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血の味

作者: 安祥
掲載日:2026/05/26

 五月の位山は雨そうで、雲を見上げながらロウを塗り込んだフード付きのプルオーバージャケットを車から出して着た。駐車場に他の車はない。白い中古の軽自動車は、所々舗装の切れている坂道をよく登ってくれた。シーズンではないのか、新緑の登坂道の草刈りボランティアは不審な顔で、のこのこ通行を遮断していた車を移動してくれた。「はよどかせ」とは言わない。この世は借り物一切は化相、クラクションは鳴らさないが、一体誰に何を遠慮することもない。

 愛知県から下道で200キロ超。当初高速を使う予定でいたが、節約のために切り替えた。途中、美しい飛騨川の白い岩や水の深い緑を眺める余裕もなかった。往復で約二時間とされる登山だが、気がせいた。久しぶりの高山観光も予定に入っている。

 太陽神殿登山口のトイレで用を足してから、まずは石造りの神殿に詣でた。なぜこれがここにあるのか、一般的には謎だろう。しかしながら、あながち私には不明でもない。歴史は好きで色々調べた。これはあるべくしてここにある。位山は富山側と美濃側を分かつ分水嶺であり、それを聖地と考えた古代人こそが、太陽信仰だったと考える。それは色濃くそうなのであって、富山側にはウッドサークルやストーンサークルが残り、それは祖霊信仰並びに太陽信仰の施設といえる。人々は中央の御柱(おんぱしら)の周りを踊りながら回ったし、柱が映す影で暦も読んだろう。焼いた土鈴の音がカラカラ鳴ってリズムを出し、歌い踊る幻影が、私には見える気がする。歌い狂え踊れ抱き抱かれよ。陶酔とトランス、そして鎮魂。死んだ者が蘇らないように、墓場でもある列石まわりは特に踏み固められているという。夏至には、そんな祭りだっただろう。逆に冬至なら、太陽を呼び戻す火祭りであったか。

 調べたことといえば、文化や文明のこと。特に自らのルーツに関わること。は、富山に起源があるというのだが、さてそれを考えると日本か中東かはわからない。試みにプロットを示せばこうなる。


 呼ばれるところの稗田阿礼(ひえだのあれ)すなわち口稗(こうばい)ヒダのあれ、スクナヒコナの記憶。

 記に見る日高見、変えていうヒダカミを。

 古きは桜町環状木柱列、立山環状列石、遥かなる太古の祭祀なりせば、柱を回り踊り祖霊を供養したるのこと。その信仰、飛騨に日抱き様を伝え彼ら日を遥拝す。

 並びなきculture各地に伝わり、また彼ら各地を知る。されば稗田阿礼それを謳う。無文字にして歴史は声、連綿の魂に刻まれた。

 後に至るも、鋳物、太物、薬売り、中でもその道を拓いた立山勧進、各地を知るなり、との例もある。


 消息の蓄いまたあり。

 紀元前2300年、ナラム・シンによりシュメールを脱せし者の一派、東遷したりという。スサノオであろうか。civilizationもまた太陽信仰なり。ロゼット紋もまた東遷し、日ノ本において16方位を照らす王者の紋章菊花紋となる。

 はるか後代、1679年、修験円空、白山の神より「なんじ仏になれり」と託宣さる。1685年、旅の円空、高山は千光寺にありてその住職俊乗と親しく歓談す。さりて両面宿儺を彫り残すなり。 

 両面とは、遥か西方ではギルガメシュ、エンキドゥ二神の故なり。またシュメーラより散逸せる双神の類い、インドのアシュヴィン双神、ギリシアの双子神、ローマのロムレスとレムスにも似たり。

 俊乗の言うことに、人のうちに不滅の霊性と死すべき身の有りけんや。両面とは即ちそれを写すなり。これ飛騨の根本にてありそうらわば、円空しかと心得よ。


 頭の中には、こんなプロットがいくつもできている。しかるに、私がなぜ位山を目指したかについては1985年に遡る。

 その春、私はアルバイトとして乗鞍山荘の準備に従事していた。毎日、高山市内の宿舎から畳平までを往復した。同乗するマイクロバスに、同年だという女性が座っていた。長い髪にウェーブをかけており、その容姿に私はたちまち魅かれた。が、彼女は迷惑だったようで、冷たい態度が露わだった。

 山荘には、越冬した地酒「久寿玉」が何十本もあった。冬場厳冬の乗鞍に放置するだけで、酒の級別が上がるという。会社関係者が特権的に山荘に放置するのだと聞かされた。

 通勤で通る乗鞍スカイライン料金徴収所のおっさんは、いつも上機嫌だった。

 「ああして飲んでいなければ、やってられないんだよ。この辺じゃ普通のことなんだ」

 マイクロバスを運転する支配人は、そう説明した。車には、山荘従業員の他に売店を切り盛りする夫婦も乗っていた。時折、学生アルバイトの越後も同乗した。高山市にある短大生だといった。バイクが好きで、そんな話しをよくしていた。

