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or  作者: 真亭甘
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洛陽城7

 「あなた、面白いわね」

 高貴な女性は、静かにランの手を引いた。その手の温もりは、ランにとって初めて触れるものだった。強引でもなく、拒絶でもない。ただ、導くような優しさを湛えていた。



 「さあ、ついてきて」

 彼女の声は落ち着いていて、どこか心地よい響きを持っていた。ランは言葉の意味を深く考えもせず、ただその後をついていく。


 歓楽街の喧騒を離れ、一行が向かったのは、格式高い料亭旅館の一角だった。絢爛な装飾の施された門をくぐると、そこは別世界のように静かだった。木々がそよぐ音、遠くから聞こえる琴の音、上品に香る線香の匂い。

 女が通されたのは、最上階の一室。障子を開けると、そこには広々とした畳敷きの部屋があり、奥には上等な座布団が敷かれていた。部屋の中央には低い卓が置かれ、その向こうに一人の男が座していた。



 「おやおや、珍しいね」

 男は穏やかな笑みを浮かべ、静かに扇子を閉じた。

 ランの目が、無意識にその男を捉える。着流しのような軽やかな衣を纏い、どこか無造作に腰を下ろしているが、その所作は妙に洗練されている。飄々とした空気を纏いながら、彼の瞳はどこまでも澄んでいた。

 「こんな獣じみた子を連れてくるなんて、君も物好きだね」

 男は優雅に笑いながら、女性へと視線を向けた。



 「ふふ、面白い子でしょう?」

 女性は静かに微笑む。

 ランは、二人を見比べた。この場所、この空気、このやりとり。どれも彼には理解しがたいものだった。だが、本能的にわかることが一つある。この男も、そしてこの女も、ただの人間ではないということだ。

 部屋に静けさが満ちる中、男は扇子を閉じて立ち上がった。しなやかな動作で卓を回り、ゆっくりとランの前へと歩み寄る。



 「さて、君にお願いしたいことがあるんだ」

 その口調は穏やかだったが、言葉の一つひとつに重みがあった。



 「明日、ある宴席が開かれる。そこに、私の“代わり”として出てほしいんだ」

 ランは男の言葉を聞きながらも、どこかぼんやりとした顔をしていた。言葉の意味は半分も理解できていない。ただ、その場の空気に満ちる緊張感は感じ取っていた。



 「君は人目を引く。興味を持たれるには十分だ。……うまく振る舞えとは言わない。ただ、そこに“在る”だけでいい」

 男が意味深に微笑んだ、そのときだった。

 ——ぐう、と、部屋中に響くような音が鳴った。

 ランの腹が空腹を訴えていた。空気が一瞬止まり、次に女がくすっと笑いを漏らす。



 「ふふ……まずはお腹を満たす方が先ね」

 彼女が扇を片手に拍子を打つと、間もなくして几帳の向こうから女中たちが滑るように現れた。盆の上には、山の幸、海の幸、酒、香の物、ありとあらゆる豪勢な料理が並んでいる。金色の器に盛られた飯、艶やかな蒸し物、香ばしく焼かれた肉、どれもが洗練された手仕事の賜物だった。

 料理が次々と卓に並べられていく。湯気を立てる上品な吸い物、艶やかな刺身の盛り合わせ、香ばしく焼かれた魚、細工の施された菓子——どれも雅商地区の最上級の料理人が作る、一級品の膳だった。

 だが、そんなことをランが知るはずもない。

 目の前に置かれた瞬間、ランは手を伸ばし、無造作に料理を掴んだ。箸など使うことなく、まるで野生の獣のように、手づかみで食べ始める。

 遠慮という概念は彼には存在しない。素手で魚を掴み、骨ごと噛み砕き、汁の飛び散るままに肉を喰らう。器の形など意に介さず、食べられるものから順に貪っていく。その様子を見て、女中たちは小さく息を飲んだ。高貴な女性は苦笑し、男は興味深そうに目を細める。



 「……なかなか、豪快だね」

 男は卓の向こうで微笑みを崩さずに見つめていた。彼にとってこの光景は、意外性ではなく“期待通り”だったのだろう。



 「ん? これ、なんだ?」

 ランは箸を手に取り、奇妙そうに眺めた。どう扱えばいいのかわからず、そのまま一本を口にくわえる。



 「棒か?」


 「それは箸だよ。食事の道具さ、こうやって2本の箸を使って肉を摘み。お口へと運ぶ。」

 高貴な女性はどこか楽しそうな表情を浮かべながら、箸の使い方や所作を見せる。


 しかし、ランは真似しようとするも不器用で、箸が器を滑らせ、汁物の椀を大きく傾けてしまった。



 「あっ……!」




 勢いよくこぼれた汁が、高貴な女性の着物の袖へと飛び散りそうになる、その瞬間——


 ひときわ鋭い気配とともに、黒衣の影が現れた。


 その男——こうは、まるで空間を断ち切るように一閃し、高貴な女性とランの間に割って入った。動作に一片の無駄もない。袖を翻して飛沫を受け止めると、同時にランの肩へ手を置き、優雅でありながらも一切の情けを感じさせない動きで彼を引き離した。


 「……無礼が過ぎる。以後、慎め」


 声音は冷たく、鋭利な刃のように通った。そこに感情の起伏はなく、ただ冷徹な判断だけがあった。


 高貴な女性はその様子を見て、ふっと笑みを浮かべた。


 「洸。さすがね。あなたがいれば、何も心配いらないわ」


 洸は無言のまま一礼し、再び後方の影へと静かに下がった。


 ランはわずかに顔をしかめたものの、再び卓に目を向けて食べ残しを探す。彼にとって守るべき礼儀も、立場も、意味をなさない。


 男はそんなやり取りを面白そうに見つめながら、扇子を扇ぎ続けていた。


 「……やはり、面白い子ね」


 高貴な女性は再び微笑み、扇をふわりと開いた。

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