表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

カギ

作者: 和泉あらた

 家に入ると何だか違和感がした。

 何がいつもと違うのかすぐにはわからないけれど、妙な感覚がしたのだ。

 二日前の朝方いつものように急いで着替えたパジャマの脱ぎかけ、食べかけの食事の残り、数日分たまったワンデーコンタクトのゴミ。

 散らかっているのはいつものことなのに。

 もう一度ゆっくり見渡してから、電気を点ける。

 コタツの上に置いておいたはずのノートパソコンも、ぎっしり詰まっているデジタル貯金箱も、数少ない金目のものといえるアクセサリーもある。

 その時廊下側に向けた背中に悪寒が走った。

 気のせいなどではない。

 その瞬間身体が硬直し、思うように動かなくなる。

 声を出す間もなく、口を手で塞がれた。

 誰かがこの部屋に潜んでいたのだ。

 沼田には、思い当たる節があった。


--------------------------------


 二日前の夜に沼田は、二十三時過ぎまで残業をして、家路についた。

 住んでいるマンションは駅から徒歩三分。線路沿いの道を商店街とは逆方向に進んでいく。

 同じように仕事でくたびれたサラリーマンが、少し後ろを歩いている。

 都心の会社に通うには、とてつもなく良い立地だった。

 鍵がないことに気付いたのは、マンションの入り口でだった。

 郵便受けから出した封筒やチラシを手にしたまま固まる。

 年甲斐もなく、郵便受けの前にしゃがみこみ、バッグの中を手で探った。

 いつもだったらこの時点で、鍵につけた大きめのキーホルダーが、他のものに絡まりながらでてくるはずだった。

 けれど手にあたる感触は、財布からこぼれたお金やオイルがきれたライター、身につけるのを忘れたアクセサリだけ。

 このままでは埒があかないと、中のものを一つ一つ取り出し、床に並べていく。

 人が入ってきたら恥ずかしいのは承知だが、一旦外にでて物陰で行うには今の時期寒すぎた。

 一通りバッグの中のものを出しつくし、いよいよ逆さにして叩こうとでもしたところだった。

 冷気とともに、ガラス張りの入り口の自動ドアがあいた。

 もしかしたら郵便受けのチェックもしたいかもしれないが、自分がいてはどうしようもないだろう。

 まっすぐオートロックの入り口に向かっていった。

 足元を見ただけだが、スーツ姿の男性とわかる。

 先ほど後ろを歩いていた人かも知れない。

 以前住んでいたマンションでもそうだったが、暗黙の了解で、入り口やエレベーターで住人同士が鉢合わないように気をつけるのが普通だった。

 そのため外で様子を伺っていたが、なかなか入らないので仕方なく入ってきたのかも知れない。

 こちらを気にしているのも、何となくわかる。

 彼が入った隙に中に入り込むのは可能だが、結局の所自分の部屋のカギはあかない。

 だから彼が親切心を持っていたとしても、何もできないのはお互い承知のことなのだ。

 申し訳ない気持ちになりながらも、早く中に入ってくれるのを待った。

 バッグを裏返して叩くのは、さすがに人前ではできなかったからだ。

 けれどいつまで経っても彼はカギを差し込もうとしなかった。

 こちらが不審に思って振り返ったとき、彼は立ったまま同じくビジネスバッグを探っていたところだった。

 目が合い、気まずそうに笑う。

「カギ……見つからないんですか? 僕もみたいです」

 そういって、こちらの方にやってくる。

「会社に置いてきてしまったんならいいんですけどね」

 バツが悪そうに、頭を掻いて答える。

「そうですよね。それなら、漫画喫茶で朝まで過ごしてもいいですしね」

「なるほど……、漫画喫茶ですか」

 漫画喫茶自体は何度か行ったことはあるが、そこで夜を越すなんて考えた事はなかった。

『カギを忘れて自宅に入れないから泊めてほしい』などとお願いしたら、よっぽどのことがない限り断れる友達は居ないだろう。

でもその好意に甘えながら気を使うよりも、漫画喫茶で一晩過ごした方が楽かもしれない。

「僕は車があるので、そこで寝ます。駅東口すぐにある漫画喫茶は、凄く綺麗でシャワーもついてますよ」

 迷う素振りを見せた沼田に、彼は言う。

 沼田は、彼の提案にのって見ることにした。

 荷物を片付け、二人で外にでる。

「じゃあ、気をつけてください」

 彼はさりげなく三台しか置けない駐車場にポツンと置かれた黒のワンボックスカーを指し示すと向かって行った。

 駅前に向かうと、漫画喫茶にも改札にも入らず、真っ直ぐと交番に入った。

 沼田には確信があった。

 帰りに期限切れの定期の更新をしたあと、交番目の前の喫煙場所で煙草を一本吸って帰ったのだ。

 その際にバッグの中をあさり、財布やら煙草やらライターやらを取り出し、携帯メールに夢中になっていた。

 恐らくその時にバッグからこぼれたのだろう。

 鍵にはキーホルダーをしているが、イヤホンをつけて音楽を聴いていたので、落とした音にも気付からなかったのだろう。

 そして思ったとおり、落し物は届いていなかった。

 やはり、マンションの前であった男だ!

