7 監視していた?
「この地域にこういう伝承があるって、どちらの発案ですか」
「木村教授だが、何か気になる事でもあるのかね」
資料を見ながら言った香本に久保田が問いかけた。
「いえ、単にこんな珍しい伝承をよく見つけたなと思って。大学にも特に関係ないじゃないですか、ここ」
「木村教授のコネの広さは私もよくわかっていない。色々な人に声をかけるし知り合いはたくさんいるみたいだよ。ここの宿も木村教授が宿泊予約をしてくれたし、ここだけの話、格安なんてもんじゃない破格の値段で泊めてもらってるんだ」
聞けばなんと香本たちの部屋は半額以下なのだそうだ。木村が少々値がはる部屋に泊まれたのも、割引だけではない口利きをしてくれたからなのだと言う。
「なんでそんなに格安にしてくれたんでしょう」
「紅葉シーズンが終わってしまっているし、微妙にシーズンオフだから観光に来て欲しかったんだろう。その資料はあげるから好きに見ていい。暇つぶしにはなる」
自分たちにできるのは警察が何か指示をしてくるまで待機しているしかない。こうして課題を見ている事はなんら咎められる事ではないと思うので、ひとまずこれで暇でも潰そうと三人は内容の確認にとりかかった。久保田は今後具体的にどうするのかを警察に聞いてくると言って部屋を出る。
「図書館とか調べに行くわけにはいかないだろうから、本当に資料を見てああでもないこうでもない話すだけかな」
少々退屈そうに梅沢がそう言うと守屋は少しウキウキした様子だ。
「いいんじゃない? 私この三人で討論するの結構好きだよ。香本君鋭い意見言うし、梅沢君も閃きがすごい時あるでしょ」
「確かに。ま、本当に暇つぶしにはちょうど良いか」
二人の会話を聞きながら香本は一人黙々と資料を読み続ける。短い文章だがしっかりまとまっていて下地となる部分は大方理解できた。
「ポイントは久保田先生の言っていた通り、この不老不死伝説が一体何なのか、なぜこんな狭い地域で実の違いがあるのか、この二つになるかな。それにこの話、教訓的なものが何もわからない」
桃太郎なら正義の味方が仲間と協力して悪を倒した、財宝を手に入れてみんな幸せに暮らせた。舌切り雀やかちかち山、猿蟹合戦など共通するのは悪い事をすると報いを受けるということだ。
日本の昔話はこういったわかりやすい教訓が多い。残酷な表現など大部分削られて原型をとどめていない話も多いが、昔話というのは必ず教訓が含まれている。その時代の苦悩や子供の教育、後々に役に立つ内容が風刺のように描かれているものだ。グリム童話やイソップなども一見不思議な話に思えても時代背景などを考えると推察などが面白くなってくる。
改めて二人は資料に書かれているこの地方伝わる昔話を読んでみる。
山の中に光り輝く木の実があるという。それは神だけが食べることを許された特別なもの。山に迷い込んでしまった旅人が空腹のあまりその実を食べた。するとあっという間に腹いっぱいになって元気になり無事山を降りた。
神の実を食べたその者は不老不死になった。
この「神だけが食べるもの」といわれる実が地域によって異なるとの事だった。ここではアケビだ。
「確かに腹が減って実を食べて不老不死になってめでたしめでたしみたいな内容だな。話としてはすっきりまとまってるけど、情報が足りないっていうかなんかちょっと不自然だな」
「普通はここで食べてはいけないものを食べて死ねない体になって嘆いたとか、神様の食べ物を勝手に食べたから罰がくだったとかそういう教訓がありそうなものだけど。でも食べた理由が空腹だったら悪いことをしたわけじゃないし、何を伝えたいんだろう」
二人とも歴史や文化に詳しく真剣に研究してきたことから違和感は抱いたようだ。グリム童話は残酷な部分がカットされて違う表現にされて本になっているのは有名な話で、日本の昔話もだいぶ脚色されている。それらを紐解き本題はどんな話だったのかというのは、香本は高校生の時に既にやり尽くしていた。その時の経験をもとにするなら今回の話はあまりにも綺麗すぎる。
