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繋がる世界

視線の行方

作者: 柚月

 はじめて彼女の姿を視認した瞬間、全身が粟立つような、体中を巡る血液が沸騰するような、表現しがたい衝撃が走った。

 ふと、何気なく視界に入れただけでそうだ、まともに真正面から対峙した時に自分がどうなるか、想像すらできなかった。


 ただ、確信した。

 我ながら馬鹿げている、妄執とも罵倒されても仕方のない確信。

 あれは、俺の………だ。



「ヴィーゼ、すまない。非はこちらにある。わたしは嫡男ではなくなり、市井にくだることになった。きみとの婚約は解消となる。」


 頭を下げる、たった今元婚約者となった青年をぼんやりと見つめて、ヴィーゼはこれからのことに思いを馳せた。

 やはり、と言う安堵の気持ちが一番強い。

 あとはわずかな、事前の相談もなく決定事項をつきつけられ、ないがしろにされたことへの嫌悪感だ。

 元婚約者が平民出身の秘書官と親密な仲だという噂はヴィーゼの耳にも入っていた。

 確かめなければとも、数年の婚約期間に育んだはずの信頼を信じるべきとも思い、迷ったが、結局何もせずに見過ごしてしまった。


 彼の熱っぽい視線がどこへ向かっているか、自分が明確に壊されてしまいそうで、確かめるのが怖かったのだ。


 元婚約者に問いただす行動を起こすだけの情熱が持てなかった時点で、破局は見えていたのだ。

 没落寸前の伯爵家の長女であるヴィーゼ。

 腹違いの次女とは違い、持参金は雀の涙で、子爵位を持つ婚家から実家へ援助を引っ張る為の婚約。

 季節の挨拶、月に一度あるかないかのお茶会、誕生日の贈り物。

 表面上は穏やかな交流を続けてきた。

 お互いに恋愛感情は持てなくとも、信頼関係は築いてきたはずだった。

 裕福な子爵家の嫡男であった元婚約者は、温厚な性格だが、事なかれ主義で流されやすい性格だ。

 ヴィーゼの立場は理解していたはずなので、せめて事前の根回しがあれば、実家から逃げ出す準備ができたと言うのに。

 だが、なってしまったことは仕方ない。


「わかりました。実家への慰謝料は不要です。

かわりに、あなたが今つけているカフスボタンと懐中時計を思い出の品として頂けるかしら?」


 ヴィーゼは元婚約者に頷いて、婚約解消の書類に独断でサインをした。

 もう、元の生活へは戻れないことを覚悟しながら。

 元婚約者の邸宅から出たヴィーゼは、自宅に帰ることなく、姿を消した。



 数カ月後。

 暖かい初夏の陽射しにそっと目を伏せて、ヴィーゼは辺境の教会の裏庭で薬草の手入れをしていた。



 婚約を解消された時にすぐさま出奔を決断し、身につけていたドレスや元婚約者の小物を顔なじみの仕立て屋に売り払い、頼み込んで古着屋を紹介してもらった。

 実家がヴィーゼの不在に気づくのは深夜になるはずだった。

 婚約解消をした日は元々、元婚約者とオペラに行く予定だったからだ。

 仕立て屋はヴィーゼの境遇を薄々察していたから同情的で、隣国行きの長距離馬車の乗り方までこっそり教えてくれた。

 ヴィーゼの実家の追及から逃れる為に、ヴィーゼのドレスを買取等は聞かれたら素直に答えるが、隣国の馬車のことは黙秘すると笑っていた。

 没落寸前貴族とは言え、箱入り娘のヴィーゼが下準備もなく市井でやっていけるなどとは、ヴィーゼ本人も思っていない。

 隣国の修道院に駆け込むつもりだ。

 一刻も早く逃げ出すことしか頭にないヴィーゼは古着を着て長い髪を纏めてスカーフに隠していれば、街娘になれると思い込んでいた。


 そんなはずがない。

 ヴィーゼは美しい娘なのだ。

 絹のように滑らかなプラチナブロンドの髪、ガーネットのような深紅の瞳、ビスクドールのような透明感のある白い肌、ほっそりとした首に、華奢だけど胸部などは発育のよい体躯、手荒れのない指先。

