14.救出
ぐえ、という呻き声とともにリヒャルトが頭を押さえて蹲った。
何かが上から降ってきて、それが彼を潰したのだ。
「……!」
リヒャルトが急に手を離したものだから、そのままの勢いで同じように床に尻もちをついたリタは、落ちてきた人物に、目を丸くする。
降ってきたのは、シモーネだったのだ。
「あ、やりすぎちゃった」
てへ、というふうに可愛らしく首を傾げたシモーネは両手に大きな壷を抱えている。
どうやら、シモーネは落ちたと同時に、持っていた壷でリヒャルトの頭を叩いたらしい。
「残念だったねー。この辺りの森も山小屋も、私とリタにとっては庭みたいなものなんだよ。どこに隙間があって、どこから入れるかなんて、全部知ってるんだから……って、聞いてないし」
リヒャルトはうめき声を一度上げたきり、ぴくりとも動かない。
「え、まさか死んでないよね?」
慌ててしまったのは、自分が少しやりすぎたのかもと思ったからだ。
彼女の役目は、本当はシャルとテオドールが大暴れしている間にリタを助けだすというものだった。
誰かがリタの見張りをしているという可能性も考えていたから、見つからないように小屋の天井裏から忍び込んだ。
まさかこんな危なそうな男がいて、シャルたちと対峙しているとは考えていなかったから、人の話し声がする場所から下を覗いた時は驚いた。
事態は切迫しているようだし、危ないとは思ったけれど、天井裏に置いてあった壷を手に、思い切ってシモーネは男の上に飛び降りることにしたのである。男が隙を見せれば、後はシャルとテオドールがなんとかしてくれると考えたのだが、ここまでうまく行くとは思わなかった。
男の注意がシャルたちに向いていたのも幸いしたのかもしれない。
結果的に、勢いがつきすぎてこういう状況になったのだが、もし相手が死んでしまったなんてことになったら、何か罪に問われるのだろうか。
そう思うと、顔も真っ青になる。
「大丈夫です。気を失っているだけのようですわ」
すばやくよってきたシャルが、男の様子を確かめ、そう断言した。
安心させるように、シモーネに向かって微笑みかける。
「まあ、少々怪我したところで、自業自得ですもの。シモーネが気に病むことはありません。女1人降ってきたくらいで、あっさり死んでしまうほど、柔ではないですわ」
「え……。なんだかちょっと違う気がするけれど。生きているなら、本当によかった」
いくらリタを誘拐した悪い人だったとしても、命を取る権利はシモーネにはない。
「でも、間に合ってよかったですわ。いくら私たちが注意をひいていたとはいえ、いつこの男があなたのいることに気が付くかと気が気でなかったですもの」
そう言いながらも、シャルは靴の踵でぐいぐいと男のお腹を踏んでいる。
痛そうだと思いつつ、あまりにもシャルが笑顔が恐かったので、シモーネは止めるのはやめておいた。
男のことは、シャルに任せても大丈夫だろう。
そう判断すると、シモーネは手にしていた壷を放り投げ、座り込んだままのリタに駈けよった。
「大丈夫、リタ?」
彼女の口を覆っていた布を外し、さらに口の中に詰まっていた布も取る。
とたんに激しく咳き込むリタに、シモーネはおろおろと背中をさすった。
「だ、だい…じょぶ…。へいき」
むせながら言うリタの目は、苦しさと安堵で滲んでいた。
「まって、今縄もほどくから」
シモーネは床に落ちていた短剣を拾うと、手と足の縄を切った。
力が入らないのか、自由になった後のリタは床に倒れそうになる。
「わ、リタ!」
慌てて抱き留めたシモーネに、リタがしがみついた。
「うう、何無茶してるのよ、シモーネ。危ないよ。怪我したらどうするの!」
「だって!」
いきなり怒鳴りつけるリタに、シモーネが鼻白む。
「だって、心配だったんだよ! リタに何かあったら、わ、私……」
