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神使のアケビ  作者: aqri
神使
32/37

3 研究者

 警察官は言われた通り手を放した。こうなったら腹をくくるしかない。あの絵を信じるなら虫は実が落ちただけで危機感を感じていたのだ、煙や熱に対しては敏感に察知して光るはず。

 火がこちらまで回ってしまうと自分たちが焼死する危険はもちろんあるが、炎のせいで光っているアケビが見えなくなってしまう。香本自身は工夫すれば耳元で大きな音を聞いて身体能力が上がった状態で山を降りることがおそらくできる。だがアケビが見つけられないのは今後自分の人生が狂っていくということに他ならない。こいつらはどこに隠れても絶対に見つけてくる。


「神使様」

「静かに」


 ピシャリと一言いうと耳元に手を当てて意識を集中する。坂本が瀕死の重傷を負って虫に向かって血管になれと命令した時。金属がこすれるような小さな音が聞こえた。あの時は気にもとめなかったが、おそらくあれは虫の声だ。緊急時に鳴くのかもしれない。それならこの状況で虫達は鳴くはずだ。

 風によって揺れる葉の音が邪魔だ。他の虫の鳴き声も耳障り。ほんの小さなあの金属音、聞き逃すわけにはいかない。徐々に煙のにおいが強くなってくる。場所を変えたほうがいいだろうかと思っていた時だった。


 キキイ キイー ギ、ギギギキキー……


「聞こえた!」


 音のする方に向かって走る。しかし足場が悪く思うように進まない。立ち止まって警察官に向かって叫んだ。


「僕の耳元で大声を出してくれ」

「なぜですか」

「このまま放っておくと虫が全部死ぬぞ、早くしろ!」


 虫が死ぬという言葉に警察官はびくりと体を震わせ香本の耳元で大声を出した。その瞬間体が熱を発するような、怒りに似た症状が現れる。しかし改めて考えるとこれは怒りではない、あくまで興奮状態なだけだ。


 ――怒るな、落ち着け。使いこなせ、この状態を。


 先ほどよりも研ぎ澄まされた感覚と軽くなった身体。香本は一気に走りだした。警察官がついてきているかなどどうでもいい、とにかく急がなければ。

 すると、わずかに火が燃え広がる方向とは逸れた場所に何かが見える。間違いない、まるで蛍のような淡い光。


「見つけた」


 トップスピードで走り大きくジャンプしてその場所にたどり着いた。今、飛び越えた距離はおそらく数メートルはある。単に喧嘩が強くなるわけではない、本当に身体能力が大きく向上しているようだ。

 目の前に広がるのは、一本の大きなモミジだった。真っ赤に染まったモミジの中にチラチラと光る塊。モミジだというのに木がしなるほど大量に生っているアケビ。金属の擦れるような音は小さな音だが確かに聞こえる。

 その木を前にした香本は先ほどまでの興奮状態がスっとなくなるのを感じた。いつもなら体を少し強めに叩いた衝撃で落ち着くのだが、今は何もしていないのに心が凪いでいる。なんだろうかこの感情は。


 ――虫が何かの分泌を促しているのか? セロトニンか。


 ビリ、と痛みのような痺れるような感覚が左手からした。不思議に思って見てみると手の甲にある太い血管がウネウネと動いている。間違いない、虫だ。首ではなくこんなところで擬態をしていたのか。

 後ろから何人かが走ってくる音を聞いた。振り返ると追ってきていた警察官の他に梅沢もいる。


「梅沢?」

「どうしてもお前のことが気になって。俺だけこっちに来ることにしたんだ。さっきお前が凄いスピードで走ってたの見えたから追っかけてきた」


 言いながらも少し警戒したように警察官をチラリと見る。どうやら行き先が同じだったので一緒に来てしまったようだ。しかし警察官は梅沢のことなど気にした様子もなく。驚きと喜びと様々な感情が入り混じったような笑みを浮かべてゆっくりと木に近づく。


「これが、これが神の木。我らを神の国に導いてくれる」


 その様子を後ろから見ながら梅沢が小声で香本に囁いた。


「ひとまずお前の役目は終わったんだろう。このままいると蒸し焼きになるぞ、逃げよう。あいつの注意が逸れてるうちに」


 役目が終わった、本当にそうだろうか。この木を見つけて、杜舎に引き渡して。後は戸籍を変えるなり死ぬ気で彼らから逃げ続ければそれで終わりなのだろうか。左手の虫はまだ疼いている。今まで大人しかったのになぜここにきて暴れ始めたのか。何か訴えているのだろうか、何かやらなければいけない事は。


