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大地に祈りを  作者: 葉琉
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2.お姫さまの事情

「はじめまして。これからよろしくお願いしますね」

 そう言われ手を差しだされて、リタもシモーネも面食らった。

 例の高貴なお姫様は、着いて神官長に挨拶した後、まっすぐにリタたちのいた台所にやってきたのだ。

「年の近い方が二人もいると聞いて、友達にならねばとすぐに思ったのです」

 普通、そんなことは思わないのではというのがリタたちの正直な感想だ。

 リタもシモーネも、平民の出である。神官見習いとして神殿に上がる前は、村で両親を手伝って土にまみれて畑仕事をしていた。

 神殿で礼儀作法は習っているが、あくまでそれは一般的な作法で宮廷で通用するようなものではない。

 いきなり何の前触れもなくやってきたお姫様を前に、何をどうすればいいのかわからないのが現状だ。

「あら。わたくし、間違えましたかしら?」

 いつまでたっても固まったまま動かない二人に、お姫様は眉を潜める。

「握手は、初対面の人と友好を深めるのに必要だと聞いたのですが」

 悲しそうなお姫様の言葉に、最初に反応したのはリタだった。

「ち、違います。違わないけれど、違うんです! 私たち、お姫様がこんなところへ来られるとは思わなかったから、驚いてしまって」

 言い訳がましいとは思ったが、他にいいようがない。

 お姫様はすぐに、神殿で一番の客室に引っ込んで、外に出てこないものだと思い込んでいたのだ。

 着替えやお茶だって、きっと自分ではしないはずだと。

 侍女がいないようだから、その役目は自分たちになりそうで、作用もしらない自分たちには荷が重いよね、と話していたところだったのである。

「あまりかしこまらないでいただけると嬉しいのですわ。わたくし、もう侯爵家の令嬢ではありませんもの。ついこの間、親に勘当されたばかりですのよ」

 にこにこと笑いながらあっさりと言われて、ますますリタたちは困惑する。

「ですから、わたくし、さきほど神官長に、あなたたちと同じ神官見習いとして扱って貰うようお願いしてきたのですわ。まあ、実家の事情で、余計なものがひとつくっついてきていますけれど、あれはわたくしの逃亡防止が仕事ですから、無視してくださってかまいません」

 逃亡防止という言葉に、リタとシモーヌは顔を見合わせた。

 何故逃亡防止なのか。

 いったいこのお姫様は何をやらかしてしまったのか。

「それで、わたくしとはお友達になってもらえるのでしょうか?」

 さきほどとは打ってかわった不安そうな目差しに、リタとシモーネは再度顔を見合わせる。

 お姫様の事情はわからない。

 本心から言っているんかどうかも、不明だ。

 けれども、嘘をついているようにも見えなかった。

 考え込んでしまった二人だが、先に行動を起こしたのも、やはりリタだった。こういうとき思い切りがいいのは、いつでもリタの方である。

「私達、あまり作法とかわからないし、言葉遣いも乱暴だけど、それでよければ」

「かまいませんわ」

 お姫様の顔が、ぱっと明るくなる。

 華やかな笑顔に、同性ながら、どきどきしてしまう。

「わたくしも、堅苦しいことは大嫌いですもの」

 改めて差しだされた手を、二人が順番に握る。

 その手は、思いのほか固く、骨張っていて、とても貴族のお姫様のものとは思えない。

 これは、普段から固いものを握っている手だ。鍬だとかはありえないだろうから、まさかと思うが剣なのだろうか?

「ああ、名乗るのを忘れていましたわ。わたくしは、シャルロッテ。シャルと呼んでいただけると嬉しいですわ」

「私はリタです。こっちがシモーネ」

「リタに、シモーネですね」

 覚えましたわと微笑むお姫様は、無邪気な子供のようだった。



 リタとシモーネはお姫様とはすぐにうち解けた。

 お姫様は意外に庶民的だったのだ。

 いやむしろ、貴族の令嬢とは思えないくらい、普通な人だった。

 台所仕事も畑仕事も、文句ひとつ言わずこなしている。料理はやや苦手のようだが、楽しそうにやっているから、そのうち上達するだろう。

 お姫様と親しくすることに対して、神官長がうるさく言うかと思ったが、ただ先輩として指導をよろしくお願いしますねと言ったきりだ。特に注意する様子はなかったから、神官見習い同士仲良くしろということなのだと、勝手に解釈している。

