手紙(完結)
〈手紙〉
4月16日火曜日、それが今日の日付です。
事件から4日が経ちました。恭子がいなくなって、依然として会社は取引先やマスコミへの対応に追われています。特に恭子と関係の深かった私たちは、新聞や週刊誌の記者たちの厳しい追及に晒されて、心休まる間もありません。
事件からたった4日しか経っていないのに、世間のあちこちで面白おかしく報道されているのを目にします。一人の色男と、それを取り巻く女性たちの歪んだ関係、痴情のもつれから芽生える殺意、いかにも噂好きの人間が好きそうな話ではありませんか。
そういう扇情的なマスコミの報道に対して、私は基本的に興味がなかったものの、自分がまさかその標的として晒されることになるとは思いもしませんでした。
自分たちの好奇心のためならば、当事者たちの気持ちなど少しも考えない。金になる記事ならば、昼夜関係なく人の家に押しかける。どこかの三流ドラマでみたような展開が目の前で起こり、とんだ茶番を見せられているような気分になりました。こうした冷たい現実は、この4日間、毎日続きました。しかしその終わりがもう目前ということがわかって、少しほっとしています。
とはいえ、マスコミからの解放に対して安堵する気持ちもある一方で、恭子を失った悲しみからは、いまだに逃れられずにいます。恭子は私にとって、本当に大事な人でした。私は何度、彼女に救われたことがあったでしょう。彼女の、すべてを包み込んでしまうような優しさや笑顔は、私の心の拠りどころでした。それに二度と触れることが叶わない喪失感は、他の何をもってしても埋めることが出来ないでしょう。
もしあの時、私が恭子と一緒にアパートに戻っていたら、彼女を命の危機から救えたのでしょうか。あの時に車で来ていたのが私だったら。そもそも、私があの飲み会に恭子を誘ったりしなければ。
ああしていれば、こうしていれば。
そんな考えが堂々巡りになって、頭を一杯にしてしまうのです。気が狂ってしまいそうな悔しさを、今はただ耐え忍ぶばかりです。
私は昔から、いわゆる人付き合いにおいて「無駄」なものが苦手でした。
建前、偽りの感情、おべっか、――そういった類の「本質としては必要なくとも、人間関係を円滑にするために、手続きとして必要なもの」を上手く使うのが、どうにも苦手でした。思春期の頃、この性格のせいで、随分と苦労したことを覚えています。
もちろん、本当に本音だけを口にして生きている人間なんていませんし、いたとしても多分、付き合いづらい人間であることは簡単に想像できます。私は別に、この性格を正しいなどとは思っていません。ただ必要以上にそういう「無駄」を好み、あまつさえ私のような不器用な人間を見下す人種はどうにも苦手で、私はこれまでの人生で、そういう人たちを敬遠してきました。
そんな中、恭子と出会いました。
私と彼女は、年齢は違いますが、同期入社でした。私の部署の中ではたった一人の同期でしたが、当初私は彼女に苦手意識を持っていました。今考えると、私がただ彼女を怖がっているだけに過ぎなかったのですが。
浅野恭子という才色兼備を絵に描いたような女性は、私にないものをたくさん持っていました。あなたも知っての通りだと思いますが、会社のみんなが恭子のことを慕っていました。
輝いている彼女を見れば見るほど自分が惨めになっていって、敗北感や劣等感を感じずにはいられなかった。それに、恭子が先ほど言った「無駄」を好む人種ではないか、という警戒もありました。誰にでも優しい善人のフリをしているのも今だけで、そのうち私を見下し始めるのではないか、心のどこかでそんな疑念を拭えずに、彼女に対して壁を作っていました。
しかし、私の愚かな考えに反し、彼女は誰にでも分け隔てなく、優しく誠実に接する人でした。それでいて、他人の弱さに寛容な人でした。私が周りに気をつかったりなんて出来なくても、恭子は私の性格なんてすぐに見抜いて、そして赦してくれました。
マリはそのままでいい、そう言われた瞬間、私は自分の人生が何のためにあったのかを初めて理解したような気分になりました。
この人はきっと、肩肘張らずとも私という人間を受け入れてくれるから、私はこの人の弱さを愛してあげようと思えました。恭子という女性と出会ったことで、私の世界は少し開けた気がしました。
もう隠さずに言ってしまいますが、私は恭子を愛していました。もちろん、恋愛対象としての意味で、です。
自分の気持ちに気がついた当初は、とても気持ちを伝える気なんてありませんでした。同性に性的な視線を向けられていると知ったら、彼女はきっと不快に思うに違いない、そう考えると言えませんでした。
人を好きになるなんて初めての経験でしたが、同性に対して性的情動を抱くことの異常性については、それなりに理解していたつもりです。
それでも彼女という人間を知っていくうちに、どうしても伝えずにはいられなくなりました。それに彼女はきっと、どんな私であっても嫌悪することはないし、私の気持ちに応えてくれることはなくても、同性愛者の私を私として受け入れてくれる。彼女はそう思わせてくれるだけの包容力と、優しさに溢れた人だったのです。
