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or  作者: 真亭甘
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北の大河 8

木片が舞い、衝撃で軋む船体。ランは落下の勢いをそのままに、船内の薄暗がりへと着地した。火薬の匂いと生臭い鉄の臭いが混ざり、重く淀んだ空気が喉を刺す。半壊した廊下はがれきの山で、塵埃が光の筋の中で蠢いている。その奥、壁にもたれ片膝をつく青年──綾の姿があった。彼の黒い長襦袢は無数の裂傷でぼろぼろとなり、紫の長着は流れ出た鮮血で深く、重く染まっていた。息は荒く、肩が波打つ。それでも、汗と血に濡れた顔を上げたその眼差しは、薄闇の中で鋭く光り、迷いなくランの位置を捉える。


「……奥だ。奥へ行け!ラン!建岱殿のところに向かった……。」

かすれた声ながらも、その指示は確固としていた。

ランは一瞬、眉をひそめた。建岱? あの白髪の大男か? なぜ? 疑問は頭を掠めたが、綾の瞳に映る切迫が、全ての答えだった。ランは短く唸り、大きく肯く。

綾は苦しげに肺の空気を絞り出すように吐き出し、それでも口元を歪めて、無理やり笑みを作った。

「……あいつだけは、放っとくと……洒落にならねぇ。お前にしか……止められん……。頼んだぜ、ラン……。」


その声を合図に、ランは巨獣が獲物を狙うように屈み込んだ。次の瞬間、足元の板が陥没するほどの爆発的な踏み込みで、彼の体は奥へと続く薄暗い廊下へと弾丸のように放たれた。風圧が綾の前髪を揺らした。


ランが駆け抜けた道は、歪んだ鉄骨と砕けた木材が散乱する死の回廊だった。** 無数の傷が刻まれた壁、黒く乾いた血の染み、投げ出された兵士の亡骸。彼はそれらを獣のごとき跳躍で躱し、あるいは無造作に蹴散らし、ただひたすらに奥へ、奥へと突き進む。目的地は明白だ。この船の中で最も熱く、最も重い気配が渦巻く場所。それは、獣の嗅覚に等しい本能が告げていた。足を止める必要などなかった。進むべき道は、肌に感じる敵意と、守るべき者への直感が指し示す。廊下の突き当たり、重厚な一枚扉が視界に飛び込んだ。その向こうからは、息を詰めるほどの重い沈黙が漏れている。しかし、沈黙の底には、煮えたぎる油のような危険な熱気が充満し、薄い扉板を震わせていた。


ランは速度を緩めず、そのまま扉へと体当たりするでもなく、流れるように無骨な手を伸ばした。ゆっくりと、しかし確実に、鉄の取っ手を握り、押し開く。きしむ音が、張り詰めた空気を鋭く切り裂いた。


広がったのは、船の中心部とも思える重厚な梁に支えられた広間だった。 四方を囲む太い木の柱は、所々に焦げ跡や深い斬り痕を刻まれている。天井は高く、わずかな隙間から差し込む外光が、舞い上がる塵を浮かび上がらせた。その空間の中央、白く逆立つたてがみのような頭髪が揺れる。重装備の鎧からは、かすかな炎のオーラが、まるで生きているかのようにゆらめいている──建岱だ。彼は深く腰を落とし、古錠刀を静かに構え、全身が鋼のごとき緊張に満ちていた。


建岱の鋭い視線の先、数歩離れた位置に立つ男。肩に担がれた分厚い刀身が鈍く光る。口元に不敵な、しかし底知れぬ熱を湛えた笑みを浮かべて立つ雅竹。彼の存在そのものが、周囲の空気を歪ませ、火薬の匂いを焼け焦げた臭いに変えていく。炎のような気配が、ぴしり、と鋭く空気を震わせた。ランが入ってきたことに気づきながらも、雅竹の目は一瞬たりとも建岱から離れない。


「はっきしい!虎の皮を被った小童が、ようやっと辿り着いたかァ!ちっ、綾め、案外しぶと……誰だ?テメェ!?ま、いいさ!ちょうどいい見物が増えたってわけよ!はははっ!」