「いつからこの話があるのかは知りたいな。本当に大昔からあるんだったら多分これオリジナルからずいぶん話の内容変わってる気がする」
梅沢の言葉に香本も頷いた。
「江戸時代末期とかにできたのだとしたら、アケビを売り込むための作られた逸話かもしれない。この辺は農家だっただろうから」
話しながら、だからアケビがデザートとして出たのかと納得できた。この近くでとれたアケビだと言っていたことと、産業にしていることを考えれば農家が育てているはずだ。山に自生しているものだけを集めていたらとても観光事業に間に合わない。
そこまで話していて、ふと、香本は体調の変化に気づく。まただ、また吐き気がする。我慢できないほどの吐き気では無いのだが水でも買ってこようと立ち上がる。財布に小銭があったか確認しようと鞄から財布を取り出した時、財布に引っかかってお守りが落ちてしまった。
「ん? お守りか。こういうの持ち歩くタイプなんだな、意外」
「交通安全か何か? 車持ってないんじゃなかったっけ」
「母さんの形見だよ」
「え、あ、悪い」
そんな大切なものだったと思わず二人は気軽に言ったのだが、返ってきた言葉に少しバツが悪そうだ。事実なのだから別に気をつかわなくていいのにな、と思ったがそういえば家族の話をしたことはなかった。
これ以上広げる話でもないので静かに扉の方に歩いていくと、吐き気が強くなった気がした。なるべく音を立てないように靴を履き、内開きの扉を勢い良く開ける。
すると目の前には仲居が立っていた。通りかかった風ではない、扉の前で直立している。仲居は一瞬目を見開いたようだがすぐににこりと微笑む。
「……何か用ですか」
「いえ、通り掛かっただけです。失礼します」
そのまま何事もなかったかのように歩いて行ってしまう。今明らかに話を聞いていたと思われる。それでも慌てる様子もなく咄嗟にあの反応ができたのはプロだからというより、こういう事に慣れているのではないかという疑いが出てくる。定期的に客の様子を窺っていたのだろうか、今回の事件云々関係なくずっと前から。
時折感じるこの旅館のスタッフたちのおかしな態度。一体何なのだろうと不気味さが際立ってくる。殺人事件など起きた今の状況ではなおさらだ。自分たちがやたら疑われているが、旅館の人間が犯人だという考えはないのだろうか。
今のやりとりを詳しく見ていなかったらしい二人が中からどうかしたのかと聞いてくるが、ちょっと水を買ってくるよとだけ言って香本は部屋を出た。
あまり怪しくない様子を装いながら、さりげなく監視カメラ等の位置をチェックすると普通の宿泊施設並にはカメラがあることがわかる。それなら昨夜の木村の部屋に誰が出入りしていたかなどすぐにわかりそうなものなのだが。
水を買いながら先ほどの事を考える。急にこみ上げた吐き気、まるであの仲居が近づいたから強くなったかのような……。そういえばあの警察の男が聞き取りをしていた時もそうだ。あの男が近づいたら気持ち悪くなった。
苦手な匂いがしたとか、そういうことはなかった。そもそも今の仲居に至っては扉を挟んでいたのだ。何故特定の人に近づくと気分が悪くなるのか心当たりはないが、気になる事ではある。今までこんな事なかった。
部屋に戻る途中壁にかけてある絵にチラリと視線を向けて思わず立ち止まった。写真のようにリアルに描かれていたわけではなく画家のオリジナリティが出ている独特な絵だったのだが、よく見ればこれは。
「アケビ……?」
思わず声に出していた。光り輝く玉のようなものが書かれていたからてっきり蛍でも描いてあるのかと思っていた。しかしよく見ると違う。大きな木が描かれており、光っているものは縮尺から考えると蛍ではないと思う。
光はすべて赤紫色の玉のようなものの近くに描かれている。先ほど見た資料を思い出した。不老不死の食べ物は光り輝く実だと書いてあった。そうなるとアケビが光っているということになる。