そして私が期待した通り、気持ちを口にしても恭子は私を嫌ったりしませんでした。それどころか、恭子は私と同じ気持ちだったことを告白してくれました。
家族にも隠していたようでしたが、恭子は生来の女性愛者でした。思春期の時にはひどく落ち込んだし、同性の友達との関係性について本当に悩んでいたことを話してくれました。私と恭子は全く違う人間でしたが、思春期に苦労した者同士、そこは互いに共感し合いました。そして、恭子から弱みを打ち明けられたことも、恭子をきちんと受け入れてあげられたことも、私は本当に嬉しかった。
もう気づいたかもしれませんね。
そうです。恭子に最近できた恋人というのは、私の事です。
あなたは恐らく、恭子の恋人が井内君だと勘違いしたのではないですか。
恭子が新しい黄色のマグカップを持ってきた時、あなたは驚いた顔をしていましたね。その時は不思議に思っていたのですが、あなたは井内君にも同じものをあげていたのですね。あとで井内君から聞きました。
人から贈られたものを他の人にあげてしまうなんて、確かに無神経な井内君ならやりそうなことではありますが、さすがの彼もそんなことはしませんでした。あなたが彼にあげた方は、彼の家で使われているそうです。
あのマグカップは私が恭子にあげたものです。
恭子も井内君も、真実しか口にしていません。全てあなたが一人で勘違いをして、勝手に思い込んだことです。あなたの性格からして、好きな人にあげた贈り物をその恋人に使われてしまったというのは、どうしても我慢できなかったのでしょう。
すべてはあなたの下らないプライドのため。恭子はそんなもののために命を奪われてしまったのです。
事件当日の午前0時の目撃情報については、刑事さんからもう聞いたと思います。あなたは午前0時頃に、恭子のアパートから出ていくのを目撃されています。最初のあなたの供述と矛盾する情報です。
しかし、所詮は状況証拠にすぎません。何とでも言い訳はできるでしょう。
恐らく、あなたが知っているのはアパートの前での証言だけで、その目撃情報に続きがあることを知らされていないと思います。
その目撃者は、アパート前であなたを目撃した後、不審に思ってあなたのあとをつけていたのです。
飲み会を一次会で帰り、真っ直ぐ自分の家に帰ったはずのあなたが、どうして恭子のアパートから出てきたのか。しかも、なぜか落ち着かない様子で、早足で去っていくのです。
あなたは、恭子のアパートからしばらく移動し、民家の生垣の間を通って庭に侵入しました。あなたとの距離が離れていた上、生垣に遮られていたせいであなたの姿は見えませんでしたが、あれは凶器の隠滅をしていたのですね。
そうです。その目撃者というのは私です。
飲み会の後に、恭子の部屋で会う約束をしていました。私は店の前でみんなと別れた後、約束の時間まで時間を潰してから、彼女の部屋に向かいました。あなたを目撃したのはその時です。そんな時間工作をしたのは、もちろん私たちの関係を公にしないためですが、今となってはとても後悔しています。
あなたをつけた後、私もオートロック扉の前で恭子を呼び出しましたが、応答がなかったのでそのまま帰りました。
今考えると、その時恭子は部屋の中であなたに刺され、痛みに呻いていたことになります。そのことを考えると、今でも身が引き裂かれる思いがします。
タクシーを使っても、店から恭子のアパートまでは50分程かかりますから、あなたは自分のアパートに凶器を取りに戻る時間はなかったはずです。途中どこかに隠していたか、あるいは飲み会の最初からカバンに凶器を忍ばせていたことになります。あなたは最初から、恭子を殺すつもりで飲み会に参加したのです。
問題の凶器ですが、民家の庭をくまなく捜索したところ、ようやく見つかりました。あなたの指紋と恭子の血がべったりとついた包丁です。鑑識結果はまだ出ていませんが、あなたがこれを読んでいる頃には、全てが明らかになっているでしょう。もう言い逃れはできません。
あなたは知らなかったと思いますが、最初の事情聴取(事件の翌日ですから、13日のことになります)の時点で、もう既に私の口からあなたの目撃情報と、その後の不審な行動について警察には伝えられていました。自分が見られていたことを知らないあなたは、まんまと口を滑らせました。それに、あなたに知られないように凶器を確保するための時間を稼ぐこともできました。
あなたに対する令状の執行が許可され、あなたの部屋から抗ヒスタミン成分の睡眠薬も押収されました。それも、わざわざ液体に溶けやすいように、錠剤を粉末状に砕いたものです。飲み会で、何かと他人の飲み物を世話していたあなたであれば、恭子に気づかれずに睡眠薬を仕込むことなど、簡単なことだったでしょう。恭子が飲み会の最中に体調を崩したことと、無関係ではないはずです。
