桃を持った猿
高速で疾走していた巨大な装甲輸送トラックは、今、不自然な静寂の中に停車していた。 焼け焦げたタイヤの臭いと、漏れ出したオイルの刺激臭が、乾いた風に混じって鼻腔を刺す。 物理法則を無視した「ファスナー」によって天井をこじ開けられた運転席では、巨漢の兵士たちが泡を吹いて気絶している。 その惨状を見下ろすように、トラックの屋根に降り立った二つの影があった。
「……さてと。中身の確認といこうか」
マリヤが、革の手袋をはめ直しながら冷ややかに呟く。その隣で、ランは鼻をひくつかせ、まだ微かに残る敵意の残滓を探るように周囲を警戒していた。
「おいマリヤ、このデカい鉄の箱、すごく嫌な臭いがするぞ」
「同感ね。腐った欲望の臭いがプンプンするわ」
マリヤはトラックの運転席から軽やかに飛び降りると、巨大な荷台の後部ドアの前に立った。 分厚い鋼鉄の扉は、何重もの電子ロックと物理的な錠前で固く閉ざされている。常人ならば爆薬を用いても開けるのに数時間は要するであろう堅牢さだ。 だが、彼女にとっては、それは「閉ざされた空間」という概念に過ぎない。
「開け」
マリヤが懐から取り出したのは、銀色に輝く一本の線ファスナー金具。 彼女はそれを、無造作に鋼鉄の扉の表面へと押し当てた。 カチリ、と硬質な音が響く。 金属と金属が触れ合っただけではない。空間そのものに「取っ手」が取り付けられたような、奇妙な実在感がそこにはあった。
「ご開帳よ」
マリヤの手が、滑らかに下へと引き下ろされる。
ジジジジジジジッ……!!
布を裂くような、あるいは空間が悲鳴を上げるような、耳障りな音が木霊する。 本来あり得ない光景だった。 分厚い鋼鉄の扉が、まるで安っぽいテントの入り口のように、中央から左右へと「めくれて」いくのだ。 切断されたのではない。物質としての結合が一時的に解除され、そこにあるべき「閉鎖」という概念が「開放」へと書き換えられたのだ。
ズンッ……。 重苦しい空気と共に、荷台の内部が露わになる。 夕闇が迫る荒野の光が、その深淵を照らし出した瞬間、ランの喉から低く唸るような声が漏れた。
「……なんだ、これは」
そこは、地獄の倉庫だった。 乱雑に積み上げられた木箱からは、怪しく光る鉱石がこぼれ落ちている。それはただの宝石ではない。微かに脈動するような光を放つ、魔力を帯びた希少鉱石「魔石」だ。 その横には、錆びついた古刀や槍、呪術的な装飾が施された武具が山のように積まれている。どれもが博物館級の、あるいは呪物として封印されるべき代物ばかりだ。 だが、彼らの視線を釘付けにしたのは、物言わぬ財宝だけではなかった。
荷台の奥、鉄格子の檻に詰め込まれていたのは、子供たちだった。
「……っ!」
マリヤの眉が、鋭く跳ね上がる。 近隣の村々からさらわれたのであろう、十数人の子供たち。彼らは恐怖に瞳を見開き、互いに身を寄せ合い、震えていた。 服は薄汚れ、手足には家畜のように鎖が巻かれている。その瞳には、助けが来たという希望よりも、また新たな暴力が来たのではないかという絶望の色が濃く宿っていた。
「……あいつら、人を……ガキを、物みたいに……」
ランの拳が、ギリギリと音を立てて握りしめられる。 彼の全身から、目に見えぬ怒りの熱気が立ち昇る。野生の世界で生きてきた彼にとって、弱者を食い物にする行為は自然の摂理の一部かもしれない。だが、これは違う。 これは捕食ではない。尊厳の剥奪だ。命をただの「資源」として扱う、冷徹で無機質な悪意だ。
「ラン、落ち着きなさい。今はまず、彼らを解放するのが先よ」
マリヤの声は冷静だったが、その瞳の奥には氷点下の怒りが宿っていた。
ランは短く答え、檻へと歩み寄った。 彼が鉄格子を素手で掴む。
グググッ……!
