九黎城 2
冷たい無機質な廊下が、どこまでも続いているように思えた。
壁面は継ぎ目のない滑らかな金属で覆われ、天井に埋め込まれた照明が、等間隔に青白い光を落としている。その光景は、ここがかつての「城」ではなく、巨大な機械の内部であることを主張していた。
ランは、その廊下を大股で歩いていた。
警戒心など微塵もない。まるで自分の庭を散歩するかのように、あるいは獲物を探す獣のように、鼻を鳴らしながら進んでいく。彼の野生的な感覚は、この人工的な空間の不自然さを敏感に感じ取っていたが、それを恐怖として処理することはなかった。ただ、「気に入らない」あるいは「変な匂いがする」といった生理的な反応があるだけだ。
先ほど、マリヤが床の罠に呑み込まれて消えた。その衝撃も冷めやらぬうちに、ランは「下に行ったなら、下に行けば会えるだろ」という単純極まりない理屈で、ただひたすらに前進を再開したのだ。
「マリヤが落ちたんだぞ!? 少しは心配しろ!」
「・・・」
ランにとって、仲間が消えたことは事実だが、それがイコール「死」ではない。マリヤは強い。なら、生きている。生きていれば、そのうち会う。それだけのことだ。ランは思考を切り替える。仲間とはぐれた不安など、彼の辞書にはない。目的地は上だ。文圍のいる場所へ行き、あいつをぶん殴る。そして捕まった獲物を解放する。目的は単純明快だ。
ランは歩き出した。巨大な歯車が回転し、ピストンが往復運動を繰り返す機械の迷宮を、迷いなく進んでいく。彼の野生の勘が、微かな風の流れと「敵意」の気配を捉えていたからだ。
「――止まれ」
冷徹な声と共に、四つの影がランの行く手を阻んだ。
全身を鈍色の甲冑で覆った兵士たちだ。彼らの手には、先端から青白い魔力光を放つ長槍が握られている。九黎城の精鋭、近衛兵団の兵士たちだろう。
だが、ランの視線は彼らを通り越し、その奥に控える一人の男に釘付けになった。
「お前らが騒がしいから、昼寝の邪魔されたよ。……責任、どう取ってくれるの?」
兵士たちの後ろ、一段高い通路の手すりに寄りかかり、退屈そうに欠伸を噛み殺している男。
茶色の髪を無造作に流し、両目を黒い布で覆った奇妙な風貌。豪奢な絹の長衣をだらしなく着崩し、その隙間から覗く肌は病的なまでに白い。
「……なんだ、テメェは」
ランが低く唸る。
男は布越しの視線でランを見下ろし、口元だけで笑った。
「なんだ、とは挨拶がないな。野良犬には礼儀という概念がインストールされていないのか?」
男の声は、滑らかで、そして不快なほどに傲慢だった。
「俺の名は蒜。この九黎城を守護する将軍の一人にして……貴様のような害虫を駆除する清掃員だ」
文圍の配下であり、将軍の位を持つ男。
彼は背もたれのない空間に、まるで椅子があるかのように体重を預け、気だるげに首を傾げた。
蒜は指先で軽く空気を弾く仕草をした。
「まったく、文圍も人使いが荒い。こんな薄汚いガキ一匹のために、俺の貴重な休息を邪魔するとはね。……おい、さっさと片付けろ。死骸は焼却炉へ。骨は粉砕して肥料にしろ」
蒜の命令一下、四人の側近たちが一斉に動いた。四人の側近たちが、弾かれたように散開する。
訓練された動きだ。四方から同時に槍を突き出し、ランの退路を断つ包囲陣形。切っ先から放たれる魔力が、空気をビリビリと震わせる。
「……肥料だと?」
ランの金色の瞳が、怒りで揺らめいた。
「俺は肥料じゃねぇ。……俺は、噛み砕く側だッ!」
ランが地を蹴る。
正面の兵士に向かって、弾丸のような突進。
一方、その頃。
ランたちとは別の場所――城の深層部。
「……最悪」
彼女は小さく毒づく。
全身が痛む。落下の衝撃は殺しきれなかったらしい。服は汚れ、埃と油の臭いが染み付いている。
だが、彼女の歩みは止まらない。
ただ脱出するだけでは割に合わない。どうせなら、この城の急所を一つでも潰して帰らなければ。
マリヤは、暗闇の中を歩いていた。
落下した先は、廃棄物処理場のような広大な空間だったが、そこから通気口を這い上がり、迷路のような配管スペースを抜けて、ようやく人工的なフロアへと辿り着いていた。
マリヤは、軍靴の踵が鳴らす硬質な音が、広大な空間に反響する。
そこは、熱気溢れるボイラー室とは対照的に、冷たく、無機質な静寂に包まれた空間だった。
彼女が辿り着いたのは、明らかに居住区とは異なるエリアだった。
冷たい冷気が漂っている。
壁はガラス張りになっており、その向こうには、青白い液体で満たされた巨大な水槽が林立していた。
「……趣味の悪い場所ね」
マリヤは顔をしかめ、手袋についた埃を払った。
そこは、巨大な研究施設だった。
壁一面に並ぶガラスの円柱。その中には、緑色の保存液に浸された「何か」が浮遊している。異形の生物の胎児、機械と肉が融合した失敗作、あるいは……切断された人間の四肢。
マリヤはガラスに手を当て、中を覗き込む。
水槽の中に浮かんでいるのは、異形のものたちだった。
人間の形をしているが、腕が四本あったり、背中から機械の管が生えていたり、あるいは獣の頭部を持っていたり。
キメラ。
あるいは、アニマによる生体改造の成れの果て。
「趣味が悪いなんてレベルじゃないわね……文圍。貴方、ここまで堕ちていたの」
マリヤは奥歯を噛み締める。
彼女の任務は、文圍の確保と人質の救出だ。だが、この施設の存在は、事態が単なる人身売買や密輸のレベルを超えていることを示唆していた。
「生体兵器の研究……それも、禁忌とされる『魔導融合』か」
マリヤは近くの操作盤に歩み寄り、埃を被った資料を手に取った。
『機動騎士計画・試作型データ』 『検体番号46851・覚醒記録』 『素体の耐久テスト・失敗』
ページをめくるたびに、吐き気を催すような記述が並ぶ。
子供たちを「素体」と呼び、魔石を埋め込んで兵器へと改造する実験。精神を破壊し、ただ命令に従うだけの人形を作り出す悪魔の所業。
文圍の「コレクション」。
富と欲望の果てに、生命さえも玩具として弄ぶ。その悪趣味な実態が、ここにあった。
マリヤは慎重にフロアを進む。
目的が変わった。
単なる破壊工作ではない。ここにある「資料」、そして囚われている「実験体」たちを解放するための「鍵」を探さなければならない。
「……許せない」
マリヤの指先が震える。軍人として多くの修羅場を潜り抜けてきた彼女でさえ、この冒涜的な実験には嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
ふと、彼女の視線が一つのファイルに留まる。
『研究棟・セキュリティ・キー・コード』 『地下牢獄・マスターキー』
「……これだわ」
これがあれば、囚われている人々を解放し、上層への道を切り開くことができる。マリヤは素早くファイルを懐に収めようとした。
マリヤが手を伸ばそうとした、その時。
「おや、熱心なことだね。新しい助手希望かな?」