 「このあたりカーブが多いから、よくコケましたわ。あまりバンクさせると、両輪が浮くんです。ガードレールに激突」

 よく生きているなと思えるほどの人材だった。

 そんな通勤時、稀にカモシカと出会った。

 「あーアオジシだ。一緒に走ってる」

 支配人が実況した。古い言葉だが、この辺りではカモシカをそう呼ぶのだという。車への巻き込みを恐れて停車させた。その時白く長い毛の体と黒い顔、立派な角が見えた。というより目が会ったといっていい。デモーニッシュな、山の使いと。車が白いから仲間だと思って並走するらしかった。


 スカイラインは開通したものの、まずは山荘を復旧させなければならなかった。支配人に伴われ、薄暗い倉庫にうどんとソバを取りに行った。

 「ええっと、どれがどっちだったかな」

 積まれた段ボール箱を前にして支配人は言った。

 「おまえ、わかるか?」

 匂いがした。

 「これがうどんで、これがソバですよ」

 「すごいなおまえ。なぜわかる」

 「匂いがするでしょう、小麦粉の。それがうどんです。ソバの匂いはしないですが」

 支配人には、匂いはわからないようだった。「これ十個ずつ、食堂まで運んでおいてくれ。いや、五個ずつでいいや、とりあえず」

 他、いろいろ頼まれた。

 「便槽の掃除をしてくれ。嫌な仕事だけどな。髪の毛なんかが溜まってるから、それを掃除するんだ。嫌か?」

 「構いませんよ。慣れてますから」

 「なんで」

 「家が養鶏業なんです。クソは慣れてます。それが仕事だったから」

 私は黄色く大きなプラスチックの便槽に入っていった。臭いはなかったが、髪の毛が沢山あって気味は悪かったが、それを掃除した。(なんだこれ。試練かな)

 支配人がさもすまなそうに頼むので、そう思った。アルバイトに試練を与えて試しているのかもしれない。リーダー格の養成なら、ここは何でも言うことをきいて、信頼を得なければいけない場面だろう。実際、子供の頃から家業の手伝いをし、鶏のクソなど平気だった。水のようになった糞尿の飛沫が顔に飛んだり、口の中に入ることさえあった。


 食堂には周辺の大きな地図があった。

 「高天原・・・」

 「そうなんだよ。この辺にも高天原伝説があってさ。神さまが相撲を取ったって場所もあるよ」

 私は古代史ファンだった。平家の落人部落なら千もあるが、高天原伝説はそんなにないはずだと思った。しかしこんな高い山なら、ひとつやふたつ神話にまつわる話もあるだろう。それが偽造された偽物ロマンだったとしても。

 支配人とは、よく辺りを散策した。高山植物の名前も教えてもらったが、今では全く覚えていない。すべて這いつくばるように茂っていて、小さな花を咲かせていた。

 「雷鳥が鳴いているな。わかるか。おまえも運がければ、見るさ」

 私は見なかった。どうせうずらの間違えたようなやつだ。別に興味はなかった。

 「大学出てさ。色々面接に行ったよ。サッポロビールではずっと黙っていて、最後に男は黙ってサッポロビールとだけ言った」

 その笑い話、いつの時代の話かまでは聞かなかったが、案外中島みゆきのシュプレヒコールみたいな歌詞は支配人好きだったかもしれない。


 客のいない時、他のアルバイトと話しをする時間はたっぷりあった。

 「私ね。広美っていうのよ。広く美しいって書くの。名前だけそうでも、中身は反対なのね。全然そんな性格じゃない。よくあることよね、そういうのって。あなた名前は?」

 テーブルに座った彼女はそう言った。私は立ったまま答えた。

 「誠だけど」

 「そうなの? 性格」

 「違うかな」

 「でしょう」

 二十一で同年だという広美と、初めて会話した。従業員は、他に調理師の城元と、オバサンみたいな若い女だった。

 「ちょっと前まで平湯のペンションにいたの。知ってる? すぐ近くなんだけど」

 「へえ、そうなの」

 「そこで包丁持ったら、指切っちゃってさ。宿のマスターから二度と包丁に触らないでくれって言われたの。私ね、お父さんに育てられたから。お母さんは、子供の頃どっか行っちゃった。父子家庭ってやつね。お弁当もなにもかもお父さんがやってくれて、私は料理できないの。おかしい?」

 「いや」

 今時の女の子なだけだ。女性は料理ができて当たり前、家事一切ができて当たり前という時代は過ぎ去っていた。

 食堂の仕事はすぐに慣れた。チケット制でくそマズイものを出すだけの観光地によくあるやつだった。それでも山では、暖かいというだけで価値があっただろう。

  支配人が試みにビールの栓を抜いてグラスに注ぐと、泡が膨張した。「これこれこれ。泡が膨張してるだろ。気圧のせいなんだ」と言った。

「気をつけろよ。酔っ払いやすいから。飲まなくても気圧のせいで、ちょっとおかしくなる者もいる」

 気圧など関係なく、従業員は全員おかしな人たちだった。名古屋から来たというオバサン女は、完全に神経症だった。食堂の帰り際、「ガスはちゃんと閉めたかしら」と執拗に心配した。何度もそれを繰り返すので、私は支配人に相談した。