けたたましい笑い声が広間を揺るがす。雅竹はゆっくりと、肩から下ろした太刀を軽く一回転させ、刃を建岱へとまっすぐ向ける。その動きに合わせて、刀身の基部から不気味な朱色の炎が、じわじわと這い上がり始めた。


「お前さん、建岱殿よォ!ずいぶんと長いこと、この雅竹さんを待たせたじゃねぇか!この通り、わざわざお迎えに上がったってわけよォ!どうだい、この船も結構賑やかになったろうが?あんたが守ろうってガキどもも、なかなかしゃあっこねぇ!だがよォ…」


雅竹の笑みが一瞬、鋭く歪んだ。目つきが豹変し、底なしの闇と灼熱の怒りが込められる。


「……だがよォ、あんたが、この雅竹さんの『世』の邪魔をし続けるってんなら、話は別だ!ちっぽけな正義のつもりか?古臭い絆の物語か?ふん、笑わせるぜェ!この世はなァ、騒がしくて、派手で、強い者が好き勝手に暴れてナンボの娯楽場だ!あんたみてぇな、古臭い仁義なんざ、もう時代遅れもいいとこだ!俺様が望むのはなァ、全てがぐちゃぐちゃに混ざり合い、強い者が弱い者を踏みつけ、血と笑いと涙が入り混じった、最高に騒がしい舞台さァ!」


その長広舌を、建岱は微動だにせず、ただ重々しい眼差しで受け止めている。鎧から漏れる炎のオーラが、ほんのわずか、強く燃え上がった。彼の口元が、静かに動いた。


「……騒がしいだけが、人の世の全てではないぞ、雅竹。」

その声は低く、しかし梁をも震わすような重みを帯びていた。

「秩序なき混沌は、結局、全てを破滅に導く。儂が守るのは、仁義でも古臭い物語でもない。共に歩む者たちの、今この瞬間の命と明日への希望だ。それを、お前のような無法者の娯楽の糧にはさせん。」


雅竹の目が、危険な輝きを増した。彼の太刀を纏う炎が、突然、激しく爆ぜる。


「ふんっ!希望?明日?そんなくだらねぇ綺麗事はよせよ!今この瞬間を、命の全てを燃やし尽くしてこそ、真の『生き様』ってもんがあるんだよォ、建岱殿ァ!お前さんのその、上から目線の『守護』がよォ…この俺様にぁ、腹の底からムカつくんだよォォォ!」


最後の言葉が咆哮と化した瞬間、雅竹の全身が炸裂した。足元の床板が砕け散り、彼は火の玉となって建岱へと突進する。太刀は炎を爆発させ、広間全体を朱に染める閃光と共に、建岱の頭上へと豪快無比な袈裟斬りを叩き落とさんとした!


轟音と熱風がランの全身を襲う。視界が真っ赤に染まる。その中心で、建岱の古錠刀が、烈々と燃え上がる金色の炎を纏い、受け撃つべく閃いた。二つの炎──秩序の金と混沌の朱が、この船の心臓部で、運命を決する激突を。ランは、その衝突点を、獣のごとき眼差しで凝視する。全身の筋肉が、次の跳躍のために軋んだ。



船室の中央、重厚な木の柱に囲まれた空間で、ランは二人の猛者が対峙する光景を静かに見つめていた。彼の視線の先では、十二神獣の一人である「寅」の称号を持つ建岱と、粗暴な口調とは裏腹に圧倒的なカリスマを放つ雅竹が、互いに譲らぬ気迫をぶつけ合っていた。船は波に揺られ、軋む音が不規則なリズムを刻む。その音は、これから始まるであろう激戦の予兆のように響き渡っていた。

雅竹が不敵な笑みを浮かべ、その場に響き渡る声で挑発する。


「へっ、こんな狭い場所で俺とやり合うってか、寅の旦那ァ?」


彼の言葉は、まるで周囲の空気を震わせるかのように、船室全体に響き渡った。その声には、相手を煽り、自らの優位を誇示するような響きが込められていた。ランは、雅竹の言葉の裏に隠された、並外れた野心と冷徹な計算を感じ取った。この男は、恐怖によって部下を統制しながらも、その心を巧みに掴んでいる。