 沼田は警察官に事情を説明し、一緒にマンションに来てもらうよう頼んだ。

「ええ、だからその男は、今から私の部屋に侵入しようとしているんですよ」

「いや、そんな確証も何もないんだから」

「だって、帰り道ずっと後をつけてきたんですよ。しかも同じマンションなのに、しばらく外で私の様子を伺っていたんです」

「鉢合わせないようにしていたかも知れないし」

「いや、私が郵便受けを開けるのをみていたんですよ。部屋番号わからないと、侵入するにも一部屋ずつ試すようになり、危険だからですよ」

「考えすぎかもしれないし、紛失届けだすか、とりあえず戻ってもう一度確認してみたら?」

「そんなことして驚いた相手に殺されたらどうするんですか!!」

 感情的になったら負けとわかっていても、気持ちを伝えようとするにはどうしても声を張り上げてしまう。

 年齢不詳の太った警察官は、冷静というよりも余りにも事務的で話をちゃんと聞く様子もない。

 少し動くだけでハアハアと息を切らしながらも、冷たい対応が気持ち悪かった。

 紛失届けを用意し始めた太った警察官を見ながら、沼田は現在の自室の中を想像する。

 金目のものはあっただろうか? 買ったばかりのノートパソコンは無事だろうか? ほぼ満杯になったデジタル貯金箱に気付かれているだろうか?

 引き下がらない沼田をみて、奥から話を聞いていた初老の警察官が提案した。

「そうしたらこうしよう。すぐそこのマンションなんでしょう? とりあえずマンションの下までついていってあげなさい。それで君は部屋を見に行く。もし鍵があいていたり、物音がしたりしたらすぐに呼びなさい。君がしばらく経っても戻ってこなかったらこちらも様子を見に行くようにしましょう」

 普段二人行動が基本の警察官が、一人だけついていくという。

 沼田は信用されていないことに腹をたてていたが、ここは引き下がるしかない。

「お願いします」と冷静になり頭を下げると、太った警察官と一緒にマンションへと向かった。

 マンションの入り口について、真っ先に確認したのは駐車場だった。

 そこには先ほど男が自分のだといった黒のワンボックスカーがとまったままだった。

 様子を窺うが、誰かが中で寝ている気配はない。

 小さな声でそれを太った警察官に告げると、彼の左の眉が一瞬だけ動く。

 勝ち誇った気になったって沼田は、一番上の階の901号室から順にインターホンで呼び出し始めた。

 もう十二時を過ぎているため不審がられ、でてくれる人は少ないだろう。

 でも入り口の自動ドアだけ開けてもらえば良いのだ。

 前に深夜ゴミ捨てにカギを持ってでてくるのを忘れ、一部屋ずつインターホンを鳴らしている人に鉢合わせたことがあった。

 太った警察官は飽きれた顔で、横で見ている。

 今の所は何も言わないが、余りにも人が捕まらなければ「深夜だし、迷惑だからやめなさい」と止められたら、それまでだった。

 しかし運良く905号室を呼び出した時に、インターホンが応答した。

 これは横にいた警察官のお陰である。

 それを見て出る気になってくれたのだろう。

 なるべく感じよい話し方で、理由を話すと「はい今あけます」と答えて、すぐに自動ドアがあいた。

 沼田は警察官に会釈して中に入り、自室のある三階まで階段であがる。

 忍び足で歩き部屋に近づくと、玄関から耳をそばだてた。

 きっと物色しているだろうと思われる音が聞こえると予想していが、しばらく待っても何の音も聞こえなかった。

 落ち込んで帰ってきた沼田を見て、警察官は何も言わずに理解したようだった。

「気をつけてくださいね」

 交番に戻って軽い説教を受けてから、紛失届けを記入し、沼田は大人しく駅前の漫画喫茶へと向かった。

 警察から電話が来たのは、翌日の昼であった。

 見つかっても見つからなくてもカギを付け替えることにしていた沼田は、管理会社に連絡を取っていたが、担当者の予定が空くのは早くても連休明け以降になると言われていた。

 それまで自宅に戻れないのは、さすがに辛い。

 カギを一旦壊すか開けてもらうのも考えたが、それだと余計にお金がかかる。

 見つかった事は、本当に有り難かった。

 仕事終わりに、駅前の交番で初老の警察官からカギを受け取る。

 予想通り、すぐ側の喫煙場所近くに落ちていたのを、掃除のおばちゃんがみつけてくれたようだった。


--------------------------------


「うぐっ……」

 大きいというよりも、太い手の隙間から声をもらす。

 ハアハアと耳元で聞こえる気持ちの悪い声には聞き覚えがあった。

「前から可愛いと思っていたんだ」

 事務的な感情の伴わない声が響く。

「ラッキーだった。昨日の夜カギが届けられた時に俺一人でいて。遺失物届けを作る前に君が来てくれて」

 背中に密着しただけでも、流れ出ている汗が伝わり気持ち悪い。

「自分のひとめを惹く容姿を自覚して、危険を察知する君が、一晩で合鍵を作られている可能性を考えなかったのは、昨日の夜恥をかいたからなのかな」

 ミニスカートの裾を捲られ、太い手が腿を這う。

「恨むんなら、一人行動を許可する、あのじいさんを恨みな」

 そう言うと、巨体は沼田に覆いかぶさっていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 結末を提示し、そこに至る過程を挙げ、最後に真相を描写する構成は良かったです。 [気になる点] 中盤が少し雑ですね。 色々と混み合った印象があります。 [一言] 最新作の「必ずもらえる」と比…
[一言] リアルなホラーでした。 個人的には、得体の知れない怖さよりも、空気感の漂う身近な怖さの方がぐぐっとくるタイプなので、イヤな感じはありましたね。ただ当方は男性なので、オチは怖いというよりえっち…
[一言] はじめまして。 本日登録し、「ホラー」で検索したところ、 この作品が目に留まり読ませていただきました。 オチにいまいち感はあったものの、何か惹かれるもがあり、 前作、前作、と気が付けば全作品…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