 「彼女、神経症ですよ。ほっといていいんですか」

 「仕方がないだろう。そういうんだから」

 支配人はやけくそ気味に答えた。知って雇っているとわかった。人手が欲しかったのか、彼女の契機になると考えたのか、までは知らない。最初に脱落したのは彼女だった。

 客がいない時はおしゃべりタイムになった。広美がいつものようにテーブルのひとつに陣取り、髪をくるくるいじりながら自分語りをした。

 「私ね、ジャーニーが好きなの。スティーブ・ペリーの訴えかけるようなボーカルが好き」

 と言った。意外にも洋楽を聴くらしい。誰の受け売りだったろうか、それとも彼女の思いなのか。

 「へえ、おれもジャーニーは好きだよ」

 言いながら、彼女のトレーナーに綻びがあるのに気付いた。

 「服、穴が開いてるよ」

 「ほっといてよ。私は服がぼろぼろになるまで着るの。そういうのが好きなのよ」

 指摘すると彼女はそう言った。なにかしらのスタイルを持った女性だった。怒らせたかと思ったが、妙なところに話題を転換させた。

 「ほら見て、また枝毛。すぐ毛先が割れるのよ」

 知らねえよそんなこと、とは思ったが、適当に相槌は打った。女性同士の会話なら普通のことかもしれないが、他人の毛先のことまで私は興味がなかった。

 屋根のぶ厚い雪かきも仕事のうちだったが、時にはロッジの裏手にあるクレーターを雪そりで滑り降りて遊んだりした。残雪が白く残るすり鉢状の中央に、深いグリーン色をした神秘的な泉があった。水心はダークな黒だった。見とれるような色合いだった。周りにいくつかのれき岩があったが、スポットで働きにくる学生アルバイトの越後が、「あ、それ自殺した人が最後に踏んだやつです」と冗談めかして言った。あとで、本当にアルバイトがそこで自殺したらしいことを知った。


 われわれの宿舎は、冬の間はスキー場のロッジだが、シーズンオフには山荘従業員の宿になった。勤め先は手広く観光業をしている会社のようだった。管理人の老いた賄い夫婦が住み込んでいた。朝と夕食は、そのおかみさんが作った。おかみさんは、いつも満遍なく無表情なひとだった。こんなはずではなかった我が身の不遇に押しつぶされているのかもしれない。

 とある日、元は駐在所の警官だったという爺さんが夕食時に言った。

 「いいか、今夜は覗きに来ないでくれ。一発やるからな。絶対に来るなよ」

 (へえ、一発やるのか)と思いおかみさんの顔を眺めると、いつものような仏頂面で素知らぬふりを決め込んでいた。それにしても、人間というものは、いつまでやるのだろう。見当もつかなかった。


 神経症女に限界がきて帰るというので、送別会を開くことにした。一ヵ月とはいえ一緒に働いた仲間だと思った。それに、実は私もウツ上がりで、社会復帰としてこの山荘を選んだ経緯があった。

 私は管理人に断って、酒とつまみを売店から調達した。

 神経症女は、ささやかな酒宴で、昼間採ったという野草をより分けていた。

 「あなたの送別会なんだけどね」

 流石に注意した。だが彼女は嬉しそうに答えた。

 「ええ、わかってる。でも、これ、明日までにやらなくちゃならないの」

 一同呆れたが、それが彼女だった。そういう人だった。

 座が開けたが、広美だけ私の部屋に残っていた。私を嫌っているはずだったので、不思議なことだと思った。笑顔が上気していて、体も浮き立っている。コトバが喉元まで出かかっている。

 「あのね。えへへ」

 「キスして欲しいの?」

 なんとなく伝わった。

 「えっ、よくわかるわね。超能力者?」

 「うん、そうなんだ」

 「またぁ。でも誠くんウブそうだからさ。キスして」

 キスで終わるわけもなく、胸を触り、彼女のパンティまで手を差し入れた。彼女の柔らかな陰毛、するっとした股座、不思議な感触だった。触るのは初めてだった。

 広美が喘ぎはじめたので、私は「静かにして」と言ったが、聞き入れないので口を手の平で覆った。湿った温もりが、森の息吹を感じさせた。部屋の壁が薄く、隣の城元さんに聴こえてしまう。だが手の平を外すとまた喘ぐので、私は行為を中止した。女は楽器なのか? 広美は下げられた下着をしかめ面でずり上げて、部屋に帰っていった。翌日には、関係が全従業員に広まっていた。