建岱は雅竹の挑発には応えず、沈黙を保っていた。その表情は冷静そのもので、微塵も動揺を見せない。彼はゆっくりと右手を上げ、無数の符が宙を舞い、燃え盛る炎のような気配が周囲の空気を揺らし始めた。その瞬間、彼の背後に巨大な虎の幻影が浮かび上がったかのように錯覚した。それは、古錠刀が呼び出された証であった。刀身が炎のオーラを纏い、船室の温度がわずかに上昇したように感じられた。ランは、建岱の内に秘められた武の情熱と、仲間を何よりも大切にする温かさを感じ取っていた。


両者は初手を取らず、静かに間合いを測る。緊迫した空気が船室を支配し、わずかな物音さえもが異常なほど大きく響く。互いの呼吸音、心臓の鼓動、そして船が波に揺れる微かな音だけが、その場に存在する全てであった。ランは、この一触即発の状況に神経を研ぎ澄ませた。どちらが先に動くか、その一挙手一投足が、この戦いの行方を左右するであろう。

次の瞬間、雅竹が動き出した。彼は開幕から猛然と飛びかかり、真っ向斬りの斬撃を放つ。その太刀からは灼熱の炎が噴き出し、狙われた壁は一瞬にして焼き切られた。炎は瞬く間に燃え広がり、船室の一部を焦がしていく。雅竹の声が、炎の音にかき消されることなく響き渡る。


「見せてみな、天下を狙う漢の剣をよォッ!」


彼の言葉には、建岱の真価を試すような響きが込められていた。ランは、雅竹の剣技が天賦の才と弛まぬ修練によって磨き抜かれていることを理解した。彼の腕力、機動力、そして炎を操る能力は、まさに驚異的であった。

建岱は雅竹の猛攻を冷静に受け流したが、その余波で木材が燃え出す。炎はまるで生き物のように燃え広がり、船室全体を飲み込もうとしていた。しかし、建岱の表情には微塵も焦りが見えない。彼は燃え盛る炎の中、静かに、そして力強く宣言した。


「仲間も国も…焼け落ちた。それでも、俺は退かん。」


その言葉には、過去の悲劇を乗り越え、未来への強い決意が込められていた。ランは、建岱が名誉や地位に固執せず、信念に基づいて行動する真の君主であることを改めて認識した。

雅竹は建岱の言葉を聞き、不敵に笑う。


「この世は地獄。ならば、お前も焼き尽くす」


彼の言葉は、彼が築こうとする世の中を端的に表していた。彼は惨めな環境に甘んじる者を許さず、自らの正当な権利を主張しない者を軽蔑する。

ランは、雅竹の理念が「平穏や安寧を望む多数の人間とは決して相容れない悪党」のそれであると理解した。しかし、同時に、その価値観にそぐう相手であれば、柔軟な理解や面倒見のよさを見せる親分肌な一面も持ち合わせていることも知っていた。


船内に、虎のような建岱の覇気と、雅竹の狂気が激しくぶつかり合う。二人の間に渦巻く圧倒的な力は、まるで目に見えない壁のように、その場に激突前の緊張感を生み出していた。ランは、この二人の戦いが、ただの戦いではないことを感じ取った。それは、異なる理念と価値観を持つ者たちの、魂のぶつかり合いであった。船室の空気は、二人の放つオーラによって、まるで溶け出すかのように熱を帯びていた。そして、ランは、この戦いが、自身の運命をも左右するであろうことを直感していた。彼は、固唾を飲んでその行方を見守る。この戦いの結末が、未来を大きく変えることになるであろう。


船室の梁が、呻き声のような音を上げながら軋み、焦げた破片を撒き散らす。炎は床を這い、柱を舐めるように登り、やがて天井へと届いて爆ぜた。赤黒い煙が渦巻き、空気は熱と怒気で濁っている。

剣と剣が衝突し、炸裂した火花が目を焼く。雅竹の太刀が描く弧は、まるで火竜の顎。唸るような炎の奔流が、建岱を呑み込まんと迫る。木材が裂け、壁面が吹き飛ぶ。爆風の中心、建岱はその場から一歩も動かず、ただ静かに古錠刀を構えた。


「ほう、真正面から受けやがったか……このバカ力が」


「力だけでは道は拓けん。だが信念なき炎は、ただの野火に過ぎん」


静かに吐き出したその言葉と共に、建岱の剣が鳴る。次の瞬間、烈火が逆巻いた。

建岱が振り抜いた「烈火斬」の波動が、空間を裂いて突進する。斜めに駆ける紅の刃が、船室の柱を次々と焼き払っていく。雅竹はその動きに微細な遅れもなく飛び退き、爆ぜる板の欠片を踵で踏み砕いた。


