1 夜になる
「とりあえずここから離れよう。あれだけ大暴れしちゃったから多分死ぬ気で探してると思う」
歩きながら申し訳なさそうに盗んできた銃を見せた。それを見てさすがに全員ギョッとする。
「おいおい、やべーもん持ってきたな」
呆れたようなどこか引きつった顔の坂本にそう言われ香本も苦笑だ。
「一回スイッチ入っちゃうとダメなんだよね。これ、梅沢かモリ……茜さん、持ってて」
「え、なんで俺ら?」
冗談じゃないと言いたげな梅沢と茜。しかし香本は真剣だ。
「僕も坂本もいつ怒りのスイッチが入るかわからない。そんな時にこれを持ってたら絶対みんなを傷つける。ミステリーやホラーの定番だろ、武器が一つあると疑心暗鬼になったり殺し合いが始まるなんて」
「捨てれば?」
不安そうに言う茜に香本は首を振る。
「今後のことを考えたら持っておきたい気持ちはある。ここの住民たちに囲まれた時、みんな武器を持ってたけど僕ら丸腰だっただろ」
こんな状況で話し合いで解決するわけがない。強力な武器である銃は危険ではあるが心強くもある。しかしそこで坂本が聞いてきた。
「ところでお前使えんのか」
「いや、全然。海外の映画でセーフティ外して撃ってるところ見たことがあるから、セーフティの存在は知ってたけど。弾の残りの数とかどうやって見るんだろう」
銃はリボルバーではなくピストル型だ、弾は弾倉自体を付け替えるタイプである。弾倉の外し方がわからないらしい香本はガチャガチャといじり始めるが坂本が慌てて取り上げる。
「危なっかしいからやめろ。お前素でも結構とんでもないことするな」
言いながら坂本は慣れた手つきで弾倉を外して弾の数をチェックする。
「残り七、一発撃っただけだ。ってことはさっき撃ったのが一発目だな」
「すごいね、なんかやってるの?」
「エアガンでたまにサバゲーとか」
「え、すごいじゃん。じゃあこの状況、坂本が一番慣れてるってことか」
香本の言葉に坂本は「まあそうなるな」と言いながら銃を梅沢に渡した。梅沢はワタワタしながら受け取る。その様子を見て坂本は小さく笑った。
「手、震えてんぞ」
「当たり前だろ」
「安全装置かけときゃ問題ねえよ、これがオンの状態」
落ち着きを取り戻した坂本を見て香本は思う。坂本の事はあまり好きではなかったが、こうしてきちんと話をしてみると良いところがたくさんある。調子が良いキャラだと思っていたが自分勝手ではないし、普通だ。
自分の体質の事があったからあまり人に近寄らないようにしてきたが、わからないことがたくさんあるのだろうと思う。無知とは最も愚かで嘆かわしい、と言っていた偉人は誰だったか。まさにその通りだ。
「坂本、僕らはこういうこと慣れてないからポイントとかあったら教えてほしい」
「ああ。さっきまでは本物の発砲見たり大勢に囲まれたり、多分虫の影響で頭に血が昇っちまってパニクったけどようやく落ち着いてきた」
相手の倒し方よりも隠れ方、逃げ方を皆に伝えてもしも分断されたらどうするかを決めておく。
「俺らにしかわからない合図、音の回数とか決めとくか」
「具体的にはどんな内容?」
「言葉伝えるのなんてモールス信号全部覚えない限りは無理だ。最低限、肯定と否定だな。yesは一回叩く、noは二回叩く、とか」
いつどんな時に役に立つかわからないが声が出せない状況というのが出てくるかもしれない。ひとまずそれだけ決めたが、茜が不安そうに言った。
「だいぶ暗くなってきた、まずいね」
空はすでに太陽が落ち始めている。このまま夜になってしまったらこの地区を抜け出すのが難しくなるかもしれない。夜動き回るのか、それとも隠れながら一晩山で過ごすのか悩ましいところだ。チラリと相川を見ると数メートル離れた距離を保ちながら歩いてついてきている。みんなの会話には全く参加せず俯いたままだ。
「腹減ったな」
梅沢がぽつりと言った。全員朝食しか食べていない、昼食はそれどころではなかったからだ。歩いている時は何とか水分補給をしたが食事をとっていないので力が出ない。そうなると自動的に夜は歩き回らず休むことになる。いざという時、空腹と疲労で動けなくなってしまう。
「あ、そうだ忘れてた」
茜が慌ててカバンから饅頭を取りだした。それを見て梅沢が目を輝かせる。
「持ってきてたんだった、ごめん」
くるみの饅頭を全員に配り、大きくため息をついてから相川にも渡した。
「死んで欲しいわけじゃないから一応あんたにも渡しておく」
「いらない」
ぶっきらぼうに言うとこれ見よがしに鞄から食べ物を取り出して食べ始める。どうやら自分で持ってきていたお菓子などのようだ。茜も無反応でみんなのところに戻る。
「久保田先生のための数は確保してあるから、みんなそれ大事に食べてね」