 お姫様についてきた騎士も、何も言わない。

 お姫様が神殿内で何をしようと我関せずという様子だ。彼が動くのは、お姫様が神殿の用事で外に出るときで、どんなに近場でも必ずついてくる。

 最初に言っていた逃亡防止という言葉は本当なのかもしれなかった。

 もっとも、騎士は、護衛や監視のはずなのに、誰よりも外出を喜んで、あれこれ周りのことを知りたがるのが不思議だったが。



 そして、シャルが神殿暮らしに慣れてきて2週間。

 夕食の下準備をしながら、彼女は自分がここへ来ることになった理由をリタたちに話していた。

「駆け落ちしようとして、失敗して、この有り様なのですわ」

 腹立たしげに人参をぶつ切りにしながら、シャルが溜息をつく。

「駆け落ちって……誰と?」

 リタは面食らったように問い返した。ジャガイモを剥く手も止まってしまっている。

「もちろん、フェリクス―――王太子殿下ですわ」

「ええ!」

 シモーネが思わず包丁を落としてしまった。

「フェリクス様は、王太子をおり、私と生きることを誓ってくださいました。ソレがばれて、この有り様です」

 こんな辺境に押し込められたくらいだから、何かやらかしたのだろうとは思っていたけれど、これは予想外の話だった。

「ついてきた騎士は、見張りだと言いましたよね。わたくしがフェリクス様を奪い取りに行かないように監視しているのです」

 神子と王太子の結婚式が無事に終わるまで、この遠く離れた地に押し込めておこうというのが、現国王と神殿側の意向らしい。

「でも、こっちに伝わっている噂では、王太子殿下と神子様は愛しあっているとか――」

 それで、元からの婚約者を捨てたと言われている。

 真相は違うのだろうか。

「そんなの、神殿が流したでっちあげの噂です」

 どん、と包丁が南瓜を叩き切った。

 見事に二つになった南瓜が、音を立てて床に転がる。

 リタとシモーネは、下ごしらえをするのも忘れて、シャルに見入っている。そのくらい、迫力があった。

「もちろん、頭では、私もフェリクス様もわかっているのです。神子との結婚は政治的にも対外的にも意味あることで、愛など必要ないものだと。だから、割り切って、わたくしたちは婚約を解消したのです。そして、伝説通りに王太子殿下と神子が婚約しました」

 この国には、太陽神の血を引くとされる王の祖先が苦境に陥った時、月の女神の使者である神子によって救われたという伝説がある。

 神子はのちに王の祖先と結婚し、彼と共に国を繁栄に導いたという。

 そういう伝説があるせいなのか、神殿側と王族の思惑があるためなのか、何百年かに一度の割合で現れる神子は、王族と神殿が保護することになった。

 神子の意思はどんなことでも優先され、彼女が不自由ないよう生活を保障する。

 そういう過程を経て、いつのまにか、神子は王太子、あるいは王と婚姻関係を結ぶようになっていったのだ。

 そして、今回、五百年ぶりに神子が降臨したことで、当然のように王太子が彼女を娶ることになってしまった。

 だが。

「わたくしと婚約を解消した後、殿下はどんどんおやせになるし、気持ちが沈むのか部屋に引きこもりがちになるし、このままですと倒れて病気になるのも時間の問題だったのです。元々、気が弱くて人の意見に流されやすい性格で、王太子になったときも、大丈夫なんだろうかと、わたくし、大層心配したものですわ」

 だから、あの方をお護りするために強くなりましたのよ、とシャルは晴れやかに笑う。

「あの方の側にいるのであれば、側室でも正室でも全然構わなかったのですが、神に使わされた神子と結婚するのに、側室などありえないと一喝されまして」

 王宮には後宮があるくらいで、他国や国内の有力貴族から側室を娶ることも珍しくない。その時によって人数は様々だが、確かに神子が正妃になった時代には、側室は迎えられなかった。仮に、神子が来る前に側室がいたとしても、全て降嫁させられている。

「側室がだめならば、殿下の下で側近として働くことも考えたのですけれど、それは神子が不安になるからやめろと、これも却下されました」

 八方手詰まりで、王太子とともに、途方にくれたという。

「殿下が王太子になったのも、わたくしの父の思惑と、寵愛する側室の子供に何が何でも跡を継がせたいという国王陛下の思いが合致して決まったからなのです。残念ながら、どの王子よりも優秀だったからではないと、わたくしも殿下もわかっておりました」