「焼き払ってやるって言ったろうが!テメェの正義も誇りも、信念ごと焦がし尽くしてやらァ!!」


雅竹の叫びと同時に、足元から放たれた一閃が、鋭い火柱となって突き上がる。建岱の脇をかすめ、肩当てが爆ぜて宙を舞った。

だが、建岱は微動だにしない。

その双眸は、燃え盛る船室ではなく、ただ一人の敵を射抜いていた。


「ならば、焼け落ちるまで斬り合おう。──それでこそ、信念が試される」


応じるように、古錠刀が紅く脈打つ。刀身を包む炎が、空気を裂いて唸った。

雅竹が踏み込む。その一歩は地を穿つほど重く、速い。斜め下から斬り上げる太刀筋が、建岱の喉元を狙う。反応は瞬時。古錠刀が一拍遅れてそこへ滑り込み、火花が生まれる。剣と剣が軋み、赤熱する。


「チッ……テメェ、死ぬのが怖くねぇのか?」


「恐れる理由がない。生きるために斬り、守るために立つ。それだけだ」


舌打ちする雅竹の背後で、崩れた壁の隙間から夜風が吹き込む。だがそれすらも、炎の渦に呑まれてゆく。

接近戦が加速する。斬撃の応酬、踏み込みの深さ、手首の返し、すべてが一瞬の狂気。火花は斬撃の代償。雅竹の踏み込みは重く、連撃は鋭く、まるで舞うように炎を纏っていた。


「おいおい、ちっとは怯えろや!このままじゃ船ごと焼け落ちんぞ!」


「その覚悟は、とっくに済ませた」


建岱の声には、焦燥も恐怖もない。ただ、揺るぎなき確信と静かな情熱があった。まるで、心の奥に燃える火が、表層の炎をも上書きするかのように。

一瞬、二人の足が止まった。いや──刹那の睨み合いに、時が凍っただけだ。

次の瞬間には、両者の間の空間が炎で埋まる。

雅竹の太刀が、背中から炎を引くように振り抜かれる。

建岱もまた、逆手に持ち替えた古錠刀を渾身で打ち下ろす。

激突。

その瞬間、船が悲鳴のような振動を放ち、天井が崩れる。船室全体が崩落寸前まで達し、火に包まれた破片が幾度も叩きつけられるように落ちた。


「ッ……この剛剣が……!気に入ったぜ、その目。その意志。……だがな、まだまだ、だァ!!」




雅竹が呻く。その言葉とは裏腹に、表情には快楽めいた興奮が滲む。


再び雅竹が斬り込む。今度は回転しながらの突進。旋風のごとく舞い、連撃を浴びせる。

それを迎え撃つ建岱。剣を逆手に返し、正面から打ち合う。火柱が両者の足元から巻き上がり、視界を奪う。

その中で、ランは震えていた。火の粉を払うことすら忘れ、ただ立ち尽くしていた。


轟音と共に船室の床が砕け落ちた。激しい戦いの衝撃が、長年の航海に耐えてきた木製の骨組みを容赦なく破壊したのだ。火に包まれた梁が耳障りな唸りを上げて崩れ落ち、二人の巨躯を飲み込んでいく。甲板上からその様子を見ていたランは、下層へと続く巨大な穴と、そこから激しく噴き上がる業火の光だけを目にしていた。穴の縁で無力に立ち尽くす彼には、飛び散る火の粉にさえ反応する余裕はなかった。彼の視界に広がるのは、ただ深淵の闇だけであった。



下層船室――軍の宝物庫へと落下した建岱と雅竹は、降り注ぐ塵と炎の雨の中、再び互いの間合いを測っていた。積み上げられた火薬樽が不規則に転がり、金銀の装飾品が散乱するこの危険な空間で、炎が樽の周囲に迫り、金属と硝煙の混じった危険な匂いが充満していた。この状況が、二人の男の闘争心をさらに煽る。

