10.神官見習いと不審な人たち
最近、見たことがないヤツに会った。
そういう話を村の青年に聞いたのは、偶然だった。
「それが変なヤツでさ。神殿に最近騎士がこなかったか、とかさ。どんな男かとかさ。そういうことを尋ねるんだよ」
そう言って、彼はしきりに首を傾げていた。
騎士、とはテオドールのことだろう。シャルやリタたちと一緒に、なんどか村へ買い出しに行ってきたから、当然青年もテオドールのことは知っている。
テオドールに教えないと。
そう思って、自然と足取りが速くなる。
だから、気が付くのが遅れた。
いや、もしかすると、気が付いていたとしても、無駄だったのかもしれないが。
ふっと足下に影が差した―――そう思って立ち止まった瞬間だった。
何かが首筋に当たったような感触があった。
鈍い衝撃に、よろめく。
あわてて体勢を立て直そうとしたのに、手の先も足の先も痺れたような感覚があって力が抜けていく。
だが、地面に膝をつく前に、両腕を取られ体は中途半端な状態で止まった。
誰かが転がらないように支えたとわかったが、不思議なことに目の前が霞んでいて、よく見えない。
何が起こっているの?
混乱しながらも、辺りを確かめようと体を動かすと、声が聞こえた。
誰かが目の前に立っている。
「おい、この女であっているのか?」
何か堅いものが頤を捕らえ、上を向かされた。
朦朧とする意識の中、見えるのは黒い影だけだ。ゆらゆらと動くそれは、リタの目の前で、近づいたり遠くなったりしている。
「……間違いない。あの女と親しく話しているのを見た」
「しかし、大丈夫なのか? この女、テオドール殿とも親しいと言っていなかったか」
テオドール、という言葉に、リタの体がびくりと動く。
何故、彼の名前が出てくるのだろう。
この人たちは誰なのか。
「だからだよ、この女を選んだのは。あの男は信用できない。邪魔されても困るからな」
黒い影から、嫌な笑い声が聞こえる。
この影―――恐らく男なのだろうが、彼は、テオドールのことを嫌っているのだろうか。
名前を口にした時も、あの男と言った時も、その声には嫌悪感が宿っていた気がする。
「お嬢さん、悪く思わないでくれよ。攫うのは、あんたでも、もう1人のお嬢さんでもよかったんだ。ただ、あんたは運が悪かった。シャルロッテ嬢だけでなく、テオドールと関わっちまったんだから」
影から伸びてきた黒い塊が、リタの髪に触れ、まるで幼子にするかのように、ゆっくりと彼女の髪を梳く。
「本当に驚いたよ。あの男は、あんたの前だと良い顔をする。大事に思っているんだろうな。そう思うと、見てみたくなるんだよ。あの男―――テオドールが苦しむ顔ってのいうのをさ」
やめて、と言いたいのに、口がうまく動かない。
それどころか、段々意識が朦朧としてくる。
「さてと。シャルロッテ嬢を招待しなければな。きっと喜んであんたを迎えに来てくれるだろう」
だめだ。
自分のせいでシャルやテオドールが危険な目に会うのは嫌だ。
そう思うのに、意識はどんどん曖昧になっていく。
「それまで、おやすみ。お嬢さん。大丈夫、殺したりはしないよ。だって、あんたを殺しても、報酬はもらえないしさ」
意識がなくなる直前に聞こえたのは、物騒な言葉だったにもかかわらず、ひどく優しい声音だった。
次に気が付いたときは、辺りは真っ暗だった。
体から痺れは消えているが、動けない。
どうやら、手足を縛られた状態で床に転がされているようだ。
口を塞がれていないのが救いだが、だからといって、状況がよくなるわけではない。
捕まってしまったんだ。
そう思うと体が震えてくる。まさかこんなことになるとは思わなかった。
シャルを助けるどころか、迷惑をかけてしまう。
どう考えても、シャルを呼び出すために、利用されるのだろう。
殺されていないだけましなのだろうか?
