5.神官見習いと騎士
上半身裸の騎士、というのはあまり見る機会がなかったが、確かに無駄なくついた筋肉が美しい。
奇麗だなあと、彼の汗ばんだ背中を眺めながらリタは思う。
騎士は鍛え方が違うのか、引き締まった体は痩せすぎず太りすぎずで、本当に理想的である。彼がきびきびと動く姿も気持ちいい。どんな小さな動きにも無駄がなく、つい見惚れてしまうのだ。
ちなみに、今の彼はここへ来た時の格好ではない。
略装とはいえ、騎士らしかった服装は最初だけで、翌日からは麻のシャツとズボンという地味な姿になってしまった。持っていていたはずの剣さえも見あたらない。
シャルの監視役のはずなのに、最近はそちらは放っておいて、神殿の裏にある畑で鍬を握っていることが多いのだ。
きっかけは、数日前。
1人で畑の世話をしているリタを見つけた彼が声をかけてきたのが、始まりだった。
人手が足りないというリタの言葉に、じゃあ俺が手伝うよと言われ、気が付けばこの状態だ。畑仕事以外にも、何かと手を貸してくれるので、ありがたい反面少しばかり不気味だった。
「耕しおわったけど、次、どうすんの?」
汗を拭いながら、彼が振り返る。
人懐っこい笑顔はあくまで爽やかで、これだけ見れば働き者の好青年という雰囲気だ。
何か企んでいるというふうには見えず、ただの親切だとうっかり思ってしまいそうになる。
シャルの監視なのだから、仲良くなってはいけないと思うのに、つい一緒に行動してしまうのも、そのせいなのかもしれなかった。
「ありがとうございます。あとは種まきですけど、その前に休憩しませんか」
汗ばんだ体が眩しすぎる。
このまま見ていたら、神官見習いにはあるまじき想像をしてしまいそうだった。
「お、今日のおやつは何だ? 俺の好きなものだと嬉しいな」
上着を羽織りながら近づいてきた男―――テオドールの目が輝いている。
今日のおやつは小麦粉を練って揚げ、糖蜜を絡めただけのものだが、以前これを食べた彼の反応があまりにも面白かったので、最近よく作るようになってしまった。
どうぞといって差しだすと、テオドールは本当に嬉しそうに笑う。
「また、これ作ってくれたんだな」
そう言うと、テオドールは手を伸ばしてその菓子を取った。そのまま、口にいれてしまう。
「あ、手は拭いてください。泥だらけのままじゃないですか」
騎士というのは、いつもきちんとしていると思っていたから、彼のこういう態度には驚いてしまう。
「面倒だ」
「だめですよ。お腹痛くなったらどうするんです」
「俺、結構頑丈だから大丈夫だって。ひどい状況で泥水すすっても平気だったし」
「泥水って……」
忘れそうになってしまうが、彼は騎士だ。今はこうやって穏やかな様子でいるが、元々戦うことが仕事なのである。戦いに出るのは当然のことで、そういう時がいつも清潔だとは限らない。
この国は比較的平和だとはいえ、小さな小競り合いが時々起こる。形勢が不利な時、逃げる時。なりふりなど構っていられないというのも、なんとなく理解できた。騎士ではないが、村にも戦いで傷ついて戻ってきた者がいて、その人から戦の悲惨さを聞いたこともあった。
もちろん、実際に経験したことのないリタには、彼らの苦しみの半分もわからないのだろう。
「そんな顔すんなって。あー、失敗した」
テオドールは気まずそうに笑うと、大げさなくらいに肩を竦めてみせた。
「俺は、そういうことも納得して騎士になったんだからさ。だから、大丈夫なんだって」
それでも、辛くないわけがない。苦しくないわけではないだろう。
「まったく。あんた、結構お人好しだろ」
「え、どうしてそうなるんですか!?」
納得いかない。
どうして今の話の流れで、そういうことになるのだ。
だが、目の前の彼があまりにも優しそうに笑うから、反論できなくなってしまう。
「だから、ほっとけなくなるんだよな。ほんとに困る」
困るといいながら、やっぱり困った顔ではない。
どうしよう、と思った。
そう言う彼のことを、好ましいと思いはじめている。気づかないふりをしていたけれど。
彼といるこの時間がとても楽しいと感じているのだ。
テオドールは中央の人で、身分は貴族で、職業は騎士で。
いつかはここからいなくなる人なのに。
「困るんだったら、私の相手なんかしなければいいのに」
そうすれば、リタもこんなふうに心がかき乱されることもない。
彼をただのシャルの監視だと思って無視できるのに。
「最初はそう思ったんだけどさ。やっぱり気持ちには正直でいたいし。それに、今の仕事は楽だからさ。結構楽しんでいるってのもある」
「……見張りのくせに、そんなこと言っていいんですか?」
言ってしまってから、自分の失言に気が付いた。
シャルから聞いていて知っていたが、彼自身はそのことを誰にもばらしていない。
だが、彼は特に気にする様子もなかった。
「なんだ、姫さんから聞いてんのか。まあ、見張りっていってもなー、金で雇われてやってることだし。もらえるものがもらえて、姫さんがどこにもいかなきゃ、どーでもいいって感じ?」
そんな投げやりなとツッコミそうになってしまった。
「俺も一応貴族の出だけどさ。貴族って言っても、名ばかりなんだよ、実家の屋敷だって、ここよりひどい状態だ。両親は老いてるし、家を継ぐ一番上の兄以外は、食い扶持を減らすために、早くから見習い騎士になったり、軍に入ったりしてるよ」
「どこも似たようなものなんですね。私もそうですよ」