ふいに言葉が途切れ、次の瞬間シモーネの瞳から涙が溢れた。
「殺されてるかもしれないって、もしそうなったら、どうしようって……怖かったよ」
普段、泣いたりしないシモーネの様子に、リタは動揺する。
リタよりほんの少し早く生まれた彼女は、いつでもリタのお姉さんのように振る舞っていて、泣き虫の彼女を慰める方だったのに。
こんな彼女を見るのは、随分久しぶりのような気がする。
「ごめん」
心配をかけたのだと。
自分が思っているよりずっと、シモーネを心配させていたのだといまさら気付く。
「ごめん、シモーネ。それから、助けに来てくれてありがとう」
「うん」
まだうまく入らない手に、力を込める。
「本当は、怖かった」
「うん」
言っているうちに、リタの目からも涙がこぼれてきた。
短剣を突きつけられているときも、リヒャルトがシャルとテオドールに無謀な要求をしたことも、怖くてしかたなかった。
全部、自分が捕まってしまったせいだとわかっていたから。
「もう、シモーネやみんなに会えないんじゃないかって思うと、怖くて怖くて、どうしようもなかった」
「うん。もう大丈夫だから」
シモーネがあやすようにリタを抱きしめて何度もその言葉を繰り返す。
ああ、生きているんだ。
助かったんだ。
シモーネの言葉と温もりに、やっと実感が沸いてきて、リタは彼女にしがみついたまま、泣き続けた。
「あれ? なんだか変な展開になってるぞ」
「何がですの?」
落ちていた縄で、リヒャルトを縛り上げたシャルが、怪訝そうな顔でテオドールを見る。
テオドールは、リヒャルトが倒れてすぐに、残った敵がいないかどうか、小屋の中を確認するために部屋から出て行ったはずだ。
戻ってきたのならば、男を縛るのを手伝ってくれればいいのにと、文句を言おうとしたのだが、テオドールはぼけっと突っ立ったままだ。
「この場合、助けに来た俺にありがとうって抱きつく展開じゃないか?」
「ですから、何が?」
「あれ」
テオドールが指差した先に、抱き合って泣くリタとシモーネがいた。
「まあ、なんだか微笑ましいですわね。無事がわかって安心したのでしょうか」
「……姫さん、なんだか納得いかない」
何を期待していたのやら、とシャルは呆れたようにテオドールを睨む。
「とにかく、外で気絶している男たちをなんとかしないと、目が覚めるとやっかいですわ。さあ、仕事仕事!」
なおも不服そうにぶつぶつ言うテオドールを、部屋の外に押し出しながら、シャルは彼に見えないように苦笑した。
外に転がっていた男たちを縛り上げ、全員を小屋の中に押し込む頃には、リタとシモーネは泣きやんでいた。
二人は寄り添ったまま、運び込まれた男たちを見つめている。
「あの、この人達はどうするの?」
おずおずとそう切り出したのは、リタだった。
黒装束の男たちは、リヒャルトを含め、それなりに人数もいる。
いつまでもこのまま小屋に閉じ込めておくわけにはいかないだろう。
「ああ、雇い主に連絡しているから、そのうち引き取りに来ると思う」
近くの村にいるはずの、雇い主との繋ぎの人間への伝言を神官長に頼んできている。
「雇い主のやつは、前から神殿と対立していたからな。大喜びすると思うぜ。あいつらに一泡吹かせてやれるって」
彼らはこれから詳しく取り調べられるはずだ。その後の処分などは、中央にいる雇い主次第だが、そこはもうテオドールが関知するべきことではない。
「まあ、あの人ならば、神殿がうまく言い逃れしようとしても、リヒャルトが単独犯だと言い張っても、うまくやるでしょうね。それを間近で見られないのが残念ですわ」
シャルとテオドールの笑顔は、どこか黒かった。
その顔が、今一番怖いかもしれない。
リタとシモーネは、顔を見合わせながら、同じことを考えていた。