 それでも、王太子は、責任を果たすべく必死に努力をしていたらしい。

 王宮には、味方も少ない。私生活も、常に暗殺に怯える毎日だった。

 その苦しい日々を支えていたのはシャルだったし、王太子も、公私ともにシャルを頼りにしてくれていた。

「神子が王宮にいる魑魅魍魎の如き貴族たちと互角に渡りあえるのならば、フェリクス様をお任せしてもいいと思ったのですが」

 そこで、シャルが深いため息をついた。

「神子はお優しくて思いやりのある良い方なのですが、どうやら、フェリクス様を理想の王子様扱いされているようで……」

 頼り切りでまったく役に立ちません、と言い切った。

 が、言い切った後、慌てたようにリタたちを見る。

「あら、わたくしったら、神子に対して、余計なことを言ってしまいましたわ」

「大丈夫。別に神子様がどうだろうと、私たちには関係ないし」 

 再び芋の皮をむき始めたリタたちが、心底どうでもよさそうに答える。

 さきほどまでの、シャルの話を聞いていた時とは大違いだ。

 だから、二人の『関係ない』は本当のことなのだろう。

「おかしな人たちですね。神殿の人間は、皆神子の信望者かと思っていましたわ」

「神子様は神様とは違うし」

 リタもシモーネも、神官見習いになる前から神に祈りを捧げて暮らしてきた。

 神殿を訪れた時だけでなく、朝や晩、苦しい時や嬉しい時。感謝の気持ちを忘れてはいけないと言う親の言葉通りに。

 神様にならばいくらでも祈りを捧げるし、敬う気持ちもきちんとある。

 けれども、神子は神に使わされたというが、神ではない。他の高位の神官のように、祝福を授けてくれたり、病を癒してくれるのならば尊敬するが、信仰の対象とは違うと思っているのだ。

「信望するもなにも、よくわからない存在だし」

 シモーヌも、首を傾げながら、リタに同意する。

 神子と言われているが、彼女が実際に奇跡を起こしたり、何かすごいことをしたという話は聞いたことがないのだ。わからない存在としか言いようがない。

「あと、ここの神殿が大地神を祀るっていうのもあるかなあ。だって、神子様って月の女神の使者でしょ。大地の神と月の女神って、神話の時代から仲悪いしね。この国では太陽神信仰が盛んだから、ほとんどの人が太陽神を信仰してるけど」

「あらあら、わたくしとしたことが、すっかり忘れていましたわ。あなたたちは大地神を信仰する神官なわけですね」

「シャルもでしょう?」

 一応、彼女も同じ神官見習いなのだ。

「そうでした。いけませんね、わたくし、ちょっと周りが見えていなかったようですわ。自分が見習いの神殿の神様を忘れてしまうなんて」

「それって、神官長も悪いと思うなあ。詳しいこと、何も言わなかったんでしょう」

 リタが苦笑する。

 彼女も、最初ここへ来たとき、祭神が大地神だと気が付かなかった。

 神官募集中です、衣食住もついていて、勉強も出来ます。そんな甘い言葉に誘われてうっかり来てしまった時は、普通に太陽神殿だと思っていたのだから。

「誰に祈るのかは気持ちの問題。なんて言って、教義とかも、自分で勉強してくださいね、だもの」

「でも、良い方ですね。わたくしの神官見習いになりたいという我が儘も、黙って受け入れてくださったのですもの」

 療養という目的でいた方が楽だったはずなのだ。

 ほとぼりが覚めれば追い返してしまえばいいのだから。

 けれども、かまいませんよと笑っていた。それどころか、ずっといてくれてもかまわないとまで言ってくれたのだ。

「感謝しても、したりないくらいです」

 そのおかげで、少し冷静になることができた。

 ささくれだっていた気持ちが落ち着いたのだ。

「結局、フェリクス様が倒れてしまって、これ以上政務を続けるのは難しいかもしれない。そう医師から聞いた後、二人とも頭に血が上ってしまったのですわ。何の準備もなく駆け落ちなんて、失敗するに決まっていましたのに」

 そう言って笑ったシャルの目は、泣いているかのように潤んでいた。

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