建岱の全身から迸る炎のオーラが、先ほどよりもさらに強まり、背後には巨大な虎の幻影が咆哮と共に浮かび上がった。その威圧感は物理的な圧力となって空間を歪め、宝物庫全体を揺らすかのようだった。建岱の声は地響きのように響き渡り、虎の幻影もまた、牙を剥いて敵を睨み据える。


「この炎は…決して仲間たちの未来を焼かせはせぬ! お前のような悪党に、我らが築き上げてきた全てを奪わせるものか!」


建岱の言葉に、雅竹は乾いた笑いを炸裂させた。その狂気に満ちた目は、さらに深く輝きを増していた。彼の持つ打刀が、傍らに転がる火薬樽へと向けられる。刃先から滴る殺気が、危険なまでの熱量を帯び、明確に火薬樽の一つを狙い定めていた。


「フゥッ…ハッハッハッ! 面白れェぞ建岱! そのオーラごと、この火薬で、その虎ごと、派手に吹き飛ばしてやらァ! お前が守ろうとしているものなんて、この腐った世の中じゃあ、とうの昔に価値がねえんだよ!」


雅竹の挑発的な言葉は、建岱の信念を嘲笑うかのように響く。彼は自らの刀を振り上げ、更なる言葉を浴びせた。


「お前の信義も忠義も、この腐った世の中には、もう要らねェんだよ! 理想論を振りかざすガキじゃあるめぇし、現実を見ろ。お前の語る未来など、この腐った世には不要なガラクタだ…!」


建岱の表情に、微かな痛みが走った。しかし、それはすぐに強い決意の光に変わる。彼は雅竹の言葉を真正面から受け止めた。

雅竹の笑いが一段と大きくなる。その顔には、相手を完全に手玉に取っているかのような余裕が浮かんでいた。


「かつて俺は裏切られ、焼かれ、全てを失った…!それでも、這い上がったこの身こそが…!真の炎を持つ者だァ!! お前には理解できまい。絶望の淵から這い上がった者の強さを…!」


「無念は…承知している…! だが、未来を託せる者たちの灯火は…決して絶やさせぬ! この国の、いや、この世界の希望を、お前のような破滅を望む者には渡さん!」


「承知だと? 戯れ言はいいから、その身をもって証明してみせろやァ! 言葉だけでは何も変わらねぇ! お前が守りたいものが、本当にそんなに尊いものだと言うのなら、この俺を倒して見せろ!」


叫びと共に、雅竹の刀が振り下ろされた。刀身から放たれたのは斬撃の衝撃波だけではない。彼の全身を包む爆炎が、刃の軌跡に沿って奔流のように迸り、津波のごとく宝物庫を埋め尽くさんと建岱へと襲いかかった。それは、まさに業火の津波であった。


建岱は古錠刀を構える。虎の幻影が実体化するかのごとく、その身を覆う炎を鎧とする。迫り来る炎の津波を真正面から受け止める構えだ。重装備の足が、灼熱の床に深く踏み込む。彼の全身から放たれる炎は、雅竹の爆炎に決して引けを取らない。ランは、二人の力がぶつかり合う瞬間に、この宝物庫全てが吹き飛ぶのではないかとすら感じた。



灼熱の空気が喉を焼く。宝物庫は火薬樽の炸裂と相まって文字通りの地獄絵と化していた。酸素が薄れ、焼ける木材の匂いと煙が船室を覆い尽くす。視界を歪ませる極限の熱気が二人。

巨大な炎の虎の幻影が彼の背後に鮮明に浮かび上がった。


虎王焔舞陣(こおうえんぶじん)!!!この一撃でお前の哀しみごと断つ!」


建岱は古錠刀を構え直す。全身を覆う黄金のオーラはさらに強まり黄金のオーラが収縮し、圧縮され、ついに咆哮を上げた炎の虎がその全身を鎧のように覆い尽くす。

炎の虎は威嚇の咆哮を上げ、その存在感が灼熱の空間を一層圧迫した。王の威厳と畏怖が空間を支配した。巨大な炎の虎の幻影が彼の背後に鮮明に浮かび上がった。


「ハッ! 見事なもんじゃねェか!」


雅竹の嘲笑が爆音を掻き消す。彼の肉体が炎そのものと溶解し始める。輪郭が滲み、人型を保ちながらも炎の塊へと変容していく。

火事――彼が地獄と呼ぶ業火の極致だ。業火の中から響く。それは、コアによるアニマ増幅兵器――人の魂を燃やし、力を引き出す禁忌の術式。彼の持つ刀身が真紅に輝き、周囲の火薬すらもその熱量に引き込まれていく。熱波がランの肌を焼く。