 城元は九州出身で、元はバスの運転手だった。流れて高山、車田の家筋を嫁にもらったと話していた。ひとでもはねたのか、裁判があるとも。「ちいさなとこやから、噂がすぐ広まる」とも語っていたが、家は追い出されたのか寮で暮らしていた。調理師としては新米で、勉強ノートを見せてもらったりした。「ほらな、ちゃんとやってとるんやで」というノートには、ハンバーグの作り方が最後のページにあった。


 宿舎では、ギターを弾いたり本を読んだりした。「謎の出雲帝国」といった類の古代史本が好きだった。それは当時のちょっとした流行りでもあった。名古屋の丸善で、八切止夫の本を買ったりしていた。

 私の謎は、スサノオだった。村祭りもチントロ船だったし、スサノオ系の祭りは近隣にもあった。おまけに祖先が鍛冶屋であり、産鉄民への興味があった。「四代前の清吉鍛冶屋が儲けだいただげな」というのが我が家の言い伝えだった。そのため、新家分としては過分の田畑を分け与えられ、父は養鶏を始めたのだった。人生を半ばノイローゼで過ごし、起きてこなかったので、私が代わりに働いた。クソ取り息子だ。結局跡など継がなかった。

 今なら、スサノオのプロットはこんな風に書ける。


 加賀のシラヤマは、タケ・ハヤ・スサノオの時代より新羅(シラ)より入植ありて、産鉄のイヤ栄えることとなった。(ふいご)の法(高温鍛造)を伝えたりという。しかるに、古志には既に軟鉄ありて、ヒスイを削り管としていた。

 なんとなれば(カラ)から半島東岸より出航せし者、黒潮によりコシにまで流されたという。白山比咩(シラヤマビメ)すなわち菊理姫はククリヒメと読み、高句麗の音の移しと察せられる。また白山は、彼の地、白頭山郷愁であろうか。さらにその名新羅に因むなり。

 またスサノオの神紋亀甲にして、白山比咩神社の神紋と符合。幾重の照合もって論を俟たず。


 侵入する者あり。浜に上げられた船、既に煮炊きをしている。

 「ワレいずくんぞ、この地に来たるや」と古志の人言いけるを

 「われ鍛冶なり。この地の鉄と木を欲する者なり」とハヤスサ答えたり。

 「去れ。この地ワレに与うる所なし。鉄すでに持ちたり」と古志の人言いけんを

 「然らば、矢と剣が、おのが血にてモノを言おう」とハヤスサ答えにけり。

 一説に、武、羽矢、スサの王とも。往時、弓矢こそ覇者の証。黒曜石は鋭けれど脆く、鉄の矢尻はこれを圧したり。


 さて休日には、近場の歴史民俗博物館を訪ねたこともあった。一通り農機具などを見終わって帰るところに、館長と名乗る年配者が声をかけてきた。

 「どこから? はあ、愛知から。愛知は牛かもしれませんがね。岐阜は馬なんですよ」

 などと一人語りした。確かに、岐阜は馬頭観音で、愛知は牛頭天王だ。歴史に造形の深い人だった。面白く話を聞いた。

 牛頭天王も、その頃謎だった。それがヒボコだと比定できたのは、何十年も経ってからだった。

 その頃から、徐々に歴史を勉強した。この段を歴史ファイルすればこんなところか。


 時はくだりて古墳時代、はるか胡国(ペルシャ)から渡り来たる産鉄の民ありて、韓国(カラクニ)東岸からまたしてもコシに漂着す。その伝、鋼の技(浸炭法)であったという。

 ツヌガアラシト、敦賀に名を残したとさる武人なり。それ角のある人即ち兜と見受ける。

 またの名を天の日矛(アメノヒボコ)、神功皇后を輩出したるも、その盛名にわかに曇り、ヤマト政権中枢を去りたると伝わる。さらに蘇我によりて鬼と呼ばれ隠避さる。

 あらんや、それヒボコおのが不遇を糊塗せんとして、スサノオを冠し隠れたり。よりて今の世、その伝承各別区別困難とはなった。

 さあるに、西域の新しき伝承、すなわち可南の過ぎ越しの祭に似たる蘇民将来は、ヒボコのもたらしたものであろう。そも過ぎ越しの祭りは、家の門口に羊の血を塗り災厄を免れたるという。蘇民将来もまた同様、疫病厄払いの約束。


 すでにヒボコ、九頭竜に到達、遠く白峰を懐かしむ。

 「ワレいずくんぞ、この地に来たるや」と古志の人言いけるを

 「われ鍛冶の者なり。この地の鉄と木を望む」とヒボコ答えん。

 「去れ、もしや前世で会ってはおらぬか。ワレこの地に要らざる者なり。血の味、舐めてみねばわからぬか」と古志の人言いぬるを

 「されば去る。が、幾日かの猶予願わん。われ彼の国にて由緒のあれば」とヒボコ言う。

 竜宮伝説は、一度故郷を懐かしみ韓国に帰りたるも(えにし)有る者のおらざりし由縁を語ったものと思われる。


  まあそんな具合で。話を乗鞍山荘に戻す。

 「ねえ、今夜飲まない」

 食堂の仕事の合間に広美が誘ってきた。

 「別にいいけど」

 「一緒にテレビでも見ようよ。そっちテレビないんじゃない」

 私の部屋にテレビはなかった。別に見たいとも思わなかったが、無碍に断るわけにもいかず、宿で酒を調達して、彼女の部屋に入った。酒を飲みながらくだらない番組を見た。酒が尽きたので帰ろうとすると、また広美の顔が上気していた。

