表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
or  作者: 真亭甘
53/64

荊州城の戦い

 荊州城けいしゅうじょう。  

ひんの国における軍事の要衝であり、鉄と蒸気、そして汚濁した欲望が複雑怪奇に絡み合う魔窟である。城壁は黒ずんだ鉄板で補強され、至る所から噴き出す排気ガスが空を鉛色に染め上げている。

品の軍勢が駐留して以来、城壁の威容はそのままに、内部では極彩色の毒花が咲き乱れるような退廃が支配している。  その中枢、太守の間。  豪奢ごうしゃな調度品が並ぶ執務室に、硝子ガラスの破砕音が神経質に響き渡った。



武漢ぶかんが……ちただと……?」



 百渡ヒャクトの絶叫が、石造りの壁を震わせる。 彼は品の国を統べる「十二神獣」の一角、文圍ブンイの忠実な手駒である。百渡の声は、怒りというよりも、理解の範疇カテゴリーを超えた事象に対する恐怖で震えていた。  投げつけられたワイングラスが床で赤い飛沫しぶきを上げ、高級な絨毯じゅうたんを汚していく。その赤は、彼の脳裏に焼き付いている戦場の惨劇を連想させた。  ひざまずく伝令兵は、泥と脂汗にまみれ、言葉を紡ぐのもやっとの状態だった。



「は、はい……。建文けんぶん率いるそんの正規軍と、現地の義勇兵が合流……。その数、万を超えると……。そんの軍勢による急襲を受け、武漢の守備隊は、半日も持たずに壊滅いたしました。武漢は完全に制圧されました」



「半日だと!? あの要害が、たかだか敗残兵スクラップの寄せ集めに!?」


「は、はい……。守備隊は半日で壊滅……。」



伝令兵が額を床に擦り付けんばかりに平伏し、震える声で報告する。 武漢は百渡にとってただの領地ではない。そこは資金源であり、兵站の心臓部であり、何より文圍に対し己の有用性を示すための重要な「財布」であった。それが失われた。百渡は執務机を拳で叩きつけた。文官上がりの細い指には似つかわしくない、憎悪によって増幅された膂力りょりょく。  彼は、尊の者たちを憎んでいた。かつて味わわされた屈辱。見下された記憶。それらを晴らすために、文圍ブンイに取り入り、魂を売ってまで軍権を手にしたのだ。  それなのに。


「ええい、役立たずどもめが! 貴様ら、それでも軍人か! の国を喰らい、尊を飲み込むはずの我が軍が、あのような田舎侍どもに後れを取るなど……!」



「しかも……報告によれば、建文軍は、この荊州城ここには目もくれず……」



 伝令兵が言いよどむ。その先にある言葉が、百渡のプライドを最も逆撫さかなでするものだと知っていたからだ。死を覚悟したような悲壮な面持ちで進み出る。



「言えッ!」



「……はっ! 尊の軍勢、その先鋒と思わしき部隊が……建文軍は、荊州を『無視』し、そのまま北上を続けております! 目標は……おそらく、未だ帰属の定まらぬ北方の諸侯たちかと!」



 無視。  その二文字が、百渡の理性を焼き切った。  恐れをなして攻めてこないのではない。眼中にないのだ。この百渡が守る荊州など、戦略上の価値すらない障害物ゴミだと断じられたのだ。  屈辱が、胃のからせり上がり、喉元をく。

百渡は手近にあった青磁の壺を蹴り飛ばした。砕け散る破片の音が、家臣たちの心臓を縮み上がらせる。 彼の脳裏をよぎるのは、文圍の冷徹な笑顔だ。『無能な部下をどう処理するか』。その想像だけで、百渡の背筋には氷柱つららが突き刺さるような悪寒が走る。



「おのれ……おのれぇッ! 建文! 建岱けんたいの息子風情が! 私を、この百渡を無視するなど……断じて許さん! 許されてなるものかァッ!」



 百渡は狂ったように叫び、壁に掛けられた古地図を引き裂いた。  北へ向かうということは、勢力を拡大し、より強大な軍団となって戻ってくるということだ。そうなれば、荊州などひとたまりもない。  焦燥しょうそうが、冷たい汗となって背筋を伝う。  今、叩かねばならない。奴らが背中を見せている今こそが、唯一の勝機であり、私の価値を証明する絶好の舞台ステージなのだ。

「……兵を出す。ええい、構わん! 北だ! 全軍だ! 追撃し、背後から食い破ってやる!」



「し、しかし閣下! 現在、城内の兵力は分散しており、直ちに動かせるのは……」



「黙れ! 誰が私の兵だけで戦うと言った?金で雇った傭兵、罪人、奴隷、使えるものはすべて使え! 数で押し潰してくれるわ!」



 百渡の瞳に、暗く濁った光が宿る。  それは、禁忌タブーに手を染める者の眼差しだった。  彼には、切りジョーカーがある。文圍から預かった、制御不能の災厄たちが。



「……あの方々にお出まし願う。文圍様より借り受けた、最強の『道具』たちにな」



 百渡は乱れたころもを正すと、大股で部屋を出た。向かう先は、城内で最も豪奢で、そして最も忌まわしい場所――「貴賓室(VIPルーム)」だ。

 重厚な扉の向こうから、甘美な音楽と、獣のうなり声のような笑い声が漏れ聞こえてくる。  百渡は一瞬、扉の前で躊躇ためらった。その中にいるのは、人ではない。人の形をした、純粋な暴力の概念だ。文官としての本能が、関わるなと警鐘アラートを鳴らす。だが、復讐心がそれをねじ伏せた。  意を決して扉を開く。

