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or  作者: 真亭甘
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黒鉄の怪物

「……なんだ、あいつ」







ランは木陰からその威容を見上げた。

駆動系――「霊的燃焼機関」が唸りを上げていた。

通常のエンジンのような爆発音ではない。



ゴゥゥゥゥゥゥン……



まるで地獄の底で巨大な鐘を鳴らし続けているような、重低音の唸り。その音に重なるように、無数のパイプから青白い蒸気が噴き出している。



シューッ! パシュッ!



その蒸気こそが、先ほどからランの鼻を刺激していたオゾンと硫黄の発生源だった。霊的なエネルギーを無理やり物理的な動力へと変換する際に出る、この世界には存在しないはずの廃棄物。青白い蒸気は生き物のように空中で身をよじり、森の緑を侵食していく。蒸気に触れた葉が、一瞬で茶色く変色して枯れ落ちるのをランは見た。




(毒だ。あいつの息は、毒だ)




トラック――鉄の獣は、溶かされた岩盤の上を、巨大なタイヤで踏みしめて進んでいく。タイヤの一つ一つがランの背丈よりも大きい。その表面には深い溝が刻まれ、こびりついた泥と砕けた石が、それがこれまで踏み潰してきたものの歴史を物語っていた。


ランは、その「顔」を見た。


運転席のフロントガラスは細く、まるで装甲騎士の兜ののぞき穴-スリット-のようだ。その奥に何かがいるのか、あるいはこの鉄の塊自体が意思を持って動いているのか、外からは窺い知れない。ただ、フロントグリルの形状が、牙をむき出しにした獣の口のように見え、ランに生理的な嫌悪感を抱かせた。



「生き物……じゃない」

ランは確信した。あれには「気」がない。生命特有の、暖かく、柔らかく、脈打つようなオーラがない。

あるのは、冷徹な目的意識と、圧倒的な質量による破壊の意志だけだ。

だが、脅威であることは間違いない。大蛇と同等、あるいはそれ以上の「捕食者」の気配。ただし、こいつは肉を食わない。こいつは、風景そのものを食い荒らしている。

ランの全身の筋肉が硬直する。逃げるべきか? いや、ランは決して膝を屈しない。たとえ相手が鉄の山であろうとも、背を向けることはランの流儀に反する。

ランが攻撃の機会をうかがい、身構えたその瞬間だった。

風に乗って、微かな、しかし決定的な「音」が届いた。


それは、鉄の獣の唸り声(エンジン音)の隙間から漏れ出てきた、あまりにも頼りない音だった。



「……いたい……」


「……かあさん……」



ランの耳がピクリと動く。

幻聴ではない。確かに聞こえた。それは、鉄の獣の後部、巨大な荷台の方から聞こえてきた。


ランは目を凝らした。


装甲車の荷台部分は、おりのような構造になっていた。太い鉄格子がはめられ、その内側は暗闇に包まれている。だが、排気管から漏れる青白い光が、一瞬だけその中を照らし出した。


そこにいたのは、人間だった。


それも、小さい。子供たちだ。


ボロボロの服をまとい、泥と煤にまみれた子供たちが、十数人、荷台の中で折り重なるようにして震えていた。彼らの目は虚ろで、恐怖に支配されている。彼らは、鉄の獣に「飲み込まれた」まま、どこかへ運ばれているのだ。

ランの思考が、一瞬で切り替わった。



(獲物……)



ランにとって、世界は「食う者」と「食われる者」で構成されている。この鉄の獣は、間違いなく「食う者」だ。そして、中にいる子供たちは「食われた者」だ。

だが、まだ消化されていない。


ランの狩猟本能において、これは特殊な状況だった。「獲物の中の獲物」。

肉食獣が草食獣を仕留めた直後、その腹の中から未消化の獲物が出てくることがある。あるいは、蛇が卵を飲み込んだ直後の状態。

ランの認識の中で、鉄の獣のカテゴリーが「得体の知れない怪物」から、「獲物を腹に抱えた巨大な競争相手」へとシフトした。

そして、子供たちの弱々しい声が、ランの奥底にある生命への愛情を刺激した。

彼らは弱肉強食のことわりの中にいる。弱いから食われた。それは自然の摂理だ。


ランはそれを否定しない。


でも、



(あいつは、食ってない)




ランは直感した。この鉄の獣は、子供たちを栄養として摂取しているわけではない。ただ、閉じ込められている。殺すのでもなく、生かすでもなく、ただ「モノ」として運んでいる。


それは、ランの知る「生命の循環」への冒涜だった。食うなら食え。食わないなら放せ。命を、ただの石ころのように扱うな。




「……気に食わねぇ」



ランの喉の奥から、低い唸り声が漏れた。


ランの金色の瞳に、明確な敵意の光が宿る。


(あいつをぶっ壊して、中身を取り出す)


