創始祭5
陽は頂点に昇りきり、天に向かって伸びる柱のような光が城内の祭壇を照らしていた。華やかに彩られた創始祭の式典は最高潮を迎え、人々の視線が一斉に中央の壇へと集まる。その瞬間、金襴の衣をまとった文圍が悠然と歩み出た。足音すらも儀式の一部であるかのように静かで、滑らかであった。群衆は水を打ったように黙し、ただその一挙手一投足を見守った。
壇上に立った文圍は一礼した。深く、礼節を弁えた所作でありながら、どこか芝居めいていた。次の瞬間、その口が開き、言葉があふれ出す。彼は語る。華凰の繁栄には、安定した土台が必要であると。金、地位、信頼、それらを築き直すには、古き因習ではなく、商業と経済の理を以てすべしと。過去に商人として泥をかぶった日々を懐古しながらも、それが今の国家構想の礎であると説いた。
壇の周囲には、他国の使者や諸侯、文官たちが列席していた。彼らの多くがうなずき、あるいは静かに酒を掲げた。文圍は懐から金貨を取り出し、宙へと舞わせた。それはまるで祝福の花弁のように光を浴びて飛翔し、民衆の上へ降り注いだ。歓声が上がる。まさに心地良い音だった。だが、それは彼の計算のうちにある快楽であった。
金が民を潤し、欲望が秩序の器となる。それが彼の描く支配の形であった。その声は甘く滑らかで、まるで詩のようでありながら、確実に一つ一つの言葉が心へと突き刺さった。聴衆は酔いしれ、気づくこともなくその術中にいた。式典は熱を帯び、金色の余韻だけが空間に漂った。誰もが笑顔だった。ただ、その笑顔の源が果たしてどこにあったのか、気づく者はいなかった。
壇上の文圍の声が広間に静かに響いた。熱狂の渦の中でなお冷静さを保ったその語り口には、確信と計算が混じっていた。手を軽く振ると、舞台袖より一人の青年が静かに現れる。鮮やかな衣を纏い、視線を前に泳がせながらも、足取りは迷いがなかった。
その姿に文圍は微笑む。彭であった。湖の水富族を束ねる若き者。群衆が彼の名を知る前から、文圍はその才に目をつけていた。
「この者を見よ。」
そう一言だけが会話文で残された。会場がざわめく。だが文圍の言葉はそれで止まらなかった。すぐに地の文が続く。まるで大河のように、流れるように。
文圍は語る。遠き地より招いたこの青年が、今や舞台の中心に立とうとしていること。それは偶然でも奇跡でもなく、自らが施策を以て導いた結果であると。商人として泥にまみれた日々、どれほど多くの原石を見ては捨て、拾い上げて磨いてきたか。彭もその一つであり、そして最も輝く結晶であると。
文圍の指が軽く舞台を指した。彭はその指先に反応することなく、ただ静かに息を整える。彼の沈黙が、逆にこの場の緊張を引き締めていた。
文圍の声が再び空間を滑るようにして流れた。これが我が華凰の繁栄の縮図であると。人を見抜き、与え、育て、栄えさせる。それが統治の真理であり、貨幣と地位を土台にした新しき秩序であると。観客たちはその言葉に酔うように聞き入り、誰もが肯首し、納得の吐息を漏らしていた。その姿はまるで、無言の肯定であった。文圍の口元に、誰も気づかぬほど微細な笑みが浮かんだ。
舞台の空気が一変した。彭が舞を始めようとしたその瞬間、壇上とは別の位置から、重く、地を割るような足音が響いた。建岱の姿が群衆の奥から現れ、堂々と前へと歩み出た。彼の白銀のたてがみが陽光を弾き、炎のオーラが静かにゆらめいた。誰もがその登場に息を呑んだ。
「見事な弁舌だな、文圍殿。」
建岱の放った第一声が、張り詰めた場の空気を震わせた。壇上の文圍はわずかに目を細めたが、表情は読み取れない。その傍らで、舞の準備を進める彭は、ただ静かに視線を床に落としている。聴衆の視線が、壇上の二人に突き刺さっていた。建岱の声は、静かだが有無を言わせぬ響きを伴って続く。
「しかし、覚えておくがいい。金で人の心を縛り、利で築いた秩序など、砂上の楼閣にすぎん。いずれ必ず崩壊する。」
