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or  作者: 真亭甘
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洛陽城4

「モグッ……」


 ランは頬を膨らませ、未だ噛みしめる美味に陶酔している。人込みをかきわけて進むうち、手持ちの全てを屋台で使い果たしてしまった結果である。祭りは活気の奔流となり、金色の灯籠と艶やかな飾りが夜空を彩る。露店がひしめく狭い路地は、香ばしい匂いや甘い果実の匂いで満ち、次から次へと食欲をそそる。笑い声、囁くような口説き、子供のはしゃぎ声が入り混じり、まるで秩序なき旋律を奏でているかのようだ。だが、人間と亜種が入り乱れるこの世界は、祭りの華やぎと同時に、奇妙な圧迫感をも孕んでいた。昆虫の甲殻を背負った獣人や、膨れた腹を抱え、油汗を浮かべる人間たちが、群れなすようにひしめく。道幅が狭まるにつれ、行き交う者たちの呼吸や体温が、得体の知れぬ圧力となってのしかかる。


  そこに、細身の腕を異様なほど長く伸ばした魔族がひとり、艶やかな声色を弄し、通りすがりの女性に軽薄な口説きを囁いた。その瞬間、何かが弾ける。ランの肩が魔族の背中を強打し魔族は舌を噛み、遅れて苦痛交じりの呻きが漏れた。魔族は一瞬、呻きながらランに視線を泳がせる。


 「なぁ、いいだろ? 俺たちと、あっちで楽、し――いぃ……」


 「テメェ――ッ!」


 怒声と共に、即座に肥満体型の男が飛びかかる。分厚い指がランの襟元を掴み、そのまま顔面へと拳を振り下ろした。乾いた衝撃音が、闇に沈む路地裏を切り裂くように響く。だが、次の瞬間、地面に片膝を着いていたのは殴りかかった男の方だった。右腕を抱え込み、信じられないといった表情でうめく。ランはというと、頑強な額で拳を受け止め、微動だにせず仁王立ちのまま立っている。


その異様な光景に、傍らで様子を窺っていた二体の獣人と、一体の魔族が悪意を露わにした。金属を引っ掻くような低い唸りと、薄笑い混じりの呪詛が同時に響く。標的を見定めた彼らは、言葉は通じぬとばかりに一挙に距離を詰め、臨戦態勢をとる。何が起きているかも定かではないが、この闘争のにおいは本物だ。


「なんかよく分からねぇが、喧嘩だ! ケンカ!」


通りの闇が薄く揺らめき、三対一の戦いが始まろうとしていた。見知らぬ者同士が拳を交わす、ただそれだけの出来事。


甲殻のように硬い外骨格を持つ昆虫頭の獣人。その足音は鋼の如き響きを放ち、黒い瞳が冷徹に敵を見据える。一方、横幅が異様に広い肥満体型の人間は、汗ばんだ肌を光らせながら息を荒げる。その巨体は鈍重に見えて、無骨な拳に込められた力は、ただの人間の枠を超えていた。そしてその向かいには、異形の魔族。細身の体躯に不釣り合いなほど長い腕が、獰猛な曲線を描いて宙を薙ぐ。その表情には感情の影がなく、薄い唇から漏れる低い嗤いが、まるで何もかもを嘲るようだった。