 むせ返るような酒気と、頽廃たいはい的な香油の匂い。  広大な室内は、酒池肉林パラダイスと化していた。  絹のクッションに身を沈め、半裸の美女たちをはべらせているのは、四凶しきょうの三人。



「うははは! いいぞ、もっとげ! この世のさを、全て飲み干してやる!」



 白蓮びゃくれん――混沌こんとんが、硝子ガラスさかずきを掲げて笑う。その整った顔立ちは、酔いと狂気で妖しくゆがんでいる。彼の周囲では、美女たちがおびえながらもびを売り、その肢体からだを差し出している。  部屋の隅では、岩塊のような巨躯きょくを持つ檮杌とうこつが、大樽おおだるごとの酒をあおっていた。彼は言葉を発しない。ただ、破壊への渇望を酒で紛らわせているかのような、重苦しい沈黙をまとっている。  そして、部屋の中央。  窮奇きゅうきが、食い散らかした果実のように女たちを放り出し、気怠けだるげに百渡を見上げた。



「……あァ? なんだ、しけたつらして。酒が不味まずくなるだろうが、元・文官様よォ」



 その爬虫類はちゅうるいめいた瞳に射抜かれ、百渡は思わず後退りそうになった。だが、彼は必死に虚勢ブラフを張り、声を張り上げた。



うたげは終わりだ! 貴公ら、出番だぞ!」



「あァ? 聞こえねぇな。俺たちは文圍ブンイの旦那に『休暇バカンス』を貰ってるんだ。テメェの指図オーダーなんざ受ける義理はねぇ」



 窮奇が鼻で笑う。白蓮もまた、興味なさそうに女の髪をもてあそんでいる。  百渡の額に青筋が浮かぶ。この化け物どもは、私を対等な人間とすら見ていない。ただの給仕係ボーイ程度にしか思っていないのだ。



「……建文だ。建文の軍が、すぐそこまで来ている」



 百渡は切り札を切った。  その名が出た瞬間、場の空気が凍りついた。  白蓮の手が止まる。檮杌が酒樽を置く。窮奇の瞳孔どうこうが、針のように収縮する。



「……建文、だと?」



「そうだ。奴らは我々を無視し、北へ向かっている。……貴公らが恐ろしくて、逃げ出したのかもしれんがな」



 百渡はあおった。彼らの肥大化したプライドを刺激することだけが、この猛獣たちを動かす唯一の手綱たづなだと知っていたからだ。



「逃げた、だと? ……うはは、傑作だ」



 白蓮がゆらりと立ち上がる。その手から杯が滑り落ち、床で砕け散った。



「退屈で死にそうだったんだ。……いいぜ、少し遊んでやるか」



 窮奇もまた、凶悪な笑みを浮かべて立ち上がった。その全身から、どす黒い闘気オーラが立ち昇る。



「無視されるってのは、一番ムカつくんだよなァ。……おい、檮杌。準備運動の時間だぜ」



 巨岩が動く。檮杌が立ち上がると、それだけで床が悲鳴を上げた。  百渡は安堵あんどの息を漏らすと同時に、暗い愉悦ゆえつに浸った。  これで勝てる。この災厄たちが通った後には、建文軍などちり一つ残らないだろう。



「さあ、行こうか! 蹂躙じゅうりんの始まりだ!」



 百渡が高らかに宣言しようとした、その時だった。


 ――ドォォォォン!!


 腹に響くような爆発音が、城の北西からとどろいた。  窓ガラスがビリビリと震え、貴賓室のシャンデリアが揺れる。



「な、なんだ!?」



 百渡が窓へ駆け寄る。  北西の方角。そこにあるのは、捕虜ほりょや罪人たちを収容していた「区画ブロックE」。  そこから、黒い煙が天へと昇っていた。  ただの火事ではない。狼煙のろしだ。  反逆の、狼煙。



「な、なんだ!? 失火か!?……まさか」



 百渡の顔から血の気が引く。  外からの敵に目を奪われている間に、内側から腹を食い破られたのか。  煙の向こうから、地鳴りのような歓声が聞こえてくる。それは、抑圧された者たちが解き放たれた瞬間の、爆発的なエネルギーの奔流ほんりゅうだった。

城壁の上で見張りをしていた兵士が叫ぶ。 その煙は、ただの火災ではない。何かが爆発し、何かが解き放たれた合図シグナルのように、天に向かって真っ直ぐに伸びていた。

 区画E。  そこは、荊州城の汚物溜ダンプであり、百渡の恐怖政治の象徴だった。  薄暗い地下牢、悪臭漂う収容所。そこには、品に敗れた敗残兵、無実の罪で捕らえられた市民、そしてそんの捕虜たちが、家畜以下の扱いで押し込められていた。  だが今、その場所は「革命の震源地エピセンター」と化していた。

 爆破された正門から、熱気が噴き出す。  看守たちが逃げ惑う中、すすほこりまみれた一人の男が、瓦礫がれきに片足を乗せて立っていた。  髙旗たかはた。  粗末な衣服に身を包んでいるが、そのに宿る輝きは、どんな宝石よりも鮮烈だ。彼の手には、奪ったばかりの剣が握られている。



「――ヒャッハー! 聞けぇッ! 野郎共ッ!!お前ら、起きろ起きろ! いつまで寝てんだ、このウスノロどもが!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