金属が飴細工のように軋み、ひしゃげていく。 鍵など探す必要はない。彼の怒りと膂力の前では、鉄の檻など枯れ木も同然だった。 バキンッ! 格子を引きちぎり、ランは子供たちの前へ膝をつく。 彼の顔についた煤と血を見て怯える子供たちに、ランは不器用な、しかし精一杯の柔らかい笑みを向けた。
「大丈夫だ。もう、誰にもお前らを縛らせねぇ。俺が……俺たちが来たからな」
その言葉に嘘がないことを、子供たちは本能で感じ取ったのだろう。 一人の少年が、堰を切ったように泣き出し、ランの足にしがみついた。 ランは戸惑いながらも、その小さな頭を、ゴツゴツとした大きな手で優しく撫でた。
檻の隅から、一番年長と思われる少女が、震える声で言葉を紡いだ。 彼女の視線は、ランやマリヤではなく、二人の背後――運転席の方へと向けられていた。
「……おじちゃんたちが……『リスト』……大事だって……言ってた……」
「リスト?」
マリヤが視線を鋭くする。 少女はコクコクと頷き、涙目で訴えた。
「そのリストがないと……私たちは……『商品』になれないから……殺されるって……」
「商品……ね」
マリヤの口元が、冷たく歪んだ。 その言葉の裏にある、徹底的な管理と非人道性。 彼女はランに目配せをする。
「ラン、子供たちを頼むわ。鎖を解いて、水と食料を。私は運転席を洗ってくる」
「……ああ。任せろ」
マリヤは再び運転席へと戻っていく。 天井の大穴から差し込む月光が、狭い車内を青白く照らしている。 気絶した運転手の巨体を無造作に車外へと蹴り出し、彼女はダッシュボードやグローブボックスを荒々しく漁った。
「あったわね……これか」
シートの下、隠し金庫のようなスペースに、厳重に封をされた革製のファイルがあった。 彼女はその封を、指先でなぞるようにして「開封」する。 中から出てきたのは、分厚い羊皮紙の束。 積荷目録。 そこには、荷台にあった鉱石や武器の数量、品質、そしてさらわれた子供たちの「等級」や「価格」までもが、事務的な筆致で記されていた。
「吐き気がするわね……」
マリヤは紙束をめくる。 表紙には、大陸全土に手広く商売を展開する大手貿易会社「宝船」の印章が押されている。表向きの隠れ蓑だ。 だが、マリヤが探していたのはそれではない。この悪趣味な人身売買を裏で糸引く、真の黒幕を示す痕跡だ。 彼女はさらにページをめくり、最終ページの裏、契約書の承認欄へと視線を走らせる。
そこに、それはあった。
通常の朱肉ではない。紫色の、血が凝固したような色合いのインクで押された、奇妙な刻印。 円形の枠の中に描かれているのは――
「桃を持った猿」。
一見すれば、長寿や繁栄を願う縁起物の意匠にも見える。 笑顔の猿に、 豊穣の象徴の桃。
「……ビンゴ!!」
マリヤの唇から、確信と冷笑が同時に漏れる。 その刻印の意味を、彼女は知っていた。いや、正確には「推測」していたのだ。 かつて裏社会で囁かれていた都市伝説。 国のあらゆる利権、あらゆる闇市場、あらゆる汚職の背後に見え隠れする、決して正体を現さない「猿」の影。
「これで……イベントが進むわね」
彼女はマニフェストをパタンと閉じ、手の中で弄ぶ。
「12神獣の『文圍』……。ただの強欲な商人かと思っていたけれど、まさか『猿』の仮面まで被っていたとはね。地肉を得てから実体が掴めなかったが、やっと尻尾を掴んだわ」
文圍という男の底知れなさ。 彼は「饕餮」としての飽くなき食欲(支配欲)を持ちながら、同時にこの「猿」の刻印を使う組織をも手足として使役しているのか。あるいは、この「猿」こそが、文圍の本質に近い何かなのか。 いずれにせよ、これは単なる密輸事件ではない。 国の根幹を腐らせ、内側から食い荒らす巨大な寄生虫の、ほんの一端に過ぎないのだ。
「……おい、マリヤ」
いつの間にか、ランが運転席のドアの横に立っていた。 子供たちの手当てを終えたのだろう。その表情は、先ほどまでの優しさから一変し、夜の森を徘徊する狼のような、鋭く冷たい殺気を帯びていた。
「どうしたの、野生児。子守は終わった?」
「ああ。……で、わかったのか? そいつらの親玉の居場所は」
ランの声は低い。怒りを必死に抑え込んでいるが故の静けさだ。 マリヤは、手にしたマニフェストをランに見せるように掲げた。
「ええ、手掛かりは掴んだわ。この刻印……『桃を持った猿』。これが、このふざけたサーカスの団長のマークよ」
「……サル?」
ランは怪訝そうに眉をひそめる。彼にとって猿とは、森で木の実を取り合う騒がしい隣人に過ぎない。 だが、マリヤが見せるその絵からは、生物としての猿とは違う、もっとどす黒く、粘着質な悪意を感じ取った。
「そう。ただの猿じゃないわ。国中の美味しい果実を独り占めして、腐るまで貪り食う、欲張りな猿の王様よ」