 貴族の娘としても、最上級品の売り物。

 そうして、隣国行きの馬車待合に向かったヴィーゼは、あっさりと攫われた。



「そんなに警戒しなくても、これ以上は何もしないから安心しろよ、ヴィーゼ。」


 眠らされたヴィーゼが目覚めると、そこは見たこともない国の教会の一室であった。

 目の前には、悪戯っぽく微笑む青年がいた。


「レーゲン様、まさか貴方がこんなことをなさるなんて、信じられません。」

「噓をつくなよ。

薄々、俺の視線に気づいていただろう?」


 ヴィーゼを攫ったのは、元婚約者の子爵家が支援している教会に出入りしていた司教だった。

 司教は、教会に慰問に訪れたヴィーゼに一目惚れをした。

 ヴィーゼを視界にいれた瞬間、体が硬直して息を呑んだ。

 聖職者として生まれ、押し込めてきたはずの様々な感情や欲が、吹き出してくるようだった。

 だから、街娘の格好をしていても、それがヴィーゼだと一目で気づき、衝動を抑えきれなかったのだ。


「そんな粗野な口調が本性でしたのね。

清廉な司教様だ思っていましたのに。」

「ははっ、よく言う。」


 肩を揺らし、嘲るようにレーゲンは笑う。


「お前は一度も、俺の視線から逃げなかっただろ?」


 慰問先の教会でレーゲンと出会ったのはほんの数回。

 はじめて挨拶を交わした時のレーゲンは瞳孔が開き、瞬きもせずにヴィーゼを見つめていた。

 静謐な聖職者の仮面を被り、丁寧な口調での淡々とした当たり障りのない社交辞令を交わしながら、その視線はギラギラと熱く、突き刺さるような欲を孕んでいたのを、ヴィーゼは覚えている。

 忘れるはずがない。

 初対面なのに、そんな不躾な視線から、ヴィーゼは目を逸らすことが出来なかったのだから。

 令嬢の微笑みを忘れて、魅入られて、頬が熱を持ったことを。


「満更でもなかった癖に。」


 からかうように笑みを深めて、されどヴィーゼの退路を塞ぐように、ヴィーゼの隠してきた想いを暴こうと、

 さらりと艷やかなヴィーゼの髪に指先を絡めて、追い詰めてくるレーゲン。

 レーゲンは悪戯っぽく微笑んでいる、なのに、視線は熱がこもり、どこか仄暗い。


「確かに、視線を感じていたわ。

貴方のものかもしれないとも、気づいていました。

でも、」


 ヴィーゼはレーゲンと初対面の挨拶を交わして以降も、強い視線を感じて、その視線の元を探してしまっていた。

 そしてレーゲンと目があって、胸が高鳴ったことも否定できない。

 気づいたら、聖職者だと言うのに、恋情を隠そうともしない澄んだ青い瞳を、瞬きすら忘れて見つめ返していた。

 でも、ヴィーゼには当時、婚約者がいた。


「何度、攫っちまおうと思ったことか……」


 当時を思い出したのか、レーゲンは切なそうに目を細めた。

 ヴィーゼの頬を撫でようと手を伸ばして、ヴィーゼが頬を朱く染めて、思わず目をふせたことに気づく。

 伸ばした手を握りしめ、くくっと喉奥を震わせた。


「婚約はなくなったんだろ?そして、逃げ出そうとした。

何処へ行くつもりだったんだ?