民衆に刹那的な「喜」と「楽」を与えることで支配を盤石にする――それが文圍の掲げる統治の根幹であった。だが建岱は、その欺瞞を真正面から暴きにかかる。その瞳には、確固たる信念の炎が宿っていた。
「目先の欲で民を釣る。一見、華やかな政策に見えよう。だが、そんな土壌に自立心も、誇りも育つものか。根無し草の集団を作るだけだ。」
文圍は依然として沈黙を守っている。まるで反論の言葉を探しているかのようにも、あるいは、その必要なしと断じているかのようにも見えた。その揺るがぬ態度が、かえって不気味な圧力を放っている。だが、建岱は止まらない。その声は次第に熱を帯び、聴衆の心を揺さぶり始めた。壇上から降り注ぐ光が、彼の纏う鎧を鈍く反射させる。
「この国が進むべき道は、そんなものではないはずだ。民一人ひとりの自由な意志、そこから生まれる信義こそが、揺るがぬ礎となるのではないのか!」
その言葉は、静まり返った場内に鋭く響き渡る。
「財で囲った人材も、利で繋がっただけの輩も、逆風が吹けば脆くも崩れ去る。それは歴史が証明している。」
会場のあちこちで、息を呑む気配がした。文圍が築き上げてきた盤石に見えた体制に、今、明確な亀裂が入ろうとしている。その瞬間を、誰もが見守っていた。建岱はさらに言葉を叩きつける。
「私が信じるのは、絆だ。利害ではなく、信念で繋がった者たちが共に歩む道。それこそが、この国に必要な真の強靭さだ!」
その一言は、まるで灼熱の鉄を押し当てられたかのように、聴衆の胸を焦がした。場に再び重苦しい沈黙が落ちる。両雄の間で、見えざる火花が激しく散っていた。舞台の隅で息を潜める彭の存在など、もはや誰も意識していない。建岱の視線が、寸鉄となって文圍を射抜く。
「銭で民草を縛り、利で秩序を維持するだと?貴様のやり方は、どこまでも浅薄だ。」
ようやく文圍が口を開いた。その声は、氷のように冷たい。
「浅薄だと? 未曾有の混乱の中、民がまず求めるのは今日を生きる糧であり、明日の安寧だ。腹を満たさずして、理想など語れるものか。それを実現するのが、私の統治だ。」
建岱の足元から、まるで陽炎のような闘気が立ち昇る。だが、文圍は動じない。静かに、しかし鋭く言葉を返す。
「豊かさとは、金銭の問題ではない。志の問題だ。志なき豊かさなど、風に吹き飛ぶ砂埃に等しい。」
「その高尚な“志”とやらが、これまでどれほどの民を飢えさせてきた? 口先だけの正義で、一体誰が救えるというのだ?」
「正義だけでは救えん。それは事実だ。だが、貴様の作り出す偽りの繁栄もまた、国を内側から蝕む猛毒に他ならん。」
「毒も使いようだ。使い方を誤らなければ薬にもなる。上に立つ者が賢明であれば、の話だがな。」
「民を見下す貴様に、賢者を名乗る資格などない!」
言葉と視線が激しく交錯し、場の空気は限界まで張り詰めていく。誰もが固唾を飲んで、この舌戦の行方を見守っていた。
「ならば問おう。貴様の言う“民の自由”とやらが、何をもたらした? 繰り返される反乱か? 果てしない無秩序か? その度に血を流し、事態を収拾してきたのは誰だと思っている!」
「それでも、民は飼いならされた家畜ではなく、人として生きたのだ! 金で管理されたかりそめの“快楽”など、操り人形の慰みにすぎん!」
「人形であろうと、現に民は笑っている。それが現実だ。」
「笑っているのではない、笑わされているだけだ! その違いが分からぬ貴様に、真の統治などできるはずがない!」
その言葉が突き刺さった瞬間、壇の中心で彭がそっと目を伏せた。まるで、二人の放つ言葉の重みを一身に受け止めるかのように。文圍は、なおも冷徹な口調を崩さない。
「いずれ答えは出る。民が選ぶのは、眩い理想の光か、それとも現実を照らす炎か…」
「いや、選ぶのは常に“炎”だ。凍える者が必要とするのは、高邁な理想の輝きではない。ただ、温もりだ。」
観客は、一瞬たりとも彼らから目を離せない。理想と現実、信念と実利。剣ではなく言葉を武器に、二つの巨魁が激突している。これは単なる討論ではない。この国の未来を左右する、一つの審判なのだ。