それは正義感ではない。もっと荒々しい、略奪の論理だ。あいつが持っている「肉」を、俺が奪う。

強い方が勝つ。

それがルールだ。


鉄の獣は、ランの存在に気づく様子もなく、青い蒸気を撒き散らしながら通り過ぎていく。その速度は速い。馬よりも速く、風のように駆け抜けていく。

だが、ランは笑った。

ニヤリと、唇の端を吊り上げる。それは純粋無垢にして野生的、そして凶暴な捕食者の笑みだった。




「かけっこか? いいぜ、負けねぇ」


ランは姿勢を低くした。

大地を踏みしめる足の指が、腐葉土に食い込む。


ランの呼吸が変わった。

吸って、止める。ただそれだけの動作で、ランの周囲の空気がピリリと張り詰める。


周囲の鳥たちが、弾かれたように飛び立った。虫たちが鳴き止んだ。森全体が、新たな捕食者の目覚めを恐れて息を呑んだ。オゾンと硫黄の毒気さえも肌の表面で弾き返した。




「逃がさねぇ」



爆発。

ランの身体が弾け飛んだ。

助走などいらない。予備動作もいらない。ゼロから一瞬でトップスピードへ。

ランは「道」の上を走らなかった。そこは死んだ場所だからだ。ランは木々を蹴り、枝から枝へと飛び移った。

黒い鉄の塊が轟音を上げて進むその横を、金色の影が並走する。

青い蒸気の中、ガーゴイルの虚ろな目と、ランの燃えるような瞳が一瞬だけ交差した。

狩りが始まった。


鉄の獣は速かった。

平坦にならされた「文圍」の道を、その巨体に見合わぬ速度で滑走している。タイヤが溶岩の道を噛むたびに、耳障りな摩擦音が響き渡る。

ランは並走しながら、相手を観察していた。

野生児としての経験、そして眼差しが、鉄の獣の構造を瞬時に解析していく。



(硬い。全部が硬い)



あれを正面から殴っても、俺の手が痛いだけだ。普通の獣なら喉笛がある。関節がある。腹が柔らかい。だが、こいつにはそれがない。全身が骨でできているようなものだ。


だが、動きには癖がある。


カーブを曲がる時、車体が外側に沈み込む。その時、タイヤと車体の隙間から、複雑に絡み合ったパイプやバネが見える。

あそこだ。あそこが「すじ」だ。



(足を潰せば、止まるか?)


ランは枝を蹴り、さらに加速した。

風が顔を打ち付ける。青い排気ガスが視界を遮ろうとするが、ランは瞬き一つしない。


荷台の檻の中にいる子供たちが、森の中を飛ぶランの姿に気づいた。


「……見て、あれ」

「人? いや、獣?」

「助けて……!」

か細い声が風にちぎれて届く。

ランは彼らに向かって、短く吠えた。



「ガアッ!!(黙ってろ!)」



それは「助けてやる」という優しい言葉ではない。「今から狩るから邪魔するな」という宣言だ。だが、その力強い咆哮は、絶望していた子供たちの目に、微かな光を灯した。

鉄の獣の運転席。

排気と油の臭いが染み付いた運転手が、バックミラーに映る異変に気づいた。



「なんだ……? 猿か?」

彼は舌打ちをして、アクセルペダルを踏み込んだ。霊的燃焼機関が悲鳴のような高音を上げ、パイプから噴き出す青い炎が激しさを増す。




ゴオオオオオオッ!!

トラックが加速する。15メートルの巨体が、物理法則を無視するかのような機動で前へ飛び出す


ランはニヤリとした。

逃げる獲物を追う時ほど、血がたぎることはない。



(いいぞ。もっと本気を出せ)

ランの身体能力は、常人のそれを遥かに超えている。構造の薄い壁なら素手で破り、数十メートルの跳躍を助走なしで行う。だが、この鉄の獣は、それをも引き離そうとする力を持っていた。

「文圍」の資金力。旧世界の技術。それらが融合して生まれた、現代の怪物。

自然を蹂躙し、人をさらい、我が物顔で森を切り裂く鉄の城。

ランは、その圧倒的な「不条理」を前にして、決して膝を屈しない。

ランの足に力が漲る。信念を突き通す力。



ランの身体から、目に見えない衝撃波が放たれた。


「――とる!!」


ランは空中で軌道を鋭角に変えた。

ランはトラックの屋根の上――死角となる頭上へと、砲弾のように飛び降りた。



ドォォォォン!!

激しい着地音が響く。

15メートルの装甲車が、その衝撃で大きく揺らいだ。

ランの足が、リベットで留められた黒鉄の装甲にめり込む。



「捕まえたぜ、デカブツ」



ランは灼熱の屋根の上で仁王立ちになり、足元で唸りを上げるエンジン――鉄の獣の心臓部を見下ろした。

青い蒸気がランの足を包み込むが、ランは意に介さない。

ここからが、本当の「解体作業」だ。

文圍が作ったこの道が、大蛇を呼び寄せたのか、あるいはこの道を大蛇が守っていたのか、それはまだ分からない。


ランは拳を振り上げた。

その一撃は、鉄の扉をこじ開け、偽りの文明を粉砕し、囚われの生命を解放するための、野生の鉄槌となるだろう。


 その時だ。



 後方から迫る、切り裂くようなエンジン音に、ランが振り返る。

 視線の先には、陽炎を切り裂いて迫る黒い鉄の細い獣と、それに跨る黒服の姿があった。


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