だが、それら三者の狭間に立つ少年は違う。幼さを残した顔つきに宿る目は、喧嘩に挑む者のものだ。拳を握り締め、血の匂いを孕む空気に一歩踏み込む。


「やめておけ」


「やめるかどうかは、試してからだ。」


その瞬間、世界が弾けた。巨体の拳が空を裂き、長い腕が風を引き裂く。少年は躊躇なくその間隙を突く。だが、彼らが本当の脅威を悟るより先に、少年は宙を切り裂くような疾走を見せた。虫頭の獣人が咆哮し、突き出した爪が火花を散らすが、少年はまるで先読みでもするかのように身を沈め、その殺意を躱してみせる。細腕の魔族は嘲笑を捨て、底冷えするような気配を解放する。その長すぎる手脚がまるで網のように空間を支配し、逃げ場を奪おうとする。しかし、少年は微塵も怯まない。血走った瞳は戦場そのものを愉しんでいるかのようで、抜き放つ拳が生み出すのは、純粋な力と速さの宴。異形たちはその場にいながら、同時に引き裂かれる餌食になりつつあった。これがただの少年であるはずがない。気づく時には既に遅い。冷え切った路地裏の闇を裂く轟音と血飛沫、その中央に彼は立つ。闘いの神髄を知らぬ怪物たちに、あどけない面差しのまま、たったひとりの人間が正面から挑み、そして笑う。血臭と荒い呼吸が満ち、闘いは極点へと達する。異形たちは互いに視線を交わし、一瞬の連携を企む。肥満の巨体が地を踏み鳴らし、その振動に合わせて虫頭の獣人が金属めいた爪を振るう。それは刃の雨のごとく、少年の退路を断つように狂乱する。その背後では魔族が臨戦態勢の沈黙を破り、空気を切り裂く奇妙な呪文を紡いでいる。




「……もっと上げて行こうぜ」


少年は一言、吐き捨てる。まるで既に結果を悟ったかのように、わざと罠へと身を投げ込む。半歩遅れた獣人の打撃が、肥満男の側面へと逸れ、魔族の長腕が踏み込んだ巨体を掠める。混乱の一瞬、少年は空隙に入り込み、雷鳴めいた一打を獣人の胸の甲殻へ叩き込んだ。その衝撃は殻を砕き、血管を逆流させる。咆哮すら喉奥で途切れ、獣人は倒れる。


魔族は即座に体勢を立て直し、冷徹な目で相手を値踏みする。だが、その指先に編みかけた呪式は完成を見ぬ。少年が意図を読んだかのように跳躍し、その細腕を己の力と速度で断ち切るかのような蹴りを繰り出す。その瞬間、粉砕音が響き両腕が左右に弾かれる。魔族は嗄れた悲鳴を上げて地に伏した。


残るは巨漢の男のみ。肉の塊のようなその腕が一度、二度振り下ろされるが、既に間合いは死んでいる。少年は軽々と懐へと潜り込み、鳩尾へ正拳を叩き込む。その重みは剛鉄の槌が内臓を穿つかの如く、巨漢は痙攣し、唸る暇もなく膝を折った。



こうして戦いは静寂へと収束する。倒れ伏す異形たち。少年は衣の裾についた赤黒い血糊を指先で拭くと、晴天の空へ溶け込むように飛び去る。




 城内第2層―中層雅商地区―そこは陽が落ちてから目を覚ます、夜の都。中級貴族の屋敷は静かに明かりを灯し、金を握る商人たちは足早に路地を行き交う。漆黒の帳が空を覆う頃、旅人を迎える宿場町や、人心を酔わせる茶屋の簾が音もなく揺れる。第一層の喧騒と栄光を知る者にとって、この層は「裏」と「表」の境界線。血の匂いと酒の香りが交じり合い、陽気な笑声に混ざるは夜闇に潜む噂話。


 ――火酒と戯れに生きる者、儚き一夜にすべてを賭す者。道端に灯る提灯の赤は、まるで濁った瞳の涙痕か。噂に聞く貴族の御曹司が、女衒の誘いに興じた末に身を落とす話も珍しくない。ならば、この層に住まう者たちは“誰”なのか――?


答えは明白。信念を捨てた者、あるいは自由を見出した者。金、欲、快楽――その夜に生き、その夜に死する。いずれも真理なり、と諦観を笑いに隠す生者の群れ。


だが、夜の帳の向こうに広がるのは堕落のみではない。旅館の一角で秘密裏に取引される契約、茶屋の奥座敷で語られる未来。闇を味方につけた者たちが、新たな「秩序」を築き上げるために蠢いている。やがて、夜明けに染まるこの街の、形なき力が全てを呑み込むだろう。





「――ここは歓楽街にして、夜の歴史の一頁。」此処に訪れし者は語る。欲望と夢の狭間、堕ちゆく音を聴け、と。


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