4 久保田の合流
「虫、虫、って言うとテンション下げるからアバターって考えるかな。要するに魔法使いとか、剣士とか、いろんな特殊能力の虫がいるかもってことか」
「あくまで推測だけどね。食中毒とか起こす微生物って体の作りが単純だから、簡単にその環境に慣れるために自分の体を作り替えるらしいよ。常に変化し続ける、だからいつまでたってもこの世に一体何種類の微生物がいるのか特定できないんだ」
「インフルエンザもいろんな株がある位だしな、わかった。で、いるんだよな、俺には」
半ば諦めたような投げやりな言い方だった。それでも嘘をついても仕方ない、香本は頷いた。坂本の近くにいるときは吐き気が強くなる。だからこそ坂本に話しておきたかった。そうなると相川と木村の虫の移動事実にやはり矛盾があるからだ。
まず木村と相川の関係はこの旅館に来る前からあったのは間違いない。仲居の誰かから木村に移り木村から相川に移っていたとする。そしてその間に木村がこの旅館に来て他の仲居と関係を持ち虫が入ったとする。それを知らずにあの日の夜木村と相川が行為を行って相川の虫が木村に移った、だから木村が死んだ。ここまではわかる。
ではなぜ虫が移ったはずの相川にまた虫がいて、坂本に移ったのか。おそらく木村が死んで半分パニックになりながらそのまま坂本の部屋に来たはずだ。何故ならアリバイ確保が欲しかった、虫を移したかったはずだからだ。ほとんどタイムラグがない、相川が旅館のスタッフと行為をしてから坂本を誘ったとは考えにくい。
あの時点で相川は何をどこまで知っていたのかわからないが、虫を持った者同士は性行為をすると片方が必ず死ぬ事実は知らないはずだ、知っていたら木村と性行為をしていない。自分が死ぬ可能性がある。相川の近くに寄っても吐き気がなかったので相川の体に虫がいないのは間違いない。
――いつだ、いつ。性行為だけで考えると矛盾が多い。そう、例えば。性行為をしたら一体どのくらいで虫は縄張り争いできるまで成長する?
移るのなら体液からだ。体をものすごく小さくしているか、それこそ卵か何かに戻らないといけない。“成虫”になる時間があるとしたら、予測範囲の時間だけでは足りない。
「坂本、相川としたのって何時?」
「二時くらいか」
本当にタッチの差だったのだろう。虫が成虫になる時間があると仮定すれば、あの日相川にはもともといた虫と成虫になる寸前の虫がいたはずだ。
もしそうなら、今回の性行為は相川から誘ったと考えることもできる。先ほど推測した通り、虫が性行為を起こすよう促す事ができたとしたら。縄張り内にもう一匹虫が目覚めそうな事を察知して、自分が他の体に出ていくことを選択したと考えればすべてに辻褄が合う。もう一匹の虫を相川がいつ取り込んだのかは知らないが、もしあのまま木村と行為をしていなかったら虫は成虫になり死んでいたのは相川だったということだ。
そこまで話した時遠くから梅沢たちの驚いたような声が聞こえた。耳をすませば久保田の声も聞こえる。
「戻ろう、久保田先生だ」
「……このタイミングで? 暗い中俺たちを見つけたのか?」
坂本の反応が冷たい。そういう声をされて香本も歩き出そうとしていたが止まった。
確かに可能性としてはかなり低い。しかし、ではどうやって合流できたのだろう。言われてみれば確かに不自然かもしれない。
「なあ、気になってたんだけど久保田って専攻比較文化論だろ。なんでこのサークルに顔出すんだ」
「僕は知らない。いつも茶化しに来てたの木村先生だし。なんかいつも木村先生にいいように使われてるイメージが強いから、巻き込まれてるんだと思ってたんだけど……何か、気になる?」
「いや。警察って東雲の他も俺らには態度悪かったじゃん。なのに事あるごとに今どうなってるのか警察に何か聞いてくるっつってふらっといなくなるし。なんで警察や旅館の人間は久保田にペラペラ現状とか教えてくれたんだ」
「それは……確かに」
自分たちには部屋でおとなしくしていろの一点張りだったのに、久保田は何度も今の様子を聞いてくると言っていた。みんなをまとめる責任者だから当然の行動だが。外で人が死んだ時も館内を一人でいた久保田は何事もなく戻って来た。
「坂本は久保田先生も疑ってるのか」
「愛美が木村とやってて、木村がある程度事情知ってたんだったら、久保田も何か知ってるんじゃないかって思うのは当然だろ」
久保田はどちらかと言うと香本達と一緒にいる時間が長かった。知識の深さや推測の立て方からも非常に頭の回転が速く結構凄い人だなと思っていたところだ。
「今のところ僕はその考えにはあまり賛同できない。僕たちのことを本当に気にかけてくれていたから。でも可能性の一つとして覚えておく」
「ああ。俺が疑心暗鬼になりすぎてるだけかもしれないからな。戻るか」
ガリガリと頭をかいて坂本は踵を返した。こうして話していると本当に普通のやつなんだなと思う。
しかしその反面先程までの虫についての考察を思い出し少しだけ嫌な気分になる。もし本当に虫が宿主を操るために何らかの分泌物を出しているのだとしたら。自分や坂本の行動は一体どこまでが自分の意思なのだろうか。