事件の被疑者として、あなたが警察に連れていかれたと聞いた時、そしてあなたが容疑の否認を続けていると聞いたとき、私はこれをあなたに向けて書く決心をしました。
自分の罪を頑として認めないあなたに、決定的な証拠を突きつけるため。そして、私の気持ちをあなたに知ってもらい、その上で自分の罪を正しく自覚してもらうためです。
今、この手紙の内容を知っているのは、容疑者であるあなたと、私がこれを渡した刑事さんの二人だけです。本来なら、個人的に容疑者に手紙を渡すことなど規定違反なのですが、一番最初に刑事さんに全ての事情を話すこと、手紙の内容を見せることを条件に、特別に許可していただきました。
すべてはあなたに、自分のしたことの重大性を理解してもらうためです。
単刀直入に言います。私は出会った時からあなたのことが嫌いでした。いつも周りの目を気にしておどおどしてばかりいる、必死な感じが嫌いでした。あなたのその外面とは裏腹に、周りと協調するのに必死で、他人から嫌われるのを何よりも怖がっているあなたの内側が透けて見え、とにかく嫌いでした。
自分にできることは、他人もできるはずだと誰しも期待してしまうものなのでしょうか。他人と同調して仲の良いグループ作りに固執する人は、他人にも同等な能力を期待します。期待するのは勝手ですが、それが苦手な人を否定するような真似をする人もいます。そう、あなたのように。
自分は周りに嫌われてなんかない、自分は他人と上手くやっていける人間なんだ。自分でそう言い聞かせているだけなら何も問題はありませんが、入社当時のあなたは必死だったのでしょう。自分よりも無口で内気な子を標的にして、陰口を言って共通の敵に仕立て上げようとしましたね。見ていましたよ。
私は元来、そういうことをする人間が理解できません。自分の下らない自尊心のために、他人を貶める精神が気に食わないし、何よりそれに同調圧力を使うという卑怯な考えが嫌いです。あなたは自分が何よりも大事だったのかもしれませんが、私の目には、あなたがまともに付き合う価値のある人間には見えませんでした。
あなたはとにかく、自分を肯定することで頭が一杯なのです。それでいて、いざとなれば自分を守るために手段を選ばないのです。あなたは通常の状態では無害であっても、状況一つでいくらでも態度を変えます。あなたの性根には、どうしようもなくそういった卑怯な性癖がこびりついているのです。
今もこうして容疑の否認を続けているのが、何よりの証拠ではありませんか。人の命を奪うような真似をした上、他人に罪を被せる供述をするようなあなたですから、恭子を殺した罪の意識なんて、少しも感じてはいないことでしょう。
事件を起こしてから今までの間、もしかしたら自分のしたことの重大性に気づいた瞬間もあったかもしれません。が、それはきっと、あなたお得意の自己肯定感とやらに、すぐさま覆い隠されたことでしょう。今となっては、自分ではない他の誰かが恭子を殺した、というように、自身の潔白を思い込むことに必死になっているかもしれませんね。
このまま有罪判決を受け、苦しい懲役を受けたとしても、多分、あなたは本当の意味で自分の罪を悔いたりはしないかもしれません。それでは恭子があまりに可哀想です。もしそんなことになれば、きっと私はあなたを許さない。どんな手段を用いてでも、あなたに恭子を殺したことを後悔させます。
あなたの事は心から憎んでいます。殺害の動機も下らない。そもそもどんなに酷い人であっても、他人に対して殺意を抱くこと自体、私には理解不能です。
しかし、それでも今一度、私はあなたを信じてみたい。こんなことを言うのは自分でも意外です。間違いなく恭子の影響でしょう。
人を弱さごと受け入れて、ちゃんとその人を見てあげる。その人が怖がって動けなくなっているのなら、自分から手を引いて安心させてあげる。
みんな私が恭子から教わったことです。
この世を去ってなお、私の胸の内に生き続ける恭子の存在が、あなたを信じたいと言っています。以前の私なら絶対にあり得なかったことですが、あなたの更生可能性とやらを信じて待ってみたいのです。
今後のあなたの人生で、どんな出会いがあなたを変えてしまうかわかりません。あなたも、私にとっての恭子のような、本当に素敵な人と出会うことができたらいい。肩肘張らずとも、あなたの事を大事に思ってくれる人と出会うことができたら、きっと、あなたもようやく自分を省みるでしょう。
私の恭子は二度と生き返りません。ですから今はただ、あなたの更生を願うばかりです。
きっと自分に自信が持てないだけ。気丈に振舞ってはいるけれど、それは怖がっているだけ。完璧主義でプライドが高いけれど、人と話をするのが大好きで、ちゃんと話せばわかってくれる。あなたは多分そんな人。
そんなあなただから、信じてこの手紙を書きました。
これからあなたは裁かれますが、しっかりと自分の罪を自覚して、罰を受けてください。
――北山澪。
恋人の命を奪った殺人鬼へ。




