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or  作者: 真亭甘
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野生児と追跡 2


 風が、泣いていた。



 そう錯覚するほどの轟音が、ランの耳元で絶え間なく炸裂していた。荒野を切り裂くように疾走する「小さい鉄の獣」――バイクの後部座席で、ランは身を屈めながら前方を見据えていた。


 視線の先には、土煙を巻き上げて逃走する巨大なトラック。大岩への接触で左側面を削ぎ落とされながらも、そのエンジンは断末魔のように黒煙を吐き出し、止まる気配を見せない。まるで、死に損ないの巨獣が最後のあがきを見せているかのようだった。



「しっかり捕まってなさいよ、野生児!」



 ヘルメット越しに、マリヤの声が風を割って届く。その声には焦りよりも、むしろこの極限状況を楽しむような冷徹な響きがあった。



「ランだ! それに、落ちたりしねぇ!」



 ランは短く吠え返すと、自身の尻の下で唸りを上げるエンジンの振動を太ももで挟み込んだ。生き物ではないはずの鉄の塊から伝わる熱が、不思議と心地よい。だが、感傷に浸る時間は与えられなかった。


 ガコンッ、

という重い金属音が、前方のトラックから響いた。

 荷台の上部、装甲板の一部がスライドし、そこから無機質な銃口が鎌首をもたげるようにせり出してくる。



「――来るわよ!」

 マリヤの警告と同時だった。



 ダダダダダダッ!



 乾いた破裂音と共に、目に見えない死のつぶてが空気を引き裂いた。重機関銃の旋回砲塔が火を噴き、アスファルトを、岩肌を、そして二人の進路を無慈悲に削り取っていく。



「うおっ!?」


 ランが首をすくめるのと同時に、マリヤが車体を大きく右へ傾けた。火花が散るほど深くバンクさせ、銃弾の雨を紙一重で回避する。だが、敵も甘くはない。砲塔は正確にこちらを捕捉し、執拗に弾幕を張り続けてくる。

地面が弾け飛び、小石が弾丸となって頬を掠めた。



「チッ、しつこいハエね」



 マリヤが舌打ちをする。彼女の操縦技術は人間離れしていたが、このままではジリ貧だった。トラックとの距離は縮まらないどころか、弾幕に阻まれて近づくことすらままならない。



「おい女! あいつを黙らせればいいのか!?」



 ランが風圧に逆らって叫ぶ。



「運転席よ! あのデカブツを止めるには、頭を潰すしかないわ。でも見ての通り、あの装甲は生半可な火力じゃ貫けない。おまけにあのハッチからの挨拶付きよ」



「なら、どうするんだ!」



「こじ開けるのよ。あんたのその馬鹿力でね」


 マリヤは一瞬だけランの方へ顔を向けたようだった。黒いバイザーの奥で、彼女がニヤリと笑った気配がした。


「作戦を伝えるわ。よく聞きなさい。あいつの頭上……運転席の屋根に取り付く。でも、ただ乗るだけじゃ振り落とされるか、ハチの巣にされるのがオチよ」



「だから!?」



「私が囮になって射線を引きつける。その隙にアンタが飛び移りなさい。そして、屋根を

『歪ませる』の」



「歪ませる……?」



「そう。破壊しなくてもいい。ほんの少し、装甲の継ぎ目に指が入るくらいの隙間を作ればいいわ。そうすれば、私が『開けて』あげる」



 意味が分からなかった。鉄の板を歪ませろという指示も無茶だが、その後どうやってマリヤがそこに来るというのか。だが、ランは深く考えることを放棄した。この黒い女の言うことには、奇妙な説得力があった。何より、今は動くしかなかった。



「わかった! やるぞ!」



「いい返事ね。――行くわよ!」



 マリヤがスロットルを一気に回した。エンジンが悲鳴のような高音を奏でる。

 バイクは銃弾の嵐の中へ、自ら飛び込むように加速した。真正面からの突撃。砲塔がこちらを向き、マズルフラッシュが激しく瞬く。

 死線が迫るその瞬間、マリヤは車体を横滑りさせながら急制動をかけた。タイヤが白煙を上げ、車体がドリフト状態でトラックの側面に肉薄する。



「今ッ!」



 叫びと共に、ランはバイクのステップを蹴った。

 全身のバネを解放し、弾丸のように空へ舞う。重力を無視した跳躍は、旋回しようとする銃座の反応速度を凌駕していた。




 ドォン!


