異次元からの追跡
正午の太陽が、乾ききった大地を白く焼き尽くしている。陽炎が揺らぐその道の向こうから、地響きのような轟音が近づいてくる。
トラックだ。
旧時代の遺物を継ぎ接ぎし、分厚い装甲板で無理やり膨れ上がらせたその車体は、文明の道具というよりは、黒鉄の塊でできた移動要塞のようだった。排気管から吐き出される黒煙が、青い空を汚して後ろへと流れていく。荷台には鉄格子が嵌められ、その奥から微かな、しかし確かな「生体」の気配が漏れ出していた。
そのトラックの後方、数百メートル。
何も存在しないはずの空間に、突如として異質な「線」が走った。
チィィィィッ――!
耳障りな金属音が大気を震わせた。布を引き裂く音ではない。世界の風景そのものに切り込みを入れるような、絶対的な断絶の音だ。
何もない虚空に、銀色に輝く巨大なスライダー(引手)が出現した。それは重力を無視して空中に固定され、見えざる手によって、あるいは意志の力によって、垂直に引き下ろされた。
空間が、開く。
裂け目の向こう側は、この世界の風景ではなかった。光を吸い込むような底知れぬ漆黒の闇。その深淵から、爆発的なエンジンの咆哮が轟いた。
「――展開」
冷徹な女の声と共に、闇の中から黒い砲弾が射出された。
それは、異形の騎馬――「バイク」だった。
流線型のカウルは軍服と同じく艶消しの黒で統一され、車体の至る所に大小様々なファスナーの金具が、まるで拘束具のように、あるいは血管のように巻き付いている。
タイヤがアスファルトに着地した瞬間、摩擦熱で白煙が上がり、強烈なトルクが車体を弾き飛ばした。
騎乗するのは、漆黒の軍服に身を包んだ女性、マリヤである。
全身に張り巡らされたジッパーの金具が、日光を反射して冷たい光の粒子を撒き散らす。帽子を目深に被り、その表情は読み取れないが、全身から放たれる気配は、研ぎ澄まされた刃物のように鋭利で、冷たかった。
彼女は、何事もなかったかのように加速態勢に入ったのだ。
「逃がさない」
彼女の手袋――そこにも銀色のジッパーが走っている――がハンドルを絞るように握り込むと、異形のバイクは物理法則を嘲笑うかのような加速を見せ、黒煙を上げるトラックとの距離を一瞬で食らいにかかった。
一方、トラックの進行方向。道路脇に聳える、立ち枯れた巨木の枝の枝上に、一つの影があった。
ボロ布を腰に巻き、伸びきった黒髪の間から金色の瞳を覗かせる少年、ランである。
彼の鼻腔がピクリと動く。
風に乗って運ばれてくるのは、焦げた油の悪臭と、錆びた鉄の味。そして何より、その奥に混じる微かな匂い――「小さい奴ら」の、怯えきった汗と涙の匂いだった。
「鉄の獣……」
ランの瞳が、接近する巨大な鉄塊を捉える。
彼にとって、それは「車両」ではない。轟音を上げて疾走し、その巨大な腹の中に獲物を詰め込んだ、未知のモンスターだ。彼の認識世界において、動くものはすべて「生き物」であり、生きるための糧を奪い合う「敵」か、あるいは「獲物」でしかない。
この鉄の獣は、小さい奴らを食った。だが、まだ消化していない。腹の中で生きている。ならば、吐き出させるまでだ。
「食わせねぇぞ」
ランは枝を蹴った。
助走はない。予備動作すらない。ただ、爆発的な筋肉の収縮のみで放たれたその身体は、重力の鎖を引きちぎり、砲弾のように空を裂く。
トラックが真下を通過するその一瞬のタイミング。ランは重力に引かれるまま、獲物の背中――トラックの屋根へと落下した。
ドォォォン!!