おかしな気分だった。
リタは庶民だが、神官見習いになったのは、テオドールと同じ理由だ。
実家は貧乏で兄弟姉妹がたくさんいたから、親に迷惑をかけないように、早くから家を出たのだ。神官を選んだのも、元々神に祈りを捧げるのは嫌ではなかったし、衣食住も保証されているという理由からだった。
「そんなことを私に話すなんて、変な騎士さま。シャルもだけど」
「おまえだって、変な神官見習いだぞ。姫さん相手に、普通に接してるしさ」
そう言い合って、自然と笑みがこぼれる。
「ここはいいよな。魔獣が多いのが難点だけど、なにより人を殺さなくてもいい。ずっと、ここにいられたらいいのにな」
「……期限があるんですか?」
「んー、まあな。王太子殿下がちゃんと結婚して、子供の1人でも出来たら、お役御免は確実だろ。あるいは、姫さんが刺客に襲われて死んだりとか」
ぶっそうな言葉に、リタは青ざめる。
そんな可能性があるのだとすれば、この神殿で生活するのは危ないのではなだろうか。
入ろうと思えばどこからでも侵入可能だし、住んでいるのは女性と年寄りと貴族の令嬢。
唯一剣をとって戦えそうなのは目の前の騎士だが、1人だけで対応できるとは思えない。
もしかすると、彼自身が刺客と通じているかもしれないのに。
「姫さんは強いからなあ。そんなに簡単に刺客にやられたりしないと思う。それに、姫さんに死なれると俺の本当の雇い主に怒られちまう」
さらっとそんなことを言い出すテオドールに、リタは目を丸くした。
この人は、いったい何を言い出すのか。
「神殿と国王が雇い主だって聞いてるんですけど」
「違うよ」
テオドールの様子が、さっきまでの好青年っぽい姿から、ちょっと何かを企んでいますという雰囲気に変わっている。
「俺の本当の雇い主は、姫さんの味方。そいつに頼まれて、俺は神殿側の人間のふりをしている。といっても神殿側も俺のことはそこまで信用していないのか、あくまで姫さんの足止め役だけど」
「ふりって、そんな。ばれたら大変なことになりませんか?」
「なるかもなー。でも、神殿側は、俺が金次第で動く人間だって思ってるからさ。今のところ、ばれてない」
簡単に言うが、本当だろうか。
リタは、テオドールのことは殆ど知らない。今日少しだけ彼の家族の話は聞けたが、中央でどういう階級で、騎士としてどんな仕事をしているのか、わからないのだ。
リタがまだ疑っていることに気がついたのだろうか。
テオドールは、表情を引き締め、真剣な眼差しでまっすぐにリタを見る。
「本当の依頼人って、俺の命の恩人なんだ。金次第で動くこともあるけどさ。あの人の頼みだけは別。絶対に断れないし、裏切れない。そんな存在なんだ。その人がさ、頭まで下げて頼むんだよ。姫さんを守ってほしいってさ」
彼の目に、曇りも迷いもない。
真実を語っているからなのか、それともリタを信じさせるための嘘なのか。
前者だと思いたい。
テオドールを疑うのは嫌だった。
彼のことを嫌いになどなりたくないのだ。
「それ、信じていいんですか? あなたがシャルを傷つけないって、そう思っていていいんですか?」
声が震えているのは、まだ心のどこかで、彼を疑っているからだ。
信じ切れていないからだ。
でも。
「信じて欲しいと、思ってる」
こんな顔で懇願されたら、絶対に否とは言えない。
でも、まだ心の中にもやもやしたものが残っているから。
返事は返せなかった。
しばらく二人で、空を見上げていた。
雲ひとつない空は青く奇麗で、そんなどろどろしたことが身近で起こっているなど、嘘のようだ。
「なあ」
テオドールが小さな声で呼びかけてくる。
「なんですか?」
そう言って彼の方に視線を向けると、さっきまでとは違う、どこかいたずらっ子のような表情のテオドールがリタを見ていた。
「ところで、何で俺がこんな重要事項、あんたに話したと思う?」
「な、何故でしょうか」
嫌な予感がした。
「共犯者にしちまおうかなって」
「勝手にしゃべったのは、あなたじゃないですか!」
「そう。でも聞いちゃったよね」
「忘れます」
「リタって、記憶力いいからね、忘れないでしょ」
「でも忘れます」
「姫さんは友達なんだよね。彼女を守るためにも協力してほしいかな」
そういう言い方はずるいだろう。
そんなことを言われて、断れるはずがない。
「それに、あんたと一緒に行動して、いろいろ話してみて、信用してもいいって、俺が思ったんだ。リタに嘘はついていたくない。そういうのは嫌だって、本気で思ったからさ」
ますます、彼はずるい。
どんどん逃げ道を潰して、最後には頷かせてしまうつもりなのではないか。
「ちょっと、一波乱ありそうなことを小耳にはさんでね。俺一人で対処するのも無理がありそうなんだよな」
どんどん胡散臭げになる笑顔に、暑くもないのにリタの額に汗が流れた。絶対に冷や汗だ。
「一緒に、姫さんを守ってほしいんだ」
テオドールの大きな手が、そっとリタの頬に触れた。
堅くて骨張った指先は、大切な何かを確かめるかのように、ゆっくりと動いて、リタの頬を包み込む。
「ずるいです」
怪しげな笑顔を浮かべているくせに、この手は優しく温かい。
言っていることはむちゃくちゃなのに、この人は決して答えは強制しない。
ただ、リタの返事を待っているだけだ。
「本当に、ずるい」
結局、リタは頷いてしまうだろう。
シャルを守りたいというだけではなく、彼のことを信じたいと思っているから、きっと。