 「誘われた時にピンと来たわ。あなた私としたいんでしょ。わかってるんだから」

 彼女の中ではそういう模様になっているらしかった。

 「別にそんな理由で来たわけじゃない」

 「あらそうなの。でもあれね、最近さあ、胸がね、凝るのよ。なんでかな。ちょっとマッサージしてみてくれる」

 見え透いた誘いだが、こちらにも性欲はあるので胸を触ってやると、広美は甘い声を出し始めた。

 「なんだよ、それ」

 「うふふ。ねえ、もっとして」

 陳腐なお定まりのコースだ。彼女を裸にして、自分も裸になった。

 「でも、いいの? 生理中なの」

 それが一体なにを意味しているのか、どんなことなのか全くわからなかった。

 (これでおれも童貞卒業かあ)

 しかし懸念があった。果たしてこいつでいいものか。

 広美は尻の下に生成りのバスタオルを敷いてスタンバイした。

 「これでいいわ」

 「なんで」

 「布団が汚れるかもしれないから」

 キスをして乳首を吸い、体中をなめ回し、毛の茂る女陰に舌を這わせると、経血の鉄錆びた味がした。構わず嘗めまわしていると、女陰が逆さ瓢箪のように膨らんだ。その向こうに、丸い丘のようなふたつの乳房の膨らみが、三角の景色として見えた。そのうちに、上半身を曲げて彼女は果てた。いざ私が挿入しようとすると、彼女は痛がった。

 「イタッ、痛い。もう、終わったの」

 自分が満足すればそれでいいタイプのようだった。

 それでも翌朝から恋人気取りの態度に変わった。宿の洗面所で、一緒に歯磨きした。


 支配人の好意で乗鞍の山頂にも登らせてもらった。畳平からなら、数時間の行程だ。

 他に登山といえば、ボーイスカウト時分に御嶽山に登ったことがある。これは麓の村から出発したので、中学生としては嫌になるような苦行になった。

 当時、アカデミズムで売り出した栗本慎一郎が、渡辺豊和の説を取り上げており、その影響で霊峰が幾何学的につながるのではないかと思っていた。御岳と乗鞍を結んだら、あとどこが三角形の一点になるのだろう。

 やれる女だという噂が広まったのか、越後が彼女の部屋に押しかけていた。

 「ねえ中に入れてよ」

 「いやよ。帰って」

 そんな会話も筒抜けに聞こえてきた。どうやら広美にもなんらかの選定基準があるらしかった。

 ある日のこと、スキー場のゲレンデでテントを張ったキャンパーがいると広美が知らせてきた。そんな者に私は興味なかったが、彼女は「訪ねていっちゃおうかなあ」と沸き立っていた。

 後日、その夜お酒持って訪ねていったと報告された。「割とかっこいい人だったわ」酒は宿に断りなく盗んだもので、後で私が代金を請求された。

 彼女の身の上話も沢山聞かされた。恵那の産まれだが、在所は伊奈で、よく墓参りに出かけたという。最初の男は近所のカッコイイ同級生で、性のはけ口というだけの存在だったが、彼女はそれで納得しているようだった。「カッコよかったから、それでいいの」なんの屈託もない。次が離島の宿の支配人で、知らない間に隣りに寝ていたと語った。酒を飲むと全裸になる性癖があり、同僚に、人前で女の子が裸になるものではないと注意されたという。それを不服そうに言うので、こちらこそ不思議になった。(アメノウズメかよ。)どこにでもいるような丸顔の髪の長い女性だったが、見知っていくと、とんでもない特異性を持った広美だった。こいつは一体誰なのだろう。遥かオリエントから流れて来た神殿娼婦の末裔か。このトリックスターみたいな性向。

 やがて私は広美にどんなに誘われても受け付けなくなった。好きという気持ちは消えた。

 聞くところによれば、恵那はイザナミと関係が深く、国産みの胎盤を治めた場所だという。記紀など捏造だと考えていたので、その神話も知識として知っているだけだったが、国土に埋まった伝承はなぜか不気味だった。


 一説に、天孫族侵攻のおり、コトシロヌシはオオクニヌシ降伏のために、責任を取って自害したと伝わる。出雲のオオクニヌシ(大名)に過ぎない者が国譲りしてしまい、盟主であるコトシロヌシは不服だったが、その責任を負う形となった。一方で、副官のタケミナカタは降伏を承服せず、ヤマトから信濃まで撤退した。

