13.人質と騎士とお姫さま
飛び込んだ小屋の中で、テオドールが見たのは、リタと見覚えのある男だった。
「……リヒャルト」
彼でなければいいと、心のどこかでずっと考えていたのに、それはどうやら甘い願いだったようだ。
「久しぶり、テオドール。ここまで来れたってことは、外にいた奴らはやられちゃったんだな。やっぱり強いなあ、お前は」
「何故お前がここにいる」
その質問には答えずに、リヒャルトは大げさな溜息をつく。
「俺が招待したのはシャルロッテ嬢だけだったはずだけど」
「あら、ちゃんと招待されてやってまいりましたわよ」
テオドールの後ろから、シャルが現れる。
神官見習いの服のままだが、剣を手にしていた。
「テオ、久しぶりなどと言っていましたが、この人、やはりあなたの知り合いですの? 交遊関係が広いとは思っていましたが、こんなことをする相手とはお友達にならない方がいいと思いますわよ」
にこにこと、場違いなほど明るい笑顔だが、目は笑っていない。
「知り合いってだけで、友達でもなんでもないぞ。それに、姫さん、あんたも見覚えあるんじゃないか? こいつは元神殿騎士のリヒャルトだ」
シャルは目を細めて、リタの隣にいる男の姿を無遠慮に眺めはじめる。
やがて思い当たった一つの呼び名に、シャルの眉間に皺がよった。
「……狂戦士」
直接会ったことはないが、悪い意味で、彼女の印象に残っている男だ。神殿を守ることがその主な任務でありながら、不必要な場面で敵を傷つけることも多かったと聞く。
3年前、国境近くで神殿絡みの小競り合いが起きたとき、派遣された部隊の中に彼はいたのだが、その際、上司の命令を無視し、敵味方なく殺してしまったのだと、王宮に上がってきた報告にはあった。
「国外に追放されたはずでは?」
それまでに幾つかあった功績と、神殿側の公にしたくない様々な事情が絡み、確か騎士位を剥奪され、国外追放にされたはずである。
「戻ってきたんだよ、とある人に頼まれてね。それに、テオドールにも会いたかったし」
会いたいという言葉の割には、剣呑な目差しをテオドールに向けている。
「なんだか、恨まれているみたいなんですけれど、テオが何かしましたの?」
「3年前、暴れ回るこいつを大人しくさせるために、利き腕を切ったのは俺なんだ」
あの時のことは、あまり思い出したくない。確かに彼を止めたのはテオドールだったが、彼自身も瀕死の重傷をおって、生死の境をさまよったのだ。
「おかげで、いろいろ不便だったよ。動くようにはなったけれど、剣がうまく扱えない。左手も使えるけどさ、いろいろ不便で困っちゃうよ」
その割には、左手に持つ剣を器用にくるくると回している。彼が言う言葉が本当のことなのか、それともわざとそういう風に見せているのかは、それだけではわからない。
「こっちはさ、約束通り、お嬢さんには、まだ何もしていない。一応、俺も元神殿騎士だからね。必要がなければ、神官様を傷つけたりはしないよ」
言い換えれば、必要があれば、殺すことも傷つけることも厭わないということなのだろう。
「さあてと。武器を捨ててもらおうかな」
楽しそうに言いながら、リヒャルトは手を伸ばし、リタの髪に触れる。見せつけるように何度も髪を弄んでいる様子に、テオドールは不気味なほどに無表情だった。
リタの方は、リヒャルトの手が髪に触れる度、辛そうに体を強張らせる。時々苦しそうに身をよじるのは、口を塞がれて息苦しいだけではない。
張り詰めたような空気と、殺気だったテオドールたちの雰囲気に飲まれているせいだ。
「剣、捨てないの?」
問いかけながら、滑り降りた指先が、リタの首筋に触れた。
視線はテオドールに向けたまま、嫌な笑い声が漏れる。
「なあ、お嬢さん。ちょっと痛い目にあってみる?」
わずかに、リタの体が反応する。一瞬怯えたような表情が浮かんだが、すぐに消えた。代わりに、リヒャルトを睨み付ける。
「あの二人が、なかなか言うことを聞いてくれないからしょうがないよね。どこがいいかなあ。どこがいいと思う? 目? 胸? それともその柔らかそうな頬かな」
「お待ちなさい!」
凜とした声で、言葉を遮ったのはシャルだった。
剣を持たない方の手で、今にも飛び出しそうなテオドールを押さえている。
「あなたの目的を聞いていませんわ。私を殺せば、あなたに利益があるのですか?」
「まあね、報酬が破格ってだけじゃなく、俺の剥奪された位も返してくれるそうだよ」
あまり興味はないけれど、と笑う。
「でも、一番の報酬は、好きにしていいって言われたからかな」
「何を?」
「テオドール。くれるって行ったよ。殺しても、痛めつけても、何してもいいって。そのことで罪には問わないでくれるそうだ。だから、依頼を引き受けたんだよ。まあ、本当のところ、どこまで約束を守ってくれるかはわからないけどさ」
ただ、国内に入れるということは、リヒャルトにとっては魅力的だった。
今の彼は、裏ルートを使ったとしても、なかなか国内をうろつけない。彼自身を恨んでいる人間は、この国にはたくさんいるのだから。
「引き受けたのは、復讐が目的か?」
「そう」
「だったら、姫さんはともかく、リタは関係ないだろう」
子供っぽく拗ねたように顔を歪めて、リヒャルトは不服そうな様子を見せる。
「そうかな? だって、彼女に興味あるんだろう? そんなふうに感情を露わにするくらいなんだろう? だったら、俺にとっては関係があるってことになるんだよ」
リヒャルトの左手に握られた短剣が、リタの胸元に滑り落ちる。
短剣が通った部分―――わずかばかり上着から見えていた肌に、赤い線が刻まれる。
「どう? 切れ味いい短剣でしょ? 次はどこにしようかな」
にやにや笑いながら、短剣を弄ぶリヒャルトの目は、本気だ。
これ以上抵抗すれば、更に深くリタを傷つけるかもしれない。
糞、と吐き捨てるように言うと、テオドールは持っていた武器を放り投げた。
「シャルロッテ嬢、あんたもだ」
ちらりとテオドールの顔を眺めたあと彼女も持っていた武器を投げる。
「ほんと、素直だねえ。……そうだ。いいことを思いついた」
上機嫌な笑いを浮かべると、リヒャルトは短剣をリタの首筋に当てた。
「テオドール、あんたがシャルロッテ嬢を殺してよ」
リタの大きく見開かれた目が、テオドールを見た。
「そうしたら、お嬢さんくらいは助けてあげてもいいかな」
だめです、とリタの目が必死に訴えている。
私なんかのために、そんなことをしないで。そう言っているのがわかる。
時間切れなのか。
苦い思いのまま、シャルを見ると、何かを覚悟したような静かな目をした彼女が自分を見ていた。
「わたくしは、簡単に殺されませんよ」
「そうだな」
「しぶとく粘りますから、あなたも……粘ってください」
最後の部分だけ、テオドールにしか聞こえないほど、小さな声だった。
それだけで十分だった。
その先は何をすべきか分かっている。
時間稼ぎはまだ続けられる。
テオドールが、ゆっくりとシャルに向かって手をのばした。
その時である。
小屋の中に、一陣の風が吹いた。