8 次の犠牲者は
絵を見つめ続ける香本と文献のような文字の資料を見始める久保田。坂本は香本の見ている絵を見つめ、梅沢は一瞬迷ったようだが久保田の持っている文献のコピーを半分渡してもらい手分けをして内容確認する。
「文書の方はそれほどたいした内容じゃない。贅肉がつきまくってる伝承の詳細と、この辺を取り仕切ってきた奴らの頭のイカレたポエム集みたいなもんだ」
東雲の言う通り、文書の方はほとんどがいかにアケビが素晴らしいか、虫が偉大かを讃える内容だった。香本のように身体能力が向上する者が何人か見受けられ、人々の上に立つ者だと記されている。その頂点にいるのが神使で他の虫の気配がわかる、他の虫を操ることができる、原初の木へ導く、と書かれている。その内容に久保田と梅沢は首をかしげた。初めて見る情報だ。
「原初の木とは?」
「その絵みたいにオリジナルのアケビの木があるって話だ。人から人に移って管理ができなくなった虫じゃない。アケビとして木に生っている虫。杜舎の連中はこれを崇め奉っている」
「アケビの木にしてはちょっと変ですよねこれ」
二人の会話の後に香本が言うと全員が絵を覗き込んだ。
「アケビって確かツル植物でしょう。他の木に巻きついて生えてるはずだ。この絵だと一つの大きな木から直接生ってる。この絵、一体誰が書いた? k.Kって誰のことなんだ」
香本の言う事はもっともだ。言われてみれば確かに広葉樹のように大きく横に広がった太い一本の木だ。まるでりんごが生るように自然にアケビが生えているように見えるがリアルなアケビの絵では無いような気がする。
「それは杜舎の中でも長年の謎ってやつだな。献身的な信者どもには適当に言ってごまかしてるみたいだが、この絵を描いたのが一体誰なのかわかっていない。一つ確実に信じられているのは描いたのは神使で、直接見て書いたんだろうって言われてる」
「つまり、こういう特別な木があって、虫は光り輝いてるってことか。もしかしたらそれも神使にしかわからないのかもな」
じっと絵を見つめていた坂本がそう言うと香本もうなずいた。
「たぶん。そう考えると夜である今は探すのに一番適してるってことか」
「ちなみになんだけど、今俺って光ってるように見えるのか」
坂本に聞かれて香本は坂本と東雲をじっと見るが首を振った。
「そういう風には見えない。あくまで気配だけだ」
「なーるほど? もしかしたらお前さんは見えないタイプの神使サマなのかな? まあ事はもう動いてる。やってもらうしかないからな」
その言葉に不審に思ったがよく耳をすませばまた悲鳴のようなものが聞こえた。おそらく香本にしか聞こえていないだろう。
悲鳴の内容と他数人の声を聞く限りでは、どうやら先ほど東雲が焚き付けた杜舎の中心人物達が追われているようだ。命乞いのような叫びも聞こえる、もしかしたら怪我をしているのかもしれない。
しかし追いかけている者たちは興奮状態なのか香本たちを追いかけていた時以上に殺気立っているように思えた。絶対許さない、殺してやる、そんな声が幾重にも重なって聞こえてくる。
それはそうだ、香本たちはあくまで巻き込まれた側で、最悪の場合は殺したりもするが閉じ込めておくという選択肢もある。しかし住民達は違う。長年にわたる不満や恨みが爆発寸前まで溜まっていたのが、東雲の手によって弾けてしまった。こうなってはもう話し合いなど無理だ、何を言っても聞かないだろう。おそらく殺してしまう。人が破裂したような死に方をするのを何度も見てきた者たちだ。人の生死や倫理などとっくに崩壊している。
東雲が原木を探したいというのは本当だろうが、その探す時間を確保するためにおそらく今回の騒ぎを起こした。杜舎が、他の住民たちがどうなろうと知ったことでは無いのだ。これ以上アケビによる虫が入り込むということがなくなりさえすればなんとでもなる。虫入りの人間が増えたらますます自分の生活に縛りが多くなる。いや、そもそもこの地域の住民はここから離れられないのだったか。
アケビを食べないと禁断症状のようなものが出るのも、警察という立場を使って研究所や科捜研などで徹底的に調べて対策済みなのかもしれない。
「結局杜舎の連中はな、蓋を開けてみれば全くたいしたことないんだよ。ほとんど自分たちも何も知らない、それなのにさも自分たちは何でも知っていてお前たちを操れるんだぞみたいなことを前面に押し出して。原木の場所さえ知らないんだからな。俺も最初は誰か一人ぐらいは神使がいるのかと思ってたら一人もいねえときやがる。怒りを通り越して笑えてきたぜ?」
ニヤニヤ笑いながらそう言っていた東雲の表情が一瞬凍りつき大きくその場から飛びのいた。それと同時にパン、と発砲音がする。
「な!?」
何が起きたのかわからない梅沢が驚きの声を上げた時、ドサっと音を立てて坂本が倒れていた。香本が慌てて駆け寄ると、大量の血を流している。
「坂本!」
「坂本君!」
久保田と梅沢も慌てて駆け寄ってくる。血が溢れているのは首だ。貫通はしていないようだがおそらく頸動脈を抉っている。
「おや、お早い出向だな」
東雲の視線の先には銃を構えた警察官の姿。梅沢がチラリとそちらに視線をやると見覚えのある顔だった。ずっと茜を監視していたあの警察官だ。
「後ろから狙ったのによくわかりましたね」
「虫による副産物ってやつだな。俺はちっとばかし他の虫よりも優秀な個体がいるらしくてね、五感と筋肉量は普通の人間より上なんだわ。こいつらの居場所もわかったしな。神使じゃねえけど」
「どういうことだよ!?」
二人の会話に混乱した様子で梅沢が叫ぶ。香本と久保田は着ていた上着などを首に当てがい何とか止血しようとするが頸動脈の出血が止まるはずもない。
「本当に頭悪いんだなテメエは。俺は杜舎のフリしてたが、向こうは萱場のフリしてた杜舎ってこった」
「探りあっていたのはお互い様でしたね」
「お前が杜舎なのは最初から気づいてたよ。人形みてえな胸糞悪い空気はあいつらの特徴だからな。面倒だからほっといただけだ、間抜け野郎」
坂本は目を開けたままヒューヒューと苦しそうに息をしている。治療器具などない、この状況では助かるはずもない。
死んでしまう、坂本が。ちょっと苦手なタイプだと思っていた。正直あまり近寄りたくない奴だと思っていた。しかし話してみると多少口は悪いが本当に普通で、気遣いもできて、頼りになる奴だということがわかった。もっと早く話しかけておけば。
自分のコントロールできない怒りの体質もそこまで怯えず正直に打ち明けて、飲み会の話のネタにでも何でもしてもらえばよかったのだ。もっと早く打ち解けていたら、違う道があったかもしれないのに。
「嫌だ……」
こんなところで死なせたくない。