「民衆を従わせるのに最も手っ取り早いのは、“恐怖”だ。だが私は、敢えて“快楽”を選んだ。歓喜の声こそが、我が統治の正しさの証左となる。」
「言葉遊びはよせ、文圍。その歓声が、どれほど深い絶望の淵から絞り出されたものか…貴様は見て見ぬふりをしているだけだ。」
「いや、見ている。欲望の根源に触れ、それを満たすことこそ、支配者の責務だ。」
「欲望を煽れば、確かに人は動くだろう。だが、その炎は制御を失えば、いずれ主自身をも焼き尽くすぞ。」
「構わん。我が身すら燃え尽きるほどの価値ある国家を、私は築いているのだ。」
「国家を盾に、己の野心を正当化するな!」
「違うな。私は民が“欲する未来”を、この手で現実にしているにすぎん。」
「民の声を代弁するな。貴様にその資格はない。」
「ほう、ならば貴様にはあると? 理想を語っては血を流させ、秩序をかき乱してきた男が、どの口で民を語る。」
「秩序とは、力で押さえつけるものではない。信頼によって紡がれるものだ。」
「その信頼とやらも、裏切り一つで脆くも崩れ去る。」
「だが、裏切りの痛みを知るからこそ、真の信頼は磐石の礎となるのだ。」
「…美辞麗句を並べる。」
「ならば、現実を見せてやろう。」
建岱が合図すると、壇の背後から一人の男が引き据えられた。着衣は乱れ、その表情は固く、生気がない。文圍のかつての腹心、左紹であった。 文圍の眉が、微かに動いた。だが、声は出さない。建岱は続ける。
「この男を見ろ、文圍。左紹だ。貴様の掲げた理想とやらに従った男の、これが末路だ。忠誠を誓い、夢を託された男が、何を思い、何を失ったか、貴様に分かるか。」
文圍は沈黙したままだ。その視線は左紹に注がれている。
「愚直だったかもしれん。だが、この男は真っ直ぐだった。貴様の言う“利”に染まらず、民に寄り添おうとした。」
依然、文圍は答えない。ただ、壇上の空気が一層重くなった。
「その姿を見て、まだ言えるか? 金と利こそが全てだと。」
沈黙が続く。
「なぜ黙っている、稀代の策士よ。貴様が育て、そして見捨てた男が、今、その目で貴様に問いかけているのだぞ。」
壇の中央に静けさが戻ったかに見えた瞬間、建岱が手にした巻物をゆっくりと掲げた。文圍の瞳が、その動きをわずかに追った。だが何も語らない。彭も左紹も、無言のまま空気に溶け込んでいた。
「ここにあるのは、昨夜押収した帳簿だ。」
重々しく開かれた書面には、細やかな筆致で記された名と額。幾人もの商人、小領主、そして名の通った役人の記録があった。
「見覚えはないか?」
建岱は声を張る。
「裏金の流れを記した、極めて丁寧な“集金帳”。渡す側の名も、受け取りの印も、余すところなく書かれている。」
文圍は、壇の中央に立ったまま微動だにしない。
「だが、奇妙だと思わんか?左紹の名前はあれど、お前の名はどこにもない。」
帳簿が開かれたまま、風に一枚めくられる。
「これは偽造ではない。証言もある。夜半、城の一角で、左紹と誰かが密かに書面を交わしていたという。目撃者は名を語らぬが、“笑っていた”とだけ言い残した。」
文圍の笑みが、今は消えていた。
「なぜだ?左紹一人に罪を着せる気か?それとも、初めから名を伏せておく算段か?」
観衆の中にざわめきが走る。
「信じぬ者には信じぬままでいい。だが、この帳簿に名を連ねた者たちは皆、今日この場にいる。」
視線が集まる。恐れ、疑念、戸惑いが交錯し始める。
「利で人を動かし、金で秩序を築く。その土台に、このような密かな集金があってこそだとしたら、果たしてそれは秩序か?それとも脅しと腐敗の延長か?」
文圍は口を開かない。建岱の言葉が、観衆の心に揺さぶりをかけていく。
「この帳簿は、語っている。金がどこから来て、どこへ消えたのかをな。我は、断じてこの国を“沈黙”に支配させはせぬ。」
巻物が閉じられる音が、場を切り裂くように響いた。その宣言のもとに、広間の空気が変わった。誰もが、視線の先に立つ文圍の沈黙に意味を探していた。