 ランの両足が、トラックの運転席の屋根をとらえた。着地の衝撃で分厚い鉄板が悲鳴を上げる。だが、安堵する暇はない。足元では凄まじい振動と風圧が暴れ回り、すぐ後ろでは銃座が回転してこちらを狙おうとしている。



「ぐぬぬぬッ……!」



 ランは四つん這いになり、屋根の中央付近にある装甲の継ぎ目に指を突き立てた。

 硬い。岩よりも、今まで相手にしてきたどのモンスターの皮よりも硬い。だが、ランの指は鋼鉄そのものだった。



「開けぇぇぇぇッ!」



 全身の筋肉が膨張し、血管が浮き上がる。獣の咆哮と共に力を込めると、メリメリという嫌な音が響き、溶接されたはずの装甲板が飴細工のようにたわみ始めた。

 わずかな亀裂。指が入るかどうかの、ほんの数センチの歪み。



「できたぞ!」



 ランが叫んだその時、背後で銃座の駆動音が止まった。銃口が、完全にランの背中を捉えていた。

 終わった、と思うよりも早く、視界の端に黒い影が飛び込んできた。

 それは、あり得ない光景だった。


 並走していたはずのマリヤのバイクが、宙を飛んでいた。バイクごとトラックの屋根の上空へ。

  バイクは空中で粒子のように霧散し、異空間へと収納される。そして重力に従って降り立ったのは、マリヤただ一人。

 彼女はランが作った歪みの真上へ、音もなく着地した。

 その手には、金属の細長い線のようなものが握られている。衣服につけるような「線ファスナー」。



「ご苦労様、野生児」



 マリヤは悠然と、その金具をランがこじ開けた装甲の歪みに押し当てた。

 金属と金属がぶつかる音はしなかった。代わりに、ズズズ……という、布地を噛み合わせるような音が響く。



 彼女がその金具を、まるでジャケットを脱ぐときのように手前へ引いた瞬間――物理法則が崩壊した。



 分厚い複合装甲が、鋼鉄のフレームが、まるで安物の布切れのように左右へと「開いて」いく。切断ではない。物質としての結合が、概念的に解かれたかのような現象。

 強固な天井がファスナーによって開かれ、運転席の内部が露わになった。



「な、なんだァ!?」



 運転席に座っていた巨漢の兵士が、天井が消失したことに気づき、間抜けな声を上げて見上げる。

 そこには、ニカっと笑うランと、冷ややかな視線を見下ろすマリヤの姿があった。



「お邪魔するぜ!」



 ランは開かれた天井から迷わず飛び降りた。

 狭い車内。兵士が慌てて腰のホルスターに手を伸ばすが、ランの拳の方が早かった。



「寝てろ!」



 コンパクトな一撃が兵士の顎を撃ち抜く。巨体が白目を剥いて崩れ落ち、ハンドルに覆いかぶさった。トラックが大きく蛇行し、崖下へと突っ込みそうになる。



「どきなさい!」



 続いて降りてきたマリヤが、気絶した兵士の襟首を掴んで助手席側へ放り投げると、流れるような動作でハンドルを奪った。

 彼女の細腕からは想像もつかない手際で、暴れる巨鉄の塊を制御下へ置く。ブレーキペダルを踏み込み、ギアを落とす。タイヤが悲鳴を上げ、車体が激しく振動したが、マリヤの表情は微動だにしなかった。

 やがて、トラックは土煙を上げながら、荒野の真ん中で完全に停止した。

 静寂が戻ってくる。エンジンの熱気と、焦げ付いたタイヤの臭いだけが残された。



「ふぅ……」



 ランは助手席のシートに深々と体を預け、大きく息を吐いた。



「すげぇな、お前。あの鉄の板を、簡単に開けちまうなんて」



 ランが目を丸くして尋ねると、マリヤは手袋を直しながら素っ気なく答えた。


「『ジッパー』よ。私の能力アニマ。……閉じたものを開き、開いたものを閉じる。それだけのこと」



 それだけのこと、と言うにはあまりに理不尽な力だったが、

ランは「へぇ、便利だな!」と無邪気に笑った。

 マリヤはそんなランを一瞥し、ふと口元を緩めた。



「アンタもね。素手で軍用装甲をひん曲げる子供なんて、聞いたことないわ」



「ランだ。子供じゃねぇ」



「はいはい、そうね。……ラン」



 マリヤは視線を前方へと戻す。地平線の彼方には、まだ見ぬ目的地が待っているはずだ。



「さて、休憩はおしまい。ここからは、この『大きな鉄の獣』が私たちの足よ」



「おう! 腹減ったな。こいつの中に食い物はねぇのか?」



「……アンタねぇ」



 呆れたようにため息をつくマリヤだったが、その声色は先ほどまでのような氷のような冷たさは消えていた。

 荒廃した世界。法も秩序も崩れ去った大地で、奇妙な二人の旅が、いま再び動き出そうとしていた。




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