俺のところになら、こんな囲うような真似はしなかったんだがな。」

「貴方に迷惑はかけたくなかったの。

私にだって矜持はあるわ。

どうにかして生活の基盤を整えて、そしていつか、と。」


 逃げ出そうと決断した時、頼れる相手はいなかった。

 貴族同士はしがらみが強く、同じ貴族令嬢である友人達は頼れなかった。

 貴族の政治とは違い信仰という力を持つ聖職者であるレーゲンを頼ることも、考えなかったわけではない。

 だが、レーゲンの負担になどなりたくなかった。

 そもそもレーゲンとは想いを確かめあった訳でもない。

 会話だって数回しかしたことがなく、レーゲンが等身大のヴィーゼにいずれ幻滅しないか、不安もあった。 

 だから、独り立ちをして保険をかけた上で、いつかレーゲンに会いに行こうと考えた。

 とどのつまりは、ヴィーゼの全てを預けるほど、レーゲンの愛を信用できていないのだ。

 ヴィーゼの自己肯定感は、そう高くはない。


「おいおい、貴族の娘がふらふらとそこらを出歩いて、無事でいられる訳ないだろ。」


 レーゲンは苦笑した。

 ヴィーゼが口に出さない不安は、少し考えれば察せられるところである。

 信頼関係をこれから築く必要があることは承知していた。

 そう、お互いに。


「それは、」


 叱られた子供のように肩を落とすヴィーゼを見つめて、潤む紅い瞳にはっとしたレーゲンは理性を取り戻した。

 惚れた女性からいざという時に、頼られなかった事実に我を忘れて苛立ってしまった。


 頼ってほしかった。

 この熱を信じて身を委ねてほしかった。

 独りよがりの愛だとしても、護りたいのだ。

 誰よりも一番近くで。


 その想いを口に出せばよいのに、レーゲンは口をつぐんだ。

 もし、もしもヴィーゼがレーゲンを拒絶したら、自分がどうなるか。


 我ながら暗く堕ちきった最悪の想像しかできない。


「悪い。責めるつもりはなかった。

これでも自制が効いてないのは分かってるんだ。」


 レーゲンは、そっとヴィーゼの手を取る。

 レーゲンの温もりにヴィーゼはぴくりと肩を震わせたが、拒否することはなく、恥じらうように視線を彷徨わせた。


「レ、レーゲン様、」

「でも、信じてくれ。俺は生半可な覚悟でヴィーゼを攫っちゃいない。」


 手にしたヴィーゼの手の甲にそっと唇を寄せて、上目遣いにレーゲンはヴィーゼを見つめた。

 整った顔立ちにとろけるような甘い微笑みを浮かべて。

 しかし、ヴィーゼのどんな一瞬の感情も見逃すまいとその視線は熱く熱く、瞳孔は開き切っていた。



 いまは、これだけ。

 これから信頼関係を築く為に、かろうじて態度だけでも紳士的でいなければいけない。

 余裕綽々に見せたい男の矜持はある。

 若干、手遅れだとしても。



 子爵家が支援する教会自体に所属している司教ではない所が、のちにヴィーゼを捜す実家の捜査を撹乱した。

 司教は遠く離れた宗教国の人間で、各国を視察する任を受けていたのだ。

 つまり、司教は宗教国の中でもなかなかの立場であり、私情を押し通せるだけの権力があった。

 攫ったのではない、保護をしたのだ。

 そう嘯く年の頃はヴィーゼより二つか三つ上の司教は、宗教国に帰る土産とばかりに、美しい娘を連れて帰り、囲い込むことに成功した。



 ヴィーゼの実家である伯爵家は政略結婚の駒を失い、後に没落するのだが、結果から言うと最後までヴィーゼを見つけることはできなかった。


ヤンデレ好きで、初めてなろうにて書いてみました。

よろしければ★を頂けると嬉しいです。


本作は「聖女の瞳は輝く」にその後のヴィーゼ達が登場しています。

この話のレーゲン視点である「視線の絡み合う先」も完結しています。

よろしければそちらもぜひご覧ください。


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