12.約束の刻限
好き勝手に話したいことだけ話したあと、飽きたように出て行った男は、それからしばらくすると、また1人でリタのいる部屋に戻ってきた。
驚いたのは、男がリタの目の前で、覆っていた布をはずし、素顔を晒したことだ。
色素の薄い茶の髪と平凡な顔立ちは、想像したよりも若く、20歳を少しすぎたくらいにしか見えない。もう少し年上かと思っていたから、そのことに驚くとともに、嫌な予感もする。
まったく顔を見せなかった男が、何故急に布を取ったのか。
見られても気にしないことにした、というわけではないだろう。
ならば、最初から顔を隠しておくはずがない。万が一、リタに逃げられたとしても、顔を知られていなければ、言い逃れも出来る。
最初から、生かして返すつもりはないということだろうか?
危害を加えないと言ったことも、それはシャルたちが来るまでの話で、もしかすると、現れた後は用なしだと、殺されてしまうかもしれない。
思いつくことは、最悪のことばかりで、体が震えてくる。
「あれ? やだな、何怖い顔してるのさ」
リタが怯えている理由などわかっているだろうに、男は楽しそうに笑いながら、近づいてきた。
「あのさー、悪いんだけど。もうすぐ約束の時間なんだよ」
男はしゃがみ込み、転がっていたリタの体を乱暴に起こした。
「シャルロッテ嬢が来たときに騒がれると困るって、他の連中がうるさいからさ」
男はそう言いながら、リタの口を無理矢理こじ開けると、その中に布を突っ込んだ。
「う…んん……!」
吐き出す前に、顔半分を覆うように布をきつく巻かれ、まったく口がきけなくなってしまう。
気持ち悪いのと苦しいのとで、むせて前屈みになったところを、ひょいと担ぎ上げられた。
「まあ、人質になったのが運の尽きって、あきらめて。あと、移動するから、暴れないでほしいな」
大人しくする理由など、もちろんリタにはない。
動かせる部分をすべて使って体をよじって逃れようとするが、男は細身にもかかわらず、力が強かった。どれだけ暴れても、足取りはしっかりとしているし、掴んだ腕も動かない。
「無駄なのになあ。それに、もう着いちゃったし」
男の言葉とともに、リタは地面におろされた。
冷たい床の感触と、まわりに感じる男以外の視線に、様子を確認しようと顔を上げる。
さきほまでいた場所よりは広いが、家具1つない殺風景な部屋の中、黒い服に身を包んだ男たちがリタを見下ろしていた。
彼らは、茶の髪の男と違って、素顔は晒してはいない。
「う……?」
見える範囲にだけでも、4人はいる。真後ろにも気配がするから、茶の髪の男を合わせても、この場には5人以上いるのだ。
顔を隠しているせいで、表情はまったくわからないが、リタを見る目に感情はない。
「……まだ、生かしておくのか?」
そのうちの1人が、面倒そうに言うと、残りの男たちも頷く。
「まあ、万が一の時のためにね。こっちが不利になったとき、死体にでもしておいて使えないってことになると、人質の意味ないでしょ」
「相手は、女1人だぞ」
「テオドールもいるかもしれない」
「でも、2人だ」
その言葉に、茶の髪の男は、大きく溜息をついた。
「あのねー、言っておくけれど、シャルロッテ嬢もテオドールも強いよ」
「かつて負けたからこその負け惜しみではないのか?」
「負けたからこそ、テオドールの実力はわかってるの。過信は身を滅ぼすよ」
俺みたいに、という自嘲めいた言葉は、傍にいたリタにしか聞こえなかった。それを言ったときの彼の目が、憎しみに満ちていたことも、リタしか気が付かなかっただろう。
「まあ、どちらにしても、貴殿は録に剣も使えん。そこで大人しく人質が逃げないように見張っておけばよかろう」
