたテオが、そんなにでれでれとしているなんて」
「……姫さん……。なんてことを……」
「女性を泣かせていたんだ……」
リタが女の敵でも見るような視線をテオドールに向けた。
明らかにそれに狼狽えた彼は、リタに何かを一生懸命言いはじめる。
元々小柄なリタと、背が高く年相応の顔立ちをしている騎士だから、端から見ていると、いい大人が必死で少女に言い訳しているとしか思えない。
しかも、さきほどよりも、二人の体は近づいているではないか。
「どころで、テオ? いい加減リタから離れたらどうです。世間知らずの女性を手玉にとろうとしているのだったら、許しませんよ」
「わ、シャル。いきなり決めつけてどうするのよ」
「姫さん! 誤解だ誤解!」
「そ、そうよ、シャル。私達、そんなにくっついていないってば」
いや、それは違う。どうみても二人の距離は近い。
それでくっついていないという言い訳は、かなり無理があった。
リタらしくないなあ、とシモーネは思う。
確かにリタもシモーネも、子供の頃からこの神殿に暮らしていて、若い男性と接する機会は少ない。
けれども、まったく交流がないわけでもないのだ。
シモーネは公用語が話せる関係で、中央にもよく行くし、リタだって神殿の用事であちこちに出かけている。
そこで知りあった男性のことを、お互いに話すこともよくあった。
初恋の相手が誰だったかも知っているし、いい男がいたという情報交換もするし、ときめいた相手のことを噂したりもする。
まだ見習いという状態だから、積極的にはなっていないだけで、恋愛に興味がないわけではないのだ。
だが、リタは意外に男性に対して人見知りをする。ある程度親しくなるには時間も必要だし、苦手な男性には近づこうともしない。
間近でそんな彼女を見ていたからこそ、どこか違和感を感じる。
「シャル、たぶんこの二人、私たちが思っているような感じとは違うと思う」
確かにほのぼのしていて、見ていて気持ち悪いが、ただ仲良くしているだけとは思えない雰囲気があった。
リタが彼に接近を許しているのは、恋愛感情とかいうものだけではなく、きっと何かあったのだとシモーネは思っている。
リタが胡散臭い騎士を信用した理由が。
「ねえ、リタ。あんたたち、いったい何を話してたの?」
シモーネの言葉に、リタは、やっぱりあなたには分かるんだと、困ったように笑った。