老婆と少女
ランが声の聞こえた方へ向かうと、汚れた布を身に着けた女の子がいました。
「あ、あの……」
女の子が声を出そうとしたところにクライとハクイが現れ、その様子に女の子は何度も首を左右に振って戸wärmいました。女性であるクライが近寄り優しく尋ねると、女の子はこれまでの経緯を話してくれました。ルナは周遊船に乗ってアクロテンへ向かったはずなのに、なぜかこの島に着き、葉っぱのような舞台の上で人と人が戦っているのを目撃したとのことです。最初はどこかの闘技場で、金や豪華な武器などが景品として参加者を募り、それを見に来た観客からの収益で運営されているのだろうと思って見ていました。しかし、会場のどこを探しても受付などの窓口は見当たらず、出入りする通路も見つけられませんでした。
不思議に思いながら歩いていると、ボックス席にたどり着きました。そこには、建物にそぐわない電子ディスプレイが、舞台を見るための開放的な腰壁から突き出していました。対戦相手を示すマスが表示され、そこから一つを選択し、数字(金額)を入力すれば終わりでした。試合が終わって勝てば、入力した数値分が表示されて勝ちとなる仕組みです。
「おい、貴様! そこで何をしている!」
電子ディスプレイの操作方法を見ていると、警備兵に見つかってしまいました。まずいと思って焦って逃げ、逃げている最中に、この老婆に匿ってもらったのです。その後、爆発音や突然現れた大勢の人々に戸惑い、離れた場所で人が少なくなるのを待って座っていると、老婆が動かなくなってしまいました。助けてもらった恩返しに、助けを呼ぼうとしていたところでした。この汚れた布は、自分が女の子だとすぐに分からないようにするために羽織っていたのです。
ハクイが近寄り触診などをすると、老婆が既に亡くなっていると悟りました。しかし、ルナは老婆から離れようとはしませんでした。恩返しもできないことが悔しいのか、あるいは人の死という現実(特に今回は、直接関わった人の死)と向き合うことができないのか、すぐには受け入れられない様子でした。それでも今ある命は大切にするようにと、ハクイやクライが何度も説得を試みます。
「おい! 勝手な行動は慎め! この場所から出たいのならな。お前らも行くぞ! そこの女の子も!」
遅れてカイが登場し、真っ先に動いたランを殴り飛ばしました。『資産強奪』と『ハクイの護衛』を請け負っているカイとしては、勝手な行動で船員を危険に晒さないための責任ある行動のつもりでしたが、すぐさまクライに殴り返されながら事情を聞くと、カイもおとなしくなりました。
「おい!そこにいても、死者は帰ってこない。それよりも、先に進んでお前の生きざまを見せることが、供養になるとは思わないか?」
「えぇ!?カイがまじめ発言!!」
「俺がして、何が悪い!」
カイの説得に、二人は驚きの声を上げた。カイは頭を掻きながら照れた様子を見せ、声を落として続けた。その直後、それまで動かずにいたランが、何の前触れもなく地面に落ちていた剣を取り上げ、老婆の首を一閃で刎ねた。
他の四人は何が起きたのか理解できず、まるでスマホがフリーズしたかのように硬直した。だがルナだけが現実を受け止め、すぐさま絶叫。彼女が叫び続けるのを避けるように、ランはその腹を殴打して気絶させ、そのまま抱きかかえて船へと連れ去った。
後を追ったカイ、ハクイ、クライは揃って言葉を失った。
「えっ……?」
鉄でできた船室の棚には、500mlのBudweiserの缶が転がっていた。すでにカビが生え、缶は変形していたが、船の揺れで棚から落ちて転がり出した。それは誰かが楽しみにして取っておいたのだろう。勢いのまま床を滑り、皮肉にもルナの額に当たって跳ねた。缶は破れ、発泡酒が噴き出し、ペットボトルロケットのように宙に舞った。
「痛っ……痛い!」
額を押さえて呻くルナは、発泡酒の臭いに眉をしかめながらベッドを飛び出し、洗面所を探した。何度も顔と手を洗い、ようやく匂いを落とすと、ペンと紙でタオルの絵を描いて上に放り投げた。すると本物のタオルが空から降ってきた。
顔と手を拭いて廊下を進むと、海洋防水ドアを開けた先にまぶしい甲板が広がっていた。手すりを伝って歩くと、大型の速射砲が目に入った。目を奪われていると、船首の方に人影を見つけた。近づくにつれ、彼の姿を認識し、恐怖が全身を駆け巡る。あのとき、おばあさんの首を刎ねた男だ。
「どうも」
彼は素っ気なく挨拶した。その顔からは罪悪感のかけらも見えない。
「どうして、人を殺しておいて平然としていられるの?」
「……」
「答えてよ!黙ってないで!」
「あのおばあさんは、もう死んでいた」
「なに?意味が分からない……」
「医者がいた。あの場に。彼らが判断したんだ」
「関係ない!あなたが殺した。それは変わらない!」
「仕方のないことだった」
その言葉に、ルナの怒りが爆発した。ポケットから折りたたみナイフを取り出し、男に向かって突き刺そうとする――だがその腕は途中で止まった。クライが現れ、彼女のナイフを取り上げたのだ。
「こんなことをしても、君は何も救えない。むしろ、より酷い人間になるだけだ」
ルナは何も言い返せず、涙を流したままクライに連れられていった。
すれ違いざまにカイが歩み寄る。
「なんだお前は、偽善者か?俺はそういうのが一番嫌いなんだよ!」
「偽善者って、なに?」
カイは背を向けたが、その問いかけに足を止めた。説明しようとした矢先、男は小さく呟いた。
「壊して」
なにかがおかしい。この男には、人間として欠けているものがある――。