 スサノオは一時出雲を征服し習合したが、土地の王権に興味がある者ではなく、その後また鉄と木を求めて東進したという。商圏ネットワークのために残留したスサノオ系一派がタケミナカタだったろう。タケの名でわかる武人だ。一方で祭祀を司ったのがコトシロヌシだったろう。

 広美の家系が諏訪に近い伊奈谷から、岐阜の恵那に移り住んだ事情は知らないが、そんな血筋を想像した。


 山荘にはヤクザも来た。パンチパーマにサングラス、雪駄を履いた絵に描いたようなチンピラ。そして、五分刈りにスーツ姿の30代の一番若い男がボスのようだった。組長の息子かなにか。総勢四人。本来カウンターで食券を買うシステムなのだが、つくねんと待っているので、私は注文を取りにいった。そうしたら、壁に掛かっていたポスターを注文された。

 「あれは隣の売店で売っているものですから、そちらでお求めください」

 五分刈りスーツの顔が紅潮するのがわかった。

 「わかりました。私が買ってきますから。後でお代はいただきます」

 雷鳥のポスター。私が買いに来たのが珍しく、売店のおばさんに訳を聞かれた。

 「ヤクザに頼まれましてね」

 後でお代を回収して持っていくと、「怖かったでしょう。ありがとうね。大丈夫だった」と訊かれた。肩をすくめるしかなかった。ヤクザだって観光する。それだけのことだ。


 会社の元部課長クラスと思しき者も来た。

 「あの山の名はなんだ」と指差し、ぞんざいに尋ねられた。前面ガラス張りの食堂だったが、一体どの山を指しているのかもわからなかった。

 「わかりません」

 「これだからアルバイト風情は。もっと仕事をきちんとやれ」

 私は山岳ガイドではないし、あたりに広がる山脈の頂上を覚える余裕もなかった。新米の食堂アルバイトとはいえ、ガイドのようなこともできたらいいのだが、と反省し、周辺観光マップを持っていった。

 「もういい」

 と一蹴された。流石に随伴していた妻君が、「ちょっと、あなた。折角持ってきてくれたのに」と取りなしていたが、会社の抜け殻はフフンと鼻で笑っていた。いかにも人の良さそうなその女性が気の毒になった。


 そんな呼び名ではなかったにせよ、当時から実質「女子会」というものはあって、50代の身なりのいいグループが来たこともあった。いやむしろそれはこの時代に始まった流行なのかもしれない。こんな楽しげな団体も悪くないと感じ眺めていると、中の一人がカウンターまで来た。いたずらっぽい表情で言う。

 「ここでアルバイトをしているの?」

 「はい」

 「そう。わたしあなたくらいの息子がいるの。いい子よ」

 「それはなによりです」

 「そうね。これから合掌村に行くの。白川の」

 「そうなんですか。このあたり、詳しくなくて」

 どこになにがあるのか、私は全く知らなかった。後日、女子会名義でハンカチが送られてきた。


 休日に存外多かったのがアベックだ。日本にレジャーというものが開幕していた時代だ。若者はユーミンのサーフ&スノーを聴いて、スキーやサーフィンをした。男は女を求め、女も出会いを期待している。それで成約すればアベックになる。

 一応山荘にも休憩時間があって、その際には畳平駐車場を散歩したりもした。休日にはアベックにつかまらないよう車の陰を隠れて歩いた。山荘のジャージを着ているからといって、記念撮影を頼まれるのは心外だった。自分にカノジョがいたり結婚したりしていたなら広い気持ちにもなれただろうが、私は狭量の見本みたいなやつだった。


 これといった娯楽もなかったので、考える時間はたっぷりとあった。栗本慎一郎の本を多く読んでおり、その関係から渡辺豊和にも興味を持っていた。それによれば、日本のパワースポットは大抵幾何学的線で結ばれるのだという。乗鞍と御嶽山そして位山は、地に落ちた星座のように地図上で等辺三角形を成している。御嶽山はボーイスカウトのジャンボリーで登頂していたし、乗鞍は支配人の好意で頂上に登らせてもらっていた。位山はまだ行っていない。霊峰が幾何学的に配置されるのも、考えてみれば、地球の表現かもしれない。六角水晶が、長い時を経て自らその形を形成するように。

 地酒久寿玉を飲みながら、広美の体の上に現われた聖三角形を考えた。経穴の味のする陰唇と両の乳首で作られる三角形と地形が照応している。位山は、未だ探索していない女の陰部に思われた。そこへ行けば、なにかの答えがあるのかもしれないが、だからといって行ってみる気にもならなかった。


 広美に性行為をせっつかれるので、段々とそこでの暮らしも嫌になっていった。終いには軽いノイローゼ状態になり、私はアルバイトをやめることにした。支配人が、私のために送別会を開いてくれたが、そこでも、広美は性的誘惑を続けた。黄泉の国から追いかけてくるイザナミを思い出した。

