九黎城 1
「ここが消化器官のど真ん中ですよ。積み荷はここで降ろされ、選別され、加工される」
リョクシの言葉に、ランの拳が固く握りしめられる。
「加工だと……?」
「ええ。労働力にするか、愛玩動物にするか、あるいは実験材料にするか。……文圍の商品管理は徹底していますからね」
「ふざけやがって……!」
ランがドアノブに手をかけるが、マリヤがそれを鋭く制した。
「待ちなさい、野生児。焦って飛び出せば、ただの的よ」
マリヤはダッシュボードのモニターを指先で弾く。そこには、外部カメラが捉えた映像が映し出されていた。
ターミナルには、無数の作業員たちが行き交っていた。彼らの目は死んだ魚のように白濁し、首筋には何らかの制御装置が埋め込まれている。そして、要所要所には、重武装した警備兵たちが、彫像のように立っていた。彼らの装備は、旧時代の遺物と最新の魔導技術が融合した、殺傷力の高い代物だ。
「正面突破は馬鹿のやることよ。……リョクシ」
「はいはい。準備はできていますよ」
リョクシが懐から小型の端末を取り出し、鍵盤を弾くような指使いで操作する。
「この区画のセキュリティ・プロトコルに、少しばかりノイズ(・・・)を混ぜました。カメラのループ、センサーの感度低下、警備巡回のルート変更……期限は十分。その間に、積み荷(子供たち)を確保し、ついでに文圍の首根っこを掴んでください」
リョクシは薄く笑い、座席の背もたれに深く沈み込んだ。
「行くわよ、ラン」
マリヤが合図を送る。
ランは無言で頷き、ドアを蹴り開けるのではなく、音もなく隙間を作って滑り降りた。野生の獣が、茂みから獲物を狙う時の動きだ。
影が、トラックの陰から躍り出る。
巨大なコンテナの迷路を縫うように進む。
空気は冷たく、乾燥している。オイルの臭いと、微かな血の臭いが混じり合った、独特の芳香。それは、この場所がただの倉庫ではなく、何らかの儀式の場であることを告げていた。
「……あそこだ」
ランが指差す先、搬入口の一角に、トラックから降ろされたばかりの檻が並べられていた。
中には、震える子供たちの姿がある。
作業員たちが機械的に檻を運び、奥のエレベーターホールへと移動させている。
「追うわよ」
マリヤが駆け出す。彼女の軍服の裾が翻り、音もなくコンクリートの床を蹴る。
ランも続く。彼の足音は、存在しないかのように静かだ。
だが、エレベーターホールの前には、二人の警備兵が立ちはだかっていた。全身を黒い装甲服で覆い、手には高出力のスタンロッドを握っている。
「……何者だ」
一人の警備兵が、ヘルメット越しの合成音声で問いかける。
発見された。
だが、マリヤの歩調は緩まない。
「通りすがりの、運送業者よ」
彼女は冷然と言い放ち、左肩のジッパーに指をかけた。
チッ。
金属音と共に、亜空間が開く。
彼女が引き抜いたのは、大型の拳銃ではない。
銀色に輝く、一本の長い鎖だった。その先端には、凶悪なフックがついている。
「排除する」
警備兵がスタンロッドを構え、踏み込む。その速度は、肉体を機械強化した者特有の、人間離れした鋭さだった。
だが、ランの方が速い。
「遅せぇッ!」
ランの身体が、弾丸のように警備兵の懐へと飛び込む。
警備兵のセンサーが反応する暇もなかった。ランの右拳が、装甲服の腹部装甲を正確に打ち抜く。
ドォン!!
衝撃が装甲を貫通し、内部の肉体へと伝播する。警備兵はくの字に折れ曲がり、後方の壁へと吹き飛んだ。
もう一人の警備兵が、仲間の敗北に動揺することなく、即座にランへとスタンロッドを振り下ろす。紫電を纏った一撃。触れれば神経系を焼き切る致死の稲妻。
だが、そのロッドは空中で静止した。
ジャラッ……!
マリヤの放った鎖が、警備兵の手首に絡みついていたのだ。
「無駄よ」
マリヤが鎖を引く。
その瞬間、鎖に仕込まれた無数の微細な刃が起動し、装甲服のジョイント部分を噛み砕く。
「ガァッ……!?」
警備兵がバランスを崩す。その隙を見逃さず、マリヤは流れるような回し蹴りを警備兵の側頭部へと叩き込んだ。
ゴッ!
鈍い音が響き、二人目の警備兵も沈黙する。
「……やるじゃねぇか」
ランがニカっと笑う。
「アンタこそね。……急ぐわよ」
マリヤは鎖をシュルリと巻き取り、再びジッパーの中へと収納した。
瞬間、地下ドックの空気が凍りついた。
停止していたドローンたちのカメラアイ(単眼)が、一斉に赤く変色する。
『侵入者検知。警戒レベル(フェーズ)、オレンジ』
無機質なアナウンスが響き渡ると同時に、壁面に隠蔽されていた警報器が咆哮を上げた。
ウウウウウウウウウッ!!
