11.騎士の焦り
「ちょっと待ってよ、テオドールさん!」
シャルが動くより早く、扉近くにいたシモーネがテオドールの上着を両手で掴んだ。
勢いがついていた彼がつんのめって転ぶのを見てごめんなさいと謝るが、手は離さない。
「よくやりましたわ、シモーネ」
かけよってきたシャルが、倒れたテオドールを見下ろしながら溜息をつく。
「少し頭を冷やしなさい、テオドール」
「姫さん……」
「1人で突っ走っても、どうにもならないでしょう。いつもの冷静なあなたはどこへ行ったのです?」
「そうよ。ここで焦ってたって、リタが戻ってくるわけじゃないのよ」
そんなことはわかっている。
だが、窓を派手な音とともに割って投げ込まれた手紙を見たとたん、頭に血が上ってしまったのだ。
自分の認識が甘かったのだと思う。
例え、辺境とはいえ、リタは神殿に所属する神官見習いである。
太陽神を祀っているわけではないが、それでも、ここはその下部組織という扱いだ。もしそこの人間が不審な死に方をしたり危害を加えたりされた場合―――それが、王太子の元婚約者が身を寄せている場所ならば、何かがあったのではと考える者も出てくるだろう。
今、シャルを排除しようとしている者たち―――強硬派は神殿内部での最大勢力ではあるが、全ての神官を掌握しているわけではない。彼らを今いる地位から引きずりおろして、自らが頂点に立とうとしているものも多くいる。仮に事件をもみ消そうとしても、どこかで綻びは出るだろう。そこから、シャルを襲ったのが神殿側だとわかれば、内部が荒れるだけでは済まない。失脚するものもいるかもしれないし、表面上は穏便に終わったとしても、確執は残る。
神殿の最近のありようを危惧する貴族たちも多いから、些細なことからこのことが漏れて貴族にいらぬやっかい事を持ちかけられるのも、避けたいだろう。
だからこそ、今までは人目につかぬように神殿側も行動していたのだ。
やり方が変わったのか、それとも雇われた相手の独断なのか。
「どんな状況であれ、生きているという相手の言葉を信じるしかないのですわ」
「わかってる、そんなことは」
だが、わかっていても気ばかり焦るのだ。
今までこんなことはなかった。どんな相手が人質に取られたとしても、冷静に対処できていたはずなのに。
「今のあなたでは、助けられるものも、助けられなくなるでしょう? 感情だけで突っ走って大失敗してしまったわたくしが言うのだから、間違いないですわ」
「だいたい、ちょっと焦りすぎだよ。何か気になることがあるの?」
シモーネの言葉に、わかりやすいほどにテオドールが動揺した。
シャルが、その行動に目を細める。
「やはり、何かありますのね。手紙を読んでからのテオは、あきらかにおかしいですもの」
ひらひらと、シャルは手にした手紙を振る。
手紙には、それほどたくさんのことは書かれていなかった。
神殿の女性を預かっていること、指定の場所にシャル1人でくること。要求通りにするならば、預かっている女性に危害を加えるつもりはないということ。
それから、黒い髪が数本、挟み込まれていた。今この辺りにいる者で、長い黒髪なのはリタしかいないから、彼女のもので間違いはないだろう。
「……手紙のこの部分に、走り書きのようなものがあるだろ?」
シャルもシモーネも、テオドールが指し示した部分は、最初から気になっていた。きっちりと並んだ文字の中、そこだけわざと崩したかのように書かれており、文章そのものも、まるで親しいものへの問いかけるかのようなものだったのだ。
「『ところで、君が好きそうな手触りの奇麗な髪だね。もう触れてみたの? 俺は気に入ったよ』なんて、シャル宛にしてはおかしいなーって思ったんだよね」
シモーネも、不思議そうに首を傾げている。
「わたくしもですわ。他人の髪に触って喜ぶなんてことはありませんから」
「だよね」
そこで、シャルとシモーネの視線がテオドールへ向けられる。
「怖い顔するなって。なんとなく、その部分は、俺宛かもしれないと思っていたんだからさ」
「ええ、そうなの? ……ていうか、テオドールさんって、髪の毛触るのが好きとか?」
「いや、好きとか、そういうのではなくて、ええとだな」
しどろもどろになるテオドールに、シモーネは呆れたような顔をする。
「なんだよ、そのおかしなものを見るような目は」
「だってさー。そりゃ確かにリタの髪は奇麗だけどさ。そうなのかー。テオドールさんを落とすのに必要なのは、奇麗な髪の毛なんだ。うん、リタを無事に助けだしたら、教えてあげようっと」
「ぶっ!」
「汚いですわ、テオ」
むせたテオドールが咳き込む姿を、シモーネが冷たく見やる。
「そんなことで動揺するなんて、修行が足りませんわ」
「修行は関係ないだろ」
力なく言って溜息をついた後、テオドールは何度か頭を振る。