 これで乗鞍の話は終わるのだが、最後に私が探索している産鉄民物語、戦国時代編を書くならこうなる。


 時はさらに水の如く石を穿ち戦国時代、地に伏流せし産鉄の民もといその頃では商いの網に等しくあったが、間欠泉の如く吹き上がりたり。

 元より産鉄の民、鉄より先に山林の富を入り用とした。しかれば薪炭の枯渇により移動せざるを得ぬ民だった。見よ今なるも韓国の禿げ山残りたるを。

 少なくとも能ある者であれば、拠点を元にして移動先を探すのが真っ当。そを利して商い網を構築するのも然り。よりて彼ら、産鉄の民であり、武人でもあり、商人の性格も帯びた。


 さて、織田信長から語るべきか。かの一族、元は越前織田の荘にありて、守護職斯波氏に従い尾張へ移りしものと伝わる。守護代として管掌したるは尾張西部とりわけ津島。これ今は想像もつかざるも、当時は海岸に脇し、木曽川及び天王川より那古野に至る水路を持つ、港運の要であった。よりて富を得た織田の財力、当時いかな大名をも凌駕する並びなきものとなった。信長に幾ばくの才ありとはいえども、戦と経済をふたつ輪として考えぬ物語など、余興にも劣るであろう。

 死のうは一定、忍び草にはなにしよぞ、一定語り起こすのよ。幸若舞い、桃井直詮は越前の産、丹生の山処、産鉄の地。織田とは同郷。

 津島神社の神授神守り、今もヒボコの伝うる蘇民将来である。祭神はスサノオであるのに。この錯綜が、スサノオとヒボコの錯綜も示す。津島祭りのチントロ船よ。むべ懐かしきかな。


 越前は朝倉宗滴、信長を評したると聞きしに、手の者、那古野にて細作す。

 「そこな人、上総の守様を見なんだか」

 「何用」

 「オレ越中の者にて、信秀様病むを聞き、良き薬持って参った」

 「たわけなど相手にするな。御前様に取り入れ」

 「案内してくれぬか」

 「おらあ屋敷の者もんじゃねえでな」

 「にしては、よくお知りで」

 「帰れ。先代などおらんでなあ。薬も要らん」

 誰とも知らぬが、織田一門抜かりのなきと覚ゆ。


 南下して浅井長政。この家紋が亀甲たるも知れた事だ。拠点の小谷(オタニ)城でありしこと興味。オダは尾張西部でもオタイなど残るが、越、湖東、尾張に産鉄民の分布を思わせる。けだし越前朝倉、湖南の六角よりは与しやすしとして、信長が同盟を望んだとは考えられる。


 翻って越前ではなにが起きていたか。大名朝倉氏の弱体の後では、百姓の持ちたる国として、一向一揆いや栄えることとなった。彼ら討伐に多いなる労を費やさねばならなかった信長も、いかに考えおったやら。


 その昔、蓮如に従い越前を立った石川一族。この浄土宗一派は、まず東国へ赴いたが、立場なく三河へ流れることになった。それにより三河一向衆の基となった。

 石川数正はその後裔。当初家康の股肱の臣たりたるも、見限りて秀吉翼下となった。

 本多正信もその類にあり出奔、加賀一向一揆に与したりと伝わる。

 この動乱が、何の血に由縁するものか、私は知らぬ。もしくは、スサノオとヒボコ。あるいは古志人の系譜があるやも知れぬが、抜きがたし。


 かねてより報のあった本多正信を、講の者、金沢御堂筋の賑わいに訪ねた。篝火が赤々と通りを照らし、野営の色を濃くしていた。

 「ワレ、かような地でなにしよぞ」

 「ぬしは?」

 「飛騨の者なり」

 「姉小路か」

 「異なり」

 「三木か」

 「本多、ワレはなにしよぞ」

 「松平風情とは違ってな。おれにゃあおれの夢があるでな」

 「さても、さても」

 後に本多は門徒を熟知する者として、織田と戦った者として、さらには金堀大久保長安を手土産に家康門下に参上した。本多、元は畿内の出であり、その点北国の石川らとは違っていたと伝わる。

 ある時は修験、またある時は薬売り、探索の網を巡らせつつヒダカ王朝われら地にあり。


 乗鞍山荘から四十年、私は還暦を過ぎ、髭も白くなった。勤めの傍ら、歴史の研究をし、風土を旅した。行っていない位山、行ってみてもいいのではないかと思えるようになった。未だに独身、気兼ねする誰も傍にはいない。