凄まじい衝撃音が響き、トラックの天井鉄板が内側へと大きく窪む。
野生動物の着地ではない。質量兵器の落下だ。
その衝撃は、屋根の鉄板だけでなく、荷台と運転席を繋ぐ接続部にも波及した。金属疲労を起こしていたジョイント部分が悲鳴を上げ、亀裂が走る。
「ギギギギッ……!」
トラックが蛇行する。運転手が突然の衝撃と異音にパニックを起こし、ハンドルを取られたのだ。タイヤがアスファルトを削り、嫌な焦げ臭さが舞い上がる。
ランは四つん這いの姿勢で屋根に張り付き、獣のように低く唸った。揺れる車体の上で、彼の身体は吸盤がついているかのように微動だにしない。彼の視線は、前方にある「頭部」――運転席へと向けられている。
あそこを潰せば、この獣は止まる。本能がそう告げていた。
その時だ。
後方から迫る、切り裂くようなエンジン音に、ランが振り返る。
視線の先には、陽炎を切り裂いて迫る黒いバイクと、それに跨るマリヤの姿があった。
マリヤの視界に、トラックの屋根に取り付いた「黒い物体」が映り込む。
ボロ布を纏い、四肢を地につけて威嚇するその姿。常人離れした跳躍力と、車体を凹ませるほどの着地の衝撃。ただの人間ではない。
(護衛か……!)
マリヤの判断は速い。彼女の冷徹な思考回路は、ランを「トラック側が用意した魔物の類」、あるいは「アニマ能力を持った傭兵」と即断した。一般人があのような場所に乗っているはずがない。ましてや、走行中のトラックに飛び乗るなど、自殺志願者でなければ不可能だ。
ならば、排除すべき敵だ。
彼女は片手をハンドルから離し、自身の左肩に走るジッパーに触れた。
チッ、という短い金属音が響き、ジッパーが開く。布地が開いたその奥、本来なら鎖骨があるはずの場所には、底知れぬ亜空間が広がっていた。彼女はその闇の中から、大型のオートマチック拳銃のグリップを引き抜いた。
「障害は排除する」
銃口がランに向けられる。殺意の線が交錯した。
だが、ランの反応はマリヤの予想を裏切るものだった。
彼は銃口を向けられたにも関わらず、マリヤを一瞥しただけで、すぐに興味を失ったように視線を外し、再びトラックの運転席へと向き直ったのだ。
「……?」
マリヤの眉が僅かに動く。
敵であれば、追跡者である自分を優先して排除しに来るはずだ。だが、あの「野生児」の殺気は、自分ではなくトラックの運転席――彼にとっての「獣の頭」に向けられている。
ランは屋根の上を這うように進むと、運転席の真上で拳を振り上げた。
その構えは武術のそれではない。石斧を振り下ろすような、純粋で暴力的なモーション。だが、その筋肉の躍動には、恐ろしいほどの破壊力が秘められているのが見て取れた。
「吐き出せッ!!」
ランの拳が、運転席の屋根を殴りつける。
ベコンッ! と嫌な音がして、鉄板がさらにひしゃげる。運転席のガラスに亀裂が入り、中の運転手が悲鳴を上げるのが見えた。トラックはさらに激しく蛇行を始め、荷台が左右に振られる。
その光景を見て、マリヤは理解した。
(味方ではない……? トラックを襲っている? ただの暴走した、野生のサルだというの……)
敵対者ではない。だが、このままではトラック自体が転倒し、積荷(確保対象である子供たち)が危険に晒される。トラックの連結部は、先ほどの衝撃でもう限界に近い。
マリヤは銃を収め――実際には肩のジッパーへ放り込むように戻し、金属音と共に閉じて――バイクのアクセルを回した。
一気にトラックの側面に並びかける。
風圧で漆黒の軍服が激しくはためく中、マリヤは屋根の上のランに向かって、ヘルメット越しに叫んだ。
「どきなさい、野蛮人! それ以上暴れると荷台が落ちるわ!」
鋭く通る声。それは軍人としての命令口調であり、戦場における有無を言わせぬ響きを持っていた。
ランが顔を上げ、並走するマリヤを睨みつける。乱れた髪の奥で光る金色の瞳には、社会的な配慮など微塵もない、剥き出しの野生が宿っていた。
「うるせぇ!」
ランの怒声が風にちぎれて飛んでくる。
「鉄の獣が……小さい奴らを食っている! 俺はそいつらを吐き出させるんだ!」
「はぁ……?」
マリヤは一瞬、呆気にとられた。