どう見ても逃げられない状況のリタを見てそう言う男に、悪意を感じて、リタは茶の髪のの男とその男を見比べた。
仲間だと思っていたが、彼らの間には、何か隔たりのようなものがある。ただ単に契約上の立場の違いなのか、それとも他の理由があるのか。
今のリタには判断のしようがない。
「わかってるよ。あんたたちの邪魔はしない。それより、時間も近づいてきているし、そろそろ配置についたら?」
男がそう言うと、その場にいた者全員が、武器を手に取り、外へと移動し始める。
「俺に遠慮なんかしなくてもいいよ。どんな手を使ってもいい。雇い主は、ここに辿り着くまでにシャルロッテ嬢を殺した人間に、特別報酬をくれるそうだから」
一部の振り返った男が、どこか忌々しそうに茶の髪の男を睨むが、結局それ以上何も言わず、無言のまま外へと出ていった。
男達が全ていなくなってしまうと、茶の髪の男はリタの方へと向き直った。
そのまま、リタの隣に腰を下ろすと、手を伸ばしてまた髪に触れる。
「ねえ、お嬢さん。テオドールは来るかな。来ると思う?」
男は、上機嫌だ―――気味が悪いほどに。
「俺は、絶対来ると思うんだ。あんたもそう思うだろ?」
リタが返事が出来ないと知っているくせに、質問を投げかけてくる男の真意がわからない。
返事が欲しいというよりも、聞かれたことにいちいち反応する彼女を面白がっているのかもしれなかった。
「どんな顔をしているか気になるね。怒っていると思う? 案外冷静だったりして」
リタは、テオドールのどちらの姿も見たことはない。
思い出すのは、面倒そうにしているところとか、困ったように笑うところとか、何かたくらんでいそうな笑顔とか、爽やかな好青年風な態度だけ。
一度だけ、真摯に祈る横顔を見る機会があったけれど、あれはどちらかというと、穏やかで満たされたようなものだった。
「あいつってさあ、戦っている時って、ほんと無表情なんだよ。すげー怖い。あんな顔で迫られたら、助からないって思うんじゃないかな。実際、俺もそうだったし」
過去を思い出すように細められた目は、さきほど見たのと同じように、憎しみに満ちている。
「お嬢さんには、見せない顔? 見たことないよね、たぶんさ。というより、お嬢さんって、人に剣を向けられたことなんてないでしょ」
男の、髪に触れていない方の手が、いつのまにか短剣を握っていた。
鈍い光を放つ切っ先が、まっすぐに彼女の胸に向けられている。
「……んん!」
目を見開いて震えるリタの反応に満足そうに笑うと、男はちょんちょん、と剣の先で彼女の胸をつついた。体を傷つけるほどの強さはないが、リタの顔は真っ青だ。
「うー……」
思わず竦めた体に、男はさらに短剣を近づける。
「あんまり動かないでよ。俺、元々利き腕は右だから、こっちであまりうまく短剣が扱えないんだよね」
そんなことを口にしているくせに、男の手には迷いもぶれもなく、動きは正確だ。
それから、しばらく男はリタの反応を楽しむように短剣を弄っていたが、ふいに動きを止める。
「外、騒がしくなってきたよね。ここまで来ずにケリがついたら楽なんだろうけど、それじゃ面白くないからなあ」
さきほどまでは男の声しか聞こえなかった部屋の中にまで、外の喧騒が聞こえてくることにリタも気が付く。
シャルたちが来ているのだろうか? 戦っているのだとすれば、無事なのだろうか。
外の様子を確かめたくても、リタには何も出来ない。
「さてと、お嬢さん。テオドールが無事ここまでたどり着けるように、祈っててよ。見習いとはいえ、神に仕えているんだからさ。俺が祈るよりも、お願い叶いそうじゃない?」
すくい取ったリタの髪の毛に口づけると、男は外へと繋がる唯一の扉へと、視線を動かした。