 車を走らせ、ダナ平林道から太陽神殿に向かう。山路を登れば、イブキザサを有志が刈っている。

 太陽神殿からは、急峻な登山道がつけられていた。

 山頂近辺には、思った通りに御岳、乗鞍が見渡せる場所があった。それ即ち、聖三角形が意識されていたということ。この山を分水嶺と知って神格化した飛騨の者が、それを知らないわけもない。しかも、白山まで見えた。これは三角というより、Y字系すなわち女陰の象徴。頂上のすぐ下に、水飲み場があった。ここに清水が出るのも不思議なものだ。かい杓子ですくって飲んだ。天空と山と海とを往還する水。ひとは死ねば魂はゆっくりと山を登っていき、いつか還ってくるという古い信仰を思い出した。

 拾った木の棒を杖にして下山中、チリンチリンと音が聴こえた。熊除けだろう。実際、車を走らせても子熊が道路を横断するのを見た。

 登山者が近くなり、私はイチイの大木の陰で待った。すれ違えない所だった。

 山伏と目が合い、こちらから挨拶した。

 「こんにちわ」

 「はい、こんにちわ」

 錫杖を持った山伏は、「上は風はどうですか」と尋ねた。息も切れていない。

 「風は、ないです」

 風はないが、この雲行き、雨は降るだろうとは予感された。

 山伏が「どこかで会いませんでしたか」と問うた。

 「さて」

 「わかりませんか」

 「修験の方ですか」

 「見ての通りです。立山講の者です」

 「それはすごい。立山かあ、いいなあ。立山講。私も入ってみたい」

 「入ったらどうなんですか。普通会員で年三千円です。催事の案内が届きます」

 「実は私の祖先が医王山近辺の出だという話がありましてね。富山にはすごく興味持っているんです」

 「医王山ね。行ってみましたか。あのあたりは少将名彦名神社が多いんですが」

 「ええ。本当にそうですね。なんでこんなにあるのかと驚きましたわ」

 「なぜだと思いますか」

 「えっ?」

 修験は答えず、登山を再開した。菅笠の奥、最後の冷めた一瞥が印象された。

 私も下山を再開した。道に桜花が散っていた。今が季節なのかと思い辺りを見回したが、それらしい木はなかった。見上げれば曇り空。時折、鳥の声がする。私は自分が誰だかわからない。脳に記憶だけがあって、空と道へ遠のいていく。それはいつか滅すべきもの。文字は不信の産物、そして魂はここから不滅。雨が、降り始めていた。


 あとがきを書いてみたいと思います。特に歴史部分は、馴染みのない方もあるでしょう。

 人の集団が移動するに際しては、それなりの理由がいります。遊牧の民なら、草と水を求めてさすらうでしょう。さて、この物語のテーマ産鉄民であれば、まずなによりも燃料を必要としました。砂鉄なら、大体水辺にあるからです。ところが樹木は刈りつくしてしまったら、再生には長の年月を要します。それで段々と変遷していく。以前のベースも引き払うのではなく、商業網としたと考えるのが妥当だと思われます。土地土地で武器が望まれればそれを、農具が望まれればそれを、といった具合に。

 この物語に登場するスサノオは、いわゆる記紀神話のスサノオではありません。実在したであろう一民族の残照です。あまりに時代が遠く、今ではわずかな言い伝えによって構成するしかありませんでした。日本においても東遷し、氷川神社、宮城のタガ城までは痕跡として残っています。

 対してヒボコは記紀にも記述され、それは幾重にもぼかされてはいますが、本文は私の研究となっています。ヒッタイトが浸炭法を開発し、その技術を持って東遷した、というのがストーリーです。おそらく山岳信仰で、故地は中東のそのあたりになるでしょうか。過ぎ越しの祭りはユダヤ民族によって歴史記述されていますが、それは本来は遊牧系の呪いとされ、ならば広い中東地域の伝承であって、より多くの民に記憶されていたという見方を私はとっています。


 ロゼットとは、菊花紋のモデルとなった小さな花です。これは中東全域で見られる装飾模様となり、特に四つ割りのものが多く見られます。


 本文中、産鉄民が上陸したコシとは、越前、越中、越後のことです。なかでも越前が主舞台となります。日本列島を馬に喩えるなら、このあたりは丁度腰の部分です。古代人が現代人より深い地理学地形学の素養を持っていたと考えることは、あながち冒険ではないと思います。


 スサノオの東遷ルートは、本文中に書いたほかに、三河のトガ神社もまた亀甲紋を使っています。これは客人神マロウドガミにスサノオを迎えています。そして、摂社にアラハバキを祀っている。これはハバキつまり蛇を斬った者としてのスサノオのことです。むかしはヘビをハバといいましたから。

 そして、アラハバキは、同じ修験系の秋葉神社にも摂社として祀られています。

 また、氷上姉子姫神社、これは往古火上の里とも呼ばれた高台にあります。尾張の海進部が、縄文時代にどんな状態だったかは推定でしかわかりませんが、縄文海進においても、少なくともここは陸地だったといえます。どうやら、ヒという地名を使いたがるようで、これは埼玉県の氷上神社にも飛びます。


 この物語は、私個人の必要から書きました。他にもこうした古代文化はあったと思います。それを考えることは、個々人にとって有意義なことだと思います。




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