「ハハッ、これが俺が作り出す地獄だぜ。てめぇらみてぇな生温い奴らには、到底理解できねぇ業火の極致だ」


「ラン、気をつけろ!あれはただの炎じゃねぇ!」


建岱が叫ぶ。その脳裏には、かつて戦場で何度も見た光景が閃いた。建岱の脳裏に、走馬灯のように情景が去来する。焼け焦げた村の跡。泣き叫ぶ幼子。踏みにじられた田畑。その度に、彼は剣を取った。鎧に泥と血を塗られながらも、倒れゆく民の前で盾となった。守るべき灯火は、常に弱き者たちの傍らにあった。決して己の為ではなかった。砕けた城壁の下で泣く幼子を盾で庇った雨の日。飢えた民に兵糧を分け与え、自らは空腹で槍を握った冬の陣。何度も何度も、焼け野原に咲いた一輪の花のように儚い命を――「民を守る」ために剣を振るってきた日々が走馬燈のように駆け抜ける。


「てめぇの人生は、所詮その程度の価値しかねぇってことだ。なぁ、建岱殿よぉ!お前も同じように、何も残せずに消え去るんだよ」


「何を戯言を!貴様のような悪党に、俺たちの何が分かる!この男は、人の命を弄ぶ悪鬼だ!こんな奴に、この世を好き勝手させるわけにはいかねぇ!」


「フン、まだそんなことを言っているのか。お前らの信念など、この炎の前では無力だ」


雅竹は嘲笑を続ける。彼の炎はさらに勢いを増し、建物全体を飲み込もうとしていた。炎の塊から、無数の炎の蛇が飛び出し、建岱に襲いかかる。

刀を振り抜き、炎の蛇を切り裂く。炎の蛇は切り裂かれてもすぐに再生し、無限に湧き出るかのような炎の猛攻に、苦戦を強いられる。

雅竹の嘲笑が、、刀を握る手にさらに力を込めた。この炎に、己の信念が負けてたまるか。


「ハハッ!どうした?その程度か?信念とやらも、結局はこんなものか!」


「俺たちの信念は、お前のような悪党には理解できないものだ!未来は…託された者たちの手にある!」


虎嘯こしょう天牙一閃てんがいっせん――ッ!」


全ての音が吸い込まれたかのような一瞬の静寂。その空白を破ったのは、建岱の咆哮による斬撃がすべてを震わせた。その瞬間、視界が真っ白に溶解する。

全ての光と音を飲み込む黄金の咆哮が古錠刀から迸った。炎の虎が刀身から解き放たれ、それはもはや斬撃ではなく天地を貫く王そのものだった。雅竹の炎躯を寸分の躊躇もなく飲み込み、その勢いは船体を串刺しにする。木材が蒸気爆発を起こし、外壁から月明かりが差し込む。


「がッ…あぁあああッ!? 馬鹿な……!なんて…火力だァ…ッ!」

雅竹の形骸が炎の中で明滅する。四肢が灰となり、刀が溶け、最後に残った顔の輪郭が嘲笑を歪ませる。


「まさか……この俺が、こんな…まだ…俺は…!」

抵抗の言葉は虚しく、黄金の虎牙に喰い千切られた炎は渦を巻きながら消散する。炭化した床の上で、一瞬だけ灰の形が人の影を浮かべた。

風が呟きを運び去る。

焼け爛れた宝物庫の中心に、重装備の巨躯が微動だにしない。鎧の隙間から血と汗が煙を立てるが、背筋は槍のように伸びている。建岱がそっと鞘に触れた。古錠刀が収まる鈍い音だけが、静寂を破った。


「ふん…地獄の業火ごと…背負ってやる」


彼は甲板の大穴から漏れる光を見上げる。降り注ぐ太陽が、舞い上がる灰塵を無数の星のように輝かせていた。

炎の虎が最後の咆哮を残して消え、その言葉だけが灼熱の残り香に溶け込んでいった。


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