帳簿を掲げた建岱の声が、巨大な祭祀殿を貫いた。張り詰めた空気が、次第にざわめきに変わっていく。観衆の中に座す小領主、商人、文官たちの顔色が次々に変わっていった。
「この帳簿には、金を渡した者、受け取った者の名が、詳細に記されている。」
建岱の目が光った。沈黙が場を覆った。周囲の者たちは互いに視線を交わし、落ち着かぬ様子で衣を整え、額の汗を拭った。
「…っ、もしこれが本物なら…我の名が……!」
「なぜ、私の名がここに…」
「やばい、見られたか…?」
震えるような呟きがあちこちから漏れ、やがてそれは波紋のように広がっていった。だが、その中心に立つ男――文圍だけは、静かだった。
眉一つ動かさず、卓上の茶器に手を伸ばし、一口すする。その仕草は、むしろ余裕すら感じさせた。
「建岱殿、それはただの推測だ。」
文圍が口を開いた瞬間、ざわめきがぴたりと止む。さらりと、冷静にそう言った。火を浴びても水で流すかのような、完璧な論理と振る舞い。
「我が名が帳簿にないのは、当然。関与していないからだ。左紹が自らの判断で動いたのであれば、我が知るところではない。彼の行動のすべてを、我が逐一把握しているとでも?」
文圍の言葉には一分の隙もなかった。まるで、初めからこの問いが来ることを予期していたかのように。
「利を得ることに罪があるのか?与えられた秩序の中で、富を分け、国を潤す。誰も傷つけていないのなら、それは“策”に過ぎん。」
「“策”とは呼ばぬ。影に隠れて受け取る金、手にした力。その行き先に民の声はない。」
「感情論で統治はできぬ、建岱殿。」
瞬間、会場の温度が一段階下がったようだった。観衆の多くは、どちらの言葉が“正義”か、即答できずにいた。
「では、名を連ねた者たちが怯えているこの現実を、どう説明する?」
建岱の追及に対し、文圍は言葉を返さなかった。ただ、何かを見透かしたような微笑を口元に浮かべた。
一拍、間が空いた。誰もがその続きを待ったが、文圍の唇からは一言もこぼれなかった。だがその代わりに、浮かんだのは微かな笑み――自信とも傲慢とも受け取れるそれは、場の空気を一変させた。
「……建岱殿、ここは祭祀の場でございます。」
文圍の声は、絹のように滑らかだった。怒気も焦りも一切ない。むしろ、会場の全員に語りかけるような柔らかさを帯びていた。
「貴殿の義憤、痛いほどに伝わってまいります。しかしながら、いま我々がここに集っているのは、華凰の民と神々に捧げる“創祀祭”を執り行うためです。」
建岱の眉がぴくりと動く。その正論のようで実に巧妙な論点のすり替え。だが、場に響いたのは反論ではなく、息をのむ音だった。
「不正の芽を見逃す気か!」
建岱の声が重く会場に落ちた。だがその声の威圧とは裏腹に、文圍の態度は一切揺るがない。
「場を汚したのは我の不徳ゆえ。左紹の一件も含め、事実の確認と処置は、改めて公の席にて執り行う所存です。」
その瞬間、重く張り詰めていた空気が、一時の緩和を見せた。文圍の言葉は、まるで封印の札のように効いた。
「……では、貴殿は疑惑を認めると?」
「いえ。ただ、場に混乱を生じさせたこと、その責任を我は免れぬと思っております。」
そう言って、文圍はひとつ、深く頭を下げた。その向け先は、壇上――玉座の脇に静かに座していた桔妃であった。
「桔妃様、まことに申し訳ございませんでした。」
その声には演技臭さの影すらなかった。完璧な礼節。謝罪の姿勢もまた、文圍という男の“道具”であった。
桔妃は口を開かなかった。だがその視線は、まるで全てを見通すかのように文圍を見つめていた。
場に再び、沈黙が落ちる。群衆の多くは、その謝罪が誠意か策略かを見極められずにいた。ただひとつ、確かなのは、文圍がこの状況を自らの手で“制御”した、という事実だった。建岱の拳が静かに握られる。が、それ以上は言葉に出さなかった。文圍が残した言葉と謝罪は、今はそれ以上の追及を許さぬ“空気”を作っていたのだ。