「ありがと茜ちゃん、神様に見える」
神様。杜舎の者は虫を神のように信仰していた。そういえばシンシ様がどうのと会話をしていた。そして東雲もお前がシンシか、と言っていた。神様、シンシ。この二つは無関係では無いはずだ。
「ちょっと気になることがあるんだけど」
そう言うと香本は今考えていたことを皆に話す。すると茜がもしかして、と言った。
「それ、神の使いのシンシじゃないかな?」
「どういう字?」
「そのまま、神様と使うで神使。白い動物って神様の使いだって言われることが多いでしょ、白蛇とか狐とか。何か特別な存在なのかな」
虫が体に入った人間の中でも何か特別な者がいるということだろうか。あの時何故東雲は香本を神使と言い切った? 東雲が見たのは香本の劇的な変化、身体能力のみ。
「東雲は宿に来て旅館の人と客の動きを徹底的にチェックしたはずだ。誰と誰が性行為をして虫を移しあっているのか」
香本の言葉で相川がピクリと反応したようだがとりあえず放っておく。
「つまり僕がそういうことをしていないのに虫が入っているとしか思えない変わり方を見て、この地域に来る前から虫が入っていることを知ったんだ」
「つまり、性行為以外にも虫が体に入る方法が……あ、アケビ?」
不老不死になると言われているアケビ。杜舎派ではない者達が言っていた、虫が入っているアケビを食べていたら。
「香本君、食べたことは?」
「わからない。幼稚園の頃はもう癇癪症状が出てたからもっと小さい時ってことになるけど。すごく小さい時に確かアケビを出されたことがあったと思う。でも食べなかったと思うんだ」
「なんで?」
「……一応聞くけどこの中にアケビ好きな人いる?」
香本質問に全員首を振る。嫌いではないが特別好きというわけでもないようだ。
「なんか、芋虫みたいで気持ち悪かったから」
その言葉に全員が微妙な顔をした。当然だ、みんな宿でアケビを食べているのだから。
「とりあえず、今の言葉でアケビ嫌いにはなったかな」
はは、と乾いた笑いを漏らす梅沢とは対照的に坂本は静かに言った。
「……俺は虫がどうたらこうたらって言ってた時点で二度と食わねえって思ったから別に」
梅沢が確かに、と相槌を打って終わったが、香本が見る限り坂本の瞳は暗い影を落としている。自分の体の中に虫がいるというのは一体どういうことなのか。彼の心中を考えれば当然のことだ。
「今更だけど、宿で出されたアケビから虫が入ったってことはないかな?」
「ない」
梅沢の疑問に香本と茜は同時に否定した。なんで? と聞いてくるので茜が説明する。
「杜舎以外の人たちは自分たちの体に入ってる虫を他人に押し付けたいからそんなことしないだろうし」
「いやその前に撃たれた男の人が言ってだろ。アケビの管理は杜舎がしてるって。そして杜舎はこの伝説にひどく酔いしれてる。不特定多数の人間に大切な虫を入れるなんてしないんじゃないかな」
その言葉に梅沢と相川がほっとした様子なのを香本は見逃さなかった。自分は虫のアケビを食べていないと安心したようだ。
「そういえば相川って木村先生から虫について一体何聞いてたんだ」
梅沢がそう聞くと相川は睨みつけながら鼻で笑う。
「いろいろ聞いたけどあんたなんかに教えるわけないでしょ。どうしても知りたいんだったら教えてくださいって頭下げるべきじゃない?」
「はあ? 何言ってんのお前」
呆れ果ててもはや怒りもわかないらしく、やれやれといった感じで梅沢は興味をなくしたように相川から視線を外した。そしてわざとらしく少し大きめの声で香本に聞いてくる。
「今の話どう思う」
「嘘だろうね」
あまりにもあっさり言ったので茜はプッと笑い、坂本は不思議そうに聞いてきた。
「なんで言い切れるんだよ」
「木村先生ってそこまでこの課題に真剣じゃなかったんじゃないかな。僕らが真剣に課題に取り組んでても興味なさそうだったからね。たぶん詳しいのは久保田先生の方だよ」
「確かに」
「たぶん相川は何も知らない、当日慌ててたんだから。もし本当に相川が何か聞いてるなら木村先生がマウント取るために言ったてきとうな内容か、全然大したことない内容だけだ。あとさ」
「なに?」
「気分悪いから、相川に話しかけるのやめてくれ」
「あ、悪い」
振り返りもしなかったが後ろから相川の怒りに震えるような気配を感じる。そして自分で言った内容を思い出して勘違いしたかなと思い当たった。気分が悪いと言うのは文字通り体調がすぐれないということだ。どうせたいした情報を知らないだろうなというのは予想がついている。小さなことで話を振らないでほしいという意味合いだったのだが、おそらく胸クソ悪いから相川の相手をするなと捉えたはずだ。それも別に間違ってはいないのでわざわざ訂正はしなかった。