今坂本は久保田を警戒している。もし久保田に香本でも気づかない虫がいて、坂本は実はそれを感じ取っているだけなのだとしたら。縄張り争いによる警戒を強めているだけなのだとしたら。
そこまで考えてやめよう、と思った。いちいち疑いだしたらキリがない。相手が人間なのか、虫なのかなんて考えたくもない。それは自分が虫だと言ってるようなものだ。
――気持ち悪い。
自分自身が。
音が聞こえるといっても夜目が利くわけではないので話し声が止まってしまうとたどり着くのには少し時間がかかった。先ほどまでは怪我はないかといったような話をしていたようだが、今は不気味なほどに黙っている。もしや周囲に敵がいるのだろうかと思ったがそんな様子は無い。
なるべく音を立てないように近づきようやく梅沢たちを見つけた。
「梅沢」
「よかった、ちょっと遅いから心配してた。久保田先生が合流できたよ」
「先生、怪我とかないですか」
「大丈夫だ。実は助けてもらったんだ」
「え?」
意外な言葉に香本と坂本は驚く。ちょうどその話を聞いていたところだと梅沢と茜も安心した様子だった。
「バラバラに逃げた後旅館の人間に捕まったんだが。どうも様子がおかしいから話を聞いてみたら、この環境にもう耐えられないと泣き出してね。要は外部から来ている我々に助けを求めてきたんだ」
虫を外に出さない、情報を漏らさないとピリピリした雰囲気や暗黙の了解に耐えられなくなっていたそうだ。二十代のまだ若い男性で自分たちが普通に生きるにはどうしたら良いのだろうかと話をしていたらしい。
「隠そうとしても外部の人間である我々が情報を知っていたのだから、もう隠す必要もないのではないかと密かに活動を起こしていたそうだ。客を何のためらいもなく殺し始めた杜舎の者たちにはもうついていけないと、協力してほしいと言っていた」
「信用できるんスか、そいつ。俺たちをまとめて捕まえるための作戦って事はないですか」
警戒した様子で坂本がそう聞くと久保田は落ち着いた様子でこんなことを言った。
「それは私も考えたから条件を出した。まずこの状況で我々を無事に逃してもらう。そうしたら、私がこの研究を引き継いで徹底的な調査や虫の除去についての方法を探し出すことに何とか納得してもらえた」
聞けば木村の荷物は旅館の人間が預かっているらしいが、当然パスワードのロックがかかっていて中を見ることができない。久保田はそのパスワードを知っているらしい。
ただの伝承レベルではなく本格的に調査をすること、医療機関に友人がいるので無償で検診などをすることを伝えたと言う。そして弁護士の友人がいるというのも本当で、法的に何か立場を守れるものがないか相談をすると約束したそうだ。
「杜舎に力があるのはあくまでこの地域だけだ。外に出てまで何かをする気は無いだろう。人権侵害や場合によってはストーカー関連など身の安全を守る方法はいくらでもあるからね」
「それには本格的にどうにかしなければいけないという確約が必要ですけど」
「もちろんそれが一筋縄でいかないのはわかっている。しかし現状を打破するにはこれしかないし、この研究については茜さんのお父さんが深く関わっている。それを紐解けばそこまで無茶でもない」
確かにそうかもしれないがと思っていると、茜が驚いたように言った。
「久保田先生、どうして私の父がその研究をしているとご存知なんですか。私話したことないですよね」
「君に黙っていたのは悪かったが、実は君のお父さんとは知り合いなんだよ。この研究についてはっきりと内容教えてもらったことがなかったから詳しくは知らなかったが。今とても大きな研究をしている、確信が持てるようになったら手伝ってもらえないだろうかと打診されていた。話が進む前に亡くなったが」
「そう、だったんですね。知らなかった。私が手伝うって言って研究教えてもらってる時そんな話してなかったから」
何故か茜の歯切れが悪い。
――納得してないって感じだな。
それは香本も同じだ、そしておそらく坂本も。何故、茜の父は久保田の事を話しておかなかったのだろう。先ほどの久保田の話では確信が持てたら話すという事だったが、それほどリスクの高い内容とは思えない。
この地域の人間が危険だというのは当然茜の父は知らない、そもそも虫や萱場が結びついていないのだから。謎の生き物の存在には辿りついていたが、具体的な地域や「虫」である事は知らなかったという茜の父。
――いや、それは不自然だ。じゃあどこから音に敏感だとか具体的な資料を見つけた? これは資料じゃない。知っている人間からの直接の聞き取りか。辿り着いていたんだ、茜さんの父親は。この地域にも虫にも。
その中で重要な部分を隠し、概要だけ茜に伝えていた。いつか本当に研究を引き継ぐつもりがあったのかわからない、中途半端すぎる。茜の父に直接会っていないのでどんなタイプなのか不明だ。研究を一人で完遂させたいのか、あまりにもリスクが高すぎるので娘を安全圏に置いておきたかったのか。それとも。
――茜さんがまだ何か話していない事があるのか、それとも久保田先生が話していないことがあるのか。