怖い。
これからどうなるのか、どうされるのか。
いつまでここにいるのか。
みんなも心配しているだろう。逃げられないかと、縛られた手首に力を込めてみたが、びくりとも動かない。足の方も同じだった。
どうしよう。
きっと皆心配している。
シモーネもシャルも、きっと。
どうにかして、ここにいることを教えられないだろうかとも思うけれど、ようやく暗闇に慣れてきた目にも、この部屋の特徴を捉えることはできなかった。
唐突に光が当たりを照らした。
まぶしさに細めた目は、すぐに光に慣れる。
どうやら、ここは小さな倉庫のような部屋で、誰かが扉を開けたために、光が差し込んできたらしい。
扉の向こうには誰かがいて、リタの様子を窺っているようだった。
しばらくそのまま立っていたが、彼女が意識を取り戻していることに気が付くと、中に入ってくる。
薄ぼんやりとした光の中、その人物が全身黒ずくめなのが異様だった。顔も覆っているので男だということしかわからない。
「ああ、目が覚めたみたいだな」
布越しのくぐもった声だが、聞き覚えはあった。
あの時、自分を襲った男の1人だ。
男は、リタの傍に膝をつくと、彼女の顔を覗き込む。
「誰、ですか?」
問いかけると、ただ笑い声だけが返ってきた。
答える気がないのかもしれない。
「どうして、私を襲ったんですか? 人質のつもりなんですか」
「んー。テオドールが、あんたを気に掛けるから」
「え……」
「俺、あいつが大嫌いなんだよ。昔、殺されかけてさ、この国追い出されてさ。散々な目にあった。だから、復讐したくて、この依頼を受けたんだよね」
「て、テオドールさんが、意味もなく人を殺そうとするなんて、そんなの信じられません!」
「だって、あいつ騎士じゃないか。騎士って何か知ってる? 剣を何のために持っているか、わかってるんでしょ? 命令されれば、殺すのをためらっちゃだめなんだよ?」
返事が出来なかった。
そうだ、騎士の称号は飾りじゃない。
剣だって、ただの装飾品じゃない。
でも、彼は騎士になったのは、食いっぱぐれないためだと言っていた。神殿にいれば人を殺さなくていいと、本気で言っていた。
あれは嘘じゃない。
「例えそれが理不尽な命令だったとしても、やらなくちゃいけないことって、いっぱいあるんだよ。俺も騎士だったからさ、よくわかる」
「あなたが、騎士……?」
「そう。命令無視して、たくさん殺しちゃったからさ、剥奪されたけどね」
唯一見えていた目が細められ、押さえたような笑い声が布越しに漏れる。
ただそれだけのことなのに、背中に嫌な汗が流れた。
この人は、変だ。
そんなことを、こんなふうに楽しそうに口にして、笑うなんて。
「俺のこと、怖い? ものすごく震えてるよね」
男の手が伸びてきて、リタの髪に触れる。そのまま、髪に指をからませ、掬いとった。
「奇麗な髪、だよね。俺、あんたみたいな人間大嫌いだけどさ。こういうふうに、さらさらした髪の毛は、好き」
そういえば、捕まった時も、朦朧とした意識の中、誰かが自分の髪を執拗に触っていた。
あれは、この男だったのだろうか。
「知ってた? あいつも―――テオドールも、こうやって髪に触れるのが好きなんだ。俺を殺そうとしたヤツが、俺と同じこと好きだなんて、ものすごく気持ち悪いよね」
不愉快そうに言う言葉とは違い、リタの髪に触れる指先は、まるで壊れ物を扱っているかのように丁寧だ。
「あんたさあ、もう、あいつに触れられたの? 髪だけじゃなくて、いろいろ」
いろいろと言った時の、探るような目差しに、リタは慌てて首を振る。
「そ、そんなこと、どうしてテオドールさんがするんですか。あの人は、シャルの護衛なんですよ」
「本当に? 本当に何もされていないの?」
頬に触れられたことはあったが、あれは話の流れで自然にそうなっただけだ。
特に何か理由があったわけではない。そのはずだ。
「なんだ、つまらない。もし、そうだったら、もっと遊べたのに。―――ああ、でもあいつらしくなく、何もしないっていうのは、それはそれで意味があるのかな」
考え込むように首を傾げるが、男の目からは、何を思っているのかは読み取れない。
「招待したのはシャルロッテ嬢だけだけど、きっとあいつも来るからさ。そうしたら、わかるかもね。その時、怯えて泣いてくれると嬉しいなあ」
男の言葉に、リタは唇を噛みしめる。
絶対に怯えたりするものか。
怖いけれど、でも、負けるものか。
嬉しげに、何度もリタの髪に触れる男から目を逸らし、そう思った。