「ごめんね、本当は私の手でやりたかった。でもできなかった。こんなことを押し付けて本当にごめんね」


 母はいつも謝っていた。


「でも、私が必ず守るから。お父さんが全て終わらせて、私が守るから」


 父は物心ついた時既に亡くなっていた。意味がわからなかった、一体何のことを言っていたのだろうかと。

 両親はおそらく息子に虫が入っていたことを知っていた、そして何か目的があってそれを託した。自分たちでやりたかったがそれがどうしてもできない理由があった。


 自分でやりたかったと言っていた母。という事は母にも虫がいて特別な力を使えていた、それでできることがあったということだ。しかしできずに息子に託した。

 香本は幼児の頃から虫が入っていた、もちろん性行為など行える歳ではない。それなら生まれた時から持っていたということになる。東雲の情報ともつながる。


「そっか、なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ」

「どうしたんだよ」

「僕の体に虫が入ったのは胎児の時だ。誰かからうつされたんじゃない、アケビを食べたわけでもない。親から受け継いだ」

「え?」

「東雲が言ってただろ、親から子へ移る時もあるって。母親から子供にうつるのは全ての虫じゃないんだ。特別な虫がいてそれは親から子に引き継がれる。母さんは体が弱って死んだ。この虫は別の人にうつると宿主は弱って死んでしまう。この虫に寄生されてる人間はこの虫の副産物によって生きているということだ、この虫がいないと生きていけない」

「ギブアンドテイクみたいなことか」


 その言葉にすっと頭が冷える。ギブアンドテイク、こんなものが? 宿主が死ぬと自分も死ぬから、虫は宿主を長生きさせようとしている。そして自分がいないと生きられないようにもしている。立場が逆だ、あくまで自分が利用される側に過ぎない。

 その会話を聞いていたらしい警察官が驚いたように振り返る。


「あなたは、まさか。お戻りになられたのか、神が!」


 自分たちの知らない何か別の伝承があるようで警察官は目に涙を浮かべている。親から子へ受け継ぐのは相当特別なようだ。警察官は無線を取り出す。まずい、他の者に連絡をされたらもう二度とこの地域から出られなくなる。急いで無線を取り上げようとした時だった。

 今日何度も聞いた乾いた音。パン、と一回聞こえた。そして警察官がその場に倒れる。梅沢が警察官のほうに走り寄ったが、香本は音のした方を振り返った。東雲が来たのだと思っていた。しかしそこに立っていたのは、銃を撃ったのは東雲ではなかった。


「……久保田先生」


 今まで見たことがない位冷たい顔をした久保田がゆっくりと近づいてくる。それを見た梅沢は信じられないというような表情浮かべた。警察官を手当てする様子は無い、おそらくもう死んでいるのだろう。


「まさか本当にあるとは。守屋の考えはそこまで妄想でもなかったということか」


 一瞬杜舎か茜のことを言っているのかと思ったが、話の辻褄が合わない。おそらく父親の方だろう。


「どういうことなんですか先生」


 梅沢の問いかけに久保田は、初めて見せる心底呆れたような顔でため息をついた。


「今この場で、こういう状況で、何も推測が立たないのは馬鹿な証拠だよ梅沢君。そうだな、香本君には大体予想がついているのかな?」


 頭の中で情報整理する。坂本が言っていた、久保田のことも信用していないと。本当にその通りだ、この男は内面を隠すのがとてもうまかったということだ。


「時系列で考えると茜さんの父親と一緒に秘密裏にこの虫の研究をしていたのは久保田先生ということでしょう」

「少し考えればそれぐらいは普通にわかることだ。馬鹿に付き合うのも馬鹿のふりも疲れるんだよ、あまり無駄な時間をかけさせないでくれ」


 梅沢に対してそんなことを言い放つ。その見下したようなものの言い方と持っている銃を見てようやくわかる。あの銃、東雲が持っていた拳銃だ。


「東雲の協力者でもあったということですか」

「アレが杜舎のふりをしているだけだというのは知っていたよ。あえて杜舎と信じているようふるまったが、あまり役に立たなかった」


 東雲があの場を離れ、梅沢とも離れた時何か言いくるめて銃を借りたのだろう。木村が死んだ後警察が来て久保田はやたらと警察や旅館の人間に話を聞きに行ったり指示を仰ぎに行っていたが、木村よりも早くこの地域のことを知っていた。地元に協力者がたくさんいたのならおかしな話ではない。


「どいつもこいつも。神がもたらした木は昔話でも何でもない、本当にあるんだと言うと面白いくらいに引っかかる。近寄ったら餌がもらえると口をパクパクしている鯉みたいだ」


 地元の人はそれだけ切羽詰まっていたということだ。彼らに同情する気はないがそれを踏みにじっていいわけでもない。



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