「けど、姫さんたちのおかげで、少し落ち着いた。馬鹿話してみるのも効果あるもんだな」
「馬鹿話……まあ、いいけど。冷静になったんなら、よかった」
シモーネはどこか不服そうでもあったが、それでもすっきりした顔をしているテオドールを見て、安堵の息を吐いた。
リタが心配なのは、シモーネも一緒だ。ただ、それほど賢くもないし、腕力もない彼女にとって、テオドールは頼るべき大人でもある。彼が取り乱していては、つられてこちらまで落ち着かなくなってしまう気がするのだ。
「問題なのは、何故わざわざそれを書いたかってことだろ。俺が姫さんについてきてるのは隠してなかったから、知っているヤツは結構いるけどさ。殆どの人間は、俺は神殿側だって思っている。この場合だって、手紙が姫さんをおびき出すためだとすれば、何故そんな一文を混ぜる必要がある?」
「テオが神殿を騙しているってのがばれたとか?」
一番に考えられるのは、それだ。監視といっても、これだけだらだらと過ごしているのだから、もし様子を見に来た者がいたら、仕事をさぼっていると取られてもおかしくない。
「それにしては、妙な文章だろ」
「確かに。髪の毛云々なんて個人的なこと、書く意味ないよね」
あの一文以外は、全て事務的な言い回しだった。そこに、感情は込められていない。ただ、事実と要求だけが書き連ねてあったのだから。
「テオのことを知っている人間で、こういうことを書きそうな人に心当たりは?」
彼の嗜好に関しては、シャルもいろいろと調べたのに、ほとんど掴めなかった。それなのに、それを知っているということは、テオと面識があり、なおかつ近い場所にいた人間ということになる。
そうなると、考えられるのは、彼が所属している騎士団なのだが、テオドールの返事は煮え切らない。
「あるような、ないような。ただ、そいつが神殿側に着く理由がわからない」
「あら、何故ですの?」
「……もし、俺が思う相手なら、そいつは神殿のことを恨んでいるだろうからな」
神殿に喧嘩を売ることはあっても、手を貸すというのは考えにくいと言う。
「ただ、俺に対する恨みもあるから、そっちの感情の方が強いんだとすると―――わからない。それに、あいつがこの国にいるはずがないんだが」
確証が持てないから、本当は黙っていたかったことだ。
「ここで、相手が誰だか話していても、時間ばっかり過ぎていくんじゃないかな」
考え込んでいるシャルたちに、シモーネが遠慮がちに言う。
相手のことも重要なのかもしれないが、シモーネにとっては、リタの無事がなによりも心配なのだ。
「ねえ。私、この辺の地理は詳しいよ。指定された小屋のことも知ってる。それが何か役に立たない?」
シモーネもリタも、ここからさほど遠くない村の出身だ。幼い頃、神殿に来る度に、二人でこの辺りは遊び回っていたし、神殿に身を寄せてからも、暇な時は探検と称して、山の中をうろついていた。獣道も、何処に何が生えて、どこが危ないのかも、全部知っている。
「それでしたら、作戦を考えましょう。このまま、わたくしが1人でいっても、テオが無謀にも突っ込んでも、ろくな事にならないのはわかりきっていますわよね?」
「ああ。相手が幾人いるかもわからないしな」
「時間はあまりありませんわ。なるべく万全な準備をして行きましょう」
指定された時間まではそれほどない。応援を頼む間もないだろう。
「それと、ひとつ気になるんだけど。リタがいなくなったこと、神官長様にどう伝えるの? まさか黙っておくわけにもいかないよね」
心配そうなシモーネに対して、シャルの方は余裕ある様子を見せる。
「それは、正直に話しても大丈夫だと思います。なにもかも、ばれてしまっているようですし」
「ばれているって、何が?」
「一連のいろいろですわ。わたくしの事情も、おそらくテオが誰に雇われているのかも」
かいつまんで、神官長と会ったときの話をすると、テオドールが大げさに溜息をついた。
「まじかよ、食えない神官長だと思っていたけどさ」
常に笑顔で穏やかな様子ながら、どこか掴みきれない神官長の顔が頭をよぎる。
ここがこれほどまでに穏やかで、中央の派閥争いや喧騒とは無関係なのも、辺境だからだという理由だけではないのかもしれない。
「これで納得した。国王陛下が絡んでいたから、護衛が俺一人って話が普通に通ったわけだ。……もう一人くらい仲間を引きこんどくべきだったって気がするが」
そのことで、いまさら悔やんでも仕方ない。
その時はそれが最善だと思ったのだ。秘密を知っている人間は少なければ少ないほど、漏れる確立も減る。
「大丈夫、テオドールさん。リタはきっと無事。大地の神が守ってくれる。だから、作戦、頑張って考えようよ」
シモーネが、彼の服の裾をぎゅっと握ると、力強く言う。
その言葉が真実になるように、今は行動するしかないのだろう。