赤色の回転灯が、冷たい地下空間を毒々しい赤に染め上げる。
「バレるのが早すぎるだろ!」
リョクシはツッコミながら、遮蔽物となるコンテナへ滑り込む。
同時に、ドックの入り口から、重装歩兵たちが雪崩れ込んできた。彼らの持つ盾には、九黎の紋章が刻まれている。
「迎撃! 殺せ!」
指揮官らしき男の号令と共に、火線が交錯する。
銃声。爆発音。金属が金属を噛み砕く音。
それらの轟音は、閉鎖空間の中で増幅され、鼓膜を物理的に叩く圧力となって襲いかかる。
マリヤは、その混沌の中を舞っていた。
彼女の動きは、重力に逆らうかのように軽やかだ。
迫り来る銃弾を、紙一重で見切り、床を蹴り、壁を走り、敵の懐へと飛び込む。
「遅い!」
ダガーが閃く。
重装歩兵の関節部、装甲の隙間を正確に貫く。
悲鳴を上げる暇もなく、兵士が崩れ落ちる。
だが、敵の数は多すぎる。
次から次へと湧き出る兵士たちは、まるで壊れた蛇口から溢れ出す汚水のようだ。
「キリがないわね……!」
マリヤが舌打ちをして、バックステップで距離を取ろうとした、その時だった。
カチリ。
足元の床から、微かな、しかし絶望的な音が聞こえた。
床材の継ぎ目が、一瞬だけ青白く発光する。
「しまっ——」
彼女が反応するよりも早く、床が消失した。
いや、正確には、超高速で開閉する落とし穴が作動したのだ。
「マリヤッ!!」
仲間の叫び声が遠くなる。
マリヤの視界が、急速に上昇していく床の縁によって切り取られる。
「ラン! 死ぬんじゃないわよッ!」
マリヤの声が闇に吸い込まれる。
彼女の身体は、地下ドックよりもさらに深い、奈落の底へと呑み込まれていった。
上空で、パタンと扉が閉まる音が、皮肉なほど軽く響いた。
マリヤの視界から光が消え、完全な闇が彼女を包み込んだ。
落下。
風切り音だけが耳元で轟々と鳴り響く。
彼女は空中で体勢を整えようともがくが、手足をかける場所は何もない。ただ、滑らかな金属の筒の中を、ゴミのように滑り落ちていく。
重力が内臓を押し上げる浮遊感。
そして、暗黒。
恐怖?
落下しながら、マリヤは冷静さを失わずに状況を分析した。
自身のジッパーを展開する。左右の壁へ交互に固定具を打ち込み、落下の速度を殺そうとする。
数秒、あるいは数分にも感じられる落下の果て。
彼女の背中が、何か柔らかな、しかし弾力のあるものに受け止められた。
ボフンッ。
衝撃吸収用のネットか、あるいは廃棄されたクッションの山か。
マリヤは呼吸を詰まらせながらも、反射的に身体を丸めて衝撃を逃がす。
そのまま数メートル転がり、硬い床に投げ出された。
「……ッ、いっ……つぅ……」
呻き声を上げながら、彼女は身を起こす。
全身が軋むように痛むが、骨は折れていないようだ。
彼女はダガーを握り直し、周囲を警戒する。
そこは、別の地下空間だった。
上のドックとは違い、洗練された設備は何もない。
むき出しの岩肌と、錆びた鉄骨。
そして、鼻を突く強烈な異臭。
獣の臭いと、血の臭い。
天井の遥か高い場所に、小さな通気口があり、そこから微かな光が漏れているだけだ。
その薄明かりの中に、巨大な「檻」のシルエットが浮かび上がっていた。
「……ここは?」
マリヤが呟くと、檻の奥から、低い、地鳴りのような唸り声が返ってきた。
それは機械の駆動音ではなく、生物の、それも極めて凶暴な捕食者の呼吸音だった。
文圍の「コレクション」。
あるいは、失敗作の廃棄場。
マリヤは、自分が単に分断されただけでなく、もっと悪い場所——この屋敷の消化器官へと落ちたことを悟った。
上空からは、未だに警報の音が、遠い雷鳴のように響いている。
仲間との距離は、物理的にも、状況的にも、絶望的なまでに開いてしまった。
「……上等じゃない」
彼女は唇の端を吊り上げ、暗闇の中で笑った。
その笑顔は、トラックの側面に描かれていた「猿」のそれに、どこか似ていた。九黎城の複雑怪奇な内臓の奥深くへと、それぞれ飲み込まれていった。
絶望は、まだ始まったばかりだ。
鉄と蒸気と欲望の迷宮で、狩人と獣の、孤独な戦いが幕を開ける。




